夢と悔しさと
気がつくと、僕は病院の4床室のベッドに寝かされていた。
ベッドの周りはカーテンで覆われていて、よくわからないけれど、右の手首には点滴の管が繋がれていた。
目覚めはすがすがしかった。
身体を見ると、手術でもしたのだろうか、しなかったのだろうか、包帯がきつく巻かれていた。
そう。ぼくはあの時、襲われたのだろう。こんなことが、このタイミングで自分の身に、起こるとは……。それも仕方のないことなのかもしれない。今日が何日かわからなかったので、携帯を、と思ったけれど、狭いカーテンの中を見渡しても、ちょっと見当たらない。面倒なので、ナースコールを使った。
すぐに看護婦が来て、僕は、「起きました」と言った。ナースは医者を連れてきて、医者は傷などについて説明をしてくれた。
縫合手術は行った。傷はそれほど深いものでは、ないが、少し出血が多かったので様子を見て入院処置とした。全身麻酔は使っていないし、それほど致命的なダメージはなかったので、麻酔薬に近い睡眠導入剤で安静に眠ってもらっていた。
という話だった。
日にちを聞くと、とっくに面接の日は過ぎていた。
あー……。
賭けてたんだけどな。ちくしょー。
医師が言うには、傷自体は大したことないし、したければ、すぐにでも退院しても構わないという。ただ、つきっきりで隣に看病してくれているひともいないしいるわけもないし、じゃあ帰ります、というのもはばかられた。ことがことだ。どうせ面接は潰れてしまったのだし、急いで帰るのも、ばからしい。
警察は来ていないのかな。就労移行支援のスタッフは?
僕を襲った男……、よく見なかったけど、体格のいい男。あいつはどうなっているのだろう。逮捕されたのだろうか?
僕はどこに、誰に連絡すればいいのか。とりあえず寝ていればいいのか。さすがに、これだけのことなのだから、いくら入院していても治療費はどこかから出てくるだろう……たぶん。
看護婦がiPhoneを持ってきてくれた。幸い、バッグに充電器があったので、ごろごろしながら漫画でも読むことにした。こんなこともあろうかと、バッグには積んでいた本や詩集を詰め込んでいる。しばらくのんびりさせてもらうとしようか。
……それも、今日、明日くらいだろう。僕は就職活動真っ最中。遊んでいるわけにもいかない。寝ていれば寝ているほど、まわりに先を越されてしまう。就職が遅れてしまう。それに、病院食もどうせまずそうだろうし、1、2日ゆっくりしてさっさと退院してしまおうと思う。
退院したくなったら連絡を、というのでしばらくはねバド!や星の王子さまを読んでいると、カーテンの外側からナースが僕を呼ぶ声が聞こえた。受け答えると、お見舞いが来ているらしい。僕は全く期待せずにカーテンを開けた。そこには、
みすゞさん……
とは全く関係のない、見たことのない男性と女性が立っていた。
一応、聞いてみる。「どなたでしょうか」
「この度は本当に申し訳ございませんでした。荒川の父です」
「アラカワ……?」
「母です。申し訳ございませんでした」と、両親は、頭を下げた。
「アラカワって、誰ですか」
なんだか冷静な怒りがこみ上げてきた。なぜ、聞いたこともないような人間から襲われなければならないんだ?大事な面接を潰してまで。
アラカワ父は、日本人離れしているような風体をしている。西洋人の血が入っているのだろうか。
「僕が刺された時、確か、『殺してやる』って聞いた気がします。あれを言って、やったのがアラカワなんですか?」
「おっしゃるとおりでございます。本当に申し訳ございませんでした。お身体は……、大丈夫でしょうか」
そういえば……。あの日、丸尾から「アラカワのガキが」どうこうという言葉を聞いていた気がする。全く気にも留めていなかったけれど、そのことだったのか……?
