第13話 仮装正規軍の帰郷

 驚きが隠せなかった。それは一人だけではなく、周囲の誰もがそうだ。

 緑沢領から行軍して灰原領へと入ったところで駆けつけた伝令。伝えられた情報は茶土軍が戦わずに撤退したということだった。その報せを聞いて昇太郎は笑みを浮かべた。まるで予想通りの展開だと言わんばかりだ。

 それがあまりにも誇らしく安心感をもたらす一方で、理解し得ないことによる恐怖心や距離感を抱いてしまう。

「ふん、やはりこうなったか」

 そう呟いたのは広告されたまま共に行軍している敵軍の将、深緋久英。彼だけは驚いた様子を見せていなかった。

「どういうことなのだ?」

 本来敵軍の将と話すことなどないのだが、昇太郎という人間を少しでも理解したいという思いからか、深緋久英に理解できないことの回答を求めて話しかけてしまった。

「灰原昇太郎の女か、戦場まで着いてくるとはずいぶんとあの男のことを信頼しているようだな」

 信頼していると言うより、心配していたという方が正しい。誰もが思いつかない作戦で一度は国を救うどころか敵まで飲み込んでしまった英雄。その身を案じて着いてきたという方が正しい。しかし今は心配よりも理解できない遠い存在という気持ちの方が強くなっている。

「私と昇太郎の間柄など今は関係なかろう。それよりもそなたは此度の結果をある程度予期できていたようだが?」

「予期も何も、灰原昇太郎という名はそれだけ大きいと言うことだ」

「名が、大きい?」

「ふん、奴に近すぎてそんなこともわからぬのか?」

 深緋久英を拘束している一人の兵が深緋久英の胸ぐらを掴む。

「貴様、捕虜の身で琴乃様に何という口をきく!」

「よい、かまわぬ」

 深緋久秀の胸ぐらを掴む兵士を制止し、話を続けろと促す。

「灰原昇太郎という男は一度滅んだ灰原家を一人の兵力も持たぬ身で復活させ、さらに灰原家よりも大きな白山家と黒川家を併呑した。それも一度の戦も起こさず、だ。それだけでなく灰原昇太郎の支配地域のみが凶作を逃れている。これは普通ではない」

 それはいわれなくてもわかっている。わかっているからこそ、昇太郎という存在がわからなくなって距離を感じているのだ。

「その普通ではない男に戦いを挑むとなれば、必ず勝てるという理由を欲する」

「理由?」

「わしは青森家と緑沢家、そして背後の茶土家の動きなどを加味した上で策を練った。わしには確かな勝算があり、赤峰軍の勝利と策士として灰原昇太郎に勝利したという結果があるはずだった。もっとも、結果は見ての通りだがな」

 深緋久英は自虐気味な笑みを浮かべ、少し間を置いた。そして話を続ける。

「茶土家も似たようなものだ。緑沢領へ進軍した灰原軍は帰ってこられない、もしくは帰ってきたとしても疲弊していて戦力として不十分。そうなると踏んでの行動だ」

「しかし、そうはならなかった、か」

「ああ、この行軍は見事だ。正規軍がいつの間にか援軍に見える。その上で灰原昇太郎という名がすでに正規軍が帰ってきているのではないかと思わせることができる。その真偽を確かめる時をかければ援軍が到着してしまい、攻撃を強行して正規軍が帰って来ていれば敗北は必至。結果、茶土家は兵を起こしたにもかかわらず、戦を避けるという道を選ばざるを得なかったのだ」

 深緋久英が褒め称えた行軍。自分もそのうちの一人として馬に乗っている。周囲を見渡せば灰原軍の兵士が戦を終えて普通に故郷へと行軍しているだけだ。一つだけ変わっている点があるとすれば、灰原軍の誰もが灰原軍の装備を用いていないということくらいか。

「灰原軍の正規軍ではあるが、兵の装備は赤峰青森緑沢の三領の武具を着けている。これで誰がどう見てもこの部隊は三領の連合軍であり、正規軍ではなく援軍であると見る。青森領と赤峰領まで手中に収めたのだ。この仮装の効果は大きい」

