呪いと祝福の繰り返し

「やめとけ」

「やめといた方がいいですアカキさん」

「まじむり」


 顔なじみの居酒屋ラーメン屋の四人テーブルで、仲間たちにすっかり僕は駄目を出されてしまった。実にあっさりめの無化調ラーメンなのに、ずいぶんと耳に入る助言もあっさりしていなく、痛いし、現実は重かった。

 沖田さんは相変わらず僕にまあ飲めとジャックダニエルを注いでくる。

「私、あそこの見学、行ったことあるんですよー」、と、僕より8か9歳ほど若い、内田さんという女子が言う。

「見学って?」

「今、朝礼の見学やってる企業って、多いんですよ。あ、ごめんなさい。釈迦に説法かもしれません。アカキさんや沖田さんは参加されたことあるかと思いますけど」

「ああ、多い。多いな。あれだ。詳しくはしんないけどさ、ワタミとか、鳥貴族とか、ああいうさ、体育会系っぽいとこはよくやったりしてるみたいだよな」

 ワタミとか鳥貴族が朝礼見学会をやっているのかは、僕もよくは知らないが。っていうか、どっちも、店、朝やってなくないか。

「そういうとこの朝礼って、すごいんですよ」

「すごいって、どういうふうに?」

「うーん、どうって言われると、困っちゃうんですけどー。太鼓叩きながら、体操したり?」

「太鼓?」

「タイコですよ。ドーン、ドーンって叩きながら、『よいしょーっ!』『よいしょーっ!』って、体操するんですよ。全社員で」

「……いまどきそんなことやってるとこあるのか……。太古の話じゃないのか……?」

「いや!あるある! ああいうとこ、テンション異常にすげーんだよ。朝からさ。営業部員とかさ、『今日はね!一日から!飛ばしていきますからね!目一杯!頑張って!いきましょう!いいっすか!』ってのを見たことあるな。とにかく、体育会系全開で、すげーんだわ」

「そう、それで、アカキさんが実習に参加された法律事務所?結構大所帯じゃないですか。わたし、今の就労移行支援事業所に移る、前の事業所で、みんなで行ったんです。そこの見学会。やっぱり、そんなノリでした。タイコ叩きながら、みんなでスクワットやるんです。100回。男女関係なく。それも、笑顔でやらなきゃならないんですよ」

「だ、男女関係なく?」

「ないですよー。それに、あの笑顔はちょっと気持ち悪かったですねー。なんだか、ナントカ新聞みたいな、あの宗教団体が出してる新聞の一面の写真、よく見るじゃないですか。みんな、あんな笑顔でしたねー。それも、大声で、『よいしょー!』ですよー……」

 そ、それは正直、引いてしまう。

「私、アカキさんには、できるとか、できないとかじゃなくて、合ってないっていうか……」

 内田さんは、続けて、言ってくれた。

「そういう『一員』になってほしく、ないです私」

 と。

「たとえばほら、これ見てください」

 内田さんがiPhoneを差し出してくれる。

「『ブラック居酒屋の本気の朝礼』?」

 動画だ。YouTubeだ。

「こんな感じなんですよ」

 僕と沖田氏と、もうひとり黙って無化調ラーメンを啜っている、唐檜末氏がディスプレイを覗き込む。

 ……。

「すごいな、こりゃ」

 誰ともなく、言った。誰の言葉でも、同じである。つまり不定。

「こういうので、会社の元気さ、活気良さをアピールしているんでしょうね」

 唐檜末氏が「チャーシュー、単品で」と追加オーダーする。

「こういう会社はさ」

 と、語り出した。

「社員のモチベーションを上げるのが目的でやってるのさ。朝からね。やるのと、やらないのとでは違うから。それと、こういうことをすることで、社員を大切にしているっていう対外的なアピールになる。それがこうやって、YouTubeに出てくる。たぶん、アップロードしてるのも、自分じゃねーかな」

 なんと、広く浅い見識なのだろう。このひとは、いつもこうなのである。それはそれとして、沖田氏が言う。

「アカキさんさ、あんたはこういう職場でも、こういうこともやれるっちゃ、やれるでしょ?やろうと思えばやれる。こういうブラック酒屋の体操みたいなこともさ、笑顔でできると思うんだよ。こういう人たちみたいにさ」

