第8話 初陣

 跡継ぎの長男が戦死して五日が経った。間者の情報待ちの灰原家は領内全域に喪に服しているということを表明して、国としてはとりあえず動かずに隣国の様子を窺っていた。


 事態に進展がないため、当然昇太郎と琴乃の話も進展はない。昇太郎は日々相変わらず鍛練と農民の手伝いを仕事として日々を過ごしていた。


 そして城の中で主君の灰原昌隆が見守る中で剣の鍛錬を行っていた時、間者からの知らせを受けた灰原家の者が城に駆けこんできた。そして主君を見つけるや否や、片膝をついて一礼し、緊急の用件を告げた。


「黒川家、出陣の模様! 進路は従来の白山家への道ではなく、この城への道を選ぶことが濃厚と思われます! 投入できる兵士のほぼ全てを投入する構えです!」


 鍛錬をしていた全員が言葉を失って静まりかえる。今までにこやかに鍛錬を見物していた灰原昌隆も一瞬にして険しい表情へと変わる。


「使いを出せ! 白山家に救援を要請しろ!」


 主君の指示で部下が数人その場を走って離れる。そして続けざまに指示が飛ぶ。


「総員籠城戦の準備だ! 何一つ抜かるでないぞ!」


 籠城戦の指示が出たことで城全体を緊迫感が包み込む。今までは白山家と黒川家のいさかいがある度にどちらかの味方をしてきた灰原家。しかし今度ばかりは灰原家が争いの中心を担うことになった。


「先の戦よりまだ数日だというのに、なぜ黒川家は兵を挙げる?」


 白山家と黒川家が争ったのは数日前。そこで灰原家は手痛い犠牲を払った。その戦からたった数日で再び兵を動かす黒川家の考えがわからない。


「昇太郎!」


「は、はい」


 籠城戦の準備と言われても何をすればいいのかわからない。立ち往生している昇太郎に主君からお呼びがかかった。


「お前はわかるか? 今回の黒川家の動向、どう思う?」


 先の戦争も大きな争いには発展しなかった。小競り合いと先鋒同士が少々やり合っただけという小さな戦だ。しかしその戦で灰原家は跡取りを失った。灰原家としては厳しい戦いとなった小競り合いだが、黒川家には特筆すべき点の無い争いだったことは今回の動きで明白だ。


「えっと・・・」


 昇太郎は頭の中にある記憶や知識を全てひっくり返してでも何か解答を探し出そうとしている。今まで授業で習ったことや話で聞いたことを中心に思い出せるものをとにかく片っ端から思い出していく。


「ああ、そうだ」


 そして一つの話を思い出した。


「あの、二つの勢力が争いをしている時に、内応者がいたんです。でもどちらが勝つか動向が読めない拮抗した戦いだったので、内応者は裏切るか裏切らないか悩んでいました。そこで内応を持ちかけた方の勢力がしびれを切らして内応者の軍に攻撃を仕掛けたら、内応者は慌てて裏切ったそうです」


 昇太郎の話は戦国時代の関ヶ原の戦い。豊臣方の石田三成と徳川家康がぶつかった戦国時代の中でも最大規模の戦争だ。豊臣方の小早川秀秋は徳川方と内応しており、戦いの最中で裏切る手はずになっていた。しかし徳川方は援軍でやってくるはずの本体が真田家によって足止めされ、戦いは拮抗していたことから小早川秀秋は裏切るかどうか悩んで動かなかった。拮抗した状態を何とかしたい徳川方は一向に裏切ろうとしない小早川秀秋の陣に大筒(大砲)を撃ち込んだ。これで決意が決まった小早川秀秋は豊臣方を裏切って徳川方につくことになり、関ヶ原の戦いは徳川方の勝利に終わるのだった。


 白山家と黒川家と灰原家を取り巻く環境は多少異なる。しかし二大勢力を白山家と黒川家とし、内応者どちらにもつかない灰原家と考えれば昇太郎の言った言葉にも説得力が出る。


