第9話 準備と情報

 緑沢城内の櫓の上。そこから山の中にいるのが見える赤嶺軍と対峙しているかのように無言で立っていた灰原昇太郎。しばらくの無言の間が続いた後、そこに声がかけられる。これにて宿敵同士の対峙の時は終わりを告げるかのように、昇太郎は赤嶺軍から視線をそらして声の主の方へ向く。

「昇太郎様、薄墨殿と胡粉殿が到着成されました」

「はい、すぐ行きます」

 声の主は烏羽信龍。櫓の上にいる昇太郎は緑沢晴時と共に櫓を下りて、三人で到着したばかりの薄墨尚孝と胡粉勝光のところへと向かう。

 薄墨尚孝と胡粉勝光、二人は戦とはまるで無関係と思われる平時の服装で多くの荷物をたくさんの人員を動員して城に運び込んでいた。彼らは戦闘要員として行動しているのではなく、今は商人が戦を察知してこれ幸いと城に物資を売りに来るような様子で城に物資を運び込んでいた。

「じゃあそっちの鏡はあっちの木枠をまとめているところに運んで、非戦闘員の女の人を中心に組み立てていってください。鏡と木枠の組み立ては琴乃さんと花菜さんを中心にお願いします」

 昇太郎の指示に従って緑沢城内の女性陣がまず動き始める。それを見て昇太郎はすぐさま次の指示を発する。

「次はこれを僕の言う通りに作ってください」

 昇太郎が次に指示を出したのは鏡と同じように城内に運び込まれた枯草や藁に木片や縄といったもの。それをまずは見本を見せるように一つずつ組み合わせ、昇太郎が求める形状を作り出していく。

「作って欲しいのはこの三つです」

 枯草や藁に木片や縄、これらを使って昇太郎が作り上げたものはまさに人形と言うのがふさわしい代物。それも一般的な成人男性の等身大の大きさだ。

「こちらは笠に似ておりますな」

「はい。陣笠に見えるようになっています」

「陣笠? 陣笠ならば城内にありますが?」

「本物は重いし数が限られていますから、偽物を作ります」

「偽物・・・で、ございますか。ならこちらは・・・」

「鎧です」

 昇太郎が三本で作り上げた三つの完成品。それらは陣笠、鎧、籠手の形状をしている。

「偽の甲冑でございますか?」

「はい」

 昇太郎が作ったものがなぜ必要なのかわからない面々は首をかしげている。本物の甲冑は少なくとも人数分はすでにある。城にも多少の余裕はある。しかしそれ以上が必要になるということ、そして重くない方がいいということ、その二つが作業者たちに一つの結論を推測させる。

「これで城を守るのか?」

「案山子みたいなもんか」

「確かに遠くから見たら人に見えるな」

「ああ、夜になれば見分けはつかねぇ」

 偽物の陣笠、鎧、籠手。この三つを組み立てると一人の兵士の上半身に見える。しかも軽くて持ち運びすることが容易いとなれば、城壁に張り付けたり櫓の上に置いたりしておくだけで敵は一人の人間がそこにいると錯覚する。

「偽の兵・・・で、ございますか」

 三千の兵が加わり城内の人口密度は緑沢晴時が今まで見たことのないものとなっている。それだけの人がいる中でさらに偽の兵を使って数を多く見せる。そして短期決戦をしなければならないとなれば、灰原昇太郎がどのようなことを考えているかある程度予測がつく。

(偽の兵を城壁や櫓にはりつけ、灰原の三千と緑沢の五百を総動員して一気に決着をつける考えか)

 夜に守備側の城内に人影が大量に見えるとなれば、その城を相手取って城攻めとはなかなか選択しづらい。偽の兵を並べるとはいえ、本物もいるのだ。特に数を正確に把握できない夜となれば攻めるのに必要な情報が欠けるのは当然のこと。

(短期決戦・・・気を引き締めねば・・・)

 緑沢晴時は助けに来てくれた灰原昇太郎に緑沢家の命運を託すと決めた。その未来を分ける決戦が近いとなれば、一瞬の油断も心の好きも許されない。

「じゃあ陣笠、鎧、籠手は烏羽さんを中心にお願いします。それで次はこっちで木を切ってこういうものを作ってほしいのですが、こちらは胡粉さんに頼みます。持ってきていただいた荷物の中に安物の陶器もいくつかありますよね?」