 灰原軍が灰原領に帰る際、灰原軍の装備を用いなかった。ただそれだけで、帰るときは急がず普通に行軍している。

「強行軍もせず、急がないことで到着することが主目的である援軍を装うこともできている。しかも灰原軍は戦で敵味方の誰も殺していない。茶土家はずいぶんと惑わされたことだろう」

 昇太郎は三日で終わらせて帰ってくると言っていた。初日は移動して休み、その日の夜に青森軍と一部の赤峰軍を降伏させた。そして二日目の朝には戦いを決し、その日のうちに赤峰領と青森領へ進軍。二領を降伏させた後、三日目には緑沢領で出立の準備が整い、今は四日目の朝だ。

 戦を終わらせて、しかも戦果をあけで帰ってくる速度もそうだが、正規軍が戦でいない留守を狙ったはずなのに無傷で帰ってくる。これもまた茶土家が戦を諦めた理由の一つなのだろう。

「故に惜しいな」

「惜しい?」

 今回の作戦の最後、灰原軍が無事灰原領を守り切る作戦の解説をしてくれた深緋久英。その声が一層低くなった。

「わしがあの男の首を取れなかったのが悔やまれる」

 昇太郎の首を取ること。それこそが深緋久英の狙いだった。しかしその野望は潰え、今こうして拘束されたまま灰原領へと連行されている。普通に考えればこの先、深緋久英の命が助かるとは思えない。生かしておけば灰原家にとっても厄介な敵を残すことになるからだ。

 その後、深緋久英は一言も発することはなく、灰原家の仮想正規軍は目的地へと無言の行軍を続けていた。




 茶土領との国境の砦に到着した灰原軍。砦の外を固めるように兵を配置し、砦に内部で守りに着いていた灰原昌隆と数日ぶりの再開を果たした。

「いや、茶土軍が見えたときは実に肝が冷えた」

 灰原昌隆は灰原軍の到着を見て、ようやく安堵できたという。

「砦に人を配したと言っても戦を知らぬ村人と戦えぬ案山子ばかりであったからな」

「もし攻めてきたら放棄して逃げてくださいって言いましたよ」

「わかってはおる。しかし攻められぬように兵として振る舞う必要もあったからな」

 あくまで砦には守りの人間が大勢いると見せかける必要があった。そのため村人と案山子で偽の兵力をでっち上げた。攻められればとてもではないが戦いにすらならない。しかし見せかけのために虚勢を張り続けたのだ。

「帰ってきてくれたのは良いが、この格好はなんだ?」

 兵の装備が灰原家のものでないことに灰原昌隆は首を傾げていた。

「茶土家との駆け引きのために借りてきました」

「そうだったのか。どういう駆け引きがあったのか、後で聞かせてくれ」

「はい、城に戻るまでの道中でいいですか?」

「おぉ、頼むぞ」

 現在、羽原領の領主は灰原昌隆である。しかし内情は灰原昇太郎に頼りきりというのが現状である。誰もが昇太郎ほどの知識を持たず、昇太郎ほどの策略を思いつけない。灰原家の現状とこれからの未来に、灰原昇太郎という人物は必要不可欠な存在であった。

