覚醒と、次の一歩。面接へ。
「おはようございます!」
僕が扉を開くと、いっせいにメンバーが僕の方を向いた。そして、ざわつき。
ホワイトボードに貼ってあるネームプレートを確認して、自分のものを剥がす。僕はバッグをロッカーにしまうと、その扉に磁石のプレートを投げつける。ぱちん、と音を立てて張り付く。うん、好調、中吉くらいか。
ネームプレートにはアラカワの名前はない。謹慎しているというのは、事実のようだ。さすがに通所の許可を出すわけは、ないか。
僕はセンターの一番奥の、入り口が完全に見渡せる場所に座った。これなら、もしアラカワが入り口から突入してきたとしても、完全に見渡すことができる。
やはり、事件のことは知っている人は知っているのだろう。ざわついているし、……それに、来た。
「アニキ、もう大丈夫なんですか!?」
「丸尾……、俺はてっきり、あんたがついに俺に牙を向きやがったと思ってたよ。体格、似てたからさ。まあ、動けるくらいは」
「そりゃ、僕も裏ではアニキのことさんざん言ってますけどね、」
「言ってんのかよ。これだもん、なあ……」
「それは尊敬してるからですよ!それを、あのアラカワのクソガキ、ただじゃおかねえですよ。二度とここをまたがせないですから」
よくわからないやつだ。
それに、沖田さんも僕の姿を見て、来てくれた。
「アカキさん、聞いたよ。大丈夫なの?」
「なんとか……」
「本当に?いや、お見舞いに行きたかったんだけど、スタッフは教えないんだ。病院を。申し訳ない」
アラカワについて、藤原サンは僕に知っていることを少し話してくれた。
「いや、前々から気にはなっていたんだ」、と。
どうやら、沖田氏も、アラカワが僕に恨みを抱いているんじゃないかと、気になっていたという。
「スタッフと言い争いしてるのを、聞いたんだよ。『赤木が!あの野郎が!』ってさ。俺はてっきり赤木さんと何かトラブってんのかなって思ってて。そこに俺が口挟むのもさ、変な話だから、絡みはしなかったんだけど、何か、聞いてみれば、何、逆恨みだって言うじゃん」
「……そうですね。僕、アラカワとか、知りませんからね……」
それを聞いて、僕もあの日、スタッフの個室が妙に騒がしかったのを思い出した。メンバーが叫んでいるのを、スタッフが抑えているような。あれは、あの野郎だったのか、と思う。
「スタッフもあまり公にしたがらないみたいだけど、あの時あの場所にいた人なんか、怖がっちゃってるよ。そりゃあそうだよなあ。センターで刃傷沙汰とか……。本来なら本社から責任者が謝罪に来たっておかしくないような話だぜ」
「まあ、アラカワも当分は通所停止みたいですよ。とはいえ、安心できないですよ。エレベータ降りたら待ち構えてるのかもしれないし、今度こそブッスリやられたら、終わりですからね……」
とにかく、何を考えているのかわからない、というのが怖い。もちろん自分が言うのもなんだが、精神障害を持っているのなら、なおさらだ。精神障害にもピンからキリまである。気分の落ち込みが激しい、うつ病、うつ状態もあれば、自分の考えが他人に読まれていると主張し続けたり、誰も言っていないことが「聞こえる」とか、「皆が自分の悪口を言っている」と主張する人もいる。
今回は、アラカワというメンバーのことも知らないし、裏で陰口を言ったこともない。主観的にもなければ、そもそも知らないのだから、言うはずがない。その障害の例で言えば、おそらく幻覚妄想の類だろう。
「で、警察沙汰にはするのか?」
僕は少し考えるふりをして、答える。
「別に……」
「どうして? あんな野郎、留置所ぶち混んじまえばいいじゃん!」
「それどころじゃないし……、得もないっす。今は眼の前の面接が精一杯。民事ならまだ慰謝料も取れるから考えてもいいけど……、刑事事件でぶち混んで、アラカワ……ですか?罰受けたって、僕には一文にもなりゃしないですよ。なにより、時間が惜しい。今僕が書くのは、告訴状じゃない、履歴書ですよ……」
刑事でも得はないし、民事で慰謝料に2万円封筒に入れてくるような両親では、何も期待できないだろう。
「でも」
僕は言う。
「傷害は、親告罪じゃないから。やられたままでは、すますつもりはないです。僕のためにも、ここのためにも」
あいつの幻覚、妄想は、「赤木が俺の悪口を言っている」というものだった。
それは事実ではないのだから、たまたま、だ。
では。
それが、他の人の声に聞こえていたとしたら?