「はい。数はそう多くはありませんが・・・」

「大丈夫です。そこには油を入れておいてください」

「は、はぁ・・・」

 昇太郎は次々に作戦を実行に移すための指示を出して人を動かしていく。作業者は自分が作っている物が一体何になるのかわかっていない者からおおよそ見当がついている者と様々だが、作戦の全容についてはほとんどの者が一場面程度しか推察できていなかった。

「緑沢さんにはいくつか確認しておきたいことがあるので部屋でこの辺りの地図と一緒にお時間をもらえますか?」

「ああ、かまわぬ」

「じゃあ錫原さんも同席してください」

「は、はぁ・・・かしこまりました」

 緑沢晴時を城内の部屋へと向かわせ、そこに錫原昌宗を同席させるために先に向かわせる。残るはこの場に商人のふりをして物資を運び込んだ薄墨尚孝。

「薄墨さんは灰原領に帰って向こうのお手伝いをお願いします」

「む、承りました」

 物資を運び込んだ時点でお役御免。その指示に安堵と共にどことなく悔しい気持ちが薄墨尚孝の心に湧き起る。

「それで、ですね。一つお願いしたいことがあるのですが・・・」

「はい、なんでしょうか?」

 薄墨尚孝は城を出る直前、昇太郎にあることを頼まれるのであった。




 緑沢の城を出た薄墨尚孝。十数名の部下を引き連れて灰原領へと帰って行こうとしている最中、その行く手を阻む男達が現れた。

「止まれ!」

 薄墨尚孝達一行の行く手を阻むのは赤嶺軍の兵士達。槍を構えて抵抗するようならば即時応戦するという姿勢が見て取れる。

「何用ですかな?」

「貴様ら、緑沢の城に何やら運び込んでおったであろう。仔細を聞かせてもらおうか」

「仔細も何も、我らは商いをしていたまでにございます」

「商いだと?」

「ええ、我らは商人。元は白山領内を中心に商いを行っておりましたが、半年ほど前に灰原家に飲み込まれてしまいまして、今は一番のお得様が灰原家ということにございます」

 槍の切っ先を向けられているのだが、薄墨尚孝には一切の怯えが見えない。その威風堂々とした姿に武器を持って構える赤嶺軍の兵士達も少々困惑している。普通ならばおびえながらも聞かれたことに応えるものだが、薄墨尚孝は一切怯むことなく商人が商品を売りに行って何が悪いという態度と貫き通している。

「そ、その話、より詳しく聞きたい。我らの対象の下へご足労願えるか?」

「お断りいたします」

「なっ!」

 槍を向けられ行く手を阻まれているのにもかかわらず、優位にある者の言うことを一切聞くことはないと言い切る薄墨尚孝。胆が据わっているとか堂々としているなどを通り越してバカなのではないかと思えるほど即答で拒んだ。

「貴様、ここで我らの言うことに従わねばどうなるかわかっておろうな」

 赤嶺軍の兵士は語気を荒くして脅し、従わせようとする。しかし薄墨尚孝はその変化にも動じない。

「そちらこそ、ここでただの商人を手にかけたということがわかればどうなるかお分かりですかな?」

「な、なんだと?」

「赤嶺は武器を持たない、ただ商いをしているだけの商人、無辜の民を簡単に殺めるという噂が近隣諸国に響き渡る事でしょう。そうなればどうなる事やら、赤嶺と商いを行おうと言う商人は出てこなくなりましょう。それは赤嶺様や赤嶺家の重臣で在らせられる深緋様のお望みのことでございましょうかな?」

「む・・・」

 赤嶺軍にとって赤嶺という名前と深緋久英という人物以上に重いものはない。だからこそその最上位の二つが望む未来にならないかもしれないという脅し文句はこれ以上ない効果を持つ。

「くっ・・・で、ではどうすればご足労願える?」

「そうですな。時は金なりと申します。我らの足を止めるだけの代金の支払いがあれば応じましょう」

「な、なに? 金だと?」

「はい。商人にとって命よりも大切なものは金にございます。その金を手に入れるには時が必要。その時を割くのでございます。相応のお支払いがあってしかるべきかと」

「・・・くっ、わかった。深緋様に掛け合おう」

「あぁ、話を分かっていただけたようでなにより。では一つ、稼ぎに参りましょうか」

 薄墨尚孝は配下の者達と共に赤嶺軍の兵士に付き従って赤嶺軍が設営した陣へと同行する。赤嶺軍の陣内ではまだ陣の設置は続いているが、大方作業は終わりに差し掛かっているようであった。

