第12話 三国併呑
白山勝実は納得のいかない不機嫌な様相で白山家の居城へと引き返していく。その理由は思い通りに事が運ばなかったことによる憤りである。白山軍は出陣したその日のうちに灰原領への侵入を果たした。しかしその頃にはもうすでに黒川家は昇太郎に平伏してしまっており、灰原領は戦わずして昇太郎の手中に収められていた。
灰原領を白山勝実の手で取り返すという約束が果たせなかったばかりか、今まで格下の勢力として侮っていた灰原家が黒川家を飲み込んで白山家を超える勢力へと急成長を遂げた。これにより今まで考えていた白山家の今後の方針は全て白紙に戻さなければならなくなる。灰原家との付き合い方も変わってくる上に、女好きで知られる白山勝実は琴乃も雪絵も手に入れることさえかなわなかった。何も手に入れることなく、ただ軍を発して帰ってくるだけ、しかも昇太郎にいいように利用されたという惨めな思いに、隠しきれない憤りを感じているのだった。
「おのれ・・・許さんぞ、灰原昇太郎。この屈辱は必ず晴らしてくれるわ」
黒川家の悪政をついた住民暴動による国の乗っ取り作戦。それを完璧に遂行してしまった昇太郎の手腕は見事としか言いようがない。しかしその作戦成功のための一要因として白山家の出陣は利用された。情報では白山家の出陣が暴動を起こす決め手となったのだ。しかしその決め手となる出陣を行った白山家の手中には何も入っていない。白山勝実の昇太郎に対する怒りは留まるところを知らなかった。
「・・・ん? どうした?」
取って返すように居城へと帰還した白山勝実率いる白山軍。しかしその進軍は城の目前で止まってしまった。
「殿、申し上げます!」
「何事だ」
「城が・・・乗っ取られています」
「・・・なに?」
報告に来た部下の言葉を聞いて馬を走らせ、白山勝実は自らの城の城門の前へと向かう。
「門を開けよ!」
白山領を治める主君、白山勝実の声がしても城門は開く気配すら見せない。それどころか城壁の上や物見櫓などに人が集まってきては白山勝実を鋭い視線で、無言のまま敵視していた。
「主君の帰還であるぞ!」
白山勝実の声に城壁にいる人達は一切応じない。城壁の上や物見やぐらにいる人は兵士ではなく農民。戦闘力としては白山勝実が率いている軍隊の方が圧倒的に上だ。しかし自国領の農民が相手で、さらに自分の居城が敵となればそう簡単に攻撃はできない。ここはまずなぜこのような事態になったかを把握しなければならないと、冷静に自分に言い聞かせた白山勝実はさらに声を上げる。
「なぜこのような愚行に出た! このまま一思いに攻め落としてもかまわんのだぞ!」
冷静にはなっているものの灰原昇太郎の一件により溜まっていた苛立ちにより、どうしても語気が強くなってしまう。
「お静かに、白山殿。この城はもう灰原のものにございます」
その言葉と共に城壁の上に姿を現したのは灰原昌隆と雪絵の二人。
「灰原昌隆・・・庇護してやった恩を忘れたか!」
落ち延びてきた灰原昌隆を助けて城においてやったのは他ならぬ白山勝実だ。この乗っ取りの首謀者が灰原昌隆であった場合、これはとんでもない不義にあたる。
「申し訳ないが、此度の策を聞いたのは白山殿がこの城を出た後でしてな」
「なに?」
「白山勝実様、この城の乗っ取りの主犯は私です。そしてその策を考えたのは灰原昇太郎様です」
「またしても・・・あやつか!」
手に入れようと躍起になっていた雪絵さえ、白山勝実の敵として城の乗っ取りを行った。その作戦の指揮官は灰原昇太郎。ことごとく苦汁をなめさせられたことにもはや怒りを通り越して憎しみへと感情が変わっていた。
「あのような優男の思い通りにはさせん! 全軍、攻撃して城を取り返せ!」
白山勝実の号令に声をあげて戦闘態勢を取る白山軍。しかし、その命令を聞くものは白山軍の中では少数派であった。
「・・・な、なにをしている! 城を取り返さぬか!」
号令をかける白山勝実だが、多くの白山軍の男達は一切攻撃の準備に取り掛からない。
「無駄ですよ、白山殿」