もしもそれが……、女性の声に聞こえていたら?
僕はそれを考えると、ただですます気には、
手放しで許す気になど、なれないのだった。
その日は、病み上がりの肩慣らしとして、タイピングの練習だけして切り上げた。自慢ではないが、タイピング練習サイトに「イータイピング」というサイトがある。このセンターではタイピング測定にこのサイトを使っていて、タイピングの速度に応じてBとかAとか、速ければA+、Sといったランクが診断結果として表示される。
今日の僕の速度結果は、ランク「Professor」。BやAどころではないランク。まずまずといえる。とはいえ、全国ランカーの半分の速度にも満たないくらいだから、本当に自慢にはならない。
就労支援にも、実際の就労についてもいえることだけど、仕事でタイピングの速さなんか、たいして役にも立たない。10分間に1000文字打ってミス5より、10分間300打って、ミス0の方が企業では評価される。当たり前のことだ。
だから僕は、正確性を重視するようにつとめている。
それでも今日は、ぶっ放したい気分だったから、ミスも関係なく、ぶっ放してやった。
みすゞさんの姿は、今日は見ることはなかった。
「なあ、丸尾、あの時、みすゞさんはどうしてた?」
「ああ……、あの時でっか。よく見てなかったですけど……、帰り際、話してたでしょう?でも、あの時はいなかったと思いますよ」
「そっか……」
「それより、面接はどうなりました?」
「それは、延期になった。佐々木さんが手をまわしてくれて」
「よかったじゃないですか。いつにするんですか?」
「とりあえず、明後日行ってくるつもり。つもりっていうか、明後日」
「準備とか、大丈夫ですか?病み上がりで……」
「万全じゃないけど、速いうちにケリ付けたいんだ」
その日、昼の休憩で下に降りるときも、帰りにも、メンバの皆が僕の周りについてくれて、アラカワが襲ってこないか、ガードしてくれた。
沖田さんなんか、「本当に刺される時、一番危ないのは、背中だ」といって、後ろをガードしてくれたし、「これ、入れときな」と、シャツの下に金属のプレートを突っ込んでくれた。
ありがたいと、思った。
その日は、既に提出したものではあるけれど、履歴書と職務経歴書の最終チェック、それに、面接問答のシミュレーション。自己紹介、自己PR、志望動機、エトセトラ、エトセトラ……。そして、これまでの経歴も。
それこそ、その日はマックで寝ずに考えた。
考えて、一晩寝て、本番に、いざ、挑む。
僕のように、うまく職に就けないでくすぶっている人たちのために。
僕は想う。支援員で、ロヒプノールを飲んで眠る人が何人いるか?朝の血中濃度との戦いを知っている人がどれだけいるか?急なパニック発作が起きたときの対処法を。不安な時の安定剤を飲んだ後の、急な眠気と戦ったことのある人が何人いるか。ここに通所するひとたちは、皆、知っているはずのことを。知っているのは障害を持つ者ばかりで、持っているからこそ知っている。
もちろん、健常者である支援員は、「知ろう」「わかりたい」と思ってくれているはずだ。障害があるわけでもないのに。その優しさこそ、いちばん大切なことであると僕も思う。僕もそうありたい。そして僕は障害者だ。
僕は確信する。障害者を知るのは、同じ障害者であると。ぼくは、信じている。
そして、なにより、自分自身が生きるために……、支援員になりたい。
そのために集中しなければいけないから、刑事事件のことは、今は置いておく……。
そして、僕はその時を迎える。
すべての準備は整えた。
尽くすだけの手は尽くした。
就労移行支援事業所という機関に入所してから半年。長い時間ではないけれど、積み重ねてきた面接トレーニング、厳しい通勤・通所も無遅刻、無欠席で通してきた。眠剤を飲みながら。パニック発作に遭えば、抗不安剤でしのいできた。大勢の前での自己PR。事件にも巻き込まれた。怪我をおして寝ずに面接問答集を何度も何度も書き直した。まるで一晩かけて、ぐちゃぐちゃな内容になってしまったラブレターのように。それも見直して見直して、しつらえた。プライドも捨てたつもりだ。そこに巡ってきた、早くも巡ってきたといってもいいこのチャンス……。
半年。この半年の月日は、今日、この一日のために費やしてきたと言ってもいい。
僕は高められるだけ気持ちを高めて、この朝を迎えた。
気持ちの昂ぶりは、僕を簡単には眠らせなかった。僕も眠剤は飲まなかった。満員電車を避けて、ほとんど始発に近い電車に乗った。ぎりぎりまで、イメージトレーニングの時間を作りたかった。
