いじめられっこの一夏戦国夢想戦記

猫乃手借太

第一章 三国併呑編

第1話 いじめられっこ

 人は皆、誰かに話すことができない秘密というものを抱えている。お金の隠し場所や人付き合い、趣味や性格に、見栄に隠された現実など、様々な秘密を持っている。だがその秘密は良いものばかりではない。中には心配をかけたくないから秘密にしていることや、相談したくても踏み出せずに秘密にしてしまっていることもある。


 そして彼もまた、近しい人達に短いたった一歩を歩み寄ることができず、重大で重篤な現在の状況を黙して語れないままでいた。




 平日は毎日が繰り返しだ。小さな変化もなく、ただただ毎日のように嫌気がさす日々が繰り返されていく。


 自分の物がなくなったり傷ついていたりしているなんてことは珍しくない。すれ違いざまに苦痛を感じるなんてことは日常茶飯事だ。体のどこかに痣があるのが平常時で傷が無ければ奇跡。連休の訪れを知るや否や休みの日に感謝し、連休が遠い日にはただ歯を食いしばって変わらない日々と時間が過ぎ去っていくのを待つだけ。


 それ以外に何もできない。恐怖が身をすくませて足を止めさせ、口を固まらせて声を封印する。そして降りかかる日々の災難をなるべく軽傷で済むように、それだけを考えて毎日を過ごしていた。


 しかしそんな生活からしばらく離れることができる。それが嬉しくてにやける顔が止まらない。日本の学生には長い夏季休暇がある。その長い休みの間は平日であっても平日ではなくなる。学校に通う必要もなく、苦痛にまみれた日々に身を置かなくてもいのだ。それが一年間で一番長い間、長期休暇として存在するのだ。


 そして待ち焦がれていた夏休みを目前にした終業式の時、想像をはるかに超える餞別が自分の身に降りかかる。

 暑さが日に日に増してくる夏。梅雨の時期のじめじめした感じはどこか遠くへ行ってしまい、休みの日にはみんなこぞって海やらプールやらに遊びに出かける。それでも平日はあるため大人達に夏休みというものはほとんどないわけで、街の中は夏の訪れと共に雰囲気が変わるが平日の様相は拭われない。


 半袖シャツやタンクトップ、ミニスカートにサンダルなど、暑さをしのぐための薄着が目立つ街中は少し離れる。住宅密集地から少し離れた河川に架かる橋。車が行き交い、歩道も備え付けられている鉄とコンクリートの橋。橋の上から川の水面まではそれなりに高さがある。当然柵があって人が誤って落ちないように橋の両側はしっかりとガードされているのだが、それはあくまでも誤って落ちないようにするための防護措置。自ら飛び降りようとする者には大した効果はない。


「ほら、跳べよ」


 そんな声と共に足に痛みが走る。何の痛みかはすぐにわかる。靴を履いたつま先でふくらはぎを蹴られたのだ。


「い、いやだよ」


 蚊の鳴くような声で蹴られた当人は命令を拒む。いかにも運動が苦手で動きが遅いと思われそうな少年。線も細く色も白い。文武のどちらに当てはまるかと問われれば百人が百人とも文を選ぶ、そんな少年だった。

 線の細い色白の少年は五名ほどの同年代の少年たちに取り囲まれている。全員が白いカッターシャツに黒いズボンの制服と紺色の鞄を持っていることから、彼らがみんな同じ学校の生徒だということは瞬時に見て取れる。


 しかしその見た目には大きく違いがある。線の細い色白の少年の鞄は傷だらけで汚れも酷い。制服のズボンも泥や足形がついている。カッターシャツも白い生地に汚れが目立っている。長年使って来たからなのかといえばそうではない。周りを取り囲んでいる五人の制服は綺麗で鞄もほとんど汚れが目立たない。取り囲まれている少年の制服と鞄だけが異様にボロボロなのだ。


