4. 告白

 それから、とても平和な一週間と2日が過ぎた。

 時期柄、仕事は概ねどの部署も落ち着いている。利津は変わらず部活に精を出してたけど、今週は斎藤の店じゃなかったので進展はなし。金曜の予定だったドキドキディナーは電算室の忙しさが退かずに一週間繰り下げになったものの、晶はどことなくホッとしているようにも見えて…確かに急いでどうこうってわけでもないし、まだ気持ちを決めかねてるのかもしれない。そして私はというと…

 私は……


 私はなぜ終業後カフェに拉致られたんだろうか………???


 「好きなものを頼んでくださいね。何か軽く食べますか?」

 目の前の誘拐犯が、いつも通りの笑みを浮かべてメニューを差し出してくる。都会のまっただ中とはいえ18時台のカフェは夕飯どきには早く、人影がまばらだったのがまだ幸い。その中に弊社の女性社員の影は…とかもう考えるだけ無駄かもしれないだって普通に仕事終わって普通に玄関に向かってる途中で普通に少しいいかなって声かけられて普通に社内に戻ると思いきやそのまま普通に連れてこられたし普通に目撃者いると思う。仕事の用で呼び出されてます的な顔でもして座ってればいいのかと思ったけどまさかこれほんとに仕事のミスで呼ばれたとか、え、あの、万が一にもリス〇ラとかじゃない…ですよね?だって考えてみればこの人人事の人だし、笑顔って逆にまったく表情が読めないから疑い始めるとものすごい不安を煽るというか、ちょ、うわあこの場って一体なんの

 「森さん」

 「は、はいっ!!」

 「お話があります。単刀直入に言いますね」

 「は……、はい」

 「この子のことなんですが」

 突然のクライマックス展開に脳がついていけないまま目をやると、主任が机の上に取り出したのは、さっきまで持ってた黒い男性用ビジネスバッグだ。よくよく見ると、持ち手に鞄と同化した黒いクマがぶら下がっている。はたから見るとオレンジの何かがくっついているようにしか見えないので、これならそんなに目立つこともなさそうだ…作戦大成功。つーかそれよりとにもかくにもクマの話題だったことを喜ぼう!かわいいもの一般公開を決心してからというもの、ほんとビビりすぎ&思考回路が後ろ向きすぎる。

 「はい、この子がどうか…?」

 「君に頂いてから、すごく鞄に付けやすい色なことに気付いてね。本当にありがとう」

 「いえ、喜んでいただけてよかったです」

 ということは、これはお礼の場なんだろうか。でも、すでにお礼はお宝のようなクッキーを頂いて終了したはず…?

 「あまりにも嬉しかったので、友人にも見せたりしていたんですが」

 「は、はあ」

 「たまたま彼の妹がここのクマのファンで、集めているって話になってね」

 「は…………」

 まずい。

 「僕は店舗や地域限定バージョンまでは詳しくないのですが、友人曰く今年の限定版に黒クマはいないそうで。過去に販売したことはあったみたいだけど、このスカーフじゃなかったと」

 「…………………」

 「…森さん。違っていたら申し訳ないのですが、ひょっとしてこのクマは、君の……」

 「…………その通りです…」

 私は深く頭を下げた。もう主任の顔を見ていられなかった。

 「…手作りなんですね?」

 「……申し訳ありません。余計なこととは思いつつ、あの、気持ち悪かったら捨てていただいて全然」


 「やっぱりそうなんですね?この子は森さんが作ったんですね?!」


 頭の上から純度100%の大きな声が聞こえて、つられた私はもう上げられないと思っていた頭をうっかり上げてしまった。

 「信じられない、売り物とまったく同じじゃないですか?!一体どうやってこの形を作ったんです?」

 目の前には、今までとまったく違った主任の笑顔があった。まるでクワガタでも見つけた小学生男子のごとくはしゃいで、興味津々でクマを差し出してくる。裏表なんて欠片もなさそうなその行動を見てると、人事の対人能力がどうとか考えてた自分が大変しゃらくさい。もはやクマ好きに悪い人はいない、言い切ってもいい。

 「これはですね、まずは正確な型紙が要るので、本当なら一度バラして紙に転写しないといけないんですが」

 「!それは、なんというかとても」

 「はい、可哀想なので、このまま紙に押し当てて形を取りました。なので、かなり適当というか…」

 「そんな、これだけ再現できれば素晴らしいです。森さんは手芸がお得意なんですね」

 「あ……いえ」

 そりゃそうだ、立体縫製はわりと高度な技術というか、家庭科の授業で習うようなもんでもない。今まで誰にも打ち明けたことのなかった趣味をこんな形で社の人に露呈することになるとは…いやしかし、公開してこうって決めたばっかりだし踏ん張らないと!の前にそもそも証拠もあるわけだし違いますって言える状況でもない。