「・・・つまり此度の黒川家の動向は我らが従わなければ敵とみなして攻撃する、と言いたいわけか。どうやら暗躍の詳細な情報を得る前に白山家につかざるを得ないようだな」


 独立がどうとか家名存続をどうとか言う前に、今を生きるために白山家を頼らなければならなくなった。


「あ、あの、僕は・・・」


「ん? ああ、昇太郎。お前はまだ戦に出るのは無理だろう。しかし籠城ともなれば城壁に飛びついてくる敵を追い払うために人手がいる。黒川家の大軍を相手取っての籠城戦が初陣というのは辛かろうが、力になってもらえるとありがたい」


 初陣の場合、手柄を立てやすい少数相手の野戦のように勝てる可能性が高い戦いであることが多い。経験を積むといった意味に加え、初陣を勝利で飾ることができれば幸先が良いからだ。


 しかし今回は何倍もの兵力を持つ黒川家を相手に籠城戦となる。城を攻める側は守る側の三倍の兵力が必要と言うが、黒川家ならば灰原家の全兵士数の三倍を軽く超える数を投入できる。そして今回はその三倍以上の兵士数が投入されている可能性が高い。


「だが籠城戦も白山家の援軍の到着を待つ間だけだ。援軍の到着と同時に状況にもよるが打って出ることもある。その時は城の守りを任せる」


 昇太郎に城の守りを任せると言う。その意味は、打って出る際には戦える者は総勢連れて出るということ。つまり城に残る昇太郎がもしかすると唯一の男手になる可能性もあるのだ。よって灰原昌隆は昇太郎に任せるという言葉をかけた。


「最悪の場合、琴乃を連れて落ち延びよ」


 灰原昌隆はそう言うとその場から立ち去って行く。今言った最悪の場合とは本当に最後の最後、主君の首が討たれて城が陥落する時のことを指す。昇太郎はその時、琴乃を連れて逃げることが命令として下った。


 敗軍の将は打ち首にされることも多く、その妻子も必ずしも受け入れられてそれなりの待遇があるとは限らない。弱小国の姫として生まれた琴乃は生まれた時から厳しいお国事情を憂いながら生きてきた。そんな愛娘にこれ以上国家レベルでの苦しみを感じさせたくないという親心もこの命令には含まれているのだろう。


「はい」


 昇太郎も心の中で琴乃だけは守りたいという思いが大火のように燃え上っていた。そのため彼らしくない、引き締まった表情での返事となった。


 翌日、物見櫓から黒川の家軍勢約千名を確認した。主君を始め家臣団が皆甲冑姿で軍議を開いている。昇太郎もなれない甲冑に悪戦苦闘しながらも何とか装備を終え、この前と同じように軍議の末席に腰を下ろしていた。


「我らは負傷兵も合わせて総勢二百。黒川家はおそらく万全の状態で千と思われます」


「我らの五倍か・・・」


 三倍までなら城は守れるというのが定説。しかし五倍ともなれば厳しい。しかも灰原家は負傷兵も含めての数字だ。城内にいる女子供の手を借りればもっと数は増えるが、それでも戦力としては心許ない。


「お館様! 白山家より返事が届きました!」


 甲冑姿で駆けてくる一人の家臣が主君に手紙を差し出す。灰原昌隆は瞬時に手紙を手にとって読み始めた。


「な、なんだと?」


 手紙を読み始めて数秒後、主君のただならぬ雰囲気に場の空気が重くなる。


「白山家の援軍は来ぬ・・・」


 そして告げられた絶望的な現実。最後の望みが絶たれた軍議の部屋では重苦しい雰囲気が家臣団の口を閉ざしていた。


「黒川家ではない隣国との諍いに兵を割いているらしい。こちらに回す余裕は今のところないそうだ」


 援軍を送りたいが送れない事情がある。これでは白山家を責めることはできない。


「我々だけで何とかできるのか?」


「無血開城も手段の一つであろう」


「戦わずして屈しろというのか?」


 家臣団の面々が次々と言葉を交わし議論を展開していく。しかし結局は降伏するか徹底抗戦かの二者択一だ。中途半端に戦ってから降伏などという虫のいい話が通用するとは誰も思ってはいない。


「黒川家は我らを攻め滅ぼす気か?」


「あの数ならそうだろう」


「戦っても無駄死にだ。籠城で守り切れる数ではない」


「戦わないまま敗北を受け入れろと言うのか?」


「無血開城をしたところで全員の身が保障されるわけではないのだぞ」


 どれだけ議論を行っても解決策など見えはしない。戦えば敗れる。戦わなければ黒川家に吸収される。吸収された後はどのような扱いを受けるかは黒川家の胸先三寸。何一つとして確証がない。


「・・・おそらく黒川家は無血開城を望んでいるだろう。そうでなければこの城にあれだけの兵を動員するはずがない。先の戦で白山家に味方したこともあり、今更和議などという虫のいい話もできぬ」


 灰原昌隆は黒川家が戦わずして勝つことを予定していると読む。灰原家の五倍にも上る兵力を動員したのはあくまでも見せるため。相手の戦意を削ぐために五倍の兵力を投入して、無血開城を迫るという手法だと読んだ。


 しかしそれがわかったところでどうしようもない。圧倒的兵力差は覆らない。白山家の援軍も期待できない。状況に変化はないのだ。


「いっそのこと打って出るか?」


「バカを言うな。五倍の兵力を前にどうやって戦う気だ?」


「総員討死が関の山だ」


 五倍の数を相手取って攻撃を仕掛けるのはまさに愚の骨頂。唯一の防波堤である城壁や城門を放棄する理由など無い。


「あ、あの・・・」


 軍議が行き詰る中、昇太郎が恐る恐る手を挙げた。


「どうした? 何か妙案でもあるのか?」


「あ、いや、妙案かどうかわからないんですけど・・・」


 昇太郎はもう何度もここで発言させられている。そしてその度に視線が集まる。今回は珍しく自分から手を挙げたが、それでも集まってくる視線がプレッシャーを感じさせてくるため、どうしてもオドオドとした話し方になってしまう。


「十倍の兵力を相手に勝った話を聞いたことがあります」


「な、なに? 本当か?」


 灰原昌隆を始め家臣団が昇太郎の話に活路を見いだせるのではないかと期待を寄せる。


「はい。十倍を超える敵は圧倒的多数のため油断していたので、夜と雨に紛れて軍を動かして敵総大将を狙える位置まで行って、夜明けとともに総大将だけを狙って突撃をかけて勝ったって話です」


 戦国時代の桶狭間の戦いだ。十倍以上の兵力を動員した今川義元を織田信長は奇襲作戦によって討ち果たして天下に名をとどろかせた。その時の内容として語り継がれている説を昇太郎はこの場で披露した。


「なるほど、奇襲か。しかし雨も降ってはおらぬゆえ、夜に紛れてどこまで接近できるかが問題だな」


 昇太郎の話を聞いて家臣団が奇襲について皆が意見交換を始める。


「だが奇襲は良いと思うぞ。一度打撃を与えた後は亀のように城に引っ込んでおくのだ。そうすれば黒川家はいずれ兵糧が切れる。もしくは白山家の状況が変わるなどすれば援軍が到着するまでの時間稼ぎにもなる」


「そうだな。では早速今夜仕掛けよう。到着したばかり、ましてや五倍の兵力があるので油断もしていよう。陣を敷く労力で兵も疲れるはずだ。狙い目は今夜しかない」


 先ほどまで意気消沈だった家臣団の士気が上昇する。追い詰められている時はどうしても元気が出ないが、活路を見いだせた時にはその反動が来たかのように勢いが増す。おかげで降伏するという話はどこかへ行ってしまっていた。


「では皆の者、今宵闇に乗じて黒川の軍に奇襲を仕掛ける。良いな?」


 家臣団が揃って頭を下げる。誰一人として異論を口にしない。それは満場一致で決まったということを意味している。


「では総員準備に取り掛かれ」


 主君の声に従い家臣団が次々に立ち上がっては部屋から出て行く。一定の活路が見いだせたことで皆の目に力がこもっているのがわかる。


「昇太郎。そなたは残れ」


「あ、はい」


 家臣団が総員部屋を出て行った後、残った昇太郎は前と同じように灰原昌隆の真正面に移動して座りなおす。


「先ほどのそなたの話で皆がやる気になった。ワシも例外ではない。礼を言う」


「い、いえ、そんな・・・」


 主君が家臣、それも末端の数日前に末席に加わった少年に頭を下げている。戦国時代の常識を昇太郎は知らないが、これはもの凄く名誉なことなのではないかと思う。


「それでそなたに一つ、頼みがある」


「頼み、ですか?」


「うむ。武威を見せつけるだけが将ではない。頭の良し悪しも重要じゃ。そこでワシはそなたが大器ではないかと思うておる」


 昇太郎はただ自分が知っている歴史上の出来事を語っただけに過ぎない。しかし他の者達はそうは思っていない。昇太郎がたくさんのことを知っている知恵者ではないかと思っているのだった。


「そんな、僕はただ・・・」


「謙遜しなくても良い。昇太郎はこれからもっとよき男になる」


「そんなことないと思うんですけど」


「そうか? では聞くが、今日はどうして自ら手を挙げた?」


「・・・え?」


「お前は初めてワシの前に現れた時はろくに話せもしなかった。数日後は大勢の前で問えばしっかりと自分の考えを話した。今日は自ら手を挙げて話した。これはそなたが短期間のうちに大きく成長を遂げているとワシは見ているのだが、違うか?」


 灰原昌隆に言われて昇太郎は戦国時代にやって来てからの数日間を思い返す。最初はわけがわからず怖い思いばかりをしていたが、今では体も心も戦国時代に慣れつつあった。皆の前で話すことも気付いたら自分からできるようになっていた。これは確かに大きな変化だった。


「ふむ、自分ではあまり気が付いていなかったようだな」


 自分の成長における変化というものはなかなか気づきにくい。第三者の客観的視線があって初めて気づくことも多い。昇太郎は第三者から色眼鏡無しで成長していると認識してもらえたのだった。


「そこで頼みというのが、奇襲に失敗した時だ」


 想像したくないことも考えて行動するのが将というもの。灰原昌隆は奇襲に失敗した時のことも考えていた。


「その時はやむを得ぬ。城門を開いて降伏してくれ」


「わ、わかりました」


「それと琴乃のことも頼む。降伏に至るのであれば既に夫婦と言うても良い」


「め、夫婦・・・」


 昇太郎の顔が赤く染まる。


「奇襲に失敗すれば敗北は必至だ。故に心残りの無いようにしておかねばな」


 主君として、そして将として、灰原昌隆はできた男なのかもしれない。生まれが違っていればもう少し歴史の表舞台に立つこともできたかもしれない。


「奇襲に失敗しても黒川の軍勢を追い帰す算段があればいいのだがな。この兵力差では何もできぬ。城の兵糧が尽きる前に兵が全滅してしまう」


 奇襲に失敗してしまえば被害は甚大だ。そんな状態で残り少ない兵力を駆使して籠城をしたところで守り切れるわけがない。兵糧攻めなどを選択するメリットが黒川家にはないので、一気に力押しで陥落するのは目に見えている。


「奇襲に失敗しても追い返す・・・か」


 昇太郎は主君の考える理想とも言える夢物語を真剣に考える。


「あの、ちょっと相談なんですが・・・」


 昇太郎は思いついたことを主君に話して意見を仰ぐ。昇太郎の思い付きがきっかけで二人だけの内緒話がしばらく行われるのだった。


 日が沈み夜の帳が世界を包み込む。煌々と照る月と煌びやかな星以外は何も見えない漆黒の闇。その闇の中、灰原家の城とその城を奪い取ろうとやってきた黒川家の軍勢がいる陣のみが、数多の数の燃え上がるかがり火で明るかった。


 灰原家の城にいる兵士達は漆黒の闇の中、黒川軍の陣内で燃えるかがり火だけを目標として闇の中を音もなく出立して移動していく。


 そして本来ならば留守を任されているはずの昇太郎だが、彼は何故か奇襲部隊の出立よりも先に城の外にいた。


「・・・俺がどうしてお前と一緒なのだ?」


 普段鍛錬をつけてくれている甚六と二人、奇襲部隊とは別のルートを通って黒川軍の陣を目指して暗闇を歩いていた。


「ほら、僕一人だと危険過ぎるから・・・」


「それはお前が頼りないからだろう」


 昇太郎は暗闇の中を頼りなさそうに歩く。現代で街灯の明かりに慣れてしまっている昇太郎にとって、月明かりを頼りに夜の道を歩くという行動は危険極まりない。よって昇太郎の補佐役として甚六が選ばれたのだ。


「まったく、俺様は今回の奇襲で手柄を立てて名を挙げようと思っていたんだぞ」


「ご、ごめんなさい」


 甚六は奇襲部隊が編成される直前に灰原昌隆に呼び出されてそのまま昇太郎と共に城の外へと出て行った。よって彼にとっては今回の奇襲部隊との別行動は寝耳に水の状態なのだ。


「それで、一体何をする気なのだ?」


「えっと、攻めている側を兵糧攻めにする作戦です」


「攻めている側を兵糧攻め?」


 昇太郎の言葉に甚六は首をかしげる。


 兵糧攻めとは籠城している軍隊が保有している兵糧が無くなるまで根気強く包囲し続ける作戦だ。補給路を断つなどの方法も用いて尽きさせて、しかたなく降伏しなければならない状態に追い込むこと全てを兵糧攻めと言う。


「黒川軍の兵糧を使い物にならなくしようって作戦です」


 黒川軍を追い払うには奇襲を成功させて大打撃を与えるか、食料を無くならせて帰らざるを得ない状態に追い込むかの二択しかない。灰原家の城を奪い取りに来た黒川軍は降伏以外の道を許す気はない。よって灰原家は選ぶことができる二択の両方を選択して、より勝てる確率をあげようとしているのだった。


「それで兵糧攻めか。それは良いとして、どうやって使い物にならなくする気だ?」


「えっと、少し考えてはいるんですけど、どうするかは現地に着いてからですね」


 昇太郎の返答に甚六は深いため息を吐いた。


「この何とも言えない不安をどうしろというのだ・・・」


 あまりの無計画さに甚六はこのまま昇太郎について行っていいのかと不安ばかりが頭の中を過ぎる。しかし主君から下された命令を勝手に破るわけにはいかない。甚六が作戦を放棄する時は、昇太郎がとんでもない失態をして敵兵に見つかって逃げなければならなくなった時だけだ。


 不安ばかりが募る中、甚六は昇太郎を先導するように暗闇の中を突き進んでいく。そして奇襲部隊が通る別ルートから進んだことにより、二人は黒川軍の後方に回り込むことができた。


「お邪魔します」


「静かにしろ」


「あ、すみません」


 小声でのつまらないやり取りをしながら二人は黒川軍の陣内に侵入する。黒川軍の陣の後方に人はほとんどおらず警備も手薄だ。それに闇夜に紛れていることもあり侵入は至って簡単だった。戦国時代のため警備は厳重だと思ったが、そう多くない数の軍隊ならばそこまで警備に手を回さないのかもしれない。これならば歴史の中に度々登場する忍者達が活躍したのもうなずける。


 警備が手薄で人が少ないことが幸いし、二人は兵糧が置いてある荷駄と天幕を簡単に見つけることができた。


「ここだね」


 昇太郎と甚六は天幕の中を覗きこむ。大きな米俵が一山に積み上げられ、さらに液体が入っていると思われる大きな瓶もいくつか置かれていた。


「もっと大規模だと思ったんだけどなぁ」


「千人が数日過ごすにはこれで十分だ」


「数日?」


「黒川軍は短期で戦わずに終わらせるつもりだ。だから量も必要最低限に抑えている」


「そっか。持ち運ぶ量が無駄に多いと手間だからか」


 昇太郎は時代劇などで大きな米俵を何人もの人が運んでいるシーンしか頭にない。しかし実際は米の量が足りるだけあればいいのだ。たくさん持ってきて運ぶのに手間がかかるだけでは時間と労力と人員の無駄だ。必要最低限を持って無駄な時間をかけずに作戦を遂行させるのが優れた指揮官の采配である。


「これが米で、こっちの瓶は水か。これは油?」


 人がすっぽり入れるくらいの瓶がいくつかあり、その中には油が入っているものがいくつかあった。


「戦で火を使う時に必要だからだ」


「あ、そうか」


 普通に火を付ければ火が燃え上がるかもしれない。しかし効率よく火を燃やすには油などを使うのが手っ取り早い。そのため黒川軍には油も常備されていた。


「じゃあ油を米にまいて火をつければ完璧だね」


 昇太郎が兵糧をいかにして使えなくするかを考えていた時、視界の中に少し変わった袋を見つけた。外側は米俵と同じなのだが、大きさは米俵と比べるととても小さい。そして大切なものなのか、袋の下には敷物まで敷かれていた。


「これ何?」


 目に留まった袋を開けて中を覗きこむ。そこには真っ白な粉が大量に入っていた。


「これは麻薬っ! ・・・な、わけないか」


 一人で乗りツッコミをしながら袋の中を見る。周囲には食料。ならばこの白い粉も食料と考えるのが妥当だろう。


「小麦粉?」


「ああ、そうだ。黒川家の領内では麦を作っていたな」


「へぇ、そうなんだ」


「量が少ないからほとんど民衆には出回らないらしいな。麺等にして食べると聞いたことがある」


「甚六さん、詳しいんですね」


「ま、まぁな。俺様も武士の端くれ。隣国の情報は押さえている」


 普段の威圧的な様子とは変わって少しまごついた甚六。褒められたことに照れたのかと昇太郎はあまり気にせず、この小麦も使えるのではないかと頭を働かせる。


「おい、油をまくぞ?」


「待って、油と水と小麦粉、全部使おう」


「・・・は?」


 昇太郎の言葉に甚六がまた首をかしげる。


「水を使ったら火が消えてしまうだろ。それに麦をどう使う気だ?」


「えっと・・・とりあえず僕の言うとおりにして。お願い」


 昇太郎は疑問に思う甚六をとにかく言うとおりにしてくれと頼みこみ、頭に思い描いたものをこの場で実現しようと作り上げていく。


 米俵には油が浸透しやすいように切れ目を入れて油を中心にして並べていく。そして油を大量に米俵にかけるが全ては使わずに瓶の下三分の一くらいは残す。油のかかった米俵の周囲に水の入った瓶を取り囲むように置く。


「・・・これでいいのか?」


「うん。僕の予定だとこれで大丈夫のはず。あとは小麦粉を勢いよくまき散らして、そこに火を放り投げれば任務完了・・・だと思う」


 その時、遠くから大きな声が聞こえてきた。どうやら奇襲部隊が闇夜に紛れて奇襲を仕掛けたようだ。


「僕達も急がないと」


 昇太郎と甚六は顔を一度見合わせると、小麦粉を盛大にまき散らす。見える範囲の全てに霧がかかったような状況になったところで油や米の場所から離れて火を手に入れる作業に移る。一本の燃え盛る薪を手に入れるため、陣の内部を照らす篝火を足で蹴ってひっくり返した。


 後は火を手に入れて放り投げるだけ。しかし任務遂行までもう間もなくというその時だった。篝火を蹴り倒した音に気が付いた黒川軍の兵士が様子を見にきたことにより、二人の暗躍は見つかってしまった。


「曲者だ! 灰原の者か!」


 兵士が叫んで腰に携えていた刀を抜こうとした時、甚六がそれよりも先に刀を抜いて兵士を一振りで叩き切って黙らせた。


「早くしろ!」


「わ、わかった」


 先ほどの兵士の声に反応して集まってくる黒川軍。しかしその数は多くない。おかげで甚六が一人で時間稼ぎをする間に、昇太郎は蹴り倒した篝火の中から燃える薪を一本手に取り、先ほど作り上げた油と水と小麦粉を利用した兵糧焼失作戦の中核に目を向ける。


「成功しますように・・・」


 昇太郎はそう願うと、松明のように燃える薪を霧がかかったように視界を遮る小麦粉の中に放り込んだ。燃え盛る薪の投擲とほぼ同時に、時間稼ぎをしてくれている甚六に向かって声を懸けながらその場から遠ざかる。


「甚六さん! 急いで逃げて!」


 集まってくる兵士を三人ほど仕留めた甚六は、走って逃げる昇太郎の後を追って黒川軍の陣から逃げて行く。何をしたかわからない侵入者だが、逃げる敵ならば追わなければならない。黒川軍の兵士達十数人が二人の後を全力で追いかけてくる。


 深夜の陣の外で逃走劇が始まった頃、奇襲部隊は散々な目に遭っていた。闇夜に紛れて攻め込んだ灰原軍は最初こそ大暴れすることができた。しかし黒川軍の対応が思いの外早く、奇襲を仕掛けたにもかかわらず敵陣の中で乱戦となってしまっていた。黒川軍は数が多いため同士討ちなどもあったが、それでも圧倒的に数が少ない灰原軍は少数を失うだけで甚大な被害となる。奇襲ははっきり言って成功とは言えなかった。そして敵陣の中で引き上げる機会を見失っていた灰原昌隆だが、神仏の助けと言わんばかりに夜の闇が盛大に吠えた。


 まき散らされ宙に舞い上がっていた小麦粉が放り込まれた松明のように燃える薪によってまず大きな火柱を挙げた。それは科学実験などでよく用いられる粉塵爆発という現象だ。その爆発により油と水が入った瓶は簡単に砕け散り、燃え上がる炎が油に引火して盛大に燃え上がる。それが周囲の水を混ざった油がさらに爆発を引き起こして火の手をより大きく広げていく。これもまた科学実験などでよく用いられる水蒸気爆発というもの。その二つの爆発により固められていた米俵は油がかかっていたこともあり、爆発で軽々と周囲に米俵が吹っ飛びながらも一つ残らず紅蓮の炎が上がっていた。


 その巨大な爆発と火柱によって黒川軍の多くは恐怖と驚きで腰を抜かし、灰原軍はこれこそ好機とばかりに闇夜に紛れて城へと退避して行った。


 ハリウッド映画を彷彿させる爆発を背に逃げる昇太郎と甚六。追跡する黒川軍の兵士達の一部も爆発に恐れをなして動けなくなったが、それでも動けるものは追跡してくる。


「もっと速く走れ!」


「た、体育は得意じゃないんだけど・・・」


 前を走る甚六の後を何とか置いて行かれないようについて行く昇太郎。しかし既に息が切れており、いつ足が止まってもおかしくはない。


「・・・おい、昇太郎」


「え、な、なに・・・」


 走って逃げるのに必死な昇太郎。いきなり話かけてきた甚六への返答さえままならないくらい呼吸が乱れている。


「お前、琴乃様と仲睦まじいようだな」


「え? 今そんなこと・・・」


「灰原家と琴乃様の事は安心して俺に任せろ」


「・・・え?」


 体中が酸素を欲しがっている状態の昇太郎は頭にまで酸素が回っておらず、甚六が言った事の意味を全く理解できていない。


「お前は邪魔だ」


 甚六はそう言うと足を止めて昇太郎の体を掴んでくる。その時に昇太郎は初めて気が付いた。今走っているのがちょっと入り組んだ山道で、少し道を外すと急な斜面があってその下には川が流れていることに・・・・・


「う、わぁぁぁぁーーーーーっ!」


 次の瞬間、昇太郎は一瞬だけ体が浮いたかと思うと、急な斜面に勢いよく体を叩きつけられた。激痛に呼吸が一瞬止まるが、酸素が足りていない体は酸素を求めており、呼吸器官が完全にパニック状態を起こす。さらに激痛や呼吸を気にする余裕もなく、物理的な法則にしたがってゴロゴロと体は急な斜面を転がっていく。そして水音と共に川へと落ちた。


「さて、後は・・・」


 甚六は追いかけてきた兵士を一瞥する。その数が四人だけだったことを確認すると、一瞬だけ鼻で笑う。そして一呼吸の間に二人斬り捨て、瞬く間に三人目を斬った。


「男は野心と武がなければならない。この俺様のようになっ!」


 そして最後の一人を一太刀で斬殺すると追手はもういない。甚六の手には血に濡れた刀がある。刃に付着した血を拭き取りながら暗い夜道を一人、灰原家の城へと続く帰路を歩いて行く。


 昇太郎を山道から川へと放り出したにもかかわらず、一度たりとも川の方を見ず、そして帰路につくときも一度たりとも振り返らなかった。それは甚六が全く罪悪感を覚えていない証拠とも言える。


 昇太郎は疲労困憊。川に落ちて流されればまず助からない。甚六はそれがわかっていたから、あえて斬らずに川へと放り投げた。無論、もし昇太郎の遺体が発見された時に斬られた痕があれば、甚六が主君の命令を守らなかった可能性を指摘される恐れもあったが故の殺害方法だった。


 翌朝、灰原家の城では一喜一憂の微妙な空気が立ち込めていた。


 奇襲作戦は失敗して兵士数はさらに減ってしまった。しかし昇太郎の兵糧を焼き払うという作戦は成功し、さらに後方の陣を大幅に焼いたことで黒川軍は撤退を余儀なくされたのだ。これにより灰原家は辛くも安寧を取り戻したが、それと同時に多数の兵士と昇太郎を失った。


「嘘だ! 昇太郎が帰らぬなど嘘だ!」


 軍議の場に飛び込んできた琴乃は甚六からの説明を受けても納得ができないのか、声を荒げてその説明は嘘だと言ってきかない。


 軍議の場には一戦交えてきて汚れた甲冑姿の灰原昌隆を始め、誰もが意気揚々とはしていなかった。戦いは一応終わりを迎えたものの、軍議の家臣団の中には空席もある。負傷して軍議に出られない者と戦死した者による空席だ。そして失った兵の数も少なくはないため、また黒川軍が押し寄せてくれば今度こそ城は陥落してしまう。


 そんな状況を打開できそうなのはあの夜、城からでもはっきり見える火柱をあげた昇太郎くらいのものだが、その昇太郎がこの軍議の場にいない。それを琴乃は甚六にどういうことかと詰め寄り説明を求めるのだが、それももう何度目かわからない。


「我が不徳の致すところ。しかし昇太郎は敵の追跡時に山道から足を滑らせて行方が分からなくなりました。追手を凌いで探しましたが見つからずじまい。力及ばず申し訳ありませぬ」


 甚六の説明を受けた琴乃は膝から床に崩れ落ちる。そして大粒の涙が頬を伝う。


「昇太郎・・・そなたは遠くへ行くなと・・・あれほど言うたであろうに・・・」


 悲しさや虚しさや悔しさ等、様々な感情が琴乃の心を締め付けて涙を流させる。三人の兄を失い、何故か出会った時から気心が許せた昇太郎までが琴乃の前からいなくなってしまった。その辛さはちょっとやそっと泣いたくらいでは軽減すらしない。


「お館様。これでは以前話をした世継ぎの話も・・・」


「待て、今はその話をする場ではない」


 家臣団の一人の言葉を灰原昌隆はさえぎった。泣き崩れる琴乃の前で次の世継ぎの話などできない。親心がそれを琴乃に聞かせまいとして、さらに昇太郎を世継ぎにしたいと思っていた自分の心も現実逃避のために、家臣からの言葉を無理矢理さえぎったのだった。


 灰原家の当主、灰原昌隆の後を継ぐ者が灰原の名を冠していない者の場合、必然的に多大な功績を挙げた者ということになる。家臣団の中ではおのずと序列のようなものができる。そして年齢を考え、挙げた功績を考えればさらに絞られる。そして家臣団の中の誰もが頭の中に思い浮かべる序列の上位に甚六の名前があった。


「とにかく白山家に使いを送る。そして黒川家の動向には注視せよ」


 黒川家は兵糧と陣の半分以上を焼き尽くされたために撤退した。しかし兵力の損失はそれほど多くはない。補給をして少し休めばまたすぐに出陣できる。灰原昌隆を始め、灰原家の家臣達は枕を高くして眠れない日々が続くことになるのだった。

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