第4話 戦国の現実

 青森家屋敷に返って来た一行。すぐさま重臣達を集めて昇太郎の知識を借りて青森家の立て直しを計ろうという時だった。帰ってきた青森広敬の前に一人の青年が駆けつけた。

「お帰りなさいませ」

「おう、繁信か。どうした、慌ただしいな」

「はっ、急ぎお会いしたいと申す者が二方、来ております」

「二方? どこの誰だ?」

 屋敷の中に入って厚手の羽織を脱ぎ去った青森広敬。彼のもとに駆け付けたのは青森広敬の義理の息子。青森家の親戚筋から時期青森家当主として青森家屋敷にやって来た浅葱繁信である。青森広敬が不在の時は彼が領主代理を務めている。

「一方は緑沢家よりの使者にございます。もう一方は赤嶺家よりの使者にございます」

「緑沢と赤嶺か。繁信、用件の見当はつくな?」

「はっ、おそらくではございますが・・・緑沢は我らに援軍の申し出かと」

「ふむ、それで赤嶺はどう見る?」

「あ、赤嶺は・・・和睦の使者ではないかと・・・」

 緑沢家からの使者の用件にはおよそ察しがついている浅葱繁信。しかし赤嶺家からの使者の用件の予想にはあまり自信がなさそうだった。

「ね、ねぇ・・・何かあるの?」

 青森広敬と浅葱繁信のやり取りを近くで聞いていた昇太郎。側にいる水月に事態の詳細を問う。

「青森家は長らく仇敵の赤嶺家と争っていて、緑沢家はその赤嶺家に何度も領地を狙われているの。それで父上は緑沢家に味方をして赤嶺家と戦っているの」

「へぇ・・・じゃあ、緑沢家からの使者が来るのはいつも通りだけど、赤嶺家から使者が来るのは極めて異例で珍しいってこと?」

「うん。少なくとも私が物心ついてから赤嶺家からの使者が来たという話は聞いたことがないよ」

 長らく敵対していた青森家と赤嶺家。その赤嶺家から使者が来たということは何かしらの動きがあるように思われる。そしてそのタイミングで緑沢家から使者が来るということは、赤嶺家との間に何かあったと考えるのが普通だ。しかし赤嶺家が使者を送ってくることは長らくなかったことから、赤嶺家が何を言ってくるのかは推察しきれないところがある。

「繁信、使者に会う。まずは何を言い出すかわからぬ赤嶺を先に通せ」

「はっ!」

「水月、昇太郎と部屋にいろ。後で向かう」

「はい」

 青森広敬は浅葱繁信を連れて屋敷の廊下を足早に通って行き振り返ることなく角を曲がる。昇太郎達からその姿がすぐに見えなくなってしまったが、彼の歩く特徴なのかまだしばらく力強い足音だけは聞こえていた。

「昇太郎、言いつけ通り部屋で待っていよう」

「そ、そうだね」

 他国の使者、それも同盟国と敵対国から同時に使者が来たという事実に、昇太郎は不穏な空気が流れ始めているのではないかと心配になる。ここは戦国の世界であり、いつ戦が始まるかわからないのだ。現代にいた昇太郎がこちらの世界に来てからまだあまり時間は経っていないが、かつて一度戦国の空気を吸ったことと今の不穏な空気を感じたことにより、昇太郎は一時の油断も許されない戦国の世界の常識というものを思い出した。

 聞こえなくなる青森広敬の足音。静まる青森家屋敷。その静けさが嵐の前のものでないことを祈る昇太郎であった。




 青森広敬は浅葱繁信と共に、赤嶺家の使者が待つ部屋へと向かう。青森家の領主の到着に赤嶺家の使者は頭を下げる。青森広敬は上座に腰かけ、その傍らに浅葱繁信が腰を下ろす。

「待たせたな。面を上げよ」

 青森広敬の声で使者は一瞬の間をおいて頭を上げる。青森広敬の鋭く威圧感のある眼光に一瞬たじろぎながらも、使者は自らの役目を果たすべく用件を伝え始める。

「本日はお目通りが叶ったこと、まずは御礼申し上げます」

「前置きはよい。本題に入れ。赤嶺が今頃このわしに何用だ?」

 まずは儀礼的に挨拶をする使者だが、その儀礼的な挨拶すらも青森広敬は受け入れる気はないと言うかのように本題を急がせる。それだけ赤嶺家と青森家の溝は深く、使者が領主と顔を合わせることもかなわないことも珍しくはない。

「はっ、実はこの度、赤嶺と青森の長らく続いた争いに終止符を打つため、私が使者として参った次第にございます」

 赤嶺家からやって来た使者は青森家との戦の終結を望んでいる。それはすなわち長らく続いた両家の争いを和睦で解決するということだ。

(和睦か・・・今の我らの状況から見れば悪くない提案だな。赤嶺の方も相当食糧事情が悪いのか?)

