4. 放課後
21時半ちょうど。雨は明日からって予報のはずだったのに、外はもう冷たい雨が降り出していた…近くのコンビニを探すしかなさそうだ。ドアの外で少し火照った身体を冷ましつつスマホで駅の方向を確かめていると、裏口から出てきたとおぼしき人影が呼び止めて黒い傘を差し出してくれる。
「店長がもう降ってるって教えてくれてさ。ほれ」
「いいの?」
「ん」
「会社で返しても平気?」
「俺個人の置き傘だからな。よろ」
「了解」
「大島、あとさ」
「ん?」
「なんつーか、…………ありがとな」
「?なにが?」
真っ暗な足元を見つめながら、斎藤がどこか独り言のように呟く。
「…俺みてぇな人生はさ、お前みてぇな賢い女にはバカにされんじゃねーかなって思ってたんだわ」
「なんで?普通にかっこいいけど」
「ちょ、おま……いやとにかく、お前のこと見くびってた!悪かった」
なんで斎藤が頭を下げるのかが私にはよくわからなかった。生き方の違いに引け目を感じたのはむしろ私のほうなのに。それに、兄妹2人の家計を恐らくカツカツで回してることに引け目を感じてるんだとしたら、失礼だけどとんだ見当違いもいいとこだと思う。
「えーと、妹さんも今は大変だろうけど、無事後期研修医までいければ奨学金もマッハで返せるだろうしその後も安泰だし大丈夫。妹さん頭いいし頑張ってるんでしょ、言い方悪いかもだけど経理的な目線から見ればすごく信頼性の高い投資と考えていいレベルだよ、苦労は一過性だと思う。現役合格ならあと5年とちょいだから、斎藤30前くらいまでかな?」
「お前は戦国時代の軍師か!洞察レベルおかしいだろ!!」
「いや、母の知人のお子さん?が医者の卵で、バイト頑張ったら年収1200万突破したとか聞いて」
「おいマジかよさすがに高すぎじゃね?」
「経理は一度聞いた金額は間違えないよ?」
「…そりゃそーだな。ははっ」
当然空と足元は真っ暗だけどいくつかのネオンはすごく明るくて、その時私は斎藤が大きく笑うと八重歯が見えるのを初めて知った。自分より全てが上に思えた同期が少しだけ幼く見えて、それで思った以上に自分がほっとしたのがわかって――私達は少しだけ一緒に笑った。
それにしても……見るからに脂肪分が少ない上にバーテンスタイルのままの斎藤はものすごく寒そうだ。改めて観察すると手足が細くて長いし頭が小さい、身長は180ないくらいだけどもう少し高ければモデルなんかにスカウトされてそうな…というか妹優先しすぎてあんまり食ってないんじゃなかろうかと勘ぐりだしそうになる体型だ。正直もうちょい太ってほしい、見てるこっちが怖い。
比較というか、まあ大して気にしてるわけでもなかったけど、友人から『ゆるふわ』と称される自分の外見がおっさんウケはしても若人ウケはしないことを私はよくよく知っている。
「まずは髪でも伸ばそうか?」
「?突然なんの話だよ」
「ぶっちゃけ私も何したらいいのかよくわかんなくてさ。今まで自分から好きになったことってないから」
何も飲み食いしてないのに突然斎藤は派手に咳き込んだ。背中でもさすろうかというのを断って、ドアに寄りかかりながら彼は妙な笑顔で明るい声を出す。
「ま、まて待て大島。落ち着いて考えてみたら…あれだろ、ほ、惚れたのなんだのって、いわゆる人として的なやつだろ」
「そこどうなんだろね?正直私にもちょっと境界が見えてないというか」
「お前もわからんのかい!」
「うん。今まで受動的なお付き合いの経験しかなくて」
「へ、へえ………あー、うん、まあでも意外とそんなでもないんじゃね?…そだな、じゃあホラ、今まで付き合った男の告られセリフ第1位は?」
「『君は俺に相応しいと思う』」
「……………お、おう、……なるほど」
「で、フラれセリフ第1位は『君と俺は釣り合わなかった』」
「………………………」
「どっちも2票だから統計的優位性ないに等しいけどね」
「いや、もういいんだ………なんかごめんな……………」
突然斎藤は目を手のひらで覆って天を仰ぎだしたが、もちろん空は暗くて雨が降っている。
「まあそんなわけだから、いつかあんたをオトしてみせる。とか言うべきなんだろうけど実際は何すりゃいいのかさっぱり。まあ、気長にやるね」
「おいおいおいおい、…………そ、それは置いといて結局、さっきの髪を伸ばすとかってのはなんなんだ…?」
「自慢の妹は長かったじゃない、ああいうのが好きなのかなって」
「ちょ、バッ……」
聞くなり斎藤が慌てだす。確かに髪はすごく長かった、多少酔ってはいるけどさすがにこの記憶は間違ってはいない…と思う。
「どしたの?」
「お、お前な、それ狙ってやってんのか…?!」
「?今の何が??」
「って天然かよ!…俺にどうしろっつーんだマジで……」
