1. 近くて遠い
「うわこれめっちゃサクサクすぎて意味がわかりません…!!」
「はい、いい音がしますね」
「そうなんです美味しすぎます…もう全体的に語彙力足りてなくて申し訳ない!!」
「いいえ、美味しくて良かったです」
満面の笑みを浮かべてワッフルにかじりつく森さんを見つつホットチョコレートを啜る。多分、ワッフルに集中しすぎて自分が完全にガードを外した表情を浮かべているのに気付いていないと思われるので、こちらも黙って魅力全開の笑顔を堪能させてもらうことにする。
玉砕覚悟の僕の性急な告白に、『男性と親密な間柄になった経験がないのでまずはお友達になっていただきたい』という誠意ある返答を頂いてから三度目の週末。社内での恋愛関係が公になると速やかに部署異動対策を取る傾向の会社もまだ存在する世の中にあって慎重を期し、僕はまず週末に積極的にデートに誘うという古典的な手段を採っていた。元々お互い趣味が合うところから始まった関係性なので、来訪場所を『今まで独りでは行きにくかった憧れの場所』に絞り、2人が挙げた候補からピックアップしたところを順に回っている。今のところはそれで毎週OKがもらえているので、この方向性が僕たちには合っているようだ。
第1回は森さんプレゼンの『行列のできるふわふわパンケーキのお店』、第2回は僕プレゼンの『テディベアフェア(期間限定開催)』、そして第3回目の今日は2人プレゼンの『ドリームランド』…に入る勇気はまだないという森さんの希望で、その目の前に位置する巨大ショッピングモールを訪れていた。午前中は僕が世界一有名な黄色いクマの関連グッズを見るのに付き合ってもらい、昼食は食べたいものが多すぎてまったく絞れないため食べ歩きに切り替えた。それでもこの機会にチャレンジしたいスイーツが胃の許容量を大幅にオーバーしてしまった森さんに、焼きたてが肝心なワッフルとチーズタルトをこの場で食べて残りはお土産として買って帰ることを提案、最高の解決策として受け入れられて今に至る。
2人で過ごすことで、同時に自分たち個々の望みも叶い続ける素晴らしい週末の連続。発案者かつ年長者として、飲食代くらい持たせてほしいとお願いしては断られ続けていることを除けば、ここまでなんの問題も起きていない。
………が、僕にはひとつ気に掛かることがあった。
「森さん、ちょっと失礼します」
「ふぁい?」
店の刻印が入ったナプキンを手に取ると、できるだけ化粧を落とさないよう留意しながら頬のチョコソースを軽く撫で取る。森さんは一瞬きょとんとした顔をしたかと思うと、次の瞬間にはもういつも通りの表情でお礼を口にしてくれた。
「ありがとうございます、お恥ずかしいところを…」
「いえ、心ゆくまで堪能しましょう」
「はい!」
頷いた森さんはなんの躊躇もなく再びワッフルに集中する。
…自分でやっておいてなんだが、今の行動は友人同士の男女が行うにしてはかなり親密なものではないかと思う。端から見ればそれこそ恋人同士と取られて然るべきというか、スキンシップの中でも顔はかなり繊細な部位に相当するはずだ。
思い返せば、そもそも今日まで森さんは僕が触れることに対してまったく抵抗がなかった。第1回の時は、店内入場時にエスコートを願い出て予想に反して快諾された。第2回の時は、かなりの混雑の中手を繋いでもよいか尋ねると普通にOKをもらった。そしていずれも、今日のようにごく自然に受け入れてまるで焦ったり怯えたりする素振りがない。男性が苦手とまでは言わないが慣れていない、と本人から聞いていたので、てっきりここまで来るには年単位の時間が掛かることも覚悟していたのだけど……それが本当に不思議だ。
…もっと言えば、本来ならば嬉しい立場のはずの僕は困惑していた。これだけ2人の距離が目に見えて縮まっているというのに、森さん側にはなんというか、恋人然とした雰囲気がまったく感じられない…というより、むしろ戦友としての熱い友情めいたものを感じる、のはおそらく気のせいではない。ひょっとして極度にパーソナルスペースが狭い人なんだろうか…?
