絶対に負けられない。皆、そう思ってる

 普段入らないオフィスで、ガラス製のパーティションを見るとなんとなく胸が躍るような気持ちになる。のは僕だけだろうか。それは普段生活している場所と比べて格段に綺麗だからなのだろう。それに、フロアが高ければ、なおさらだ。一つのビルに、エレベータが何基もあったり、それぞれ上れる階が決まっていたり。なぜか派遣会社が集まっていたりするものだ。

 こんな場所で事務所を開けたら。と思う。いくらするんだ?ここ借りるのは……。

 通されたオフィスは、そんな場所だった。

 係の者が参りますので、と、それまでお待ち下さい、何を飲まれますか?と、飲み物の冷蔵庫の前に案内された。ファンタから、コーラ、烏龍茶、コーヒー、缶がいろいろとり揃えてあるのには少し驚かされた。コーラにいたっては、瓶である。このフロアで仕事に就けたなら、福利厚生としてこのコーラを享受できるのだろうか。それはあまりにもおいしい。

 迷わず瓶コーラを頂戴することにした。

 「面接会場で、何をお飲みになりますか?と飲み物を勧められた時は、最も無難なコーヒーを選ぶか、『お構いなく』と答えるべきである。既に面接は始まっており、『コーラ』や『ファンタ』を選ぶ時点で、選考から除外されるのである」的なことがあるのかもしれない、と少し思った。

 面接用スペースのパーティションはさすがにガラス張りではない。

 入り口に近い下座に座ろうとするが、奥の上座を促されたので、そこで僕は待つ。

 さすがにコーラにも口をつける気になれず、スナッフをやりながら、待つ。

 ……。


 エレベータから降りた二人はいつもの面接用の部屋へと入る。

 障害者求人の相手をするのも、一度や二度ではない。さりとて、百や二百でもない。それどころの数ではない。自社の利用者も頻繁とはいわないまでも、珍しくはない。求人ページからエントリーしてくるのはまだ良い方で、採用担当者個人のFacebookを探し出して、直接志望してくる者だっているくらいだ。

 100%落とす。絶対に採らない。そう決めたり、決まっていたりする、とは言わないが、よほど心を動かされなければ、針の穴に糸を通したりしない。

 後藤と小原はそんなことをあらためて意識するまでもなく、もちろん緊張などすることもなく、志望者のもとへ向かう。


「お待たせしました」

 二人がスペースに入ると、志望者はすぐに立ち上がり、挨拶をした。

「ま、お座りください」

 と小原は促し、3人とも席に着いた。

 めちゃくちゃ小柄な男だな、と小原は思う。

 小原はほんの10分ほど前に手にした履歴書、職務経歴書を見やる。後藤も同じだろう。

 二人は黙って、少しの間、書類を見る。

 志望動機……。小原には、ひどく見慣れたもののように見えた。自社サイトを見ていれば、必ずどこかに書いているようなフレーズ……。障害者の視点で、立場で、社会を変えていく……か。これまでに何度も耳にした言葉。改めて言葉で聞く必要はないように思えた。書いてあることを、あえて聞くこともない……。飯塚も同じことを考えているに違いない。


「弊社の支援事業をご利用いただいているとのことで……、ありがとうございます」

 と飯塚が口を開いた。

「恐れいります、たいへんお世話になっております」、と赤木は答えた。

 小原も履歴書を見る。

 職歴が多いな、と感じた。転職が多いのか。……何かしら精神疾患を持っていれば、珍しいことではない……。一応聞いてみることにする。

「この、5年前にお勤めだったところは、非常に有名な、予備校ですね。講師をされていたんですか?」

「講師ではありませんが、役員秘書をしておりました」

 ほう。 

 男性でもあるし、秘書という言葉は意表を突いた。

「スケジュール管理ですとか、議事録の作成や全体の勤怠管理などですね」

 飯塚が尋ねる。

「なぜ、予備校に?」

「当時通学していました。講座を受講している時期に、求人の募集があったので、勉強になると思い志望したのです」

 20後半で予備校?