 食料事情が悪い青森家からしてみれば、戦を避けることができるのはこの上ない良い展開と言える。ただでさえ食べるものが少ない中、戦ともなれば食料も金も平時に必要な量以上に消費してしまう。米粒一つでさえも無駄にできない青森家には、こんp赤嶺家からの和睦の提案は実に魅力的な申し出であった。

「和睦の申し出、そう受け取ってよいのだな?」

 使者と青森広敬の視線が交錯する。お互い表情には出さない心の内なる思いがある。しかしそれを外交の場で表情に出してしまうようなものはまだまだ未熟者だ。青森広敬も赤嶺家の使者も、互いに相手の言葉に表情や態度や雰囲気で反応することはない。

 しかしそれはあくまで外交の場に立った経験が豊富な熟練者に限られる。青森広敬の傍らにいる浅葱繁信はその熟練者にはまだ及ばない。故に戦が起こらないという結果が和睦にて得られる事実に僅かに表情が反応してしまった。そして赤嶺家の使者はその表情の変化を見逃さなかった。

「大筋は・・・」

「大筋・・・だと?」

 浅葱繁信の表情から攻勢に出る赤嶺家の使者。彼が発した言葉に青森広敬の表情はやや険しくなる。その表情には相手の言いたいことの全容が見えないことからの警戒が見て取れる。しかしそれが逆に言えば青森広敬がこの外交の場で後手に回ってしまったということに他ならない。故に赤嶺家の使者は今こそ好機と言わんばかりに言葉を続ける。

「我らと盟を結ぶにあたり、我らの敵との盟を絶っていただきたい」

「・・・なに?」

 青森広敬の強面の表情がさらに恐ろしさを増す。生きた仁王像ともいえる威圧感と恐怖を与える表情はその部屋の空気を一変させる。信義を心に刻み、供を裏切ることを良しとしない生粋の武人。それが青森広敬という男である。その彼に同盟国を裏切れ、赤嶺家の使者はそう言っているのであった。

「何も我らも手ぶらで盟を絶ってほしいと申し出ているわけではございませぬ。こちらに青森家が我らと盟を結ぶ引き換えとして差し出せるお礼の目録を先にご用意いたしましたのでご覧ください」

 赤嶺家の使者が懐から書状を取り出して青森広敬の前に差し出す。一瞬の間、その部屋にいる三人はピクリとも動かなかったが、わずかな間をおいて青森広敬が差し出された書状を手に取って読み始める。

「なるほど・・・」

 青森広敬はそう一言いうと書状を傍らにいた浅葱繫信に渡す。

「返事は即座にできぬ。しかし追ってこちらより返答の文を送る。帰ってそう伝えよ」

「ははっ!」

 赤嶺家の使者は一度深々と頭を下げると立ち上がり、部屋を出て行く。廊下に立ってもう一度頭を下げた後、部屋の前からも歩き去っていった。

「殿・・・これは・・・」

 書状に目を通した浅葱繁信。その表情は複雑な感情からか、喜びとも苦しみともとれる微妙なものであった。

「赤嶺め。我らの食糧事情を知って動いてきよったな」

 差し出された書状に書かれた俺の目録。それのほとんどが兵糧などの食料であった。本来ならば家宝や金銀などの宝物、茶器や掛け軸や屏風と言った芸術品が並ぶはずの目録にそれらのものはほとんど書き記されていなかったのだ。