 赤嶺軍の陣内の中枢、深緋久英のもとに兵士が到着する。兵士は開口一番で商人の要望を深緋久英に伝えなければならない。

「深緋様、言われた通り連れて参りましたが・・・」

「どうした?」

「あの商人、時は金なりと申しており、金銭を要求しております」

「・・・そうか」

 深緋久英は少し考え、数回頷く。

「少し用立ててやれ」

「よ、よろしいのですか?」

「構わん。戦には金がかかるものだ」

「は、はぁ、かしこまりました」

 兵士は一礼してその場を立ち去り、兵士に許可をもらって入れ替わるように薄墨尚孝が深緋久英の前に姿を現す。

「お初お目にかかります。灰原領、主に旧白山領で商人をしております。此度は深緋久英様にお目通りが叶ったこと、まことに嬉しく思います」

「・・・嬉しい? 貴様、領国へ帰ろうとしていたのではなかったか?」

「ええ、ですが商いとは人や国とのつながりがなければ手広く行うことはできませぬ。この度深緋様にお目通りが叶ったということは、私の商いは灰原領を飛び出して赤嶺領にまで及ぶことができるかもしれない、ということに対して嬉しいと申しました」

「なるほど、実に商人らしいな」

 深緋久英は薄墨尚孝の目の前にまで歩み寄る。威圧しながら歩み寄るその様子は薄墨尚孝の態度や反応を見ているかのようである。

「つまりお前は金のために生きている、そういうことか?」

「商人は金のために生きなければ生きてはいけませぬ」

「ほぅ、なるほど。面白い男だな」

 深緋久英はなおも威圧しながら、しかしその表情には小さく笑みが浮かぶ。

「我らがここにお前を呼んだ理由、わからぬわけではあるまい」

「さて、いかなるご用件でございましょうかな?」

「白々しい。お前が商人で緑沢の城に入ったことはもうわかっている。緑沢の城に何をどれだけ売って来たのか、それを聞きたい」

 緑沢の城のどれだけの物資を届けたのかを知りたい、そう言いながらも実際は灰原昇太郎が一体何を欲したのかが知りたいというのが深緋久英の本心であった。

「私は商人故、顧客に関する情報を話すことはできませんので」

「そうか。ならば取引といこう」

「取引、でございますか?」

「お前の持つ情報、それを商品として買ってやろう」

 深緋久英は顧客の秘密を金で買うと申し出た。その申し出に薄墨尚孝の表情もニヤリと不敵な笑みに変わる。

「それならば、いくらでお買いになるかによっては売らぬわけにはいきませぬな」

「なるほど、高値を付けたな。いいだろう、言い値で買ってやる」

「・・・お買い上げ、ありがとうございます」

 薄墨尚孝は交渉成立を喜ぶように笑みを見せ、金銭と引き換えに緑沢領へと運び込んだ物資の詳細を深緋久英に話すのだった。

「なるほど、ほとんどの物は戦に必要だが・・・鏡が読めぬな」

「はい、そればかりは我らにも意図がわかりませぬ。何に使うのか気になって致し方ないのですが、深緋様をもってしてもお分かりにはなりませぬか」

「ああ、だが他の物資でだいたいどういうことに使うかはわかった」

「誠にございますか。それはいったい・・・」

 興味津々な薄墨昌宗を見て、深緋久英は一つ呼吸を置いて意地の悪そうな表情を見せる。

「商人、聞きたいなら対価をもらおうか?」

 先ほどのお返しだと言わんばかりに深緋久英は自らの読みという商品に値段をつける。それを聞いた薄墨尚孝は一瞬の間を空けて大きな笑い声を赤嶺軍の陣内に響かせた。

「これはこれは、さすがは深緋様でございます。私はただの商人でましてや赤嶺の人間でもございませぬ。知りたいことがあればそれ相応の代償が必要ということを失念しておりました」

 薄墨尚孝は深緋久英に一礼をして距離をとる。

「戦が終わった後、聞き伝えで答えがわかりましょう。その報を楽しみにしておくと致します」

「いい心がけだ。商人は戦に深くかかわらぬ方が身のためだ」

「ごもっともにございます。商人はただ金を稼ぐことを目的として生きる者。私は次に深緋様とお会いした時にどのような取引があるか、その算段をしておればよいのです」

「ふっ、灰原領内の商人。この戦にわしが勝った後のことを考えての言葉か?」

「いえいえ、商いに国境はない、とのことにございます」

「まぁいい。だが、わしはたとえ灰原領を手中に収めたとしてもお前のような商人は重宝せぬぞ」

「では、その時までに無視できぬようになっておきましょう」

 深緋久英と薄墨尚孝。二人は面と向かって一瞬の間を置き、互いに表面上は友好的だが内面には何を隠しているのかわからない、そう言った雰囲気を漂わせる笑みを浮かべる。

「では、もうよろしいでしょうか? 時は金なり、商人は次の金稼ぎに向かわねばなりませぬので」

「ああ、いい取引であった」

 薄墨尚孝は深々と深緋久英に頭を下げた後、踵を返して赤嶺軍の陣を引き連れていた部下達と共に出て行く。その帰り際、金が入った子袋を三つほど手に持っていた。

「・・・周りに誰もいないか?」

「はい。赤嶺の者達も追って来ておりません」

「そうか」

 薄墨尚孝は部下の言葉を聞いて安堵するとともに、道端にへたり込んでしまった。

「し、死ぬかと思った・・・」

 緊張の糸が切れたことで薄墨尚孝は全身の力が抜け落ちてしまう。生きている人間なのにピクリとも動かなくなり、まるで生きる屍のように道端に倒れ込んでいた。

「だが、これで・・・役目を終えたか・・・」

 薄墨尚孝は先ほどの赤嶺の陣内でのやり取りが行われるよりも前、緑沢の城を出る前に昇太郎と交わした会話を思い出す。




 緑沢の城の中、帰る直前に薄墨尚孝は昇太郎から忠告と指示を受けていた。

「薄墨さん、帰りは少し危ないと思うのですが・・・」

「は? 危ない・・・とは?」

「商人として物資を緑沢家の城に運び込んだとなると、まず間違いなく赤嶺家の軍に捕まって何をどれだけ運び込んだかを聞かれると思うんです」

 灰原昇太郎の指示でみんな工作の時間に没頭しているのだが、間違いなく今この状況は平時ではなく有事で在り、間もなく戦時となる瞬間に差し掛かっているのだ。情報は一つでも多い方が戦に勝つ可能性が高くなる。緑沢家の城に物資を運び込んだとなれば当然その物資の詳細を知りたいと思うのが敵の心理だ。

「ぶ、無事に帰れぬと?」

「無事に帰ることができればいいと思うのですがさすがに難しいと思います。ですから敵に見つかった場合は抵抗せずに一度捕まってください」

「つ、捕まってしまえば拷問を受けたりするのでは・・・」

 敵に捕まるということがどれほど恐ろしいことか、戦時であれば情報を引き出すためにありとあらゆる手段を平気でとるのが普通だ。薄墨尚孝も捕まってしまえば知っていることを全て吐き出させるために、多少痛めつけられることは想像に難くない。

「それは情報を隠した場合です。ですから情報は隠さず、あくまで利己的な商人になり切ってください」

「利己的な・・・商人?」

「はい。無事に帰るのに必要なことを今からお伝えします。ですから絶対に利己的な商人であり続けてください」

「は、はぁ・・・」

 昇太郎は薄墨尚孝をあくまで証人としてこの場に呼び寄せ、そして商人としてこの場から灰原領へと帰らせる。そのために必要なのは頭の回転と度胸と演技力。それを赤嶺の兵士に捕まった時に発揮できるよう要点をまとめて説明する。

「そ、それで・・・本当に無事に帰ることが?」

「はい。赤嶺家、特に深緋久英という人は最終的にもっと大きな野心を持っています。今ここで目先の利益を優先するのは得策ではありませんから」

 昇太郎の自信に満ちた様子に薄墨尚孝の心には多少の余裕ができる。

「わ、わかりました。不肖、この薄墨尚孝。利己的な商人になり切ってごらんに入れます」

 昇太郎が大丈夫だと言うことで自信につながったのか、薄墨尚孝からはおびえる様子がなくなっていく。

「では帰ったら向こうのお手伝いをお願いしますね」

「かしこまりました」

 薄墨尚孝は一礼して踵を返し、物資を運び込んだ部下達を引き連れて緑沢の城を後にした。




 道端に倒れ込む薄墨尚孝は自分が思い描いていた以上に上手く演じきれたと自己評価は非常に高かった。

「できることは全てやり遂げた・・・後は、皆に任せる・・・」

 緊張の糸が切れて立ち上がることもできなくなってしまった薄墨尚孝。彼は配下の者達に荷物のように担ぎ上げられ、灰原領へと帰っていくのであった。





 緑沢領内で薄墨尚孝を見送った昇太郎は城内に目を向ける。そこかしこで工作作業が行われるのを確認し、これで必要なものはすべてそろっているかどうかを頭の中で何度も何度も再確認する。

(深緋久英という人が・・・もし僕の考えを全部読んでいたとしたら・・・)

 正直昇太郎の心の中に不安が一切ないわけではない。戦国の世、一つの失態が自らの命だけではなく数百数戦の命を失うことにつながる。そのきっかけを握っているのは間違いなく灰原昇太郎自身。心に緊張や重圧や不安や恐怖がないはずがない。それでも自分に自信を持って勝算がはっきりしているという様子でいなければならない。

(大丈夫・・・きっと大丈夫・・・)

 不安と恐怖に圧し潰されそうな心に発破をかけるために、右手の握り拳で心臓のある左胸を二度三度と叩く。そして大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻し、緑沢晴時と錫原昌宗が待つ部屋へと昇太郎は足を進める。

 緑沢城内の一室ではすでに緑沢晴時と錫原昌宗が地図に向かって座っており、昇太郎の到着を待っている。

「お待たせしました」

 昇太郎は部屋に入って戸を閉めると、三人で地図を取り囲むように座る。

「それで、確認しておきたいこととは?」

「はい。まずこの地図に灰原、緑沢、赤嶺、青森、この四つの軍がどこにいるのかを駒を置いてもらっていいですか?」

「うむ」

 緑沢晴時は昇太郎に頼まれたことをすぐに行う。緑沢の城に緑沢軍と灰原軍、その城を挟み込むように赤嶺軍と青森軍。その配置を見て昇太郎は次に錫原昌宗に質問を投げかける。

「錫原さんは山での生活が長かったと聞いています。ここからここまで移動するのにどれくらいかかりますか?」

「えー、実際に歩いてみない事にはわからないところもあるのですが・・・」

 錫原昌宗は山人出身。主に山の中で木こりをしたり狩りをしたりして生計を立てていたのだ。それが灰原家の領地が急激に広くなったことによる人手不足で将として駆り出されたのだ。しかし将としての才能があるとは本人も思ってはいない。今回の戦でも役に立てるかどうかわからないと思っていた中、山人としての経験を重要視されている。今こそ活躍の場と言わんばかりに自らの経験をもとに昇太郎の質問に答えていく。

「緑沢さん、赤嶺軍と青森軍の配置はこれであっていますか?」

「報告によればそのようになっているらしいですな。青森軍はそうそう動かないと思われるが赤嶺軍はまだ陣の設営を終えていないので、終わった後にどう動くかはわからないとしか言いようがありませんな」

「なるほど・・・」

 現在わかっている情報をもとに地図と駒の配置で敵味方の場所と地形を頭の中で把握していく。

「これって・・・青森軍は二手に分かれているんですか?」

 緑沢晴時が置いた青森軍の駒。山の中腹部に五百の兵を持つ本陣、そして麓に千の兵を配置している。

「青森軍は高い位置に本陣を構えることで広い範囲を見渡せ、麓に兵を配置することで俊敏に動けるようにとの考えでございましょう。麓の兵は山を背にしておりますが目と鼻の先に道がございますので」

 山の麓を山に沿って歩く道にすぐに侵入できる位置に千人の兵力を配置している。高台に陣を張った本陣を守る位置にありながら、機敏に動けるようにと考えてのことだろう。

「これ、本陣の裏手とか麓の軍と本陣の間とかに入り込める道ってあります?」

「この辺りは・・・確か獣道ならばないことはないでしょうが、何百もの兵を移動させるのは無理でございます」

「何百は無理でも百人くらいは大丈夫ですか? 荷物の量も少なくするので」

「それならばなんとか・・・」

 ごく普通に戦いのためのフル装備の兵士を何百人も送り込むのには無理がある獣道。しかし軽装の人間を百名程度ならばやってやれないことはない。そういう緑沢晴時の返答に昇太郎は一度大きく頷く。

「なら、大丈夫かな」

 自分の考えを実行するのに必要な要素のひとまずそろった。後は敵がどう出て来るかで作戦の成否が分かれる。

「昇太郎様、出陣にございますか?」

 昇太郎の独り言のような言葉に決断を感じた錫原昌宗。出陣かどうかと割れた昇太郎はここで初めて自分の考えを味方に話す。

「今作っている物も夜にはできると思います。相手が動く前にこちらから動いて機先を制します。行動開始は夜、目標は青森軍です」

 いよいよ戦いが始まる。決戦の時が近づくということで無意識のうちに緑沢晴時と錫原昌宗はつばを飲み込んでいた。緑沢家だけでなく灰原家の命運も賭けた一線の始まりを思えば、自然と息苦しくなるほどの重圧を感じる。

「夜に行動を開始するので今のうちに食べ物を用意しておきましょう。使えるかまどは全部使って米を炊いてください。足りなければ簡易的にかまどを作りましょう。ありったけ食べられるものを作ってください」

「あ、ありったけ? 人数分あればことが足りるのでは?」

 籠城戦など、守る戦いにおいて食料とは貴重なものだ。時間をかけられても耐えられるように最小限の食料消費に抑えるのも常識だ。しかし昇太郎は逆に無駄になるのではないかと思えるほどの量の食事を作れと言う指示はあまりにも異様だ。

「いえ、たくさん作る必要がありますのでよろしくお願いします」

「か、かしこまりました」

 昇太郎の策に乗ることを決めた緑沢晴時は考えの全容はわからなくても意味があると推察した。多少合点がいかない事でも自らの考えの及ばないことを考えていると自らを納得させて指示に従うという意思表示をはっきりとした。

「・・・と、言うことで錫原さんは夜までご飯づくりをお願いします。緑沢さんは青森家と赤嶺家の動向をしっかり監視しておいてください。では、お願いします」

 緑沢晴時と錫原昌宗の二人は昇太郎の指示に従って即座に部屋を出て行く。部屋を出て行った二人を中心に、緑沢城内にもひしひしと決戦の時が迫っているという雰囲気が広がり緊迫した空気はさらに張り詰めていく。

 昇太郎は張り詰めた緑沢領内の一室でゴロリと転がり天井を仰ぐ。

「・・・」

 戦いの前の不穏な空気が昇太郎の精神を蝕んでいく。その精神的負担から昇太郎は天井を仰ぎ見ながら、ウトウトと意識が少しずつ薄らいで知らない間に眠りについていた。その様はまるで夜に備えて仮眠をとるようだった。




 薄墨尚孝から物資の情報を得た深緋久英は赤嶺軍の中枢で思慮を巡らせている。軍議のために集まった家臣達は深く考え込む深緋久英の雰囲気に口を開くことができない。彼の考えがまとまり発言するまでの間、静かにその時を待つだけだった。

「・・・指示した通り陣と部隊の配置は終わったか?」

 しばらく続いた静寂に包まれた沈黙の時を深緋久英自身が打ち破る。

「はっ、全て指示通りにできてございます」

「そうか。間者から何か報せはあるか?」

「はい。灰原昇太郎の策の全容は家臣や配下の者も知らぬ様子。我らの手の者は緑沢の城内で何やら木を切ったりして作らされていたようでございます」

「そうか。何を作っているかはわかるか?」

「はっ、なにやら偽の兵を作っているとのこと」

「偽の兵、か。なるほど・・・」

 報告を聞いた深緋久英はまたしばらく黙り込んで何かを考えている。するとそこに一人の兵士が駆け込んできた。

「申し上げます! 緑沢の城に動きがありました!」

「動き? どういう動きだ?」

「炊煙が上がっております。それもまるで火事でも起こっているかのように、おびただしい数が・・・」

 赤嶺軍の陣の中枢を取り囲む天幕。その外に出れば晴れた冬の空に天高く伸びる炊煙がいくつも確認できる。その数は灰原軍三千が城内に加入したからといって納得できる数ではない。明らかに過剰な数の炊煙が見て取れる。

「やはりそう来たか。わしがお前の立場でもそうする」

「こ、深緋様?」

「灰原は予想通り短期決戦を望んでいる、ということだ」

 炊煙を確認した深緋久英は再び天幕の中へと戻って行く。部下達も元に戻り、深緋久英が黙して思慮を巡らせていた状態に戻る。

「我らの陣は長期の戦いを見越して固く備えておりまする。灰原は長くこちらにはおれませぬ。このまま時が待つのがよろしいのでは?」

「それでは我らは戦わずして負け、何も手に入れることなく・・・いや、多くを失って引き下がらねばならなくなる」

「そ、それはいったいどういうことにございましょうか?」

 灰原軍は国内事情と周辺諸国との関係上長く国を空けてはいられない。灰原昇太郎は短期決戦を望んでいるのではなく、短期決戦でなければならない状況に追い込まれているのだ。裕利に見えるその状況だが、その状況で灰原軍を前に長く居座るという選択肢を実は赤嶺軍は持っていなかったのだ。

