第35話


「他の方に迷惑をかけたのかどうかは、わかりません。日常、ネット上でのことについては、度々、有坂さんにお聞きして、ネット上でのやりとりで、おかしなことはなかったか、確認しあっていますよね?SNSや小説サイトのコメントなどを、有坂さんがこまめにチェックして、別人格がトラブルを起こしていないか調べておられると思うのですが。それは毎日続けていますか?」


 そうなのだ。外出した際に別人格が現れたとしても、それは確かめようがないのだけれど、ネット上には、別人格が書いたとしか思えないものが残されていて、後で驚くことがある。優子自身として、人と言い合いをしてしまったりしたことは覚えているのだけれど、たまに身に覚えのないものもある。


「はい続けています。ですが、今まで葉月のような攻撃的な内容のものは、あまりなかったと思うのです。それなのに何故葉月が?わたしが見落としているのでしょうか?」


「いえ、わたしの知る限りでも、今までも葉月は、ネット上には書き込みはしていません。葉月は攻撃的ですが、それは優子さんを守るための存在ですから、いくら葉月でも優子さんが困るようなことはしないのではないかと推測されます。葉月が催眠療法で現れたときの状況では、ネット上などで有坂さんが深く傷ついた後、部屋の中で現れているようです。お母様が亡くなられてから、3ヶ月間は、催眠療法はお休みしていました。3ヶ月後からまた少しずつ再開して、そのときに何回か葉月も現れました。ネット上で有坂さんは傷つくことも多いと思うのです。我慢をしてしまうと、我慢の限界がきますからね。限界がきたときに葉月が現れるようです。直接誰かに文句を言ったということは、ネット上ではないのかもしれません。そんなことをすれば、有坂さんが作品を書けなくなるからです。ネット上に、そういう書き込みが残っていないということもありますし、催眠療法で現れた葉月は、部屋の中で暴れているというか、荒れているという感じでした。有坂さんは優しい方ですから、ネット上でトラブルになったというよりは、人からキツイことを言われることが多いのではないですか?葉月は、何か物を投げつけているような動作をしながら、何様なんだとか、わたしのことを馬鹿にするなとか、わたしに指示をするなとか、頼んでもいないのにアドバイスするなとか、そんなようなことを言っていました。わたしは、有坂さんが楽しく作品を書かれていることは、精神的にとても良いことだと思っていますが、逆に人から酷いことを言われて、ストレスを感じたり、傷ついてしまうことがあるのは、良くないと思います」


 物を投げつけて暴れていた、という宇野の言葉を聞いて、思い当たることはあった。わたしはいつも、大学ノートに下書きをしてから、ネットに投稿するようにしているのだけど、書きかけの作品を書いた大学ノートが、ビリビリに破かれていたことがあったのだ。


 家の中には、わたしひとりしかいないのだから、別人格の誰かがやったのだということはわかっていた。それで、作品のことで何か言われたのだろうと思い、小説サイトのコメントやメッセージ、SNSのコメントやDMなどをチェックした。だけど、それらしいもの、大学ノートを投げつけて暴れるほどのことがあったようには思えなかったので、小説を書くことを、よく思っていない人格でも現れたのかな、くらいにしか思わなかったのだ。


 そういうことは、昔からしばしばあったので慣れてしまっているのかもしれない。多重人格者とわかるまでは、少し奇妙な気もしていたのだけれど、病名がハッキリしてからは、あまり気にならなくなった。


 半年前までは、おかしな行動をしたときには、母が教えてくれていた。その母がいなくなり、最近自分が外で人に迷惑をかけていないか、気になるようになったのは確かだ。


 そこまで考えて、わたしはハッとした。母がいなくなったから、純也が過去の5人と共に現れたのではないのかと思ったからだ。きっとそうなのだ。純也も言っていた、タイムマシンで過去に戻るのは病気を治すためなんだと。


 過去の自分と向き合ったり、別人格のわたしが、どんな行動をとってきたのかを、しっかりと見極めなければ、わたしの病気は治らないのだ。


 治る、完治する、ということは不可能に近いのかもしれない。難病や精神病を治療していても、医者は治るという言葉は使わず、寛解カンカイとか落ち着いてきた、という言葉を使うらしい。


 元の体に戻ることはないからなのか、治ると言って、治らなかったときに訴えられると困るからなのかは知らないけれど、多重人格者の場合、特に完治という元の状態に戻るのは難しいのだろう。別人格の存在を認め、うまく付き合いながら生活していったり、別人格が出てきた原因を探り、なるべく別人格に頼らなくてもすむようにしていく、そういったことなのだろう。


「ネット上のやりとりを見直していても、特に傷ついたと思うことはないみたいだったのですが、自分でもわからないうちにストレスが溜まっていたのかもしれません。わたしは人と争いたくないのです。決して優しい人間とかそんなものではないと自分でもわかっています。先生の言うように、我慢していることも多いのかもしれません。自分の考えを押し付けてくる人には腹が立ちますから。知り合った方たち全員に、優しく接したいと思っていますが、難しいですね」


「それは当然のことです。みんなに優しく平等に、他の作家さんの作品も読みたいけれど全部は読めないと、有坂さんはよくそう言っていますよね。そんなことは無理です。有坂さん自身、読む側の人ではなく書く側の人ですから、書くことと読むことを完璧にしなければならないと考え、自分で自分を責めているでしょう。その挙句、一時期、書くことをやめていたこともありますよね。読んでもらうばかりで申し訳ないと言って、書くことをやめて読む側になろうとして。書くことが有坂さんの楽しみなのに、そんなことをして楽しいわけがありませんよね?」


「はい。でも、自分の作品を書きながらも、たくさんの作品を読んでる方もいるんですよね。何故、自分にはそれができないのかと思い、申し訳ない気持ちしか残らなくなってしまったんです」


「そういうときに、愛子が現れるんですよ」


 愛子……。確か、優しい性格だという人格の……。


「そうなんですか。妙に人に優しく接している書き込みがあるのは、愛子が現れたときなんですね?自分が書いたのかもしれないと思うこともありますが、親切過ぎる気がすることがあります」


「愛子に限らず、別人格は有坂さんの一部分なので、似ているところがあるのは不思議ではありません。むしろ、有坂さんができないことを、代わりにやっている、そんな人格が多いですからね。愛子は、有坂さんが完璧にやりたいことをやれずにいて、悩んでいたり落ち込んでいたりしてるときに出てきますね」



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