なぜ自分の軍が動かないのか、その疑問に城壁の上にいる灰原昌隆が答えた。
「この城を乗っ取ったのは農民や町人。あなた様の軍に同行している寡兵の家族であります。この城を攻撃するということは、自らの手で自らの家族を殺すことと同義。白山軍の寡兵はこの城の攻略には動けませぬ」
徴兵された寡兵の動きを封じるにはその家族を人質に取るのが一番だ。しかし国中に散らばっている家族を人質に取っていくなどという非効率なことはできない。そこで城の乗っ取りに農民達が自ら動くように促し、寡兵として出陣した者達の家族は各々の意志で城を乗っ取ったという状況を作り出す。そうすれば寡兵として集められた者達は家族を守るために白山勝実に味方することはできなくなる。
「白山軍に名を連ねる寡兵の者共よ! 白山領はこれより灰原のものとなる! 灰原の治世は聞き及んでいるであろう! 今まで以上の善政を約束しよう! 家族とともに灰原の下で暮らすがいい!」
それは寡兵全員の心を掴む離反させるための一言。白山家の支配下にいた時以上の善政を口約束では信用できないが、灰原領の善政は白山領や黒川領では話題になるほどのものだ。それが灰原家のものがこの地を統治することで実現されると言われれば、これ以上説得力のある言葉はない。
「おのれ・・・もはや寡兵などいらぬわ! 我が手勢のみで城を取り返してくれる!」
白山勝実はもはや寡兵の助力には頼れないと察し、自らの手勢である武士階級の者達だけで城を落とす決意をした。しかしその決意は一瞬にして無意味なものへと変わってしまう。
「も、申し上げます!」
「えぇい、何事だ!」
今から城攻めを始めようとする灰原勝実。そこにとんでもない一報が舞い込んできた。
「灰原領を取り返し、黒川領を手中に収めた灰原昇太郎! 軍を率いて白山領へと進軍中でございます!」
「な、なんだと・・・」
「その数はおよそ二千! 両国の総兵数を超えております! おそらくは志願してきた寡兵により数が膨れ上がったものと思います!」
「そんな・・・ばかな・・・」
白山勝実は舞い込んできた一報を耳にしたことにより、城攻めどころではなくなってしまった。白山領内が全て白山勝実のものであったならば、灰原昇太郎が灰原領と黒川領を手中に収めても恐れることはなかった。しかし白山領の城は乗っ取られてしまい、貨幣は戦意喪失状態。さらに勢いに乗った灰原昇太郎率いる一軍は今白山勝実が動かせる兵力と比べれば圧倒的に数が多い。戦う前に勝敗の趨勢は完全に決してしまっている。
「殿、ここで戦いを挑むのは愚策にございます」
もはや今まで白山勝実を支えていた家臣団でさえ弱気な発言をするようになった。現状ではどうあがいても灰原昇太郎に勝ち目がない。盤上にはもう戦って正気を見いだせるだけの手駒が残っていない、完璧な棋譜によって白山勝実は敗北を認めざるを得ない状況へと、知らず知らずのうちに追い込まれてしまっていたのだった。
「おのれ・・・おのれぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!!」
しばらく白山勝実の怒りと憎しみのこもった怒号がむなしく響き渡る。しかしそれもそう長くは続かず、白山勝実は肩を落として降伏を渋々受け入れた。
黒川領を乗っ取るために白山家の軍隊を引きずり出し、白山領を乗っ取るために黒川領の軍隊を出陣させる。しかしその実、戦いらしい戦いは一度たりとも行うことはなく、灰原昇太郎は灰原領白山領黒川領の三国併呑を成し遂げるにあたって出た被害は限りなくゼロ。その恐ろしいまでの知略戦術は手中に収めた三国だけでなく、周辺各国にまで広く知れ渡った。これにより周辺諸国もうかつに手を出すことができない状況が作り出され、昇太郎が思い描いていた灰原家の安寧という終着点がかなり高いクオリティで実現されるに至ったのだった。
昇太郎が戦国時代に来てからおよそ四十日が経った。三国を併呑した昇太郎は護衛と共に琴乃と雪絵を連れて領内の農村を巡察していた。
「昇太郎・・・いや、殿。あそこでは何を?」
「琴乃さん。わざとやっているよね?」
