第7話 軍議

 翌日、早朝からいつも通り鍛錬を始めようと思っていた昇太郎だったが、突然呼び出されて主君である灰原昌隆を始めとした灰原家の面々がいる部屋の末席に座らされた。上座に座る灰原家当主の傍らには、唯一残った灰原家の子である琴乃の姿もあった。


「皆に集まってもらったのは他でもない。現在、我ら灰原家は危機に瀕している。よって今後の方針について皆の意見を聞きたい」


 全員が揃ったところで始まったのは、今後の灰原家の運命を左右する重大過ぎる会議だった。そしてそんな会議の場に似つかわしくない昇太郎。彼はわけもわからないまま、ただ座って話を聞いていた。


「今後、この灰原家が辿る運命はそう多くはない。皆はどうすればいいか、至らない主ですまないがこの私に知恵を貸してくれ」


 灰原昌隆はそう言うと、灰原家が選べる選択肢を述べていく。そして挙げられた選択肢は以下の通りだ。




一、養子を出すと言っている白山家から養子をもらい、白山家の支配下となる。

(白山家に従属することになり、黒川家との戦争時に最前線となる)


二、黒川家に琴乃を嫁がせて(側室になる)生まれた子を灰原家の跡継ぎとする。

(黒川家に従属することになり、白山家との戦争時に最前線となる)


三、灰原家の家臣や家中の人から一人を選んで当主の座につく。

(白山、黒川の両家との関係は現状維持で当主が変わる)


四、琴乃が女性の身でありながら次期当主となる。

(周辺国に受け入れられるかどうかわからないため先が全く読めない)




 大まかに挙げられた今後の方針は以上の四通り。黒川家につくか、白山家につくか、独立状態を維持するかの三択が基本で、琴乃が灰原家の当主になるというのはいささか突拍子もない奇策といえる。奇策は時に身を滅ぼすこともある。しかしどの選択肢を選ぶかによって灰原家の命運が決まるのだ。


「ここは白山家につくべきだ」


「そうだ。白山家が妥当だろう。灰原家内の多数が白山家派でもあるのだ」


「ここ最近でも戦では白山家側に立つことも多い。白山家だろう」


 白山家の属するべきだという派の家臣達が声を上げる。


「何を言う。ここは黒川家だ」


「白山家よりも兵力が多い黒川家の方が戦いでは有利だ」


「ここ最近の立場は問題ではない。従属した後は黒川家に忠節を誓えばいいだけだ」


 黒川家に属するべきだという派の家臣達の声が反論として飛び出す。


「何を言う。我らは独立を保つべきだ」


「従属すれば最後。どちらに属したところでこの地が戦場になることに変わりはない」


「この地の安定のためには独立状態が最も適しているのがわからんのか」


 そして独立派の意見も噴出してその場は収拾がつかなくなる。飛び交う言葉は各々の意見を言うだけで相互理解や議論というには程遠かった。白山家従属を推す派閥、黒川家従属を推す派閥、独立を守ることを推す派閥、入り乱れた言葉の嵐はもはやだれが何を言っているのかさえ分からないほどで、部屋中が混迷を極めているのがわかる。


「なら独立は誰を次の主とする気なのだ」


「白山家は朝貢と軽い税で民の心を有利に誘導しているだけだ。本心は支配欲にあふれている」


「先の戦もそうだが黒川家は戦争を欲している。近づくべきではない」


 言葉が飛び交い熱い議論の場となっている。しかしそれぞれが思い思いの言葉を一方的に言うだけのため、終着駅が見えない特急に乗っているような感覚だ。


「皆、落ち着かぬか! 各々方が灰原家のために知恵を出し、己の意見を言っているのはよくわかる。だがこのままでは何年たっても結論は出ぬぞ」


 収拾がつかない議論が行われている部屋全体に灰原昌隆の声が大きく響く。その大きな声に今まで意見が飛び交っていた空間だったが、そこにいる全員が一瞬にして黙り込むほど威圧感のある声が騒音を鎮静化させた。