 「その、母が縫製の仕事をしていてとても身近だったもので、真似事です。……似合わないのでお恥ずかしいのですが」

 「そんなわけないでしょう、とても女性らしい趣味です」

 「えっ、あ、……はい」

 踏ん張りきれずに付け足してしまった自虐ツッコミを本当になんでもないことのように返されて、私の中の何かが少しだけ上書きされたような気がして気持ちが緩むのがわかった。やっぱり自分で問題を重くしてしまっただけで、端から見たらそこまで大きなことでもなんでもないのかもしれない。

 「…なぜわざわざこの子を僕に作ってくれたのか、聞いてもいいですか?」

 届いたカフェモカをこちらに勧めながら、さりげなく掛けてくれる主任の言葉はとても優しくて、決して私を追い詰めない。チョコとコーヒーとミルクでできた甘い液体を一口飲み込むと、今度こそ私は覚悟を決めた。自分が勝手に抱えて大きくなりすぎたこの秘密、今このタイミングでこの人に話せなかったら、この先一体誰に話せるっていうんだろう?

 「…勝手ながら、主任を応援したかったんです」

 「僕を……?」

 2人でそれぞれのコーヒーをすすりながら、私は少しずつ告白していった。かわいいものが好きなのに、一度客観的に否定されてから臆病になってしまったこと。同じ壁に当たった人に初めて出会ったこと。主任を応援することで、自分も前に進もうとしていたこと。

 「…ですから、お礼を言うのは本当に私のほうなんです。ありがとうございます」

 頭を下げる私に、主任はゆっくり首を振る。

 「とんでもない、話してくれてありがとう。森さんは、本当に…誠実な方です」

 「い、いえいえそんな…!」

 「森さんの気持ち、僕にはよくわかる気がします」

 聞きたくないかもしれないけどフェアにしたいので、と前置きして主任が話してくれたのは……幼いころ亡くされた母親にもらった、唯一の記憶が残っているものがクマのぬいぐるみだったそうで、クマのグッズが近くにあるとなんとなく安心することに気付いてからは、どうやってもクマ関連のものが蓄積されていったと……ちょっもうこれほんとに心からいい話だと思うんですが。ていうか泣ける、泣いてしまうだめだがんばれ耐えろ自分……でもこんなちっさなクマが主任の心をどんだけ支えてたのかとか思うと………

 「自宅のクマたちを、当時お付き合いしていた女性に捨てられそうになったこともあってね。他人に貼られるレッテルは本当に理不尽だと思います」

 「?!一体どんな理由でそんなひどいことを…!」

 「貴方には似合わないとか邪魔だとか、そんなようなことを言われましたが」

 「そんな、どんな理由があっても人の大事なものを勝手に捨てるなんて、クマじゃなくてもおかしいです!!…………あっ」

 瞬時に消滅した涙の代わりに、主任の元恋人さんへの批判を大声でしたことに気付いて恐縮するがもう遅い。森さんの言う通りですからと謝罪を断られ、申し訳なさをカフェモカの最後の一口と一緒になんとか飲み込んだ。ちょうど主任もカップを置く。

 「森さん、お互い色々とありますが、これからも好きなものを好きといえるように胸を張っていきましょう」

 「…はい!」

 ツッコむ一分の隙もなく、綺麗に話が終わった。思いがけずたくさんの話をした今、私は主任との間に奇妙な絆のようなものさえ感じていた。小学校時代のトラウマか、今でも男性にはどこか苦手意識があるけれど、その男性にここまで自分の秘密を告白できたんだからもう私に怖いものはない。まずは明日の木曜ランチで、晶と利津に本当のことを打ち明けよう。それから…


 「――というわけで、早速ですが、実はここからが本題といいますか」


 「え?あ、はい」

 もはや席を立ちかけた私を主任が止めたのでびっくりする。コーヒーも話も完全に終わったと思ったんだけど、ええと他にもまだ何かあったっけ…?ていうかその早速はどこにかかってるんだろう…??

 「森さんは今、お付き合いしている方や好きな方はいますか?」

 あまりにも突然話題が変わって更にびっくり、というか話題の内容にもびっくりのダブルの衝撃に襲われて思考回路が処理落ちしかける。

 「へ?いえ特に…??」

 主任は私の間の抜けた返事を聞いて、何故か胸を押さえて息を吐き…再び口を開いた。

 「今日お話させて頂いてはっきりしました。僕は森さんが好きです。良かったらお付き合いしていただけませんか?」


 「………………………………………はい?」


 話がまったく読めないまま主任は続ける。

 「もし可能性がゼロで諦めるべきなら、今そう仰っていただいて構いません」

 「は、…あ、……え??」

 「今は無理だとしても、できれば好意を持ち続けることは許していただけると有り難いのですが…」

 「え、ちょ、あの…???すみません、どういうことなのか、」

 「はい、ではもう一度」

 いついかなる時も主任の顔から絶対に消えないはずの笑顔がログアウトしたのが、やけに鮮明に脳裏に焼き付いた。


 「僕は森さんが好きです。恋人になっていただけませんか?」


 好きです好きです好きです………

 恋人になっていただけませんかせんかせんか…………

 頭の中にぼんやりとエコーがかかる。


 「……………………………えええええええ?????」


 は?

