シャダン。

 ……。

 本当のところ、シャダンの話をしたら、主治医は泣いてくれるんじゃないかと思ってた。神様が、これまでの人生の反省と、これからの未来への鍵を与えてくれた。間違いのない事実ではないか。


 神様からのヒントなんて、どこにでも転がってる。どこからでも拾うことができる。どこからでも、見出すことができる。そうだ。ただ、ドアを閉める。それだけのことでも。それだけのことでも。

 だから、「調子はどうですか」「これからの予定は」と聞かれて、神様からのお告げを聞いたこと、それを聞いて反省したことや、世の中の人のために社団を作るつもりだと宣言したのである。

 素晴らしいことだと思った。

 仮に。たとえこれが病気ということだとしよう。神様からのことではないとしよう。でも!そうだとしても!気付きを得たこと。それは評価に値するんじゃないか。そう思った。シャダンは社団で遮断なんだ。

 そう、藤子不二雄は、小田急に乗っていて、オバQという名作を生み出した。起き上がり小法師のおもちゃと、ネコをくっつけた発想から、ドラえもんを誕生させた。それが、天才の思考。神から与えられた、啓示……。

 ドアを閉じるたシャダンから、遮断する人生に見切りをつけ、社団を設立する。

 そう主治医に素直に伝えてみた。

 黙って、うんうんと頷きながら、カルテにしきりに書き込んだ後、主治医は「薬を飲み続けて、様子を見ましょう」と言うだけだった。あまりの反応の薄さに、驚いてしまった。

 でも、そんなものなのかもしれない。

 ドラえもんだって、オバQだって、生まれ落ちた時から世界的に認められていたわけじゃないだろう。作者も何年も書き続けて、努力して、育て上げていったはずだ。

 なるほど。発想は間違っていないんだ。発想は正しい。方向はこれで合ってる。神様の言葉は信じていい。それは自分の中の気付きなんだ。間違っていたのは、それが今日の今日、初めて打ち明ける人が100のうち100、理解できる、理解してもらえるという考えは、確かに甘かったかもしれない。

  大事なのは、「神様の言葉を信じること」。そして、「努力を始めること」。

 そう。そうでなくっちゃ、いけない。

 これもまた、一つの気付き。気付きは、築くことの第一歩。ほら。この発想も凄いじゃないか。


 よし! 今日だ。 

 今日から、築き上げていこう!

 病院からの帰り道、そんなことを考えながら歩く。


 ……待てよ。

 なぜか、頭の中がグルグルしはじめてきた。


 社団。遮断。社団、遮断。……。待てよ。


 シャダンShut Up――!?


 思わず立ち止まっていた。周りの人が自分を見たら、きっと青ざめた顔に驚いただろう。心臓が、止まりそうになった。

 え……?

 黙れ、ということ……?

 考えるな、ということ……?

 どうしてですか、神様――!?

 社団を作って、これまでの人生を遮断して、新しい一歩を踏み出す。そこまでは正しかったのではありませんか?Shut Upシャラップとは、どういうこと……だろう?

 どう解釈して良いのか、わからない。どういうお告げなのか、わからない。お告げは正しいのですか?いや、そこを疑っては、いけない。神様の言葉を疑うなんて、畏れ多いことだ……。

 わけがわからず怖くなって、ポケットに入れていたアルコールを取り出し、飲み始める。そうだ、ポケットに錠剤統合失調症処方薬も入っていたはずだ。それも……。

 慌てて、ポケットをまさぐり、日本酒と一緒に喉の奥に流し込む。

 落ち着け、落ち着け……。

 神様の言葉には、意味がある。それを気付くかどうか。ここが正念場だ。俺の人生の正念場……。

 シャダンと社団と遮断。ここまでは解釈した。お告げ。ここまでは正解だった。Shut Upはどうだ……?

 気付きは正しい。社団法人を設立することも正しい。これまでの人生を遮断して。


 そうだ!わかった。それを人に話してはいけないということだ。

 思考を、外に出してはいけない。思考を盗まれるからだ。ただでさえ、考えていることが他人に盗聴されているのに、それを人に話すとは何事だと……。

 神様からの、警告か……。

 そうだ。そういうことなんだ……。主治医に、神の言葉を話すとはどういうことだと。預言――。俺は、預言者なのだ。

 神の言葉は、何にも代えがたい。「口にすれば果てる」というやつだ。

 神からの啓示による気付きを、自分の中で育んでいけばいい。築いていけばいい。努力して、築き上げて、かたちにしていけばいい。そうだ。どうせ神様の声が聞こえるなんて、医者やスタッフに言ったって奴らに理解できるはずも、ないのだ。神様の声は、自分にしか聞こえないのだから。自分にだけ与えられるものなのだから。

 考えてみれば、当たり前のことではないか。

 「黙れ」という神様の声と、その意味をほどなくして掴めたことの安堵で、動悸がし、呼吸が荒くなっている。落ち着け、落ち着け……。良かった。神様は俺を見捨ててはいなかった……。

 アパートまでたどり着く頃には、嬉しさに、涙が零れ落ちそうだった。


「アラカワ」 

 え?後ろから、声が聞こえた。

 神様?

