僕の拳
それから間もなく、センターにまた電話が鳴った。一人残っていた佐々木は、電話を受けた。
「オアシス本社の人事部、面接担当の飯塚です」
「ああ……、お疲れ様です。お久しぶりです、佐々木です」
「佐々木さん。ずっと気になっていましてね。……彼のことです。そちらの」
「……赤木さんのことですね」
「そうです。彼が面接に来た時、思い出したんですよ。あなたが、弁護士のあなたが、4年前に弁護を担当した、彼のことをね」
「はい。飯塚さんは、あの時、あの場所にいらっしゃいましたからね。裁判所に。私と同じ場所に。…私は弁護士、あなたは、……そう、記者だった」
「あれから『4年』ですか。当時は彼もひどい精神状態だったのでしょう。それから今日まで、よく立ち直って来たものです。執行猶予の4年を、彼なりに生きてきたのだろうと、思いましたよ。連絡させていただいたのはね、面接の結果も決まったということもありますが、彼は今、どうしていますか」
しばしの間をあけて、言葉を選び、佐々木は答えた。
「戦って、いるでしょうね」
「戦っている……?病気とか、あるいは、自分の過去と、とか、そういうことでしょうか?」
「……こういう言い方をするのも、芝居がかっているかもしれませんけれど……、自分の将来を決める、戦い、とでも言いますか」
「佐々木センター長。こう言ってはなんですが、それは、オアシス……、うちの、いや、うちだけじゃない。就労移行支援を利用している、ひとりひとり、すべてに言えることでしょうね。障害を負っている皆、ひとりひとりが、重いものを背負って、戦っている」
「仰るとおりです。それに重い軽いはあるかもしれない。でも、そんなことは就労を目指すひとりひとりに関係もなければ、優劣も、ありませんよ」
「そう思いますよ、佐々木さん。私は彼の面接を担当して、彼の言葉に、深く共感するところがあった。私はね……。私もあなたも彼の過去を知っていたからこそ、支援員を目指したいという気持ちは、よく伝わった。もちろん、過去は、面接の結果には関係するものではないのですが。彼によく伝えていただきたい。その、『戦っている』ということについても、報告を……」
「はい。詳しいことは、追って本社に報告いたします」
赤木の就労移行支援事業所の面接を、部下の小原とともに担当した飯塚は、その結果を佐々木に伝えた。それを、佐々木は、電話口で頷きながら、聞いていた。
赤木は刑事課の扉を勢いよくこじ開けた。警察署の一室で刑事たちは待っていた。
「西田刑事」
「よく戻ってきたな」
「当たり前だ。僕は、僕の意思で戻ってきた。自分の潔白は、自分で証明する」
「へぇ。恰好つけやがって。まず、」
西田は言った。
「出せよ。わかってるだろ!」
アカキは、足が震えていた。
——怖い。
怖いのだ。
密室。
「……わかった」
アカキは携帯を差し出して、丁重に、デスクに、差し置いた。
「……他には?」
「ない。必要、ない。」
「まあいい。信じるわ。まだ、こっちも権限があるわけでも、ないからな。お前も、素人とも思えん。うかつなことは、こっちも、しないでおく。俺たちもお前を信用する。だからお前も信頼しろ」
あのドアの芝居で、よく言うものだ。と言ってやりたい気持ちを、アカキは抑える。
「ふうん。まあ、よく戻ってきたよ。丁度…」
間。
「今、荒川さんたちが到着したしな」
「上等……。」
沈黙
「あの人は、どこ行ったの?」
「あの人って?」
「最初にここにいた、ベテランっぽい刑事のこと。」
「さあ?煙草でも吸ってるんじゃない?」
チッ…とアカキは心の中で舌を鳴らす。
裁判所か。
「まあ、……うちらとしても、変なことには、したくないんだ。ちゃんと聞かせてくれ。改めて聞く。相手は、荒川さんは脅されたと言ってる。そこは間違いないのか?」
「脅してない。脅すわけがない。
完全に、民事。僕がしたことは、刺されて、意識が戻った後の病室で、
『これを』と封筒を差し出されて、ふざけるなといっただけ……!」
……
「民事だ!」
「民事か刑事かは、こっちが決めるんだよ、ボケ…!」
沈黙
「叩きつけたんだろ?」
「え?」
「だから叩きつけたんだろ、差し出された金をさ。どこに?」
「どこにって」
「人に向けて叩きつけたなら、暴行になるな」
「やめろっ!!そんなバカなことが…!」
「バカじゃねえんだ!」
…
「事実なんだろ」
「忘れた」
扉が開いた。
「おお。よくまだいたな、おい。どうだ」
警察署に来た時にいた、ベテラン刑事がどうっと、ついに扉をあけて現れた。
「警部」
と、西田刑事は言う。西田は警部にぼそぼそと耳打ちをする。
「何だぁ?素人が、偉そうなこと、しやがって。携帯で写真撮った、だぁ?
