第34話


 6月13日のカウンセリングの日。


「先生、葉月が夢に出てきました」


 葉月に会いに行った日から一週間後、わたしはカウンセラーの宇野に、葉月の話をするつもりでいた。


 宇野は、一瞬動揺したように見えたが、極めて冷静に、ゆっくりと「どんな夢でしたか」と言った。


 動揺したり驚くのも無理のない話だ。夢の中に別人格が現れるなどというクライアントは、たぶん、わたし以外はいないのだから。


 しかも、夢というのは嘘で、本当はタイムマシンで過去の自分を見てきているのだ。タイムマシンのことは、口が裂けても言えるはずがない。重症の精神病になったと思われ、閉鎖病棟に入院となる可能性が高い。


 いや、夢を見た、というだけでも充分、精神病が悪化していると思われても仕方がないのかもしれない。


 宇野はきっと、わたしの話を聞きながら、わたしが以前より壊れてしまっていないか、慎重に観察しているに違いない。


 夢、と言っているけれど、本当はわたしの妄想や幻覚なのかもしれないのだから。そのことに関しては、わたし自身でさえ、はっきりとしないのだ。入院ということになっても覚悟するしかない。タイムマシン(それも有坂電器の軽トラというあり得ないもの)や、部屋に現れる6人のことを、現実のことだと証明できるものは、どこにもないのだ。


「また純也と一緒でした。中学生のときに、クラス対抗のバレーボール大会があった日に、わたしは休んだことがあって、その場面が夢に出てきました。わたしは行きたくないと言って暴れていました。そんな記憶はありません。これはただの夢なのでしょうか?」


 わたしがそう話すと、宇野の視線が強く感じたので、いつものように目線をテーブルに落としていたのを、少しだけ宇野の方に向けてみた。


 宇野はわたしを見てるというよりも、何かを考えているようだった。わたしと目が合うと、宇野の方が視線を外した。


 わたしには、宇野の心の中が見えるような気がした〈何故このクライアントは夢の中で、まるで過去にでも行ってきたかのように、別人格の行動を見てきているのだろうか、あり得ない、別人格のことを知らない基本人格が夢で別人格を知っていくということ、しかも別人格の中の主人格がいつも一緒にいて、別人格のことを教えてくれている……〉そんな宇野の心の声が聞こえた気がしたのだ。


「そのお話は、随分前にお母様から伺ったことがありますし、純也も葉月がそういう行動をとったと言ってましたので、ただの夢ではなく、実際にあったことだと思います。有坂さんは、その夢を見るまでは葉月の存在を知らなかったのですよね?バレーボール大会を休んだ理由についてはどうですか?お母様から聞いて知っていましたか?」


「いえ、母からも聞いてませんし、夢を見るまでは全く知りませんでした。あの日、気がついたら学校を休んでいて、母から怒られて、担任からも怒られて、わけがわからないままでした。練習のときに嫌な思いをしましたが、休むつもりはありませんでしたので」


「有坂さん。お母様が亡くなられてからも、葉月は現れています。ごく最近もです。何か思い当たることはありませんか?」


「えっ、最近現れた葉月ですか?わたしには自覚がないので……」


「そうですよね。催眠療法で現れた葉月について、最近のことから伝えたいのですが、よろしいですか?」


 最近現れた葉月……。母親がいなくなってからも、やはり人格交代は起こっていたのだ。人に迷惑をかけているのかもしれないので、そのことを先に聞いていた方が確かにいいのかもしれないと思った。


「お願いします。知らないうちに他人に対して攻撃的になっているなんて考えただけでも怖いです。教えてください」


 宇野は、わたしの言葉にうなづくと、手元にあるカルテのようなものを、ペラペラとめくりはじめた。たぶん、今までの、わたしが受けた催眠療法で現れた人格の言葉や、いろいろなことが書かれている資料なのだろう。


「ごく最近のことから話します。有坂さんは小説を書かれていますよね。Web小説というのでしょうか」


 小説サイトで何か葉月がトラブルを起こしたのかと不安になる。


「はい。書いています」


 ドキドキしながら宇野の言葉を待つ。


「小説のことは、催眠療法でわかったことではなく、有坂さん自身から、今のようにカウンセリング中に伺ったことですし、わたしも有坂さんの書かれた作品は読ませて頂いています」


 小説を書き始めて、アクセス数が増えたり、ジャンル別のランキングにランクインできたりするうちに楽しくなり、宇野から何かやりたいことはありますかと何度となく尋ねられたこともあり、小説を書いていることを話したのだ。しかし、大きなトラブルをおこした記憶はないし、宇野からも指摘されたこともない。


「はい。小説のことで、葉月が何かしたのでしょうか?他の作家さんや、読者の方に迷惑をかけたのなら、その方たちにお詫びしなければいけないので、全部知りたいのです」


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