「この目録の物・・・我らは喉から手が出るほど欲しいものにございます。殿、どういたしましょうか?」

 浅葱繁信にはどう判断していいのかわからない。国として領主として同盟国を守る信義か、それとも民を飢えさせない方策か。青森広敬はその二者択一を迫られている。

「それよりも、だ。繁信、お前はまだまだ半人前だな」

「・・・は?」

 赤嶺家からの申し出にどう返答するかという問題が目の前にあるが、それよりも前に青森広敬が気にかけたのは浅葱繫信のことであった。

「赤嶺の使者、奴はかなりの男だ。あの場においてお前の表情の変化を見てこの書状を出すことを決めた」

「は? いや、我らの内情を知ってのことでしょう」

「違う。我らの食糧事情が芳しくないことは知っていたであろう。しかしどれだけの蓄えが残っているか、その全てを把握することはできぬ。わしがそう命じてあるからな。しかし奴は我らの内情が切羽詰まっているということを見抜いた。それは間者による下調べでもなければ、商人による情報収集でもない。和睦の考えがある赤嶺の申し出を聞き、お前の顔が安堵したからこそその書状を出してきたのだ」

 外交の場において顔色一つで相手の置かれている状況を読み解くというのは何も珍しいことではない。それをまだ知らない未熟な浅葱繁信が赤嶺家の使者にやられた。今回の面会においてそれ以上の事実はない。

「し、しかし・・・」

「お前の表情が変わらねば赤嶺も強くは出られなかった。たとえ同じようにこの書状を出して同じ言葉を交わしたとしても、赤嶺には我らがどう動くかわからぬという不安材料を与えることでこちらにも付け入る隙ができる。しかしお前の表情が安堵したことで赤嶺は青森の内情はかなり厳しいことを知ったはずだ。これでは赤嶺に隙はできぬ」

 青森家の内情が苦しいという事実がわかれば、赤嶺家は交渉の場では強く出ることができる。逆に青森家の内情が事実苦しかったとしても、それがわからなければ表面上を上手く取り繕って交渉することができる。青森家と赤嶺家、長い争いの末訪れた和睦は赤嶺家が主導権を握るという結末に終わることとなった。

「よく覚えておけ。世の中には顔色一つで全てを見抜かれ、多くを失い自らを苦境に立たせることもある、ということをな」

「・・・申し訳ございませぬ。胆に銘じます」

 浅葱繁信は深々と青森広敬に頭を下げる。表情こそ見えはしないが、頭を下げたその体は小さく震えている。己の至らなさと悔しさを自覚したが故のことであった。

「さて、緑沢の使者にも合わねばならぬが・・・」

 青森広敬は自身の立たされた苦境を認識している。そして自分の性格も信念もよく自覚している。故に赤嶺家の申し出にどう返答するのが正しいか、すでに半ば答えが出ていると言ってもいい。そのため同盟国である緑沢家の使者と会うのが非常に心苦しいのだが、使者として足を運んでもらっている以上無視するわけにも追い返すわけにもいかない。

「何とかせねば、な」

 青森広敬はこの苦境をどうすれば脱することができるのか、答えがあるかどうかもわからない問題に真っ向から急ぎ取りかからなければならないのだった。




 青森広敬と面会を終えた赤嶺家の使者は急ぎ帰還するための準備に取り掛かる。別室に待たせていた数名の付き人達と合流するなり、早々に青森家屋敷を出て行った。

「深緋(こきひ)さま。首尾はいかがでございましたか?」

 付き人の一人が青森広敬と顔を合わせて話した使者に外交の結果を聞く。彼も赤嶺家に仕える人間であり、今回の外交の内容がずいぶんと気になるようだった。

「青森広敬はかなりできる男だ。しかし付き添っていた男、おそらく青森家の後継者と目されている浅葱繫信だろう。あの男のおかげでこちらが主導権を握れそうだ」

「おお、結果は上々ということでございますか」

「さすがは深緋久英(こきひひさひで)様にございます。我らではあの青森広敬と面と向かって話すのも難しいというのに、策まで巡らせてしまうとは・・・」

 付き人達の間に喜びの声が上がり、今回の外交を担当した深緋久英という男を周囲は褒め称えている。

「青森家の内情は我らの予想以上に深刻のようだ。ならば奴らは我らの申し出を断れぬ。武勇に秀でた青森広敬も食うものに困れば餌を求める飼い犬も同然よ。ましてや民衆を見捨てられぬ義理堅さ、平時では士気を高め結束を強めるが、飢餓に襲われればこれ以上ない枷となる。奴に民は見捨てられぬ。故に結果は決まった」

 深緋久英の不敵な笑みが彼の心の中をよく表している。ほぼ勝利と言っても差支えのない結果に彼自身も満足しているようだ。

「青森家が我らの味方となる。ならば緑沢家の攻略は簡単に終わる。緑沢家は青森家の庇護を受けねばならぬほどの小さき国故、大した戦もなく終わることができよう。後は我らの手足となって同盟国を裏切ったという不義理を用いて青森家の結束をかき乱す。民の飢餓と求心力の低下からくる家中の不安。青森家の領地を我ら赤嶺家が得るのも近い」