「う……、むぅ」

 沖田氏は僕と年齢は離れているけれど、同期。同じ日に入所して訓練を積み重ねてきた。内定という点で言えば、僕は一歩沖田氏にリードしたかたちになる。

「頑張ればできると思うんだよ。こういうブラック酒屋の店員、みんながみんな、本気で楽しんで、嬉しがって笑顔でやってるわけでもないと思う。でもさあ」

 ウーロンハイを飲みながら、言う。

「たぶん、ある日を境に、この笑顔が自然に出るようになっちゃうと、思うんだよね……」

「そういうことだ」、と唐檜末氏ももう5杯目になるだろうか、ウーロンハイのジョッキをテーブルに叩きつけて言う。

「そういうことなんだよ。これを、楽しんでやっちまうようになっちゃうんだろうな。楽しんでっていうか、もう、喜んでだ。鍛えに鍛え抜かれて、いじめぬかれて、いろんな教義っつーか、教えを叩き込まれて、毎日やってるうちに、たぶん『本心から』やれるようになっちまう」

「私は、アカキさんにはそんなふうにはなってほしくないです」

 ……正直、興味が無い。

 というか、興味を持ってはいけない世界な気がする。怖い。

「まあ、一言で言えば洗脳だ!」

「そういうことだと思いますよ」

 ……僕は体育会系にも興味はないし、やりたくないし、やれない。僕はそんな手合じゃない。

 それでも、飯のタネだと言われれば太鼓に合わせてスクワットでも天突き体操でも検討の余地もある。しかしだ。しかしである。しかしなのである。時給952円だぞ!?952円かける1日6時間かける20日は?いいとこ11万。生活保護のお世話になることは間違いない。

「うん……。考える。考え直すことも、検討する」

「なに?まさか、本気で考えてるのか?おいおい……。いくら卒業したいからって、就職決めたいからって、本当によく考えたほうがいいって……。悪いこと言わねえ。焦ったらだめだ」

「ただ、そこでスキル身に着けられるのも、事実なんっすよね。法律職のスキル身に付けて、ノウハウ勉強して、2年、3年みつしり専念して、独立するってのも、悪い話じゃないかなって……」

「そんなもん、丁稚じゃねーか!」

「丁稚だ……。丁稚で、いいかもしれない……っす」

 はぁ、と酒に口をつけ、沖田氏は言う。

「まあ、よく考えたらいいや……。止めはしねーけどさ、……ってか、俺は止める……。止めるぞ。 やめとけ……」

 思い出したように、唐檜末氏が尋ねてきた。

「ああ、そういえばアラカワの馬鹿、どうなったの?」

「両親と詫び入れたいらしいです。……署でね」

「署で?警察署?なんで署なのさ?」

「ポリ立ち会いで、手打ちにしたいんじゃないの?」

 沖田氏が訝しげな表情を浮かべている。

「嫌な予感がするな……」

「嫌な予感って?」

「あいつな、法学部出身なんだわ」

 僕は驚いた。

「法学部! はっ! 法学部出てて、刑法も知らんのですか?」

「アカキと同じように法律事務所狙ってるって聞いたことがある。手打ちにしたいなら、わざわざ警察立会いで、事件になりかねないようなこと、するか? アカキさんは被害者なんだから、その場で訴えられたら、終わりだ。逮捕だ。傷害事件の加害者を、法律事務所が採るわけ、ないしな」

「何か、企んでるんじゃないか」と沖田氏は言うが……。

「ったく、彩樺みすゞさんといい、ブラック居酒屋?といい、アラカワのこともあるし、大変だな」と、唐檜末氏は笑った。なぜか内田さんも、「私だってアカキさんのこと狙ってるんですから」と言ったが、誰も笑わなかった。

「大変なのは皆一緒さ……。うちの事業所の結果も、出てないといえば、まだ出てないんだよなあ……。タスクを整理しないと」

 唐檜末氏が聞く。

「警察にはいつ行くのさ」

「さっさと片、付けたい。今週中にはね」


 でも、なんだか、もう、どうしようもなく面倒な気持ちになってしまった。

「あ……」

 落ちる、感覚。

 双極性障害は、上がり、下がりを一生繰り返す。

 上がれば落ち、下がれば、上がる。

 落ちるな、と思った。

 それは呪いと、祝福の繰り返し。

 半年単位の。


 この予感は、外れることはない。


 それから時が、過ぎた。

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