「ああ、そっか、資格の予備校なんですね、法律系の。ああ、なるほど。国家資格じゃないですか。かなり勉強しましたか?」

「そうですね、だいぶ時間はかかってしまいましたね」

 飯塚は、あまり歓心を持っていないように見える。無理もない。努力は認めるけれど……、就労支援とも福祉とも、関係がないんだよな……。

 その飯塚が尋ねる。

「そちらには、進まれないんですか?せっかく資格、あるんでしょ?」

 小原も同じ疑問を抱く。国家資格も一朝一夕で取れるものでもない。ここで採用したとして、簡単に、やはりそちらを目指す、と心変わりされて辞められてもしようがない。

「それも考えました。考えましたが」

 少し迷ったように見えた後、言った。

「法律職も、就労支援も、人の役に立つという点では同じだと思います。私は障害を抱いておりますが、不幸だとは思いません。抱いていることが幸せだとも言いませんが、障害を抱いているからこそ、わかることもあると思います」

 ぴく、と飯塚の頬がひきつったような気がした。

「わかることって?」

「わかりたいという気持ちです」

「はあ」

「自分が障害を抱いているから、障害を抱いている人の気持ちもわかるとは思いません。思いませんが、わかりたいという気持ちはとても強く抱いています。わかることができないかもしれないけれど、……少しでもその苦しさに近づきたいという気持ちです。ご質問にきちんと答えるとするとすれば……」

 少しの間。

「障害を抱いている私がわかることは、『わかってもらいたい』という想いの存在です。その想いを抱いている人が、いるということです」

 ……もっともらしいことは、言っているように聞こえるが、なあ。

 飯塚も同じような感じらしい。目が合う。「何かあるか?」目がそう言っている。

 別に、ないがなあ……。ぺらぺらと職務経歴書をめくる。

 御高説もたまわったし、終わらせてもいいのだが。

「……前職、退職されてから間が空いていますね。4年ですか?この4年……と少しですか。これは何かされていたんですか?」

 さりげなく聞いた質問だったが、あきらかに一瞬、狼狽したのを見逃さなかった。後藤も見逃すはずはないだろう。何だ?何かあるのか?

「双極性障害、いわゆる躁うつ病ですが、しばらく入院しておりました。その後、睡眠や生活のリズムを整えて、御社の就労移行支援サービスを利用させていただきまして、おかげさまで夜眠ることができて、朝起きて、食事を三食きっちり食べるという生活を取り戻すことができています。そこまでに少し時間を費やしたということです」

 面接用の自然な笑顔で答えてはいる。答えてはいるが。

 刺さらない。

 俺たちの心には、まだ刺さらない。

 いいことも言っているし、気持ちもわからないでもない。それなりに勉強もしてきているんだろう。法律もわかるなら、雇用率の値くらい頭に入れてきてもいるのだろう。

 だが……腹の底が見えない受け答えだ。

 だし、それを見せてくれとお願いしたり、探るのは、俺たちの仕事じゃない。

 それを見せるのが、志望者の義務。

 お願いしてまで、あなたのことを教えてくれなんて、言ったり、しないんだよなあ。

 よほど、興味を抱いた人間でなければ。

 そろそろ、いいでしょう?と飯塚の方を見た。

「もう少し、あなたの経歴について聞かせてもらえますか?」

 飯塚は、「この男、何かある」と言っている目で赤木という男を見ていた。

 え?