「大丈夫だったら……、こんなところにいません。大事な面接があったのに……なんでこんなことを!?」
両親はひたすらに恐縮している。様子だった。しかし、冗談で済む話じゃない。
「本人は、謹慎させております。ひどいことを、してしまったと反省していますので……」
「警察の取り調べですか?」
「いえ、警察ということではなく……」
「警察は関わっていないのですか?逮捕は……? え、私を刺した後、センターから逃げたじゃないですか」
「……」
どうやら逮捕はされていないような様子だ。センターは、通報していないのか?事を荒立てないという意図なのか……?それにしても、センター内で収めるような話じゃない……ではないか……。
「それで、これはご迷惑をお掛けしてしまったということで、お納めいただきたく……」
封筒のようなものを差し出す、アラカワ氏。
「これは、何でしょうか」
「治療費として、2万円入っております」
治療費として、2万円って……。僕はわけがわからなくなってきた。
「あの、まず、アラカワさんって、どなたなのですか?僕を知っている方ですか?」
アラカワの両親は不思議そうな顔をしている。
「あの、赤木さんはご存知でいらっしゃらないのですか?」
「ご存知……、知りませんが……」
「同じ就労移行支援事業所に通所している、アラカワです」
「ぜんぜん知りませんが……。 知っていたとしても、見たことはあるかもしれませんが、話したこともありませんし、特に交流も、ありません。少なくとも顔と名前が一致するほどの関係では、ありません」
「そうですか……。 いえ、今回の件について簡単にご説明させていただきますと、息子が言うには、『赤木というメンバーが俺のことをいつも悪く言っている。陰口を言っているに違いない。ずっとスタッフに訴えてきたが、許せなくなった。許せなくなったから、やった』と」
面倒、迷惑極まりない話……。
陰口……、悪口……? 知りもしない男の……?
幻聴、幻覚……か。
そんな身勝手なことで、僕の面接は……。目標が遠ざかってしまうのか。第一志望だったのに!
「僕は!最初襲われた時も、アラカワという名前を聞いたときも全く身に覚えもないですよ。何者かが!センターに部外者が侵入してきたのだと思っていたんですよ!昔の、大阪の池田小学校の事件のような……。完全な、逆恨み……しかも、警察も一切今回の捜査には関わっていないですって?一体どういうことなのですか!
なんですか、この封筒は? 冗談じゃない……。こんな事態になって、入院して、通所もできないじゃないですか。謝罪なら、10倍持ってきてください!」
僕はとても冷静になれない。渡された封筒を、「なんですか、こんなもの!」と彼に向かって投げつけた。
「……。」
アラカワの父と名乗る男性の目の色が、変わった、気がした。
僕は呆れ果てて言った。わかっているのか、この父親も……。
「わかってるんですか!? 僕の身にもなってください」
僕はすっかり脱力した。
「すみません。私共の方から、センターには連絡させていただきますので、ひとまず、ごゆっくり、何日でもご静養なさってください。大変申し訳ございませんでした。これは、一部、としてお渡しいたしますので……。息子は、この病院のことを伝えておりません。知りませんので、ここに来るようなことはございません。どうか、その点は、ご安心なさってください」
もう一度、アラカワなる人物の両親は僕に向かって頭を下げた。何かの果物のようなものと、封筒を置いて帰ったようだった。
「ちくしょう!」
こんなことをしている間にも……、みんな進んでいってしまう……。
ちくしょう……!