「・・・昇太郎よ。先ほどから黙っているが、そなたはどう思う?」


 主君の灰原昌隆の視線が昇太郎に向けられる。そして並ぶ家臣団の視線も一斉に末席の昇太郎に集中した。


「え、えぇ? ぼ、僕?」


 いきなり話を振られて昇太郎は何と言っていいかわからず頭の中がパニックを起こしていた。今まで授業中でも率先して手を挙げる方ではなかった昇太郎が、いきなり一つの武家の未来に係わる会議で発言しろというのは無理な話だ。


「いや、あの、僕は・・・」


 なんと言っていいのかわからない。そもそも戦国時代に来てからまだ二週間程度。詳しくもない情勢に未経験の政治にかかわる内容の発言は今の昇太郎には荷が重すぎた。


 話を向けられても発言する様子がない昇太郎に、家臣団は呆れて何も期待していないかのように隣の人と小声で話を始める。それは昇太郎にとって辛い過去を思い出させる。自分一人がやり玉に挙げられ、周囲がひそひそ話をしている。それはいじめられていた時に感じた孤独と卑下されている雰囲気をフラッシュバックさせる。


「僕は・・・その・・・」


 そしてそのフラッシュバックは更に昇太郎を追い込み、そしてとんでもない発言をこの場でさせてしまう。


「御長男の戦死は・・・不運じゃなかった気がします・・・」


 その瞬間、ひそひそ話は一瞬にして静まる。完全な無音の時間が部屋をしばらくの間支配する。そしてその異様な空気を払拭する者はなかなか現れず、昇太郎の発言の真意を問いたい灰原昌隆が重い空気を払拭しようと口を開く。


「どういうことだ? 昇太郎よ。その言葉の意味、詳しく話してみよ」


 重い空気が包み込む部屋の中で、昇太郎は話すように言われて慌てる。追い込まれた中で必死に絞り出した考えを言葉にしただけなのだ。理由もなければ説明する内容も持たない。ただ追い込まれたときになぜかそう思っただけで話す内容はまとまっておらず、ましてや昇太郎にはそう思った違和感があるような気がするだけで証拠など何もない。

 しかし説明を求められれば話さないわけにはいかない。手探りで言葉を探しながらになるのだが、それでも追い込まれたことにより直感が無理矢理口から飛び出させた言葉の理由にはなんとなくでがあるが違和感という答えがないわけではない。つまりそれは今から話す内容は昇太郎の推測の域を出ない、勝手な見方から感じた違和感を言葉にするだけのもの。しかも今回この場に集まった家臣団の人々の持つ意見や理由とはずれている。よって誰もがひとまず耳を傾けている。そして内容が内容だけに今はまだ誰も昇太郎を非難することはできず、静寂を守りながら昇太郎の言葉をじっと聞いていた。


「えっと・・・帰って来た時に聞いたのが、乱戦の時に流れ矢に当たった、という内容だったと思います」


 話し始めた昇太郎に灰原昌隆はしっかりと一度、肯定の意を込めて頷く。


「乱戦じゃあまり弓矢は使わないと思うんですが・・・どうですか?」


 昇太郎がそう言った時に家臣団からため息が漏れる。言った言葉に対して根拠が弱すぎたためだろう。バカにするような視線さえ昇太郎に向けられていた。


「今回は敵の奇襲攻撃を受けたのだ。統率がしっかりと取れていなかった」


「じゃあ味方が撃ったってことですか?」


 昇太郎のその問いに場の空気が少し変わる。


「御遺体を見た時、首はとられていませんでした。首を取ろうとした痕跡もありませんでした。それを守ったという話も聞きませんでした。主君の長男なら手柄になるので敵なら首を取りに来ると思うのですが・・・」