「経歴、ですか、はい」


 まだ何か聞くことがあるのか?と小原は思った。


「あなた、赤木さんね。3年、4年くらい入院していたとおっしゃったけど」

「ずっと入院していたわけではありません。通院しながら、体調を戻すような生活をしていました」


 飯塚はこの志望者の職務経歴書を見ながら、ひとつひとつ、経歴を聞いていった。

「ここはなぜお辞めになられましたか?」

「支社が閉鎖になってしまいました。通勤が困難になりますので。車で100Km以上離れた場所に通勤することになってしまうためです」


「こちらの、これは牧場か何かなんですか?珍しいですね。ITから牧場。都会から離れてみたくなったとか、そういうこと?」

「そういうわけでもありませんが、私的な事情で転居することになりまして。住み込みで農業をやっていたのですが、そこの事業主の方の家庭の事情で退職することになりました」


 どうも要領を得ないというか。

 飯塚はこれは?この次は?と、退職理由に重点を置いて、質問する。この志望者も、あらかじめ聞かれることを想定はしてきたんだろう。できるだけ、自分に非がないような、あってもやむを得ないのだな、と思わせるような返しをしている。が、小原にはあまり興味がもはやなかった。


「赤木さんね、それと聞きたいんだけど」

「はい」

「ご両親はご健在ですか」


 飯塚はまっすぐに志望者の目を見て、何かを探るように聞いた。


「いえ、父、母ともに他界しております」

「ご病気で?」

「……はい」

「ふたりとも?」

「はい」

「ご兄弟は?」

「弟と、姉がおります」

「仲はいいですか?」

「そうですね、悪くは、ありません」

「これから面接が進んで、内定、となった場合、ご兄弟に身元の保証人になっていただくこともできますか?」


 小原には、なぜこの志望者に、飯塚がそこまで聞く意味がよく見えない。


「はい、可能です」

「そうですか……」


 間を開けて、飯塚が聞く。


「いつから来ていただくことは可能ですか?」

「……っ、そうですね、私は御社の支援事業を利用させていただいている身ですが、就職が決定すれば、その時点で訓練は終了させていただくつもりですので、いつからでも勤務を開始する準備はございます」


「合理的配慮について弊社に求めることはありますか?してほしいこととか、通院の時間がほしいとか」


「通院は土曜日でも可能ですので、特別お休みをいただく、ということはあまりありません。ただ、パニック発作が起こったり、強い不安感に襲われることがときどきありますので、その際は服薬のお時間をいただければ、幸いです」



 飯塚は小原の方に目をやってきた。「何かあるか」 小原は特に反応を示さなかったので、飯塚は面接を締めた。


「では、結果は電話か、メールでよろしいですね?」

「はい」


「最後にアピールしたいこととか、あればどうぞ」


「はい。私は……」


 頭の中で想っていることがあるのだろう。数秒、考えて、志望者は言った。


「私は障害を抱えている、抱えています。しかし、その立場で、支援員として、ひとりひとりを、就労のサポートをすることで、社会のひとりとして……活躍してほしいと思います。生活保護受けながら暮らすとかじゃなく……。社会に出なければ、結婚だって難しいと思います。それに、ただ、就労の支援をするだけじゃなく、より良い生活を送ってほしいと思います。クオリティ・オブ・ライフQ・O・Lだって重要です。彼女の誕生日だったら、ディズニーランドくらい、一緒に行きたいじゃないですか。賃金が低かったら、それも遠い話です。そんな側面は……障害者の側に立たなければ、見えて……来ないかもしれないじゃないですか?だから……、私は、そんな側面を見てきた身として、障害者の一員として、支援をしていきたい。ひとりひとりの支援をしていきたい。その積み重ねの先に、社会から障害というものが、なくなるんだと思います」


 志望者は胸から絞り出すように言って、帰っていった。


 再び、エレベータ。


「飯塚さん?何か、思うところあったんですか?」


「……ああ、ちょっとな。なあ小原。志望者の通ってるセンターは?」


「府中です」

「戻ったら、俺んとこに電話番号送っておいて」

「なんでですか?」

「たぶんだけどさ、」

「何ですか?」

「……事件について、ちょっと気になってな……。いや、いいんだ」

「事件?」

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