「何故じゃ? そなたはもう殿であろう?」
「灰原家の当主は琴乃のお父さんだよ」
「父は昇太郎に譲ると言っておるぞ?」
「だから、それは断ったじゃないか」
現灰原家の領主は灰原昌隆。しかし今回の昇太郎の活躍で家督を譲るつもりでいる。巡察する昇太郎は人の上に立つ自信がなくて拒んでいるが、周囲は既に灰原昇太郎を主君として仰いでいる。
「昇太郎様。あちらでは何を?」
「え? ああ、耕作面積を広げようと思うんだ。前に言った休耕ができるようにね。それと肥料を作るのもやるし、年貢は灰原家の今までのやり方を基本に少し組み替えて収穫できた量の割合制を導入してみようかとも思うんだ」
ほぼ三国を従える主となった昇太郎。民が笑顔で暮らせる善政をとにかく意識し、さらに現代では常識だった知識を取り入れることで新たな改革もできるようになった。国の在り方が少しずつ変わり、灰原家が長い安寧の時を迎えることができる時が迫っていた。
「昇太郎は既に三国を併呑し総勢約三千の兵を従える主じゃ。しかも三国併呑の際にはこれと言った戦いは一切なかった。この地盤にその知恵があれば、このまま天下統一も目指せる器かもしれぬぞ」
琴乃が嬉しそうに、しかしどこかからかう様子で笑っている。
「琴乃さん。僕を買いかぶり過ぎだよ」
「そうでもないぞ。初めて会った時は臆病で軟弱だったのだ。今と比べ物にならぬほどそなたは成長したわけじゃ」
「成長・・・か」
「うむ、名は体を表すとはよく言ったものじゃ」
雪絵も琴乃の言葉に頷いている。
「昇太郎、その名の通り昇る男じゃ。どこまで上り詰めるか、私は楽しみじゃ」
昇太郎と言う名を当人はあまり気にしたことが無かった。だが言われてみればその名の通りにこの戦国時代を生きている。戦国時代に来る前の自分とはまるで別人としか言いようがないほどの変化があった。特に最後の三国併呑は戦争らしい戦争を一切行わなかったのだ。戦わずして勝つ。それを体現したことで、国中から昇太郎は英雄として扱われている。
統治の方も順調に足元が固められている。白山勝実、黒川信弘の両名は家族ともども全ての地位を剥奪されて一般人にまで落とされた。もともと白山家と黒川家に仕えていた家臣の多くは昇太郎に平伏し、認めない者は自ら浪人となって国を出て行った。これから民が理想とする国を作るのに体制は徐々に整いはじめている。
灰原家の当主となるに当たり、周囲は昇太郎に琴乃と雪絵の両方を妻とすることを進めていた。昇太郎は社会的地位も手に入れたことから、二人を拒む理由が無くなってしまった。しかし今までとは違って自信を得た昇太郎は、これからもこの戦国時代で生きていくのであれば結婚もありかと思い始めていた。
「灰原昇太郎っ!」
そんな平穏の始まりに似つかわしくない怒声と共に、一人の男が昇太郎に向かって刀を抜いて走ってくる。
「じ、甚六!」
琴乃の声で昇太郎に襲い掛かってくる男の正体がわかった。護衛の男達を押し退け、撃退しようとする護衛の持つ刀が身体に何度突き刺さろうとも甚六は昇太郎へと突き進んでいく。
「お前さえいなければぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!」
甚六は刀を振り回し、昇太郎が乗っていた馬をかすめる。すると馬は驚いて暴れ出し、昇太郎は地面に落ちて転がった。甚六はそこで力尽きたのか、護衛の男の刀の一撃をさらに受けて力なくその場に倒れた。
「昇太郎様!」
地面を転がった昇太郎はそのまま農村の中を走る用水路として用いられている川へと転落する。昨夜山の上流の方で雨があったことで水かさが増していた川に転がり落ちた昇太郎は、泳ぐ余裕もなく水に流されていく。
「わわっ! た、助け・・・」
昇太郎は川の水にのみこまれ、初めて戦国時代に来るきっかけとなった橋から川へのダイブを思い出しつつ、その意思は水かさの増した川の濁流の中に飲み込まれていった。
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