「灰原は潤沢ではないが多くの食料を国内に持っている。青森は食料事情が乏しいゆえに緑沢を切って我らと手を結んだ。ならばその青森が食料の供給と引き換えに赤嶺から灰原に鞍替えする可能性は十分考えられる」

 灰原家の優位点は食料の底が見えていないという点である。青森家の苦境は食料事情が厳しすぎる点にある。両者の長所と短所は同じ食糧事情にあり、青森家は食料を譲る代わりに赤嶺家との手切れを要求されれば呑む可能性がある。灰原家にはそれができるだけの食料があり、それをすれば灰原家は戦わずして国に帰っても緑沢家は青森家が守るという従来の体勢に戻るだけとなる。それにより灰原家は緑沢家を守ったことになり、青森家は緑沢家を見捨てなかったことになり、赤嶺家の全面敗北となって戦は幕を閉じてしまう。

「灰原昇太郎は短期決戦を狙っている。それは戦わずして元の状態に戻すという作戦だ」

「そ、それでは我らが長くここに居座ったとしても・・・」

「何の意味もない。それどころか赤嶺が躍進する下準備の全てが無に帰すことになる」

 家臣達の動揺は計り知れない。ざわざわと家臣達の私語が耳に飛び込んでくるが、深緋久英にはその雑音は気にならない。

「しかしそれはうまくいかぬ」

「な、何故でございますか?」

「わしがいるからだ」

「は、はぁ・・・」

 家臣達は深緋久英の言っている意味も言いたいこともまるで理解ができていない。言われたことを理解することで精いっぱいであり、彼の考えている先まで考えが全く追い付かないのだ。

「灰原昇太郎はまず戦わずして我らを引き下がらせ、青森家の面目を保ちながら緑沢家も青森家も救う算段を立てた。並の将なら知らず知らずのうちに青森家を懐柔されて此度の出陣の意義を失う。しかしこの状況を作ったのはわしだ。この状況が我らにとって優位に進まない状況にされるわけにはいかぬ。よって我らも動かねばならない」

「我らも動くと言うことは・・・まさか灰原昇太郎の望む短期決戦に乗るということにございますか?」

 灰原軍がやって来ても長く陣を張っていれば灰原軍は帰らざるを得ない。その後でゆっくりと緑沢家を攻略するという算段だったが、それが根底から覆されたと深緋久英は言っているのであった。

「それでは我らの当初の目論見は・・・」

「そのような目論見がうまく運ばぬことなど想定済みだ。灰原昇太郎なら必ずその手を打ってくると確信していた。そしてわしの思った通り、その手を打たれた。故に同じ手では通用せぬようになったということだ」

「その灰原昇太郎が撃ったその手・・・とは?」

 家臣の問いに深緋久英は空へと上っていく炊煙を指さす。

「あの炊煙だ」

「炊煙? あれが・・・策なのでございますか?」

「そうだ。我らにとってみればただの炊煙。しかし青森軍から見ればどうだ?」

「・・・はっ!」

 家臣達は気付いた。食料不足に悩まされている青森軍。その目の前で明らかに多い数の炊煙が上がる。それは灰原軍の食糧事情の豊かさを見せつけるとともに、青森軍を揺さぶり動揺させることで今後の外交で優位に立つ心理戦のような効果があるのだ。

「ならば我らは動く。灰原と青森が通じる前に動けば青森も動かざるを得ない。一度刃を交えれば食料だけでは引き下がれぬ。そうなれば我らの勝ちだ」

「おぉ、なるほど」

 自軍の勝利と聞いて沸き立つ家臣団。しかしその一瞬の高揚すらも深緋久英は瞬く間に自らの言葉で鎮静化させる。

「だがそう簡単にはいかぬ。曲者は灰原昇太郎が作っている偽の兵だ。これにより我らはどう動くべきか、二者択一を選ばねばならぬ」

 状況に応じて灰原昇太郎が灰原軍の勝利を考えれば、深緋久英がその勝利の目を潰して赤嶺の勝利を考えあげる。しかしその赤嶺の勝利もまた灰原昇太郎によって潰される。一度も刃を交えていないというのに、灰原昇太郎と深緋久英はもうすでに幾度となく刃を交えたのと変わらないほどの応酬が行われていることを家臣団は今知ったのだった。

