第29話
「キャーキャー」
「わぁぁぁぁぁぁぁ〜こっち来た〜」
「あははは」
「あははは」
夕飯の支度をしていると、いつの間にか子供たち3人も戻ってきていた。
掃除をする暇がないので、お掃除ロボットを起動させると、子供たちはロボットを追いかけたり、追いかけられたりしながら楽しんでいる。
そんな子供たちを見ていると、自然にわたしの母性本能がくすぐられたのか、もっともっと、いろんな美味しい料理を作って食べさせてあげたい、という気持ちが湧いてきた。
子供の頃から、裕福と言われる家庭に育ち、いつもいつも贅沢をしてきたわけではないが、食べたい物を我慢したという記憶はない。
だけど、節約ということばかり考えることよりも、楽しくみんなで美味しい物を食べる、ということが大事なような気がしてきたのだ。
老後の為にと、親の遺した財産を、なるべく使わないようにしてきたけれど、アラフォーのわたしが長生きしても、まだまだ使いきれない程のものはあるのだ。
そして、年を取れば少しだけだけど年金も入るし、そのうち働くことも考えているのだから、ケチケチする必要はないのではないか。
贅沢をする必要はないけれど、節約メニューを考えることに頭を悩ますことは、やめようと思った。子供たちに食べさせたいもの、自分たちが食べたいものを作りたいと思った。
親の遺産があることに、安心してしまってはいけないのだ。ちゃんと病気を治して働くことが大事だ。家に引きこもっているだけの人生なんて、なんの為に生きているのかわからないような気がした。
普通の生活がしたい。普通に暮らしたい。何が普通で、何が普通ではないのか、それは人それぞれで、自分の納得のいく人生だと感じられることが、普通ということなのだと思う。
幸せとは何か、ということを考えるときに、自分自身が幸せと思えることが幸せなのだと思うのと同じようなことなのだ。
誰かが決めることではなく、自分自身が決めることなのだ。
誰かと比べて、あの人よりはいいからと思い、だから幸せなのだなどと思うのは、とんでもない間違った考え方で、それは本当の幸せなんかではない。
普通ということも、それと同じで、誰かと比べて決めるものではないのだ。
わたしは、もう何かにビクビクと怯えたり、知らぬ間に違う自分が出現して、人間関係が円滑に進めなくなったりすることを、やめにしたいのだ。
わたしが、多重人格者となった原因が、保育園のあの恐怖の出来事から始まっているのなら、カウンセリングを受けていけば、きっと治っていくような気がする。
そして、家に引きこもって、親の遺産を少しずつ銀行から引き出して生活していくのをやめ、働いたり、友達を作ったりして、楽しい人生を送りたい。
アラフォーのわたしが、この先何十年と生きられるのだとすれば、まだまだ挑戦できることもたくさんあるはずだ。
介護の資格を取ってもいいし、今から大学に入ってもいいのだから。
やりたいこともたくさんある。旅行もしたいし、苦手なスポーツにもチャレンジしてみたい。
今は、小説を書くことが趣味なのだけど、小説家になりたいとは思っていない。先ずその才能がないし、わたしは本当は家にじっとしていることよりも、外で体を動かすことが好きなのだ。
純也が、あの場所に連れて行ってくれたことから、何か明るい光が少しだけ見えてきたような気がする。
まだまだ、これから先の治療は長く続くとは思うけれど、純也のくれたヒントで、わたしも、もっと自分の病気、自分の心の中と向き合わなければならないと感じたのだ。
たぶん、焦ったり無理をしたりすることは逆効果になるのだとは思うのだけど、何故、自分が多重人格者になったのか、わからなくて不安に思っていただけの頃よりは、少しは前向きになれてきていることは確かだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます