第3話 灰原家

 琴乃が馬を走らせていると、その後を数人の男達を乗せた馬が追いかけてくる。琴乃の言っていた護衛の男達なのだろう。その護衛達から半分睨まれるような目を向けられ、そしてもう半分は不審がられるような目をしており、とにかく歓迎されていないことがありありと雰囲気で伝わってくる。恐らく琴乃の存在が無ければ即座に切り捨てられていてもおかしくはないのだろう。


 そして馬が向かった先は琴乃が住む場所。しかしその様子はある意味拍子抜けだった。

「これは・・・お屋敷?」


「城じゃぞ。まぁ、大きくはないがな」


 特に高い塀がそびえ立っているわけでもなく、堀が用意されているわけでもない。それなりに大きな門と人が乗り越えるには道具を使わなければならないくらいの外壁、そしていくつかの物見櫓があるくらいだった。領主の娘、いわゆるお姫様が住まう城にしては随分規模が小さい。城というには御粗末というほかない。


 それもそのはずである。現代に現存している城は天下に名だたる名城や歴史的に有名な戦国武将たちが携わったものばかり。そんな巨大な城と比べれば地方の小規模な領主の城など実は大きなお屋敷とそう変わりはない。城と言っても世間一般に想像されるものは本城と呼ばれる大きいもので、昇太郎が連れてこられたのはそれではなく支城や出城といったカテゴリーに所属する小さいものだ。


「灰原家と武家を名乗ってはいるが、言ってもこの周囲を取り纏める小さな豪族じゃ。特に大きな権威があるわけでもない」


 琴乃の説明と目の当たりにした現実でそれは頷ける。


 この灰原家はいわば大名の領地内の一部の管轄を任されている家臣のようなもの。天皇家や将軍家が大名を従え、大名が家臣を従える。勢力図に乗るか乗らないかの末端の豪族の一つに過ぎない。


「もっとも規模は小さいが灰原家は独立勢力じゃ。故に一国一城の主と言っても過言ではないのだぞ」


 琴乃が何やら笑いながら言っている。自慢というよりかはどこか自虐的な要素を含んだ言葉遊びにも聞こえる。


「じゃあ天下取りとかするの?」


「ははは、そこまでの力はない。周囲の動向を常に探って上手く立ち回らなければいつでも滅びてしまう。そんな小さな存在じゃ」


 どこか寂しそうな琴乃。こればかりは生まれ持った運命というしかない。


「我らはいわば大名というより国人衆じゃな」


「国人衆?」


「そんなことも知らぬのか? 国人衆とは一国内の一部の所領を持ち、従属か独立かの自由が選べる一豪族のことじゃ。だが堅牢な城を持つだけの力も建てる財力もない。よって周辺諸国の友好的な大勢力や従属している大名に朝貢を行ったり、友好関係を築くために戦に兵を出したりする。それで独立や従属をして生きているのが我ら国人衆じゃ」


 上手く立ち回らなければいつでも滅びてしまうという彼女の言葉は、周辺の大勢力の機嫌を損ねて戦争になってはならないという意味を指す。


「でも、その大勢力に従った方が得じゃないの?」


「そこも国人衆の頭の痛いところじゃな」


「頭の痛いところ?」


「うむ。我らはどこにも属さずに独立している。しかしその独立も一人では弱い。よっていくつもの派閥や人が集まって小さな組織を作り上げており、それが国人衆と呼ばれるのだ。中には特産品などを武器に外交交渉を行う者達もいるのだが、国人衆は一人の大名に忠節を誓う家臣の集まりではなく、集まった者達の中に一人の主を抱いてこの地の平穏や無事を守るための集団、と言えばわかりやすいか」


「それじゃあ、一枚岩じゃないってこと?」


「そうなるな。集まった者達の中には隣国の味方をする者もいる。集まった者達の中にも力の優劣や財力の大小があり、発言力も変わってくる。敵対するならば同じ国人衆同士でも戦になる。そのためどっちつかずにもなりやすく実に脆い集団じゃが、この地の平和のためなら命を懸ける気概だけはある。それが我ら国人衆じゃ」


 生まれ育った地を守るため、周辺の大名が群雄割拠の時代を交渉や特産品の売買取引を経て生き延びる者達だ。もちろん完全に服従する者もあれば、いくつかの勢力との間を取り持って均衡を保つところもある。しかし戦になれば大勢力に付き従って参戦せざるを得ず、最も面倒なのが手を結んだ複数の勢力同士が争う時である。その時はいかにこの地を守ることができるかでどこかの勢力との関係を切ることも必要になる。大名であろうと地方の豪族であろうと、これが戦国の世の常なのだ。


 城に到着すると門が開かれて中に入っていく。城の中も広い昔ながらの家というだけで城という雰囲気は見られない。豪華な庭や装飾もないため、城の中に入ったという実感が今ひとつ湧かない。