 昇太郎が言いたいことが周囲の家臣団にも少しずつ伝わる。そして戦場に駆り出されていた家臣団の面々ならその時のことをはっきりと憶えている。


「確かに言われてみれば妙だ。敵ならば討ち取ったと高らかに声を上げるはずだ。しかしあの時は奇襲を追い帰すまでそのような声は上がらなかった」


「うむ。味方も同士討ちをして慌てた様子はなかった。今思えばいつ倒れたのだ?」


「敵も味方も自分が撃った矢の軌道くらいは見ているはずだ。確かに妙だ」


 家臣団が口々に疑問に思ったことを話し出した。

 皆の話を合わせてみた結果、顛末はそこまで複雑ではない。敵の奇襲を受けた灰原軍は懸命に戦い追い払った。敵を追い払った後に流れ矢に当たって戦死した灰原家の次期当主となる灰原昌隆の嫡男がいた。その間、敵が将を討ち取ったという声が上がることもなければ、味方が同士討ちをしたということで大きな混乱に陥ることもなかった。


「あと次男さんが病気で三男さんが事故って聞いたんですけど、こうも都合よく跡取りがいなくなっていくのも変だと思います」


 戦国時代では現代のように医療技術が発達していない。出生と同時に死亡する赤ん坊も少なくないし、今では簡単に治る病気でもなくなってしまうことも珍しくはない。よって灰原家の面々はそこに違和感がなかった。現代から来た昇太郎だけがそこに気がかりな点を見つけた。


「えっと、実際に見た話じゃなくて聞いた話なんですけど・・・」


「構わぬ。話せ」


「あ、はい」


 主君の許しを得て昇太郎は頭の中にあるものを言葉にしていく。


「主君の跡取りや兄弟を暗殺謀殺して実権を握った人がいたそうです」


 昇太郎が話しているのは安土桃山時代に悪評で名を馳せた一人の戦国武将、松永久秀のことを言っている。彼は三好家の下っ端だったが高い能力を発揮して出世し、重役に取り立てられた。そこで三好家の柱でもある優秀な主君と三人の兄弟から三好家の実権を奪い取るために暗躍を始める。主君の三人の優秀な兄弟を次々に亡き者にしていき、主君を隠居に追い込んでまだ若い長男を主君の座につけた。そして三好家を好きなように操り、その後は大仏殿を焼打ちにしたり将軍を攻めて討ち果たしたりと、戦国時代に置いて他に類を見ない非道さが有名な戦国武将だ。

 昇太郎は松永久秀のことを上手くぼやかしながら伝えた。この時代が松永久秀のいる時代かどうかもわからないため、なるべくごまかせるところはごまかして伝えた。


「・・・なるほど、危惧すべき点は確かにあるな」


「そうなると此度の白山家への攻撃、もしくは援軍要請事態が我ら灰原家を陥れるための策ということになるのか?」


「ならば白山と黒川の争いと思うておったが、実は狙いは我らに定められていたのか」


 灰原昌隆は昇太郎の話に重きを置いてくれた。跡継ぎの長男が奇襲に紛れた暗殺だったかもしれないし、次男が毒殺で三男が謀殺だったのかもしれない。実行者は誰だかわからないし裏で糸を引いているのも誰だかわからない。何もわからないことだらけで疑うことさえバカバカしいが、現に灰原家は跡継ぎとなる三人の息子を失っている。疑ってかかるだけの状況ではある。


 さらに言えば三人の息子がいなくなってしまったことで灰原家は存続の危機である。戦国時代に暗躍などあって当然。灰原家を吸収して得があるのは白山家と黒川家だ。より吸収しやすい状況を狙っての暗躍だったとするなら、簡単にどちらかへ従属するのは避けたい。しかしあまり相手の思い通りに事が運ばなければ次の狙いは主君の灰原昌隆か、それとも力押しの侵略になる可能性もある。


「昇太郎、よくぞ申した。確証は何もないが、その考えはなかった。礼を言おう」


 上座に座っている主君が末席にいる昇太郎に礼を述べる。それだけ昇太郎の着眼点は今の灰原家に必要だと灰原昌隆は思ったのだろう。


 そのお礼の言葉は正直嬉しい。しかし昇太郎はもどかしさを感じていた。現代ならば事件が起これば遺伝子レベルでの照合ができたり血液から毒薬の成分を割り出したりと、最先端の科学捜査を行うことができる。しかし戦国時代では科学捜査など行うことができないばかりか、その発想すらない。現代人が思っている以上に戦国時代では迷宮入りの事件が多かったことだろう。