それとも、あまり考えたくはないけれど――森さんの中で、僕はいわゆる『対象外』というものに落ち着いてしまったのだろうか。
「主任?」
「は、はい?」
「さっきから難しい顔されて、どうかしましたか…?ホワイトチョコじゃなくて、こっちの普通のチョコ味も食べてみます?」
「いえ、あの、森さんは…スキンシップ的なことは苦手ではないのかなと、考えていて」
「え?」
驚いた拍子につい口が滑ってしまった、のを後悔する暇もなく、心底意外そうな返事が返ってくる。
「私、何かおかしかったですか…?」
「いや、森さんは何も問題なくてですね、むしろ僕の距離の取り方はまずくなかったかなと……」
「いえ全然。小さい頃からよく兄に似たようなかんじで面倒見てもらってたので、特には」
…原因が一瞬で判明してしまった。動揺をなんとか隠して質問する。
「お兄さんが、いるんですね?」
「はい、2コ上の兄とふたり兄妹です」
「とても仲が…良いのかな」
「というか、妹に対してやたら過保護な人で…これもお恥ずかしい話ですね」
……僕は今普通の顔ができているだろうか。強力な障害出現、というよりも……僕にとっては多少なりとも勇気の要ったひとつひとつの出来事が彼女にとっては『いつものこと』だったのかと思うと、流石に落ち込むのを隠しきれそうになかった。
「あ、でも……近づいても嫌な感じがしなかった男の人は、家族の他には主任が初めてですが」
「え……」
「あ…今の、なんだか言い方が偉そうで、申し訳ありません」
「…いえ……」
「自分でも不思議なんです。秘密にしてたこと、主任には洗いざらい打ち明けてしまったからですかね…?」
森さんはワッフルを口に運ぶ手を止め照れたように少しだけ首を傾げ苦笑して…その仕草が本当にかわいすぎて僕は目のやり場に困る。それは、家族に近いところまで心を許してくれていると思ってもいいんだろうか。森さんの中で、僕だけが特別な異性だと…自惚れてもいいんだろうか?
――しかし、逸る気持ちを抱くと同時に状況を俯瞰する僕がいる。こんなにも些細なことでこれだけ振り回されるということは、つまり自分がそれだけ真剣に森さんに恋をしているということだ。先走って全てを失わないように留意する必要がある。
森さんの言動の端々には僕をひどく清廉潔白な人物として尊敬しているふしがあるけれど、人事というのは人の裏側を覗くことが多い部署でもあり、つまり社内で起こっているたくさんの軋轢や差別などと無縁ではいられない。外見の印象なのか、僕は何故か『おっとりしている』という印象を抱かれがちだが、クマが好きだというだけで差別を受けた経験もあって、なんらかの形で僕を利用しようとする人達とはプライベートも含めてうまく駆け引きしてバランスを取ってきたつもりだし、それなりに黒い思考も持っている自覚はある。僕の身長や瞳の色、大学名や役職に一切関係なく関わってくれる人間がごく少数であることも学んでいる。
――だから森さんに強く惹かれたのかもしれない。
外見と思考はとてもシャープだが、その奥に女性らしさと一緒に隠されている森さんは、僕には眩しいくらい純粋な人だ。お兄さんを始め、ご家族に大切に育てられてきたのが容易に想像できる。もし小学生時代のクマの一件がなければ、望み通りにかわいいものに囲まれて、自らの魅力に見合った人とお付き合いだってされていただろう。僕に出会いこうして理解を深め合う必要もなかったかもしれない…そう考えると、僕は森さんからかわいいものを奪った小学校の同級生という存在に感謝さえしそうになるような男だ。正直、彼女に相応しい人間かどうかの自信はない。
この人に釣り合う男でいるために、今僕にできることは―――
「ホワイトチョコのほうもめちゃめちゃ美味しいですね主任!……主任?」
「…森さん、」
僕は腕時計に目をやる。そろそろ15時を過ぎようとしている頃だった。
「今日この後の予定ですが―――」
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