3. 残業
結果からいうと、孤独な戦いは本当に孤独だった。
業務仕分けだか経営のスマート化だか知らないが、前期で派遣さんを上に切られちゃったので今本社の営業事務がどう転んでも私しかいないのである。つまり私が独りで残業するのである。クソ上司を始めたくさんの人々が私に別れを告げて出ていった。というか同フロアの全ての人が出ていった。というか多分別フロアの人も全員出ていってる気がする。もう20時近いですし、金曜ならまだ誰か残っててもおかしくないでしょうが今日は木曜、しかも明日朝早くから全員もれなく出席の全体会ですものね準備がありますものねわかります。基本残業の少ないノットブラックな我が業務であるが某クソのせいで…いやこの話はやめよう、いそいそとあそこの椅子に画鋲を仕掛けそうになってしまう。私もまだ24歳、社会的な死を迎えるには早い。
……はい、そんなわけでやっとこさデータ完成&印刷終了。PCをスリープにし、出力の終わった複合機の電源を落とす。マグを洗う気力も、愚痴を呟く元気すらないまま樹と利津になんとかメッセで終了報告すると、労いスタンプが間髪入れずにぴこぴこと列をなしたのでちょっぴり泣きそうになる。ぐっとこらえてカバンにスマホを放り込み、プリントした差し替え資料の束を抱えるとめちゃくちゃ重い……だがあと少し踏ん張るしかあるまい!そのままヨタヨタしながらもなんとか照明を…照明……照明のスイッチってどこだろ???毎日この7階に最初に出勤するのは勿論私じゃないし、最後に退社するのも勿論今日まで私だったことはないのでそもそもスイッチの場所を知らないという…なんという盲点。若干ウロウロしたものの、幸いにもまあなんとなくアタリを付けた壁に発見し、9個全てのボタンをパチパチと押す。
「………わっ」
声が出てしまった。非常灯だけになった途端いつものフロアが急に知らない場所のように見えて、背筋にゾワッとしたものが走る。それがなんだか楽しい感覚なのかひたすら恐ろしい感覚なのかは、境目が難しくてよくわからなかった。出来のいいホラー映画を観てる時の感覚に近い気がする。ってかそれを言ったら今この状況って死亡フラグけっこう立ってる気がしてきた早く帰ろう疾く帰ろう。
①エレベーターで2階に降り、②すでに明日の資料まみれになっている総務部のデスクにさらに資料を置くと、③『営業部差し替え分です 9/28山本』とメモを添える。以上3ステップでミッションコンプリート!終わったーこれでようやくこの脱出ゲークリア!!明日の朝差し替え担当してくれる方申し訳ありません私帰ります!!!
…けど、もちろんフロアの施錠担当者はとっくのとうに帰っている。残業申請時に代わりの施錠者は聞いていた、というより今この社内に残っているのはおそらく彼と私だけだ。まさか今日中にもう一度会うことになるとは思ってもいなかった。
5階に取って返すと、常時蛍光灯でピッカピカに照らされているガラス張りの電算室が目に飛び込んでくる。
このガラス部屋の入口には二重のセキュリティがあり、社員カードのスキャンだけでなく電算室室員だけが知るパスコードを入力しないと入れない。しかもサイトウ曰く、パスコードは毎月不定期な日時に替えられるんだとか。そしてサイトウ曰く、新しいパスコードを忘れて締め出しくらうこともしょっちゅうなんだとか。あいつ普通にダメ社員じゃん。まあ最近は銀行でもカード会社でもネットサービスでもガンガン個人情報流出が事件になってるし、うちみたいな中堅会社でも電算室はこのくらいにはなってないとね。
なんの躊躇もなく訪問者用に設置されているインターホンを押す。
ぴんぽーん。
……出ない。
ぴんぽーーーん。
…………………出ないよ?
さすがに私も焦りだした。なんせ彼がいないと私は退社できないのだ、これは絶体絶命のピンチといっても差し支えない。落ち着け、まだ20時をちょいと回ったばかりの宵の口、電算室はガラス張りなのだし外から目視で人影を探せばよいだけのこと!然り然り!
というわけで突如退社のかかったかくれんぼがスタート。彼の席がどこなのかは知らないが、まずは入口からすぐのところにあるデスクたちを確認する。が、まあ10席くらいしかないわけだし、この近さで座ってればお互いすぐに気付くに決まっとる、てかまず間違いなくピンポン聞こえるわ。
続いては、ガラスの外側からパーテーションの向こうに並ぶサーバー群の合間を確認。規則正しく図書館の本棚のように整列するサーバーたちはこんなにコンパクトなのに、この中に全国支社のPC全ての情報が入ってるとはすごい時代になったもんだ……ってもう端っこまで来てしまった。どこにも人影などない。
「んんんんんん???」
これは………どうしたらいい?ちょっと途方に暮れてきつつ、とりあえず見落としがないか部屋の反対側からも見てみようと裏に回ると、今日初めて気付いたけど反対側にも同じような入口があり、そこに手書きのメモを発見。わかりやすいように、入口のインターホン近くにテープできちんと貼り付けてある。たったの一言だったけど、彼の状況を考えると何から何まで全てを納得できるパワーワードがそこには書いてあった。
『仮眠室にいます』
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