「早急に返答するのは時期尚早か。今は喪に服しているということで両家への返答は少し待たせよう。その間に両家に探りを入れることにする」


 灰原昌隆は今後の方針をとりあえず決定した。白山家と黒川家への返答はとりあえず先延ばしにし、まずは暗躍の可否を探るために間者を送り込むことを決めた。

 間者に関しては主君自らが手配することで会議は御開きとなった。そして家臣団が次々と部屋を出て行く中、昇太郎は残るように言われて末席に座ったままだった。そして全ての家臣団がいなくなり、部屋には灰原昌隆と琴乃と昇太郎の三人だけになった。


「近くへ」


「は、はい」


 呼ばれて末席から主君の前まで行き、そこで再び腰を下ろして向き合う。


「先ほどの話ではあまり話題にならなかったが、我が灰原家が独立を保ったままの場合の跡取りのことについてだ」


 先ほどの会議の時と変わらない真剣な様子の灰原昌隆。伊達や酔狂ではなく、本気で灰原家の将来を考えているのが伝わってくる。


「昇太郎、もし私がお前に琴乃との婚姻を結ばせたいと言ったらどうする?」


「・・・・・え?」


 突然のことで昇太郎は心の準備もできておらず、慌てふためきながらも顔をどんどん赤く染めていく。


「ふむ、どうやらまんざらでもなさそうだな」


 昇太郎は言葉が出なかったが、赤く染まった表情が全てを物語っていた。


「なに、灰原家が白山家か黒川家に従属した時、場合によれば灰原家の名がついえてしまうこともあり得る。すでに跡継ぎの男手がいないのでな。流浪をしてでも灰原の名を守りたいと思うのだが、跡継ぎの男子がいなければそれすらままならぬ」


 灰原昌隆は琴乃の方を一度見て、そして再び昇太郎に視線を戻す。


「昇太郎よ。そなたは灰原の姓じゃ。そして琴乃は我が娘。琴乃がお前に嫁げば、例え流浪の身となっても灰原家の血と灰原の名を守ることができる」


 この時代の武士たちは皆このようなことを考えていたのだろうか。自らの家名と血筋をなるべく絶やさないようにする。武家に生れてしまった以上、それは絶対条件だったのかもしれない。目の前の灰原昌隆は全く冗談を言っているようには見えない。


「それに此度のそなたの発言は重要であった。初めて見た時より少し顔つきも凛々しく見える。これから研鑚を積めばさらに見どころのある男となろう。そなたならば灰原の名を託せるかもしれぬ」


 昇太郎にとって、主君からこのような言葉を受けるのは過大評価としか思えない。しかし褒められることに悪い気はしない。さらに成長まで認めてもらえた。それは昇太郎が生きてきた中で滅多にお目にかかれなかったこと。それが過酷な戦国時代で現実のものとなるなど夢にも思わなかった。


「なに、今すぐ返答はいらぬ。どの道この先のことを決めるのは間者の情報が手に入ってからになる」


 昇太郎は返事をすることができなかった。褒められたことで有頂天にもなり、琴乃との婚姻を結ぶという話に喜ぶが、武家の名を一手に引き受けることになる不安は何とも言えない。さらに戦国時代ではいつ何が起こるかわからない。その恐怖は常に付きまとっており、複雑な心の内が何という言葉を発せばいいのかわからず、結局は無言のまま気遣わせる言葉をかけられることになるのだった。


「さて、ではそなたはこれより鍛錬か。よくよく研鑚せよ」


「は、はい」


 昇太郎は深く頭を下げて立ち上がり、主君と琴乃を残して部屋を後にした。


 部屋の外に出たところで昇太郎は頭の中と心を整理するために深呼吸を繰り返す。そしてこれからのことについての悩みを解決に導くために頭を使おうとした時、廊下に立ったまま足を動かせなくなった。


「あ、足・・・痺れた・・・」


 動くに動けず考える余裕もない。長い会議が終わっても、飄々と歩いているみんなの姿が羨ましい昇太郎だった。

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