2. スポーツテスト

 午後の始業間近。

 行きつけの1階トイレは満員だったので断念、高層階住民の晶と別れて樹と私は2階トイレからの帰り道。月初は当然午後から業務も詰まってるし、今日の私にのんびりしている暇はない。足早に階段を目指していると、総務の隣、雑談でざわつく人事部の隅で見知った顔がふたつ、並んでペコペコと何度も頭を下げているのに出くわした。耳を澄ますと、近づくにつれて話の内容がかすかに聞き取れる。

 「……に連続宿直はやり過ぎだとは思いませんでしたか?」

 「も、申し訳ありませんでした…!」

 「主任、あの、それは引き受けた私も同罪というか…」

 「いえ!こいつはなんも悪くないんです、自分が」

 「玉城くんが体調を崩さなかったのは何よりです。以降は決して無茶しないように、いいですね」

 「…はい。ありがとうございます」

 「斎藤くんも。色々と…事情はあるのでしょうが、これからは節度を守って……」

 ランチミーティングのメイン議題だった電算室の2人、宿直を押しつけた先輩と、押しつけられた後輩だ。樹が私にささやく。

 「金曜は全体会のせいで全社的に仕事が遅れたから、週明けて昨日、例の宿直分の残業申請が受理されてたみたいなんだよ」

 「なんで今頃と思ったけど…なるほどね」

 2人をとても穏やかな口調で諭しているのは林主任。仕事上特に人事と縁のない私でもそれくらいは知っている――彼は本社勤務の20代女子で知らぬ者はいないほどの有名人だ。某MARCH卒、20代で主任、身長見るからに180cm以上で逆三角体型、白人系混血の薄い色素に整った容姿、おまけに温和な人柄――晶の情報によれば、女子の間じゃ密かに『人事のスパダリ』と呼ばれてるとかなんとか。たしかに単にイケメンというより、落ち着いた大人の雰囲気が滲み出ている人だ。

 今も2人を怒ってるわけじゃない。2人のしたことは少々無茶がすぎるけど、書類上はなんの問題もない、正規の宿直残業だ。ただこのイレギュラーを人事として諫める…というか理由の聞き取りしてもうしないように釘を刺しておく必要はあるだろうし、かといってあまり立場のある人間が正面切ってやっても角が立つ。電算室室長だって、好きでシステムの調子が悪くて宿直を置いてるわけじゃないし、2日目も斎藤が代理を立てたことが知れ渡ったりすれば最悪なにがしかの評価にも影響するかもしれないし。それを就業時間外にさらっと?、さらに会議室等を使わず部屋の隅で済ませる……というこの対応、主任発案だとしたらけっこうできる人っぽい。

 「そういえば…お隣さんなんだし、樹は主任には興味ないの?」

 樹の席に向かって一緒に歩きながら小声で雑談すると、珍しく固い声が返ってくる。

 「うん、私は特に」

 「そうなの?このフロアの未婚女子全員がターゲッティングしてそうなのに」

 「ん、…ちょっとね。そういう利津は?私に聞いてくるってことは、タイプじゃない?」

 話しつつ、自席に座る樹に断って消しゴムを借りる。標準サイズのMOMOの白、私もだいたいこれかAIR-OUTだ。

 「うん、目立った欠点ないのにフリーの人は何隠してるんだか逆に怖くて」

 「………さすが腹黒経理、納得の見解すぎる」

 「恐縮です」

 「いやこれわりと褒めてないけど。…ていうか利津今日部活でしょ、急いで戻るんじゃないの?消しゴムなんかどうするん」

 「うん、千載一遇のチャンスだからリアクションしないで見ててね」

 「へ?」

 リアクション以前に何も勘づいてない様子まるだしの樹をそのままに、私はほんの小さく振りかぶると斎藤の背中めがけて消しゴムをスロー。

 「ちょ?!」

 我ながらなかなかいいコントロールで隣の島まで飛んだ消しゴムは―――


 「「!?!??!?」」


 次の瞬間、ぱし、と小気味いい音を立てて玉城くんの左手に捕られていた。


 「………今のは」

 「ノールックだったね………」

 我々は打ち合わせもないまま間髪入れずに彼から目を逸らし、あさっての方向を見つめつつ呆然と呟きあっていた。さすが我らのツッコミ担、あの状態からの樹の状況判断速度は神がかったものがある。今たしかに2人で目撃したのは文句のつけようもないミラクルキャッチング、当の斎藤は狙われたことにすら気付いてなさそうだ。

 未だ主任に謝りながらもチラチラと後ろを振り返りつつ、どこから消しゴムが飛んできたのか不思議そうな玉城くん。中肉中背黒縁眼鏡、見た目は本っ当ーーーにごくごく普通のサラリーマンSEだけど、どうやら晶が言うとおり、恐ろしいまでの肉体的ポテンシャルを秘めてるっぽい。……なんなんだろう、この人も面白すぎる。

 「とりあえず検証終了。お疲れ様です」

 「ナイス利津、完璧に裏取れたね」

 「立会証人ありがと。……あのさ樹、彼ひょっとして晶とすごくお似合いなのかもって気が」

 「あー利津もそう思う?なんか似たもの同士なかんじするよね」

 「うん。まずは近々のディナー報告を待つとしますか」

 「へ?会社で毎日会うんだしランチじゃないの?」

 「いやいや何言ってんの樹…と思ったけど晶ならやりかねない、ライソしとくわありがとう」

 「そういうもん?」

 「そういうもん。あごめんもう時間限界だわ、消しゴム回収かたじけないです」

 「えええなんで私?!」

 小声でツッコミつつ焦る樹を残して、私は鳴りだしてしまった始業チャイムをBGMに上階目指して階段に突撃する。今盗み聞いてしまった会話の中になんとなく引っかかるところもあったし、本当は回収時にもタイミングを見つつうまく絡んでみたかったところだけど仕方ない。

 玉城くんの件はこれでOK。頭を切り換えよう、今日は必ず時間内に業務を終わらせる必要がある。

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