 主任が??

 私を???

 一ミリも、これっぽっちも想像もしてなかった。主任は弊社人事部の主任であって、男性として…というかまさか自分とどうにかなる存在として見てるはずがない。しかもただの主任じゃない、人事のスパダリとまで呼ばれる人気絶頂結婚相手候補ナンバーワンが、まさか?私のような??男だか女だかよくわからんような隣の部署の平社員を???

 人間あれだ、自分の身に絶対起こらないだろうと思ってたことが起きるとほんとに脳がシャットダウンする。まったく状況が飲み込めないままどれくらいポカンとしていたのか、気付けば目の前の美しい瞳がとても不安そうに陰っていて、仮にも一世一代の相談をさせてもらった年上の男性にそんな顔をさせてしまったことが申し訳なく……てことはさっきの、やっぱり聞き間違いじゃなかった。というか2回言ってくれてたからまずそんなわけはない。てか2回、こ、告白していただいたのか…わわわわわわ私に…!?!?

 「すっ、すみません!!…でも、あの、思ってもみなくて………ですね、」

 「ああ森さん、…そんなにかわいい顔をしないで」

 「かっ、かわ」

 正真正銘、家族以外に生まれて初めて言われた…!もう自分が今どんな顔をしてるのか知りたくない、知るのが怖い、むしろどんな顔をしたらいのかがわからない。てか顔とにかく熱い。

 「森さんは本当にかわいらしい方ですよ。それをご自分で隠そうとしている所がまたかわいらしくて」

 「か………………」

 いやこれほんとまって怒濤の展開すぎてツッコミが追いつかないどころじゃない何かおかしいよね?さっき飲んだのコーヒーじゃなくて酒だったとか?でも黒かったしここカフェだし!それともまさかドッキリとか?いやそんなの仕掛けて人を笑うような人じゃないし!じゃあもうなんですか、ひょっとしてこれ現実なんですか?!

 勢い余ってキレ気味に現状確認しようとなんとかがんばる私の目に、ふとテーブルの隅に置かれた鞄の持ち手が目に入る。きっと良い鞄なんだろう、そこには持ち主のイニシャルが美しく刻印してあって――それで私の意識は一気に現実に引き戻された。

 落ち着け。とにかく落ち着け。ずっと昔から決まっていたことだ、私にとって主任は、完全に『そういう』対象外でなければならないのだ。

 理由はただひとつ。


 …名字が『林』なので。


 名字が森で名前が樹、ちなみに兄の名前は草介。この時点でもはや恥ずかしいほどオチが丸見えというか、兄妹そろって小学校時代、男子に付けられたあだ名は問答無用で『くさタイプ』。登場キャラ名、いうてもポケモソ名ならまだしもタイプ名って。子供は本当に容赦ない。まあそもそも森って名字を踏まえた上でこの名前考えた親がもうどう考えても戦犯なことは間違いないんだけど、お互い趣味のハイキング先で偶然出会ってドラマチックな恋に落ちたらしい彼らからすると、そりゃもう至極当然の帰結だったらしく本当に迷惑。親の顔が見てみたい。お陰様でまだ4人とも息災だけど。

 そんなわけで、植物に関する名字、なんなら木へんがある名字の人は絶対に好きにならない・嫁に行かない・婿養子にならない!!と兄と固く固く誓いあった幼少期……それから早十数年が経ったというのに、未だポケモソ人気は世界的に衰えず。こんな時代に自分たちと同じ境遇の子供を生み出す万一の可能性、それだけは決して残してはならないのだ。


 「…ですから、僕以外の男がそれに気付く前に、お付き合いを承諾してもらえるよう努力させて頂きたいんです」


 ――背筋がぞくりとする。

 今主任が口にしたのは、…いわゆる独占欲というやつではないんだろうか。だとしたら、主任は本当に…こんな私を、好きになってくれたんだろうか。

 意見も境遇もここまで似た同志で、全てがパーフェクトと噂される方に好かれたとして、文句のつけようなんてこちら側からあるはずがない。

 こんなに真摯な言葉と、こんなに真剣な瞳をまっすぐ向けてくれる人が、

 でも、もし私がそういう意味で好きになってしまったら、

 本気になってしまったら、

 将来を望んでしまったら、



 ど、どうすればいいんだ。

 この人は、この人だけは…好きになってはいけない。

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