「油や木材など、そして偽の兵・・・考えれば城を守るのにうってつけだ。灰原昇太郎は少数でも城を守れるように防備を固め、偽の兵を用いることで守備兵の正しい数を我らに悟らせぬようにしているのであろう。五百程度であれば城は簡単に落ちるが、千ほど残れば簡単にはいかぬであろう。灰原昇太郎は総勢三千五百、千を残しても二千五百の兵を動かすことができる」

 ここでしばらく沈黙。深緋久英が言葉を発することなく黙った。その沈黙の空間を打ち破る家臣は誰もいない。深緋久英の考えについて行けるものがいない証拠である。そして灰原昇太郎の周りも同じく考えについて行けないものばかりだ。周囲から群を抜いた二人の知略戦に口を挟めるものなど誰もいない。

「灰原に戦わずして我らを引き下がらせる策は完遂させぬ、しかし我らが先に動いて灰原と青森を戦わせる策を奴は封じたい。故に短期決戦、ならば我らはその状況を活かして灰原昇太郎が想定する以上の短期決戦を挑む」

 灰原昇太郎が考える短期決戦を上回る短期決戦を深緋久英は考え出す。その中には当然灰原昇太郎が取るであろう何通りもの策も考えに入っている。

「灰原が青森と早急に和睦するにはある程度の圧力が必要になる。ならば奴は今夜動くはずだ。軍を動かし、青森軍へと攻め寄せる。地の利を生かして優位に立ったところで戦わずに和睦を結び、翌朝には灰原軍、緑沢軍、青森軍の総勢五千が我らと対峙する。ならば我らは戦わずして退くほかない。これにて灰原昇太郎の思い通りとなるが・・・わしはそうはさせんぞ」

 深緋久英は勝利を確信するかのような笑みを浮かべる。灰原昇太郎の策を看破したという自信からくる笑みだ。

「灰原昇太郎は夜に青森軍を目標として動き出す。我らはその灰原軍を強襲する。灰原軍の正確な数は不明ではあるが、我らが強襲すれば青森軍は動かざるを得ない。青森軍が動けば挟撃となり灰原軍を打ち破ることができる。灰原軍をどれだけ討ったかという数にかかわらず、灰原軍の行動部隊を叩いて青森軍と戦をさせることができれば我らの優位は確固たるものとなる」

 深緋久英は考えが及ばないため黙り込んでいる家臣団を見渡し、言葉の勢いを強くして命令を発する。

「出撃は夜だ! 城から出た灰原軍を強襲して青森軍を動かす! 皆の者、準備を怠るでないぞ!」

「・・・は、ははっ!」

 考えが及ばぬ家臣達は深緋久英の説明を聞いて命令を理解し、彼の命令から少し遅れて合点の返答を返してから家臣団は慌ただしく動き出した。残された深緋久英は作戦の下知は下したものの、その頭の中の考えが完全に止まることはない。

(灰原昇太郎・・・これで奴の策を打ち破れるはずだが・・・)

 深緋久英は自身に満ち溢れている。しかし不安が一切ないのかと問われればそう言うわけではない。自身が策士と呼ばれる一方で相手も策士と呼ばれる灰原昇太郎だ。見落としがないかは幾度となく確認はしたものの、考えが及ばぬ発想や閃きだけはどうしようもない。灰原昇太郎が練り上げた策が自身の常識をはるかに外れたものだとしたら、思いもよらぬ奇抜な一手があるとしたら、そう思うとどうしても不安というものを払しょくすることはできない。

(もう一手、打っておく必要があるか・・・)

 灰原昇太郎に策を普通なら打ち破れる策を考え付いた深緋久英だが、彼に油断や慢心というものはない。深緋久英にとって灰原昇太郎という男はこれ以上ない最大の敵。慎重に慎重を重ね、最悪の事態を想定しての一手も当然用意しておくことに越したことはない。

 深緋久英はその後、家臣を数人呼び寄せてもう一つ策を弄する。灰原昇太郎に完全なる勝利を収めるため、彼はできうる限りのことをして考えられる全てを実行するのであった。




 まだ日の高い緑沢領内。戦は間もなくというのに一切争う気配が見えない日中。各々が夜の行動開始に備えて水面下で様々な動きをしている。灰原家、緑沢家、青森家、赤嶺家の行く末を決める運命の夜は刻一刻と迫ってきているのであった。

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