 深緋久英の策は問題なく順調に進んでいる。そして多少進行にずれが生じても、青森家の飢餓と緑沢家の力不足という動かぬ二点があれば問題なく事を進めることができる。

「しかし青森家に食料を送るとなると・・・そううまくいきますかな?」

 今回の外交での青森家を味方につけるための条件は食料を援助することが大前提となっている。その大前提を果たした後、青森家が赤嶺家に易々と屈するかどうかというのが付き人達には疑問でならなかった。

「それも問題ではない。先ほども言ったが、青森広敬は民を見捨てられぬ。我らが送った食料は間違いなく民にも分け与えられる。青森家の兵だけを食わせていくのであれば十分次の秋の実りまで持つ量だが、民にまで配るとなれば・・・夏は越せぬな」

 深緋久英は青森家に援助する食糧の量まで計算して調節していたのだった。これには付き人達も驚きを隠せない。

「夏を越せぬ青森家がとる方法はただ一つ、国の守りを弱めてでも食料を手に入れるということ、つまり武具を売って米を買うということだ。守りが薄くなり、ギリギリの食料でやりくりしている秋前の青森家の兵達の士気など無いに等しい。攻め取るのは籠城した緑沢家を陥落させるよりも簡単であろうな」

 自らが考えた完璧すぎる策に深緋久英は笑いがこみ上げてくる。ゆっくりとじっくりと時間をかけることで完璧の目的の物を手に入れることができる。すでに緑沢家の領地と青森家の領地は赤嶺家が押さえていると言っても過言ではなかった。

「素晴らしき策かと思います。しかしそれが上手くいくとするならば・・・他に誰も緑沢家の味方にならないという大前提が必要かと思われますが・・・」

 付き人の一人が不安そうに進言する。赤嶺家は基本的に緑沢家の領地を欲して幾度となく進攻し、幾度となく青森家の妨害を受けて断念してきた。しかし青森家には緑沢家を取り込む余力はなく、さらに赤嶺家に攻め入るだけの余裕もない。よってこの三国は常に戦いを繰り返してきていたため忘れがちになるのだが、世界にはこの三国しかいないというわけではないのだ。

「緑沢家を中心に我らとは真逆の地に位置している灰原家が動くとなれば難しいかと」

 青森家の援助を無くした緑沢家は立地上赤嶺家と全面戦争をすることとなる。しかし緑沢家の背後にいる灰原家は様々な意味で近隣諸国からは注目の的となっている。弱小国で一度は国を失ったにもかかわらず、短期間で国を取り返したどころか時刻をはるかに上回る国力を持つ二国を同時に奪い取ってしまったのだ。さらに秋の嵐では画期的な治水政策が功を奏し、周辺諸国が凶作に悩む中平時と変わらぬ量を収穫している。その中心にいると言われるのが稀代の知将灰原昇太郎。その男が動くとなれば事態は一変する。

「灰原は動けぬ」

「な、何故でございましょうか?」

 深緋久英の自信満々の言葉に付き人達はその考えの理由を当然ながら知りたがる。

「我ら赤嶺の総兵力はおよそ二千、青森の総兵力もほぼ同等の二千だ。緑沢はおよそ五百程度。灰原の総兵力は三千程度と調べがついている。赤嶺と青森が同盟の締結を理由に緑沢に兵を出すとすれば双方千五百ずつを出したとして総勢三千。灰原の総勢とほぼ同数となる。灰原は緑沢を助けるとしても出せる兵力は限られる。我らと戦をするのなら総力を挙げねばならぬが、そうすれば国内は空っぽ。飢餓の危機にさらされる隣国に攻めてくれと言っているようなものだ。ましてや他の国とは違い、灰原の領地には食料が山のようにある。食料不足を理由に攻めるのを取りやめる国があったとしても、攻める先が灰原の領地となれば話は別だ。好機を見て攻めぬ隣国などない。ましてや灰原は白山家と黒川家を併呑したばかりで国内も完全には定まってはおらぬであろう。灰原昇太郎という抑止力が国の内外に効いている今だからこそ、灰原は余計に出陣できぬのだ」