「姫、この男は?」


 城に入るなり出迎えの大柄な男が昇太郎を睨み付けながら琴乃に問いただす。


「こやつの名は灰原昇太郎というらしい。川辺で見つけたのでな。同じ灰原の性を名乗るので気になって連れて来ただけじゃ」


 琴乃の言葉を聞いて大柄な男がさらに強く昇太郎を睨み付ける。完全に不審者を見る目で警戒されているのがわかる。


「これ、甚六。あまり睨むでない」


 大柄な男は甚六というようだ。筋骨隆々の体で身長もそれなりに高い。強面で荒々しさ満点の風貌だが、髭がまだ薄いことからそこまで年上ではないのだろう。しかし様相はもう一人前の侍だ。


「父上はお帰りか?」


「はい。先ほど白山家よりご帰還為されております」


「ちょうど良い。昇太郎、父上にそなたのことを聞く。着いて参れ」


 馬を下りた琴乃の後を追うように昇太郎も馬から転げ落ちるように地面に降り立つ。馬で走っていた時の衝撃のせいか、立っているのが少々変な感覚だった。


「何をしておる。そなたは初動がいつも遅い」


 琴乃の言葉に尻を叩かれて急かされる。昇太郎は何とか急いで琴乃の後に付き従った。


「あの者をどう思う?」


「さぁな。琴乃様が連れて行くと言ってきかなかったのでな。仕方なく連れてきた」


 甚六と琴乃の護衛をしていた男達は終始、昇太郎へ不信の目を向けていた。


 建物の中に入って履いていた草鞋を脱ぎ、渡された水と布で足を洗って屋内へと上がった。琴乃は背負っていた弓を侍女のような年老いた女性に渡し、屋内の廊下を慣れた様子で進む。前を行く琴乃の後を昇太郎は緊張しながらついて行く。


「父上、失礼いたします」


 廊下とは障子で仕切られた一室の前に立った琴乃。彼女はそう一言だけ言うと、勢いよく障子をあけ放った。実に豪快で女性とは思えない仕草だ。


「琴乃、お前はもう少し女らしく出来ぬのか?」


 部屋の中にはひげを蓄えた貫録のある男性が上座に座っている。彼が琴乃の父親でこの城の主なのだろう。そしてその前には数人の男達が座っており、彼らは主に付き従う臣下という立ち位置の男達だ。


「今はそれどころではありませぬ。父上、単刀直入にお聞きいたします。我ら灰原家に分家や親戚筋はおありでしょうか?」


 部屋にずかずかと入り末席に背筋を伸ばした綺麗な正座の姿勢で座る。その様子を昇太郎はどうしたらいいのかわからず、まねをするように彼女の後ろに同じく正座する。


「・・・・・何を申しておる?」


 琴乃の父親は眉をひそめている。どうやら思い当たる節はなさそうだ。


「この者が自らを灰原昇太郎と名乗っております。河原で見つけ、灰原姓を名乗ったのでここまで連れてまいりました」


「河原? 琴乃よ。お前はまた勝手に外へ出たのか。お転婆もほどほどにしてほしいものだな。まかりなりにもお前は灰原家の姫だぞ」


「それは重々承知しております。故に、灰原家の者として領内の巡回は必要でしょう」


「それは否定せぬ。だが姫のするべきことではない」


 昇太郎のことを問おうとしていたにもかかわらず、完全に昇太郎が蚊帳の外に置かれる事態となった。知らない土地で知らない城の中で知らない人達の前での蚊帳の外。扱いの悪さは尋常ではない。


「まぁまぁ、殿。姫様も落ち着いてくだされ」


 臣下の一人が口論へと発展しそうな二人の間に口を挟んで親子喧嘩を仲裁する。


「それよりも姫様が連れて来たその者。今の話を聞く限り灰原の性を名乗るそうだな」


 臣下の男によって話題は修正され、親子喧嘩からいきなり照準が昇太郎に向く。


「ええ、河原で見つけました。名を問うと灰原昇太郎と名乗りました。そこで父上にお尋ねいたします。灰原を名乗る分家や親戚筋はおありでしょうか?」


 琴乃も話題が変われば即座にそれに対応して本題に入る。急に変わった話題について行けずにドギマギしているのは話題の渦中にいる昇太郎だけだった。


「いや、養子や嫁ぎ先として今まで多くの子を他家に送り出してはきたが、灰原の性を名乗ることは無いはずだ。それに灰原という名を名乗る家が近くにあるという話も聞いたことがない」