「とりあえずピュアっピュアなあんたに天然て言われるのはどうかと」
「は?誰がピュアだ」
「だって全体会の前日、私達の追求から玉城くんが庇ってくれた時泣いてたでしょ」
「い、今それ関係ねーだろ!!」
「ふたりはピュアピュア」
「もうそれ原型ねーから!!いいから酔っ払いははよ帰れ!!」
「はいはい、じゃ、ね?」
「また……ってぅおい!?」
傘を開きつつ一歩踏み出した私は、完全な死角となった入り口前の段差を見落としふらつ…いたところで横から衝撃を受けて傘を取り落とす。なんだろう顔が温かいしすごくいい匂いがする、ていうか斎藤の胸付近に埋まってるのかなこれはひょっとして。
「おい、大島?大丈夫か?」
掴まれた右肩を引かれて身体が離れた、と思った時には、なぜか自分の顔が急激に熱を持ち始めていたのがわかった。斎藤の顔つきが一瞬で変わる。
「お前真っ赤だぞ、気分悪いのか。ちゃんと立てるか?」
「いやいやこのくらいの酒量で潰れるわけないんだけど。ていうかさっきまで全然平気だったんだし、そんな突然…」
突然ぺたり、と冷たいものが左頬に触れた。
「ウソこけ、こんな顔色で説得力ねーっつの。ちょっと待ってろ、水……」
冷たいものはけっこう大きくて、広範囲をカバーして冷却してくれるのでめちゃくちゃ気持ちいい。けど、あれ?普通に考えて、
……これ、斎藤の手じゃない?
頭の中で正答が出たとたん、今度は目を開けてるのが辛いくらいの熱量が顔面に集まってきた。尋常じゃない温度上昇が伝わったのか、斎藤もビビって手を離す。顔の毛細血管なんて私自身にも制御不能だけど、気分はほんとに全然悪くないし……ってことは、
「これは、ひょっとして」
「…………………………俺のせいか?」
「…可能性は高いのでは」
一瞬斎藤の動きが止まった、がすぐに明るく笑い飛ばすという状況整理に打って出てくる。
「……ってそんなバカな、ほっぺたちょこっと触ったくらいでお前、中学生じゃあるまいし」
「だよね、私もそう思う」
「じゃ、じゃあ違うよな、やっぱ水持ってくっから……」
「よし検証してみよう」
「なんでだよ?!…っておい!」
間髪入れずに私は斎藤の袖の端っこを掴むと手をおでこに当てた。途端にぶわりと顔面が三度熱くなるのを確認した結果、二人そろって確実に原因特定に成功してしまう。勿論今まで彼氏もそれなりにいたので、人生で男に触られたのなんて生まれて初めて!とかそういうウブな女でもなし。なんでこんな現象が起こるのか、自分でも不思議で仕方ない。
「……お前なぁ………俺はヒーターのスイッチかっつーの」
顔色は大して変わらないのに、斎藤の耳がいつのまにか真っ赤になっていた。逃げ場をなくした軽口を聞いている側の私にも勿論逃げ場はなかった、というかそもそも逃げる気も必要もなくて――ただ、胸の中の大きな何かがストンと腑に落ちていったのがわかった。それを声に出してみる。
「私、どうも人としてじゃないほうであんたに惚れたみたいだね」
「…考察せんでいいから」
「あ、ちなみに男日照りで飢えてるとかそういうんじゃな」
「ここまでで考えて普通にそんなタイプじゃねーだろお前!余計な事言わんでいいわ!」
斎藤のツッコミは、照れてるのか優しいのか困ってるのか怒ってるのかよくわからない。けど、打てば響くようなこの会話のスピード感は嫌いじゃない、ていうかむしろちょうどいい。
はあ、と息をひとつ吐くと斎藤は傘を拾い、正面きってこちらの目を見ながら差し出してくる。その目はひどく真剣で……そだね、あーだこーだと言いはしても、結局この男はごまかさずに、最後の最後はきちんと収拾つけるんだ。
「わかった。とにかく、これ以上は酒の勢いでする話じゃねーから。今日はとりあえず帰れ、この件は少し時間置いてから改めて折衝するぞ」
私は頷いて傘を受け取った。異論はない。信じて受け止めてもらえた手応えはあるし、さっさとこの場でフラれたわけでもなく、誠意ある返事…というか回答をもらえた。今日は色々と急展開の連続すぎて、私側にもきっと咀嚼の時間は必要だ。すでに帰宅予定時間はかなり過ぎてるし、とにかく今日はこれで帰ろう。
…ただ、なんて言ったらいいんだろう?例えば…もしこれが恋じゃなかったとしても、もし斎藤が私を恋愛対象にできなかったとしても、もし私達の関係が今のまま変わらないとしても――今日私の人生でいちばん美味しい酒を飲んだことだけは、本当に本当の真実。またこんな酒を飲むためにはきっと、美味しい酒そのものよりも必要なものがあるんだ。
「了解。…最後にひとつだけいい?」
「…ん?」
「――明日これ返すとき、正式に部員勧誘するからね!」
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