1. 緊急招集

 「それで?結局痣はできてたの?」

 私が聞くと、晶は黙って右腕のシャツとカーディガンをまくり上げた。肘より少し上の辺りに薄くなった痣がひとつ、けどはっきり紫色の痕を残していて、私と樹は息を呑む。

 「おわかりいただけただろうか……」

 「これは…、たしかに」

 「夢じゃなかったか……」

 「ちょ、さすがに夢はなくない?!それ私完全病んでる人やん」

 毎週木曜は同期2人と外ランチの日。のはずだけど、火曜の今日にいつものカフェで行われているのはランチもとい緊急ミーティング。金曜は全体会のゴタゴタで忙殺、月曜はたいてい全員業務が押してるから、結果今日が最速の集合日だ。晶の残業大冒険のあらましはすでにライソで大部分を聞いていて、そりゃあ非常に興味をそそられる内容ではあったし早く本人の顔つきで解説が欲しかったけど、まあ命に関わるもんじゃなし、と全員が必要以上に急がない。休日やアフター5までガッチガチに縛り合わない、このメンツのそんなところが私は気に入っている。

 …しかし、いくら晶が嘘の苦手なタイプとはいえ、そしてエイプリールフールにはあと半年以上あるとはいえ、私も樹も正直半信半疑…というより25%信75%疑くらいだった。けど、この目でここまでばっちり証拠を見てしまえばもう100%信じざるをえない。そんなお家柄の次男坊が何故一般企業でサラリーマンなんぞをしてるのかとか、武術家?なのにそこまでド近眼で大丈夫なのかとか、事実から発生する諸々の謎を真面目に考え始めるとわあ世の中にはまだまだ私の知らない不思議がいっぱい!としか現段階ではコメントのしようがないんだけど…樹も隣で天を仰ぎだす。残念ながら今日は曇りで、予報だと明日は雨だ。

 「あのおとなしそうな後輩くんが道場?の跡取り息子とか…まったく想像できない……」

 「まあその件はおいおい検証するとして、痣の件は彼には」

 「う、うん、黙っとこうと思ってたんだけど」

 「ほう」

 「全体会のあと待ち伏せされてた」

 「ッッッ!!」

 樹がランチセットのサラダを喉に詰まらせる。このベッタベタかつナイスなリアクションといい、普段のツッコミのキレといい、この子は多分晶と前世からの縁的なものがあると思う。苦しむ総務部事務に水を与えながら、営業本部事務は拳を握って力説を開始する。

 「でもね、これは違うのさ!場所的に仮眠室のじゃなくて、1階逃走時にコケかけたのを助けてもらった時のなの!つまり私のミス!玉城くんは可及的速やかに救助活動を行っただけでまったく悪くない!!」

 「うんうんなるほど。で、彼はなんだって?」

 晶はそこで急に動きを止めると、みるみる小さくなってコソコソとミニトマトをフォークでつついた。いつも思うんだけど、リアクションからこれだけ心情がわかりやすい人も稀じゃないだろうか、もちろんいい意味で。発言の裏の裏まで探り合うのが通常運転な『群れる系女子』たちと居るより、よっぽどラクだし心地いい。

 「……でも付けたのは自分だから、何かお詫びさせてくださいって」

 「一歩も退かない構えね。男らしい」

 「うん、いいって言ったんだけど……そのうちごはん奢ってもらうことに………なった……………よ」

 どんどん尻すぼみになってく声と、ほんのり朱くなってく頬、まったく合わない目線。うん、これはもはや気付かないほうがどうかしてるレベルで一発ツモってる。

 「へー、まあラッキーじゃん」

 …と確信した直後に横からノーテンキな声が聞こえた。その『どうかしてるレベルの人間』が今まさに隣にいたとか、ウソでしょ樹。

 「あのね樹」

 「ん?」

 「晶の顔見て」

 「こっ、断る!コッチを見るなあああああ」

 「うん晶そういうのいいから」

 「ですよねすいません」

 「見ろったって、……別に化粧も変えてないし…?」

 「…割と本気でこっち方面ニブかったのね樹、知らなかった」

 「………………っ、え、てことは?!」

 サラダの最後の一口を咀嚼しおわったところでようやく顔色を変える樹に、わかりやすく私はスッと胸の前で両手のハートマークを作ってみせる。

 「うん、これもうフォーリンラブだから」

 「ええええマジで?!てか今時フォーリンラブって」

 「いやまだそうと決まったわけでは!てか今時フォーリンラブって」

 …まさか2人同時にそっちにツッコまれるとは思わなかった。猛烈なまでにさりげなくハートマークを消去しつつ、私は晶に正面から向き直るとスープ用スプーンで顔をポインティングする。