 灰原家は近隣諸国の中で唯一収穫量が落ちなかった国だ。故にその国に食料を求めて侵攻を狙う国々は少なくない。しかしその侵攻を阻む抑止力となっているのが灰原昇太郎という一人の男。その男がいる限り安易に灰原領へ侵攻することはできない。故に灰原領は周辺諸国と睨み合いが続いているのだ。緑沢家を助けるのに力を割く余裕は灰原家にはなく、それをするとすれば少数での行動に限られ、少数で動くとなれば知恵によって勝機を見出さなければならない。そうなれば灰原昇太郎本人の出陣は必要不可欠。その結果、周辺諸国からさらに狙われやすくなる。

「全ては我らに追い風が吹いている。これを機に領土拡大、国力の増強を図る」

 深緋久英の力強い言葉に付き人達の表情も明るくなる。今こそ天が赤嶺家に与えた勝機の時と言わんばかりに、戦の最中でもないのに付き人達の士気は大いに高揚していた。

(領土拡大、国力増強・・・その後は灰原昇太郎、その首をいただく。稀代の知将だのなんだの言われておるようだが、わしの方が上だということを貴様にも諸国にも知らしめてやらねばならぬからな)

 深緋久英は口にこそしないものの、灰原昇太郎という突如現れた致傷の存在にとてつもなく強い敵対心を抱いているのであった。




 赤嶺家の使者との話を終えた青森広敬は次に緑沢家の使者と会う。使者を待たせていた一室に自ら乗り込むように向かい、上座に腰かけて使者と顔を合わせた。共に行動する浅葱繫信も先ほどと同じく青森広敬の傍らに腰を下ろすのだが、先ほどの失態の件もあってか表情は強張って曇っている様子がうかがえる。

「お目通りいただきありがとうございます。さっそくではございますが赤嶺にまたしても動きがあり、近日中に我らの下へ攻め寄せて来るとの報せが届きまして・・・」

「・・・で、あろうな」

 緑沢家の使者の申し出は初めから分かっていた。赤嶺家の動きと緑沢家の動きを考えれば容易に想像がつく。

「お察しならば・・・さっそくではございますが援軍をお願いしたく存じます」

 緑沢家の使者が深々と頭を下げる。赤嶺家が本気で緑沢家へと侵攻した場合、単独では守り切ることが難しい。よって隣国で長く同盟国の青森家、さらに言えば義理堅く頼りになる青森広敬に頼らなければならない。

「すまぬが・・・援軍は出せぬ」

 青森広敬の言葉に部屋の空気が重くなる。

「それは・・・何故でございますか?」

 緑沢家の使者に驚きはない。この返答を多少なりとも予想していたのかもしれない。しかしその理由までを予想に頼っておめおめと引き下がることはできない。緑沢家の存亡がかかっているのだ。

「我が領地は先の嵐にて凶作に見舞われている。昨年も実りは悪く、今の我らは自分達のことでさえも事足りない。援軍を出したいとは思っている。思ってはいるのだが、今の我らにはそれができぬ」

 先ほどの赤嶺家とのやり取りでは変化がほとんどなかった青森広敬の表情。しかし緑沢家の使者との席では、その表情は苦しさや悔しさが見て取れる。

「無理を承知でお頼み申し上げます!」

「・・・すまぬ」

 深々と頭を下げ、真剣に頼み込む緑沢家の使者。しかし、その熱心な態度に青森広敬は冷たい一言を返さなければならない。

「どうしても・・・ご無理というわけでございますか?」

「ああ、すまぬ。今の我らは力に成れぬ・・・」

 会話が途切れ、部屋の中は時間が止まったかのように何の音もしない。小さな動きもなく、ただ無音の時間だけが過ぎていく。

「緑沢は・・・灰原とつながりを持とうとしていると聞いたが?」

「・・・はい。しかし、友好国との位置付けでして・・・同盟国とはなっておりませぬ」

「そうか。それでは灰原からの援軍も厳しかろうな」

「はい・・・」

 本来ならば外交の成果を口にすることなどありえない。しかし長らく世話になった青森家が相手であればその限りではない。緑沢家の使者は灰原家からの援軍も来ないという危機的状況を伝えることで、何とかしてでも青森家からの援軍を引き出そうという考えもあって外交の内情を明かした。