数日間を僕は病院で過ごした。
その間、例のアラカワなる両親のほかに、就労移行支援事業所の管理責任者、佐々木氏と担当の後藤氏が病室を訪れた。
僕はまっさきに、いちばん心配していたことを聞いた。
「面接、だめになっちゃいましたよ。佐々木さん、後藤さん」
「その関しては、私たちスタッフとしても申し訳ないと思ってます。遺憾と言ったら失礼かもしれないけれど、今思えば、もっと適切な対処ができたかもしれないと、反省していますよ……」
「アラカワさんについては、ちゃんと私からも言っておくべきだったと思っている。申し訳、なかった」
後藤さんが謝ることじゃない、とは思うが。しかし……。
「聞けばそもそも、そのアラカワって人、スタッフさんにずっと訴えてたそうじゃないですか。僕のことを、『赤木が俺のことを悪く言ってる、なめてる』って。それって、考えてみればすごく危険な状況だったわけですよね。ずっと僕のことを逆恨みしてることを知っていて、それを知らない僕とセンター内で野放しにしてたわけじゃないですか。
だとすれば、今回のことは、……いわば必然ですよ。起こるべくして起こった事件だ。別に佐々木サンの責任を追求するつもりはないですよ。『センターがなくなったら、僕も終わりです』から」
佐々木責任者と後藤氏も、言葉はないようだった。後藤氏は説明する。
「確かに、赤木さんを恨んでる人がいることは、私たちだけで共有しておくべきじゃなかった。事前に赤木さんに伝えていれば、赤木さんも警戒のしようがあったと思う。私達としても、アラカワさんには、それは誤解だし、赤木さんはそういうことを言ったり、するはずがないということは、何度も説明してきたつもりでした。でも、わかってもらえなかった。それでこういうことに至ってしまったことは……、赤木さんには申し訳ないとしか、言えない」
「起きてしまったことは仕方、ないですけどね……、いや、それですむことでも、ないけれど……」
佐々木氏は、その措置として、という話をする。
「ですから、赤木さん。ウチの面接については、私たちの方からかけあって、日程をずらします」
「採用担当部署の方からも許可を取りました。赤木さんの、今回の事件の詳しいことは、伝えてはいませんけど、『赤木さんの非がない形で、事故に遭った』ということにしてます」
僕はちょっと驚いた。
「ま、まじですか?」
「はい。これに関しては全く赤木さんに非はないですから。日程はどうにでもなります」
「ええ……、その、……こちらが言うのも変ですけど、あ、ありがとうございます。お手数おかけしてもらって、気を使ってもらって、すみません」
いや、それはこっちのセリフです、と佐々木氏は言った。
「だってせっかくのチャンスですからね。一番の志望先でしょう、うちは。『就労移行支援員』になって、ウチで一緒にやってもらいたいと、思っていますよ」
「無職の人間が、就労移行支援員目指すってのも、パラドクスっていうか……、妙な話ですけどね……。ありがとうございます」
なぜ警察を呼ばなかったのか。逮捕されていないのか。センター長はなぜ出張ってこないのか。センターからの謝罪はないのか。センターは今どうなっているのか。アラカワはどうしているのか。聞きたいこと、確認したいことは山ほどあるけれど、余計な心配より、まだセンが繋がっているのであれば。
僕はそれを辿っていく。
後藤支援員が言う。
「アラカワさんの件、ご両親は、ああ、もちろん本人は抜きでね。佐々木さんと私と、ご両親と赤木さんの5人で話し合いの場を持ちたいとおっしゃってる。あらためて、謝罪の場を作りたいと」
……それどころじゃ、ないんだけどな。
「それは一度おいておきたいです。日にちとか、その辺はあらためて。ただ、今週中には復帰したいと思っています。できれば、面接も早めに受けたい。いろいろ言いたいことはありますけど、あまりこの件、伸ばしたくないです。そんなことのために就活してるわけでもないですから」
「うん。アカキさん。 わたしたちは立場上、中立、というスタンスに立たなければならないのが基本ですけど」
続けて佐々木責任者は言った。
「私はあなたの味方ですよ」
僕は、佐々木さんが持つその言葉の深い意味を知っていたので、嬉しかった。
「あの、後藤さん」
「うん」
「あの時……、刺されたとき、僕のまわりに誰かいましたか?」
「どうして?」
「女性とか、いなかったら、いいなって」
「その意味は……?」
「あんな場面見たら、怖くなっちゃうでしょ」
女性とか、男性とか、本当はどうでもいいのだけど、
みすゞさんにはあんな場面、見てほしくなかったから。でも、それを直接聞くわけには、いかなかった。
メンバー同士、特定の誰かに、気持ちを抱いていることを知られてはいけなかったから。それを知られてしまえば、僕とみすゞさんの通所日をずらされてしまいかねない。
「あの時は女性は帰っていた……。だから心配しなくてもいいと思う」
「本当に……?」
二人が帰っていった後、僕は四人部屋で、声を殺して泣いた。
その翌日、僕は退院した。
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