 「晶今『まだ』って言ったよね?それって少なくとも意識はしてるってことじゃない」

 「ウッ!…み、身に覚えがござらぬ」

 「流れるように言質取ったな利津。お見事」

 「恐縮です」

 「待って待ってみんなたちー!!」

 ようやく全員が正しく認識を共有したところで、ちょうど次々とメインディッシュが運ばれてくる。晶はため息と共にひとつ頭を振り、諦めたようにざっこざっことオムライスをすくいはじめた。150cm半ばの身長に少しだけ茶色いストレートヘアのセミロング、見た目は本っ当ーーーにごくごく普通のOLだけど、その口からは信じられないくらい面白い口調とテンションが転がり出てくる、まるでおもちゃ箱みたいな同期。…でも、この子のほんとの価値はそこじゃないんだよね。

 「玉城くんは見る目あるよ」

 「む?」

 「ふぁにが?」

 「自分が襲われかけたってのにその相手の心配したげるようないい女、滅多にいないでしょ?」

 「?!?!?!」

 晶が喉にオムかライスのどちらかを詰まらせ、今度は総務が営業に水を渡すという見事な逆連係を拝ませてもらったので、私の中でひっそりこの2人の関係性を『多分前世からの縁的なもの有り』から『多分前世で親子か姉妹だった』に格上げしておく。苦しむ晶をよそに、樹は至極当然といった顔で何度もうんうんと頷いてくれていた。

 「そこな。晶が超優しいのに気付いてくれたってんなら単純に嬉しい」

 「ちょちょちょみんなありがとう照れるでも流石に急展開すぎ、だって先方は本当に礼儀正しいってだけで別にフォーリンラブとか言ってないからね?!」

 「うん、では当方は?」

 「ぐ、ぐぬぬ…………まあその、たしかに少々トキメキめいたものが生じたことは……事実と言えぬことも」

 「でしょうな、聞いただけでも普通にハートフルエンカウンターだもん」

 「ハートフルエンカウンター」

 「なんかえらい強そうな技名になってませんか利津さん」

 「攻撃力はないからね。晶、まずはそのトキメキめいたものの正体を確かめてみようよ、協力は惜しまないから。ね?樹」

 「いやいやいやそんなそんなそんな協力とか」

 「そりゃ勿論だけど、具体的にはどーすりゃいいの?部も違うしさ」

 「そうね、先日の展開を参考にすると……まず私達が5階の廊下で晶に絡む」

 「よーよーねーちゃんかわいいねー?」

 「そうそう。俺らにちょっと付き合ってよー、とそこに」

 「おいおいおいいいいいい!!お前らまったくやる気ないだろそれ!!!」

 「基本晶がツッコむとか、今日はなんか新鮮だな」

 「だね」

 その作戦にはヅカレベルの男装が必須とかなんとか熱く語り始めた晶を、マルゲリータを頬張りつつ樹がツッコミ倒す。それは完全にいつもの光景だったけど、話題の中心だけがいつもとはまったく違う。

 ――社内恋愛、か。

 考えてみたこともなかったけど、話を聞く限り玉城くんは今時珍しく清廉そうな若者だし、大事な親友を任せられる相手かもしれない。専門卒で早生まれ、同期中最年少の私が会社にうまくなじめたのはこの2人の明るさと優しさのおかげで、だからこそ私は仕事のフォロー以外で晶の役に立てそうな初めてのチャンスにちょっとだけワクワクしていた。

 だって晶がオススメしてくれるスマホゲーはだいたいどれも難しすぎて、協力プレイしてもまったくついていけないもんね。

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