これも、面接へ挑む者としては、たぶん、やってはいけないことなのだろう。頭の中で面接をイメージして、こう聞かれたら、こう答える、こう聞かれたら、こう……。それは想定していない質問が来たら対応できない可能性に繋がる。たぶん、面接をすんなり通る人というのは、印象……。第一印象なのだろう。
そして、そういう人は、たぶん、面接を、面接としてとらえていない気もする。面接官を、面接官、採用担当者として捉えていない気もする。だから、「志望動機は?」「はい、志望動機はこうです」「自己PRは?」「はい、私の長所は、これです」というカタチにならないのではないか、と思う。
面接官も、一人の人間。一人の人間として、自然な会話につなげて、面接担当者から、こいつと一緒に働きたいな、と思わせる。それが、面接ができるヤツなのだろう。
そんな気持ちもある。それは不安にも繋がってくる。でも、情熱……。情熱があれば、伝わる、はず、だ。それは僕の自信。それが僕の自信。それで僕は挑む。
面接は11時からだけれど、たぶんまだ、ほとんどの人が出社さえもしていないような時間に現地にたどり着いた。
面接があるのは、この眼の前のビルの35階。入り口やなんかを、確認する。うん、間違いない。この入口だ。
近くにファミマを見つけた。イートインがあるので、具合がいい。ここで時間まで待つことにした。
提出した履歴書や、職務経歴書をめくったり、面接問答の想定をする。
時間が経つにつれ、出勤前に一息つきに来たような人々がまわりに増えてくる。窓の外を歩く人達の姿も。そのビルに向かっていく人も多い。
なんだか、イートインの隣に座っている人、面接担当のひとじゃないだろうなあ、という気さえしてくる。応募書類を見ている僕を見て、「今日の応募者は、こいつか……」なんて思われたりしているんじゃないか、とか、疑心暗鬼にもなってきてしまう。
緊張はしていないつもりだったけれど、不安はかき消したつもりだったけれど、大きな局面を迎えると、いろいろな気持ちが沸き上がってきてしまうものだ。
時間はあっという間に経ち、指定の1時間くらい前になると、僕ももう、へたに暗記しようとか、そういう気持ちは捨てた。さんざんやってきたことだ。一服、二服煙草に火をつけたり、コーヒーに口をつけたり、リラックスにつとめた。
デパスはもはや飲まなかった。やはり、もうこの気持ちの高ぶりを落としてはいけない。
そろそろセンターも動き出している時間なので、スタッフに面接開始報告の連絡を入れる。
「おはようございます。佐々木さんですか」
「おはようございます。赤木さん、体調はどうですか?怪我の具合は?」
「体調は問題ないです。 テンションも申し分ありません。 これでだめならバッサリ死にます」
「もう……洒落にならないこと言わないでくださいね。じゃあ、万全ということで、力を尽くしてきてください」
「もちろんです。あの……」
「はい?」
「佐々木さんもこの面接を通ってそこにいらっしゃるわけですよね」
「いえ、私は別ルートです。別の資格で、まあ、顧問として当初は就いていましたよ」
そっか……。佐々木氏は、ある別の、有資格者なのだった。
僕はどんな面接だったかとか、そんなことを聞くつもりは毛頭ない……、いや、ここの面接を突破するためなら、なんでもするべきなのかもしれないけれど、そのつもりはない。
「一つだけ教えてください。今、そこに、センターにいるかもしれませんけれど、あるメンバーさんは、これを通って、今4次面まで行ってるんですよね」
本人からも聞いているし、メンバーの多くが知っている事実。だからこそ彼がセンターのレジェンドといわれる所以。
「まあ、私の口からは、誰とか、どこまでとか、言えませんけれど……、とっくに知ってるでしょうから、ね。否定はしないです」
「OK。もう、時間です。行きます」
「頑張ってきてください。傷もあるだろうし、無理しないでください。といっても、無理してますよね……。とにかく、終わったらまた、報告をお待ちしています^^」
そして僕は塔を登ろうとした。
携帯を機内モードにしようとしたそのとき、通知が来た。
中邑氏からのメッセージだった。
「通話は迷惑になるかもしれないから、電話はしませんが、応援してます、一緒に仕事できるのを、待っています!」
気持ちを受け取って、僕は会場へと向かった。
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