「城に残してきた雪絵もさぞ心配しているであろう。早々に守りの体制を整えて帰るとしよう」

「そうですね」

 砦にいくらかの兵力を置いて、灰原軍は早々に城へと戻っていった。

 緑沢家が救援を求めてくる前の日常が、ほぼ同じ形で戻ってきたのだ。唯一違うのは灰原領内に緑沢領青森領赤峰領の三領が加算されたということくらいだろうか。




 日暮れ頃、灰原軍は城へと戻ってきた。兵達は戦に出かける前と変わらぬ日常に戻っていく。借りた武具を返し、置いてきた武具を引き取ればほとんどが元通りだ。

「お帰りなさいませ」

「ただいま、雪絵さん」

 城の留守を預かっていた雪絵に出迎えられ、昇太郎達は城内でくつろいでいた。

「昇太郎様、こちらをどうぞ」

「あ、もうできたの?」

「はい、お帰りになるまでに用意できて良かったです」

 雪絵は昇太郎にひとまとめにされた紙の束を差し出した。

「昇太郎、これは何じゃ?」

「これは灰原領内の食糧事情の調査結果です」

 琴乃の疑問に雪絵が答えた。その問いの答えに昇太郎が続く。

「青森家と赤峰家も食糧事情は逼迫しているので、どれだけ送ることができるかを調べてもらっていました」

「昇太郎、確かに灰原領では食料は逼迫してはおらぬ。しかし多の領地に分け与えるほど潤沢にあるというわけでは無いぞ」

「わかっています。赤峰領や青森領、それに緑沢領も含め、灰原領全体で食料を融通し合って、みんなで節約しながら次の秋まで持たせます」

 昇太郎の頭の中には青森領や赤峰領などを救う散弾がもう立っているようだった。そのための詳細を雪絵に調べてもらっていたのだ。

「さすがによそに配るとそれなりに節約しないと厳しそうだね」

 調査結果を見た昇太郎。理想を実現するのは楽ではないという現実を目の当たりにしながらも、現実的な数字を見たことで不可能ではないという思いも浮かんできた。

「足りない分を補うには赤峰領の漁業を少し強化した方が良いかもしれませんね」

 現状の手持ちだけで全てがどうにかなるというわけではない。足りない分はどこかから取ってきて補わなければならない。そのためのうってつけが海のある赤峰領だ。

「赤峰領の漁業の人数を今だけ増やしましょう。それと灰原家で行った農業の改革を新たに増えた三領でも行える体制を作らなければなりません」

「それならば春までに済まさねばならぬから、急がねばならんな」

 灰原昌隆も加わり、帰ってきたばかりだというのにもう次のことを考え動き出していた。

「灰原軍の帰国第二陣に青森家と緑沢家と赤峰家の三領の人達も同行してきます。やり方を伝えて春までにある程度下準備となれば時間の余裕がないので急がないと・・・」

 昇太郎は他のことには目もくれず、食糧事情に乏しい承知の農業改革について知恵を絞っていた。

「全く、ひ弱なのに頼りになる男だな」

「本当ですね」

 琴乃と雪絵が顔を合わせて笑っていた。

 緑沢家の救援要請から始まった灰原家を取り巻く危機はひとまず去り、これより昇太郎を中心とした新領地も含めた灰原領内の内政に力を入れる段階となった。

「・・・あ、そうだ」

 しばらく話し合っていた昇太郎がフッと顔を上げた。

「深緋久英さんは今どうしています?」

「座敷牢に放り込んでおきました」

 昇太郎の問いに烏羽信龍が答え、それを聞いた昇太郎は少し考え込んだ。

「んー・・・」

 誰もが深緋久英の首は切られるべきだと思っていた。故に後はいつ処刑にするか、だ。

「じゃあ明日、ちょっと話してみます」

「・・・え?」

 深緋久英は危険な男だ。昇太郎に敗れたとはいえ、謀略を駆使して上り詰めてきた知将であり、今回の戦も相手が昇太郎でなければ深緋久英が勝っていたかもしれない。そんな危険な男をどうするのだろうかと、誰もが昇太郎の言った「話す」という言葉に耳を疑った。

「早々に磔にでも斬首にでも処してしまえば良いのでは?」

 胡粉勝光の疑問に昇太郎は首を横に振る。

「すごい人じゃないですか。もし味方になってくれるなら、心強いと思いませんか?」

 そう言う昇太郎とは真逆で、みんな深緋久英が例え灰原家の軍門に降ったとしても油断できない。そう考えていた。

「じゃあ明日、座敷牢に行って・・・」

「ま、待たぬか!」

 昇太郎自ら座敷牢へ出向こうとしているのを聞き、琴乃がとっさに止めた。

「話したいのであれば、明日皆の前に連れ出せばよいではないか」

 深緋久英という危険な男と昇太郎を一対一で合わせるのは得策ではない。しかし昇太郎は話したいと考えている。なんとか危険だけは避けようと考えた結果、灰原家の家臣達全員の前に連れ出してくるのが一番だという結論に達した。

 何か怪しい動きがあっても味方ばかりの中であれば昇太郎を守ることができる。そういった昇太郎と今後の灰原領のことを気遣った琴乃の発言だった。

「そう、ですね。じゃあそうしましょう」

 昇太郎はあっさり琴乃の案を飲んでくれた。それに一度はみんな安堵するも、明日昇太郎が深緋久英と何を話すのか気が気ではない。

 戦が終わって気を緩ませていた灰原家の家臣団に、新たな緊張の糸がピンと張り詰めるのだった。

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