担当者会議の席上にて

 2日が経った。

 木曜日の朝、いつもと同じ地獄の季節を迎え、昨夜のうちに作って冷やしたゆで卵をバッグに放り込んで、僕はセンタへ向かうバスに乗り込んだ。

 車内のいつもの、最後部座席に座る。3DSを開き、時渡りの迷宮へと向かう。1時間ほど、時間を潰す。

 バスは図書館前に止まり、人を乗せ、駅の前に止まり、人を乗せる。警察署の前、法務局の前、公証役場。やがてバスは人でいっぱいになる。知った顔はいない。センタ近くのバス停は、終点。平日は渋滞にぶつかることも多いから、1時間以上かかることもある。

 バスは終点間際になる。

「次は終点、府中駅前です」と聞く瞬間、僕はボタンを押す。この速さだけは、誰にも負けない。バスは止まり、人が降りだす。既に消えたボタンを、さりげなくまた押す。運転手は停車したのに押されて点灯するボタンを、リセットする。またさりげなく押す。リセットする。降りがけに、また押す。

 こんなバカな遊びも、そろそろ終わりにしなければならないな、と思う。

 

 もともと服も、奇抜なほうだ。

 黒のパンツボトムに、黒のシャツ。それも、燕尾タイプのシャツ。襟は、まるでコウモリみたいだ。それを、首元までボタンを留めて、ネクタイも赤と黒。靴はソールの高いブーツで、やっぱり赤一色。

 平日には、このスタイルも、できまいな。


 センタはまだ開いていない時間帯で、入り口の前に3人ほど、ドアが開くのを待っている。この時間には珍しい顔がいる。僕はいう。

「おはようございます。ハギモトさん、ずいぶん早いですね」

「今日はほら、担当会議でしょ。それに、そこでさっきまで飲んでたから、寝てないっつう」

 と笑いながら言う。

  僕はコミュ障だから、人と関わることは苦手だし、自分から人に話しかけることはどうやったって、できやしない。だからこそ、一瞬の、一度の、チャンス。人から話しかけられた時のチャンスを逃すまいと、コミュ障なりにアンテナを常に張って、人との繋がりを保つようにしている。広げるようにしている。

 その甲斐あって、センタのメンバで飲み会があればありがたいことに誘われるし、男女問わずLINEの繋がりも人よりは多い。それが面倒事に繋がることもあるのだけれど……。

 その繋がりの中で入ってくるのが、このハギモトという男の話。僕と直接接するうちは、僕に対する感情をおくびにも出さないのだけれど、彼が僕以外の第三者と集まると、もう、鬼のように僕をディスっているという情報はうんざりするほど入ってくるのである。

 服がまともじゃない、俺に攻撃を仕掛けてきやがる、知識をひけらかしている、スキル自慢が鬱陶しい、エトセトラ、エトセトラ。

 おそらく僕がさっき口にした、「今日は早いね」という言葉も、彼の中では「この野郎、てめえ」という感情となっていることは間違いないだろう。

「彼がそう言っていましたよ」と、僕に教えてくれる人が少なからずいることは、ありがたいことだと思っている。僕にとっては、これも皮肉ではなんでもなく、何の感情も抱くことはないのだけれど。


 そんな彼が、今日の担当者会議に出席するのは、多くのメンバをうんざりさせることだろう。

 それは会議が始まれば、皆、わかるだろう。


 担当者会議は、だいたい月に1、2度ある。

 就労移行支援事業所では、無論就労を目的とする場所なのだから、メンバそれぞれが様々な訓練に取り組む。Excel、パワポ、ブラインドタッチ言葉狩りの対象はもちろん、中には簿記やIllustratorイラレ、PerlやJavascriptに専念するメンバもいる。

 とは別に、来客応対や、電話応対、お茶出し、環境整備といった雑務、といってはなんだけど、その様な実際就労した時に任せられるような仕事をメンバに担当させる体制になっていたりもする。その担当の割り振りや、問題点の洗い出しを話し合うのが、担当者会議。

 

 僕はセンタにかかってくる電話を受ける担当だったので、会議に参加する。だから、今日は早く来た。


 センタが開き、ラジオ体操、日直の挨拶。もう、10時から会議は開始する。

「昨日は、何リットル、飲んだの?」

 と、しばらく顔を合わせていなかった沖田氏が聞いてくる。

「ああ……。なんか、久しぶりですよね。その尋問……」

「何?またジャックダニエル半分開けた?……なら、こんな時間に来てるわけないやな。氷結ストロング?500ml?2本?3本?1.5リットルいっちゃった?」

 笑いながら聞いてくる。

「いや……、昨日は、ノンアル……」

「ウソつけ」

「いや……マジで」

「なんで?金欠?」

「んー……、ちょっと思うところが、ありましてね」

「また記憶なくして道で寝てるとこ保護されちゃったとか?」

 ……警察絡みの話は、今は勘弁してほしい。

「まあ、おいおい話しますよ。 それより、ヨッチの洞窟まだクリアしてないでしょ?艦こればっかりやって……。あの奥のイベント、やばいんですからね!」

「こっちも、イベントがさあ」と、はぐらかす。僕はiPhoneなので、艦これはよくわからない。


 沖田さんが僕の耳元に囁く。

「それより、今日は……、荒れるよなあ」

「……荒れますね。やる気満々だもん。朝イチで張り切ってたし」

「『俺が俺が』、だからなあ」

 担当者会議では、来客対応、お茶出し、環境整備係にハギモト氏が手を挙げ、まるでスタッフのように仕切っていた。まあ、それもリーダーシップがあるということで評価すべきところなのだろうな、と僕は傍観していた。彼はいちいち、改善する必要がないようなことでも、案を提案し、「……ということで、いいですね」、と迫るのであった。それを僕たちメンバは、まあそう言うなら、とあえて反論しない。


 なかむー氏は呟く。

「ったく、何様なんだかな……」

「『俺様』、でしょ……」


 ハギモト氏の耳に入ってしまったか、彼は僕たちの方を向いて、言った。

「なんか意見、あるんすか?」

 僕たちは慌てて言う。

「や、何も」

「何も何も」



 もうすぐ正午。

 会議も終わりに近づき、会議最後の電話担当のメンバが集まりだす。僕も担当者だったので、これには参加しなければならない。僕はセンタを見渡す。室内の隅の方、壁際の席で、彩樺みすずさんがPCを操作しているのが見えた、はずだった。でも、その姿は、どこにも見えなかった。

 誰が担当に選んだわけでもないのだけれど、仕切り担当のハギモト氏が改めて口火を切る。

「じゃあ、電話担当ですけど、これまで何か問題点とかありました?」


 僕は一言言う。


「電話担当に限らずですけど、メンバが固定化したまま、曜日ごとに割り振りするのは、どうでしょうね。もっといろんな人に声をかけるとか周知して、一人でも多く担当してもらった方が履歴書にも『電話応対の訓練を積んだ』って書けるし、いいんじゃないかと思うんですけど」


 特に積極的な意見や反論は出ないようだ。

 ハギモト氏が発言する。

「これ以上メンバ増やすんですか?もう、十分な気もしますけど」


「そこなんですけどね」

 僕はあらかじめ決めていた提案を述べる。

「僕は今週で担当を降りることにします」

「は?担当やめるんですか?」

「やめるっていうか、やれなくなると思う。まず間違いないと思います。何もなければ、あと20日くらいで、卒業します」

 隣の沖田氏が驚いた表情で聞く。

「え、やめるの?なんで?」

「はい。内定いただきました。ので、その分の穴を、他の人で埋めてください」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る