CASE:EX 師走初日は風雲急を告げる

13:05/斉藤怜は動かない


 ――さて、どうしたもんか。


 昼休みも半分を過ぎた社内、その廊下の一角で俺は今、どうやら同期の森が半殺しの目に遭っているところに出くわしているらしい。

 「森さんのポーチのクマ、すっごいかわいいよね!」

 「あ………いえ……………」

 「もしかしてだけど…林主任の鞄に付いてるのと色違いのオソロじゃない?」

 「私も似てるなーと思ってた!」

 半殺しといっても、物理的じゃなく精神的なほうだ。先輩女子が3人…えーと確か右から人事・人事・経理だな、それがクマ付きポーチを握りしめて震える森を壁際に追い詰めて尋問の真っ只中。まあ人目ある社内なわけだし、3人ともしごく明るい表情と声ではあるんだが、いかんせん目がまったく笑ってねえ。曲がり角手前のレストスペースからチラ見してる俺でさえ冷や汗が滲んでくるような…あれだ、獲物を捕らえた猛禽類の目だ。

 ちなみに…確かにクマは主任と色違いだが、クマが付いてるピンクのポーチの方も、同期の利津・山本の2人と色違いなことを俺は知っている。あれは一月以上前だったか…森が『裁縫が趣味だ』とカミングアウトしたその日に、2人が速攻化粧ポーチ×3の制作費を握らせて会社帰りにユザワヤに連行、生地を選んで作らせたやつだ。柄が同じで、利津は黄色で山本は水色。部活ん時に、「自分には似合わない!って連呼する樹にピンクを持たせるために、私は晶に『利津はカレーが好きだから』ってことにされたんだけどね」っつって実物を見せてもらったから間違いない。あん時ゃ酒吹くかと思ったふざけんなよ山本。

 「そういえばさ、私森さんが10月の終業後に林主任に呼び止められてるの見かけたんだけど」

 「………!」

 「森さん人事系の業務持ってないよね?仕事上の接点あったっけ?」

 「てことは…仲良しなの?」

 あー…話がさりげなくクマから核心にズラされてら。つうか『10月の時点で引っかかってたささいな違和感を12月の今まで問い質す機会を伺ってた』ってのがどんなホラーより恐ろしくないか…?『そういえば』って導入が軽すぎて完全に浮いてることに誰か気付いてくれ頼む。

 3人からのあまりの圧に、森のHPは既にゴリゴリに削られて相づちも打てなくなってやがる。なんとか命だけは助けてやりたいところだが…女のこの手の場面に男が手ブラで割り込んでくのは割と純粋に死を意味する。さらに相手は複数、俺にとっても先輩にあたるわけだし、状況は極めて不利だ。なんかしらの作戦が必要だが…どうすっか。3人のうち誰かが主任に呼ばれた、ってことにして、ウキウキで探してもらってる間に俺から主任に連絡つけば、辻褄合わせが間に合うか…?よし、

 「あの、……!」

 スマホ片手に曲がり角から一歩踏み出す直前、後ろから肩にポンと手が置かれて……俺はその場から動くのをやめた。

 「今、僕の名前が聞こえたと思いましたが…何か?」

 「「「はっ、林主任…!!」」」

 俺の横をするりと通り抜け、いつもの穏やかな声で呼びかけたのは、ナイスタイミングで通りすがりのご本人様だった。

 3人の猛禽類が一瞬で恋する乙女に戻ったのを目撃しつつ、俺は…別の意味で冷や汗をかいていた。『人事のスパダリ』の異名どおり、タレ目系イケメンの威光と柔らかい物腰で、この人は兎角おっとりしてると思われがちだが…その実締めるとこはきっちり締める切れ者で、それを知ってる人間は俺を含めてごく僅か。人の良さだけで人事の主任になれるわきゃねーだろってことだ。

 「あ、えっと、ポーチの主任がクマで」

 「は、はい、10月に廊下を森さんで主任に」

 「そ、それで、業務的に仲良しでお話を…」

 「なるほど…」

 1ミリも伝わらない説明ににこやかに頷きながら、主任はじっと森を見ていた……3人に怯えてガチガチに固まった上に、話題の中心人物が現れたおかげでさらにガッチガチな、目下ベタ惚れ中の恋人を。

 あー…生きろ先輩方、『自分のことで森に絡んだ』って事実だけが伝わればこの人には十分だ。世の常というかなんというか、基本的に普段温厚な人ほど…怒ると怖い。俺が心の中で合掌した時だった。