「久しぶりだな。どうした。辛そうだな」

「お前」

「俺がわからないのか、アラカワ」

 ずいぶん小柄なやつが立っているように見えた。

「昼からワンカップか。ずいぶんだな。俺がわからないのか、アラカワ」

「赤木……」


 なんで、こいつがここに……? 俺の住所なんか、知ってるわけがない……。 

 神様、これは……?どういうことですか?


「どうした。妄想でも幻覚でもないぞ?」

「な、なんでここにいる? ここを知ってる?」

「なんでって……」

「警察か、スタッフに聞いたのか」

「神様が教えてくれたんだよ」

 え……。

「何だって!?」

「アラカワ、お前、法学部出たんじゃないのか」

「それが、どうした」

「いまどき、警察も、ましてや事業所のスタッフが個人情報を漏らすわけがないだろう。調べたんだよ。苦労したぞ」

「な……」

「なじゃない。『職務上請求書』くらい、聞いたことないのか」

「職務上?」

「パラリーガルとか、行政書士とか、司法書士は特定の個人の住民票を取得できるんだよ。簡単にな。もちろん正当な理由が必要だけど。今回はお前が俺を攻撃したんだから、損害賠償請求権保全のため、ってところ。苦労したというのは、経済的なことだよ。俺もさっさと就職を決めて、卒業しなければいけない。こんなゴタゴタに!付き合っている時間はないんだ。だからさっさと蹴りをつけにきたんだ。なんで半泣きなんだ、ん?アラカワ。神様のお告げでも聞いたのか」

「お前……!」

「今回は行政書士に書類作成を依頼した。それにはアラカワの住所を記載する必要があったからね。正式に依頼すれば職務上必要な情報を役所が提供してくれる。それで作成してもらった書類をいただけば、住所なんか一発ってわけ。書類って何だと想う?」

「裁判でもやる気かよ……」

「そんなもの、それこそ経済的にも時間もいくらかかるかわからないだろう。それに行政書士は裁判資料を作れない」

「じゃあ、何だ」

「決まってるだろ?告訴状だよ」

「なんだと」

 アカキは表情を変えずに言った。

「なんだと、じゃないだろ。どっちのセリフだ!ひとの就活にとんでもない横槍入れてくれやがって。親が謝って済むことじゃないだろう。とにかく、俺はセンターで改めてちゃんとした就活をしたい。そのために、さっさとこの件に蹴りを付けたい。だから、今日。今日で俺は終わりにしたいんだ。俺はね。アラカワは今後どう流れるかは知らない。そっちにかまっている暇はないんだ。だから今日!てめえの親父さんとお袋さんと、警察署で話し合って、それでちょんにする。もうメールで連絡を入れてある。聞いてるか? 今日署に来るそうだ」

「何が望みだ」

「警察に訴えるということだよ」

「……!」

 それは……、まずい。

「ただですむとは、思ってないだろ。責任は取れよ!」

「あれは、お前が、もとはといえば」

「だから、殺すのか? お前の思い込みじゃないか!」

「思い込みじゃねえ! さんざん、影で俺のことを言いやがって、知ってるぞ」

 アカキはため息を吐いて言った。

「ここで話しても、埒があかない。またブッスリやられても、嫌だし。ただ、もう一度言う。責任は取ってもらう。もらうけどさ、アラカワ。お前にも言い分があるんだろ?俺にも言い分があるなら、お前にも言い分があるだろう。だったらそれを聞こうじゃないか。それを言いに来た。お前の両親が警察署での話し合いたいと言ってる。こっちはそれでいいと思ってる。安全は確保されるだろうからな!お前が来るのも、来ないのも勝手だ。ただ、告訴状は提出する。言いたいことはすべて警察で話す。俺からは以上だ。両親に伝えておいておけよ」


 アカキが去った後、俺は父に電話を入れた。アカキの話をそのまま、伝えた。

「話はわかった。父さんと母さんは今日仕事が終わり次第、警察に向かう予定だ。お前も、同席しなさい」

「お、俺もかよ……。 訴えられちゃうよ、俺、捕まっちゃうよ、仕事も、できなくなっちゃうよ、父さん……」

「やったことは仕方がない。だから彼にそこまで言われたなら同席しないのは、良くない。警察の心証が悪くなる。お前も謝罪することは謝罪しなさい」

「わ……わかった。大丈夫なの?」

「任せなさい。考えがある。お前は私たちが守る。心配しないでいい」

「心配するなって……」

「いいから、すべて任せなさい。私に考えがある。お前は心配せずに就職活動、私の知り合いの弁護士事務所に入りなさい。話は進めてあるのだからね」

 そして父さんはこう言った。

「加害者は……、彼の方なのだから」

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