第37話


 自分らしく生きる。と、自分で言葉にしてみたものの、どんな生き方が自分らしくということなのかわからなかった。


「先生の言葉で、気持ちは軽くなりましたけど、自分らしく生きるということが、どんなことなのか、逆に混乱してわからなくなってきました」


 うんうんと宇野はうなづいている。


「こうやって生きよう、などと思うと逆にわからなくなりますよね。解離性同一性障害という病気は、とても難しい病気かもしれませんが、根本的な悩みや不安、人間としての生き方など、誰しもが抱える問題なんです。別人格が現れるということで、わけのわからない病気だとか、普通の人とは全然違うとか、そんな風には思わなくていいとわたしは思います。誰にでもある二面性みたいなものが、ちょっとだけ強く出てしまった、そのくらいの気持ちでいた方が、気分が軽くなり、有坂さん本人が苦しまなくて済むような生活が送れる日が必ず来ると思うんです。焦らなくていいんですよ、そのために此処に来ているんですから。早く治って、宇野先生の顔を見なくて済むようになりたい、そう思ってるかもしれませんが。あはは」


「まさか、そんなことは思っていませんよ。宇野先生には本当にお世話になっていて、感謝しかありません。宇野先生に会えなくなることは考えたことがありませんでした。治ったら会えなくなるんですね。それも寂しいような気がします……」


 何かの本で見た。カウンセラーとクライアントに、恋愛感情のようなものが生じることもあると、それを転移すると確か書いてあったと思う。宇野とわたしは同性なので、恋愛感情とは少し違うかもしれないけれど、宇野がいなければ不安になる気がするのは、依存しているのかもしれない。


「大丈夫ですよ。治ったら、クライアントの皆さんは、日々の生活の方が楽しくなり、わたしのことなんか思い出しもしませんからね。あははは」


 もしかすると、宇野の方がカウンセリングが終わったクライアントとの別れに、毎回寂しい思いもするのかな、と感じた。そうならないような訓練をしていても、所詮は人間なのだから。毎週毎週、ふたりだけで話しているのだ。これが異性なら尚更のこと。カウンセラーが女性で良かった。もし男性のカウンセラーだったら、京香が出放題、なんてことになっていたかもしれない。それはそれで、病院側が対処することなのだろうけれど。


「そろそろ時間ですね。最後に一言だけ、有坂さんは、自分が傷つきたくない、そして人を傷つけたくない、という思いが強い為に、自分らしく生きられなくなったのだと思います。その原因は、わかっているのですから、後は別人格が出てこなくても、苦しまずに心穏やかに暮らしていく方法を探せばいいだけです。大丈夫です。有坂さんが夢を見るのは、有坂さんが有坂さんらしく生きていこうと、有坂さん自身が思ってきている証拠だと思います。過去の出来事に負けずに、自分の為に生きること。とても良い状態に向かっていると、わたしは思います」




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 カウンセリングが終わり、スーパーで買い物を済ませ、家へと車を走らせる。


 自宅マンションのすぐ近くの広い道路には、ドラッグストアやスーパーやコンビニ、コインランドリー、美容室、カフェ、花屋、歯科医、ケーキ屋、銀行、郵便局、ファミレス、○○Book、100円ショップ、他にもたくさんの店舗や施設などが立ち並んでいる。ここに住んでいれば、車がなくても困らないだろう。ただ、わたしの通う精神科の病院だけが遠い。


 広い道路から、一本の路地へ入ると、わたしの住むマンションがある。路地の入り口は狭く、対向車と離合できなくて困ることが度々ある。マンションがある道路なのに、何故こんなに狭いのだろう。マンションの前の道も広いとは言えないが、購入時にモデルルームで、その事について父親が指摘した時に「マンションの前には○メートルあれば建てられる」と説明されたのだ。


 今日は、そのマンション前に、2台のパトカーが停まっていた。またマンション前に停めた車が邪魔だという苦情があったのだろうと思って、いつものようにチェーンゲートのリモコンをバックから取り出した。その時、マンションの門のところに黄色いテープが張ってあるのを見つけたので「まさか殺人事件⁉︎」と、思わず車中で声が出た。警察官も立っている。


 駐車場の前にも警察官がふたり立っていて、チェーンゲートを下げて恐る恐る車を駐車場に入れる。入る時に呼び止められるのかと思いきや、警察官ふたりは、両脇に避けただけで、すんなりと通してくれた。門のある玄関は立ち入り禁止なのに、駐車場は入り放題でいいのか?と疑問に思った。


 リモコンを持つ住人以外は、駐車場には入れないので怪しくないということなのだろうか。だけど、歩いてまたいで入れるのだけれど。


 何があったのか気になるけれど、警察官に話しかける勇気もない。車を自分の契約している場所に停め、エントランスを恐々覗いてみた。もし、そんなところで人が死んでたりすると怖い。幸いエントランスの方は大丈夫のようで、両手いっぱいに荷物を下げて、エレベーターへと向かう。


 エントランスには警察官はいないけれど、普段は部屋とエントランス共用のキーを差し込まないと開かない自動ドアが、開きっぱなしになっている。警察官が出入りするので、管理人が開けたのだろう。


 5階でエレベーターを下りて、周りの部屋を見回したが、シーンとしているので、5階で何かが起こったわけではなさそうだと思い、胸を撫で下ろす。


 部屋に入り、リビングに行くと、サリー(純也)がサッシ窓から外を見ていた。その窓の下にパトカーが停まっているからだ。


「パトカー見ると、なんだかワクワクするよな〜また乗りたいな」


「またって何よ。乗ったことないのに」


「あれっ?忘れたのか?ボケるの早すぎるぞ。高3のとき補導されましたけど」


 あの時か。友達とその友達の彼氏とでドライブしていた時に、彼氏さんが追い越し禁止で捕まった時。


「そんなことは忘れなさいよ。それより何なの?あの黄色いテープ。マンション内で何があったのかしらね。怖いわ」


「ガサ入れに決まってんじゃん。それより頼んでおいたやつ買ってきてくれた?もう腹ペコペコ」


「ガサ入れって何」


「家宅捜索だよ。覚醒剤だろうね〜たぶん」


「覚醒剤?芸能ニュースの観過ぎでしょ。そんなことする人が、このマンションに住んでるわけないでしょ」


「じゃあ、下に行ってサツに聞いてくれば?絶対、ちょっとした事件あってとかなんとか言ってはぐらかすから」


「聞けるわけないでしょ。それから、サツとか言わないの!」


「そうやって何にも自分で確かめずに生きていくから、別人格が我慢できなくて出てくるんだろ?ほんとは気になるのに聞こうともしない。そして、理由がわからなくてモヤモヤしてイライラして、結局、別人格が爆発するんだよ。だからようするに、自分らしく生きるっていうのは、ちゃんと感情を表に出すってことなんだよ。優子は、感情をなくしてしまってるから、喜怒哀楽が別人格となって出てくるんだよ」


「今日のカウンセリングでの話、聞いてたの?」


「そりゃあ、俺は優子の中にいるんだから、聞こえるに決まってるじゃん」


「だけど、急には変われないわよ。純也が、わたしに乗り移って聞いてくれる?」


「乗り移るって背後霊みたいに言うな!それに俺は、出ていかないタイプの別人格ですので、悪しからず」


 此処には出てくるのにねぇ。




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