「跳ぶのが嫌だったら来週の夏季林間学校に絶対来いよ」


「お前がいないと面白くないからな」


「一週間も山の中で過ごすのは飽きるから遊び道具は持っていかないとな」


 取り囲む五人がへらへらと笑っている。学生鞄を見れば地元の中学校の生徒だと主張する校章も見える。同じ中学校に通う友達のはずがこの仕打ち。間違いなく取り囲まれている少年はいじめを受けている対象者だ。


 夏季林間学校は中学校の学校行事で、夏休み中に生徒達を山へ連れて行って生活をするというボーイスカウトのようなことをする。参加するかどうかは自由で、家族との旅行の予定や生きたくないという生徒は欠席しても問題はない。出席すれば多少内申点が良くなるというくらいなので、生徒達の出欠はだいたい毎年半々に分かれる。

 当然山の中へと行くので家にあるようなゲーム機や漫画本は持っていけない。そのためどうしても時間が余って暇を持て余すことになる。学校側はその時間に生徒同士の交流を深めさせようとしているのだが、一人を取り巻く五人の生徒達はその時間をいじめの時間に使おうとしているのだ。


「終業式が終わってこれから一か月半くらい会えないのも寂しいだろ?」


「俺達ってマジで優しいよな。友達思いだぜ」


 一人を取り囲んで力の暴力に屈服させることを彼らは楽しんでいる。いじめだと自覚しているのかいないのか、彼らにとってそんなことは問題ではない。今が楽しければそれでよく、この行動が最悪の事態を招く可能性など一切考慮されていない。


「ど、どっちも・・・嫌だ・・・」


 蚊の鳴くような声で色白の少年は再び拒む。しかしその瞬間今度は腹部に強烈な衝撃を感じ、前のめりに倒れそうになるのを二人くらいが瞬時に手を出して抱えたため、倒れることさえ許されないまま橋の柵に背中が着くまで追いつめられる。


「人の親切を無視するんじゃねぇよ」


 先ほどまでのへらへらとした様子はどこへ行ったのやら、威圧的な雰囲気と言葉が少年へと浴びせられる。


「ほら、夏季林間学校に来るよな?」


 柵を背に取り囲まれた色白の少年に逃げ道など無い。このまま首を縦に振れば、とりあえずはこの場を乗り切ることができる。しかしその後に待っているのは一週間もの間、昼夜を問わずに行われるいじめに耐えなければならない地獄の日々だ。せっかく夏休みを迎えて約一か月半という長期間の安息の時を手に入れたはずだった。しかしその安息の時を迎えることを五人は絶対に許そうとはしない。


「あ、う・・・あ・・・」


 追い詰められて言葉さえまともに話せなくなったかのように、色白の少年は言葉にならない言葉を口の中でもごもごしている。それを見て五人のいじめっ子たちはまたへらへらと少年を卑下するように笑っている。

 その状況が少年の頭の中で何かを爆発させた。このまま首を縦に振っても待っているのは地獄だけ。しかし首を縦に振らなくても待っているのは地獄だけ。ならば本当の地獄へ行っても大して変わらないのではないか。少年の頭の中は一瞬でそのようなマイナス思考の極致に達した。


「う、うわぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!」


 少年は突然叫び体を思いきり暴れさせバタつかせる。それに驚いた五人は一歩さがって距離を取る。少年の両脇を固めていた二人も暴れる少年から手を離してさがった。


「な、なんだよ」


「意味わかんねぇ」


 突然精神が壊れたかのように暴れ出した少年は五人に背を向けると橋の柵に手を置く。そして一切躊躇う時間もないまま、柵を飛び越えて川に飛び込んだ。


「うわっ! マジで跳びやがった!」


「俺、知らねぇからな!」


 五人は蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ出す中、川へと跳んだ少年は大きな水しぶきを上げて水中深くに沈んでいく。経験したことの無い高さからの跳びこみで体に痛みが走ったせいか上手く手足が動かない。さらに川の流れは思ったより早かったため、自分の体がどんどん流されていくのがわかる。


 水の流れに身を任せるしかない少年は死に抗おうとはせず、これでようやくあの地獄の日々から抜け出せたという安心感と安息の時を想い、その意識は体ごと河川水の汚濁と共にどこか遠くへと流されていった。

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