上等だ、やってみろ!おい!」
西田がそれをとどめる。
「まずいですよ」
「知るか!」
再び沈黙。
「で、どうするんだ。荒川さん、来てるんだぞ。おい。ちょっと中、入れ。こっち来い。おい!取調室空いてるな!あけろ!」
返事が聞こえる。
「…なんで。」
「せっかくアメリカから来てるんだからよ!会うのが、筋だろ!え!こら!」
「これが警察がすることか…!?」
「することなんだよ、気違いが」
「……じゃ、行こうか」
と、西田が言った。
アカキは再び腕を掴まれ、今度こそ本当の個室へと、連れられた。
これを、連行と、いう言葉を使っても、妥当するはずだ。
そこは逃げられない椅子と机だけの部屋。
扉は一つだけ。殺風景で冷たい部屋。
窓も当たり前だけれど、ないし、灰皿さえもない。
僕と西田とベテラン警部。
こんな部屋では……何が起きても、どうしようもない。
警部、が通告する。
「ま、最後に聞くぞ。」
「荒川さんたちはな、怖がってるぞ。お前が脅したからだ。脅迫したからだ。それはわかってんのか?」
「……」
うかつなことは言えないとは、まさにこの状況。
「わかっているのかと、聞いているんだ!」
西田が追撃。
「僕がやられたことは、……どうなる……んだ」
「だからなぁ。やられたから!やっていいことには!ならないだろ!」
「……」
西田は続けて、言う。
「あのな。君がな、こんな告訴状持ってきたり。逮捕しろとか、言われたら、怖がるのは当たり前だろ?」
「就労、支援っつうのか?」
警部がさらに言う。
「お前たちだって、仕事を探してるんだろ?就職したくて、頑張ってるんだろ?それをな、告訴だ逮捕だって言ったら、終わりになっちまうだろ。それは、お前だって同じじゃないのか。、え?」
西田。
「きみなら、わかるよね?」
優しく、言った。
しばらく考えて、
アカキは、言った。
これが、落ちる、ということなのか。
「怖がらせたなら、すまないと思う」
西田は警部に目を向けた。
そして警部はうなづいて言った。
「よし。じゃあ、これで終わりだ」
終わりか。歯ぎしりをして、アカキはうなだれて、呟いた。
「逮捕状か?」
「逮捕して欲しいのか?」
「取りに行ってたんじゃ、ないのか」
「誰が。」
「あんたが」
「あ?いつ」
「さっき、どっか行ってた、でしょ」
「喫煙室のことか?」
「喫煙室?」
「煙草吸いに行ってただけだ」
「裁判所行ってたんじゃないのか?」
「こんな民事事件で、逮捕状なんか、取れるか。何言ってんだ」
「…え?」
「だから、話し合って、終わりにしろ。隣の部屋に来てるから」
……なんだ、この対応は…?
どう、解釈したらいいのかわからない。
アカキは、再び連れられ、隣室、もう一つの取調室へ向かった。
西田が扉を開けると、アカキを刺したアラカワと、その父親の荒川が、いた。
怒りと、とても安堵とは考えたくもない、クソッタレの味のするため息を飲み込んで、二人に向かって静かに強く言った。
「やってくれましたね」
体格の大きいアラカワと、その父に向かって、静かに、言った。静かに、強く。
アラカワもかなり体格は大きい方だが、その父親はやはり日本人離れした、すらりとした高身長の男。
西田が後ろから、言う。「オラ、謝れ」
謝れ?
「僕が、か?」
「当たり前だろ」
警部、と呼ばれた中年も言う。
「当たり前だろうが!お前みたいな、ろくに働きもしない、碌でなしとは違うんだよ!」
「……だから」
アカキは言う。「だからだろ」
「なに?」
「だから立ち上がろうとしてるんじゃないか!なんだ!謝れって、なんだ!そこの、そこの」
ぼくは歯を食いしばって、アラカワを睨みつけた。
「そこの、糞野郎が、なんだ!活動がうまくいかないからとか、病気とか!それで、僕たちに危害を加えて憂さを晴らしているような奴じゃないか!」
「……弱い野郎じゃないか」
アカキは小さくつぶやいて、強く言う。
「立ち上がるのが、強さじゃないか!何か結果を残すとか、残したとか、そういうことが、強さじゃないだろ!お前が何をしたいのか、……知らないけど!僕たち障害者は、そうだ、仕事なんか、そうそうない。そうそうないから、立ち上がるってことが、つらい。苦しい。見つけたとか、仕事をきめたとか、以前にだ……。でも!」
赤木はふたりをまっすぐに見つめて、告げる。
「センターに通う、朝!起きて!立ち上がって!行く!それ自体が、強さだろ!そこからみんな頑張ってく。歯、食いしばって!バス乗って電車乗って、行く!それ自体が強さってことじゃないのか!自分がうまくいかないから刺すだとか、殺すだとか……、録音撮って、……僕を、俺を脅迫……?みんなひとりひとり戦ってるじゃないか……!」
「おいコラ、やめろ」
西田が止める。
アラカワも、父も、黙って、いる。
父親は、少しほくそ笑んでいるようにも見えた。
「お前は弱い野郎だ……だから」
アカキは警部が掴んでいた左腕を振りはらった。
「何だ!」
「みせてやる。」
アカキは西田が掴んでいた右腕を振りほどいた。
「お前にみせてやる、お前とは違う俺の強さを。アラカワ!」
「おい!止めろ!」
刑事を
振り払って
アカキは
走り込んで、アラカワに向かって駈け向かい、右の拳を思い切り、
歯を食いしばって、思い切り、
顔面の寸前で、とどめた。
「俺の未来にかけてお前を許さない。終わりだ!」
アカキは2人と、刑事をおいて、警察署を後にした。
…踏みとどまる、強さ、なんてものじゃ…ない。
アカキの怒りが、怒りが強かったから、アラカワを殴らなかった。
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