「緑沢の使者は今も灰原へ出向いているのか?」

「はい。青森家の苦境は知っておりました故、此度は失礼ながら青森家よりも先に使者を送っております」

「我らを気遣ってのことであろう。失礼などとは思わぬよ」

 長い付き合いの青森家にいの一番に助けを乞うのが筋だが、その青森家が苦境に立たされているとすれば無理強いはできない。青森家に頼るばかりではなく、それ以外の方法の一つとして灰原家に先に使者を送ったのだ。しかし、その結果は芳しくはない。

「緑沢は・・・もはやこれまでとなりましょうか?」

「このままいけば、そうなるやもしれぬな」

 使者の悲痛な問いに青森広敬は嘘偽りなく答える。その返答を聞いた瞬間、緑沢家の使者の歯が軋む音がする。自分の無力さを痛感しての食いしばる歯が立てた音。それが使者としてやって来た者の心の中を如実に表している。

「赤嶺から先ほど使者が来てな。その男、おそらくだが深緋久英と思われる」

「な、あの男が?」

「そうだ。赤嶺家に仕える小姓の親戚筋の生まれながら、赤嶺家の二番手にまで上り詰めた才気ある男だ。灰原昇太郎が現れなければ、この辺りで一番の知将は変わらずあの男と言われておったであろうな」

 深緋久英は赤嶺家の領主の次に発言力と決定権を持つ男だ。その男がわざわざ使者として他国にやって来ることから見て、赤嶺家の本気の度合いがうかがえる。そして深緋久英自身が動いているとなれば、生半可な手立てでは太刀打ちするのは難しいはずだ。

「我らの苦境もあの男は計算済みであろう。故に我ら青森家に緑沢家を助ける力がないことも見透かされているはずだ」

「深緋久英は恐らく・・・我ら緑沢家の領地を支配するところまでは間違いなく考えているでしょうな。そしてもしかすると青森家を討つことまで考えているやもしれませぬ。此度の戦、今まで通りとはいかぬわけですな」

「わしも同感だ。そして奴は近隣諸国のほぼ全てが凶作に見舞われたこの時を好機とみて動き始めた。我ら山に囲まれた国と違い、赤嶺家は海に面している。農作物が育たなくとも、海で魚を獲ることで食べるものを手に入れることができる。今この時に置いてこれほど赤嶺家が優位に立てることはない」

 赤嶺家も凶作に見舞われており、食糧事情は決して余裕があるわけではない。しかし赤嶺家には青森家と緑沢家とは違う点があり、それが食糧事情に余裕をもたらす結果になっている。それは海に面しているということ。漁業で得られる食料がこの苦境から赤嶺家を救い、青森家と緑沢家に比べて優位に立てる点であった。故に赤嶺家は青森家に食料の援助を申し出ることができたのであった。

「状況は変えられぬ。深緋久英の考えを超える策は恐らくわしには思いつかぬであろう」

「私も思いつかぬかと。それができうるのはこの近隣では・・・灰原昇太郎のみかと」

「うむ。わしもそう思う」

「しかしその灰原家との交渉はうまくいってはおりませぬ。それどころか届く報告によれば灰原昇太郎とは面会すらかなっていないとのこと」

「・・・ふむ、そうか」

 青森広敬は緑沢家の使者との会話の中で何かを思いついた。頭脳戦では勝てない相手に勝つ方法、それは相手が把握していない手札を切るという方法が有効策の一つとして挙げられる。しかしその手札は今の青森家にとっては手放したくはない切り札だ。しかしそれでも青森広敬はその手札を長く付き合ってきた同盟国の緑沢家の為に使用することを決める。

「我らは緑沢を助けることはできぬ。だがこの青森広敬にはまだ一つ、打つことができる手立てがある」

「ま、まことにございますか!」

 青森広敬の思わぬ言葉に、使者の表情が一変する。地獄に足らされた蜘蛛の糸か、暗闇に差し込む一筋の光か、青森広敬の打つことができる手立てに使者は最後の望みを託す。

「そ、その手立てとは?」

「うむ、その手立てだが・・・」

 一縷の望みに縋る使者と、できればこの手だけは打ちたくないと思いながらもどうしようもない現状を打破するための切り札はこれしかないと考える青森広敬。彼は国内事情を鑑みれば後ろ髪を引かれる思いだが、自らの信義に応えるように思いついた唯一の手立てを緑沢の使者に提案した。

「ある一人の男を連れて行ってもらいたい」

 青森広敬の頭の中に浮かぶ一人の男とは、先日拾った山の中腹部にまで一人でたどり着けない軟弱な優男、昇太郎のことであった。


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