 「はい、樹さんとは結婚を前提にお付き合いさせて頂いています」


 「「「「………………………………………………………はっ??????????」」」」


 ―――今確実に5秒は時が止まってたと思う。いつも通りの穏やかな顔と声で爆弾投下してきやがったぞこの人。…てか、主任とオフでそれなりに親交がある俺でも聞いてなかったなこれは。

 「……………………あ……」

 「……………………え……」

 「……………………う……」

 「ち、ちょ?!待っ?!え?!はっ初耳ですが?!?!?!」

 先輩3人が口を半開きにしたまま微動だにしない中ひとりだけ果敢にツッコんできたのがさすが我らが同期の敏腕ツッコミってかお前も初耳かーーーーーーーーーーい!!!!!

 「あれ、まだお伝えしていませんでしたか…申し訳ないです」

 「あ、いえそんな、私もうっかりしていて…?」

 伝えてないんかーーーーーーーーーーい申し訳ない以前の問題だし間違ってもお前のうっかりではないわってかそもそもまだ付き合って一ヶ月くらいだろあんたら!!!!!

 「そうだ樹さん、今日は終業後にジュエリーショップにでも寄りませんか?」

 あらゆる角度から2人にツッコもうと荒ぶる右手を必死で抑える俺の努力をよそに、この人はさらにニコニコと追い討ちにかかる。

 「へ?はっはい、何かお目当てがあるなら、私なんかでよければお供を…」

 「ええ、あるんですよ、そろそろ…ね?」

 森にじゃなく、3人に向かって幸せ満開笑顔+ちらりとウインクのおまけ付きって、こんな爽やかなトドメの差し方見たの生まれて初めてだわ俺。つーか森もうそれ指環ほのめかしだっつーの!!婚約指環ないし結婚指環の下見だっつーの!!ここまであからさまなんだ気付いてないのお前だけだぞ森!!!!!

 「あっ、でも今日は確か…夜に季節外れの台風接近とかなんとかで」

 「そうでしたね…もう師走だっていうのに。明日はせっかくの土曜ですが見送るとして、日程のすり合わせを……ああ、皆さん、これで失礼します。この件はまだここだけの話で…お願いしますね?」

 森をさりげなく俺の居るレストスペース側に促しつつ、その背後で主任が3人に向かって微笑みながら人差し指を口に当てたのを俺は確かに見た。

 「「「……………………………………ハイ」」」

 その完全なオーバーキルにより全てを悟った3人が、死んだ魚の目をしてフラフラと歩き去るのも見た。

 …ご愁傷様としか言いようがねぇな。



 「しゅ、主任、良かったんですか?会社では隠してた方がよかったんじゃ…わっ斎藤いたの?!」

 「昼休憩に俺がレストスペースでレストしてたって別におかしいこたねーだろ、気にすんな」

 到着した森が、さりげなくソファに腰掛けてる俺を見るなり素っ頓狂な声を上げる。スマホの画面から目を離さないフリをしつつ片手だけを上げると、主任が同じく片手で応えてきた。

 「いえ、貴女にこんな思いをさせるくらいなら明かすべきです。すみません、驚かれましたよね?勝手にまくし立てて…」

 「や、私こそ助けて頂いて……でもじゃあ、あの、さっきのケッコン的なお話はさすがに…アレですよね?」

 「……樹さん、少しお話していきませんか?」

 「…俺ぁそろそろ席戻りますわ」

 主任が奥の自販機に小銭を投入しながら言う、そのトーンがけっこう真剣なものに変わったのをなんとなく察した俺はさくっと席を立つ。

 この人には半年前、人事部の飲み会で偶然うちの店が使われた時、カウンターの俺にいち早く気付いて逃がしてもらった恩がある。俺にできることなら、クマの限定バージョン探しだろうが、森の即席騎士役だろうが買って出てやるつもりだが…今回は結果的にはなんもしなかったな。ま、とりあえず不義理はしなかっただろ。

 にしても…こりゃあ主任は本気だな。森の扱いがまんま逆鱗だ。まあ予想外に結論が早かったってだけで2人ともいい大人なんだし別に何も問題はないんだが、あー肝心の森との温度差がすげえってのが問題っちゃ問題だが…そこまでは俺が立ち入るところじゃない。あの人のことだ、うまくやんだろ。


 「………ん?」

 左手の中で鳴動したスマホを見ると、凛からメッセが入っている。金曜のこの時間は、講義に追われながら大学で飯ってるはずだけどな…?

 俺はスマホのロックを解除した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る