 つまり灰原昇太郎がなぜ灰原の性を名乗るのか、それはこの戦国の世では非常に大きな問題となる。そして事と次第によれば灰原家を侮辱したということにもなりかねない。


「この者は川に流されて河原に打ち上げられていたようですが、川の上流にも思い当たる節はありませぬか?」


「川の上流か・・・・・ないな」


 一瞬だけ考える間が開いた琴乃の父親だが、即座に思い当たる節はないと断言した。これにより昇太郎が灰原の性を名乗った理由として血縁関係が消えたことになる。


「もしやその者、灰原の性を名乗って我らを貶めようとする不届き者か?」


 臣下の一人が昇太郎に疑いの眼差しを向ける。灰原家はそれほど大きくはない。名乗ったところで大きな利益は無い。ならば灰原の名を貶めようと川の上流の他家の領内で何か暗躍をしていたと疑われても致し方ない。


「ち、違います!」


 灰原家が治める城の中で敵と認識されれば迎えるのは投獄か死罪のみ。逃げ道など一切無く、四面楚歌の状態だ。ましてや腕っぷし皆無の昇太郎に抗う術など無い。


「父上、この者は川に流された時に少々頭を打ったのかも知れませぬ。河原で話を聞いた時も受け答えがはっきりとはしてはおりませんでした」


 それは未来から来たと言えないがためにごまかしていたからなのだが、それを琴乃は昇太郎にとって良いように受け取ってくれたことがあり難かった。


「ふむ、それは不憫だな」


「連れてきたのは宿の当ても無さそうだったこと、それと随分と軟弱なので放っておくと長生きできそうになかったので連れてまいりました」


 昇太郎の評価がとにかく低い。だが正直昇太郎自身も自分がそんなに高い評価をしてもらえる人間だとは思っていない。むしろ低い評価が性に合っている気がしていた。


「琴乃よ。その者をどうするつもりだ?」


 とりあえず宿が無いということでこの城に寝泊まりを許してほしいという意志は伝わった。しかしその後の昇太郎をどうするのか、そこまで考えて連れて来たのかと父は娘に聞いている。


「少々軟弱が過ぎるので鍛錬を積ませるのはいかがかと」


「・・・え?」


 琴乃のこの発言は初耳だった。


「一宿一飯の恩というものがそなたにはないのか?」


 琴乃に言われているが、昇太郎はその真の意味が分からない。


「灰原家にいる間は灰原家の一員として仕えよと申しておるのだ」


「そ、それってもしかして・・・」


「戦になれば武器を取って戦ってもらう」


「・・・・・え、えぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!!」


 昇太郎は突然告げられた今後の方針に大声を上げて驚きの声を挙げるしかない。いじめっ子にも立ち向かえない貧弱で脆弱で軟弱な昇太郎。灰原家にお世話になっている間に戦争があれば武器を手に取って戦わなければならない。断れば灰原家にはいられない。そうなれば待っているのは野垂れ死ぬか、治安の悪い戦国の世で誰かに切り殺されるかしかないことになる。


「いきなり戦えとは言わぬ。少々鍛錬は積まねばなるまい。いきなり戦場へ出向いても戦死するのは目に見えておる」


 生きるためには武器を取って戦うしかない。それがこの戦国時代へとやってきた昇太郎に課せられた運命のようだ。


「は、畑仕事とかは・・・」


「ん? 畑仕事をしながら戦いたいのか?」


「え? 農家の人達も戦うの?」


「当たり前だ。この地を守るために領民は全員団結して戦いに挑む」


 戦国時代、戦争に参加する兵士は三種類いた。大名は武家に仕える侍や武士と呼ばれる者達、そして独立しながらもその場の状況に応じて戦いに参加する国人衆、さらに戦いのたびに集められる寡兵と呼ばれる農民達だ。


 農民達も戦いに駆り出されるため、戦いは農作業が忙しい田植えや稲刈りの時期などは避けられるケースが多かった。関東管領に就任した上杉謙信が北条家の小田原城を攻めた時も、長期戦になって寡兵の農民達を家に帰さなければならなかったことが撤退に至る要因の一つとも言われている。


「なるほど、確かに頭でも打ったようだな」


 琴乃の父親も昇太郎のあまりの物知らずの様子に怪訝な表情を見せ、琴乃が言った頭を打ったという説明にどうやら納得したようだ。


「まぁ、よかろう。その者をしばらく置いてやる。見たところろくに間者としての役目も果たせそうにないからな」


 主の決定が出たことで昇太郎の今後しばらくの間の居住地は決まった。それと同時に戦場へと出向くための鍛錬が毎日行われることも決まった。


「衣食住は面倒を見よう。だが、奉公はしてもらうぞ」


「は、はい・・・」


 領主の決定に今更逆らったところで昇太郎に生きていける術はない。親身に気をかけて助けてくれる琴乃にとって、昇太郎を助ける最善の策がこの提案なのだ。この戦国の世に何もしないで安穏と寝食が保障されることなど無い。何かをしてもらうには何かを返さなければならない。この時代はギブアンドテイクが徹底されている。そしてそのほとんどが戦争での戦力という形になるのだった。


「う、うぅ・・・なるべく戦争がおきませんように・・・」


 昇太郎は心からそう願うしかなく、そんな彼をよそに灰原家での生活が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る