25「おかえり」と声をかけてくれているみたいに

 青い重力井戸の底に引き寄せられるように――『秋水』はどんどんと地球へと落ちて行く。


 現在の高度は約百二十キロ。

 希薄だが空気を纏った星の内側にいる。


 機体は圧縮空気とプラズマ気流によって約千度を越える灼熱を纏い、その熱と衝撃が操縦席を大きく揺らす。上昇し続ける機体温度を、『耐熱コーティング』と『冷却システム』で中和。激しい気流にさらされて糸の切れた凧にならないよう機体の制御をしつつも、これ以上機体の温度が上がることを防ぐためにスラスターやバーニアを使用せず、四肢の挙動によって発生する反作用のみで降下の姿勢を整える。


『秋水』は、つま先から緩やかな斜面を降るように、空気抵抗を受けない形で大気圏再突入を成功させた。


 陽炎かげろうのように揺らめくモニターに映るのは――

 無数の流星と、


 空。


 薄暗い夜明けの前の空と、

 水平線の広がる海。


 僕は身体に纏わりつく暖かな重みを――地球の重力を、しっかりと感じ始めていた。


「――なんとか機体が安定してくれた。あとは成層圏でブレーキをかけられれば、無事に地上に降下できる」

 

 僕はタッチパネル式の指揮卓コンソールを操作しながら、機体に異常がないかを一つずつ確認して行く。排熱の追いつかない操縦席は四十度を越えており、むき出しの額からは大量の汗がしたたり落ちた。


「でも、帰ってきた」

 

 僕が吐いた一息と共に言うと、チャイカが僕の額に手を伸ばして汗を拭ってくれた。


「帰ってきたんですね」


 まるで、母親に「よくやったね」と頭を撫でられているみたいで気恥ずかしかったけれど、どこか心地良くもあった。褒めらているような気がしてなんだか嬉しかった。


『スバル、チャイカ――無事に大気圏再突入を果たしたな? ここから先は、エスコートなしでも大丈夫だろう』

『ああ、ありがとう。ヤクト・ドラッヘがデブリを迎撃してくれたおかげで、無事に再突入に成功できた』

『なら、俺は迎撃に戻る。お前たちは、そのまま地球へ降りてくれ。今度は地上で――基地で会おう』

『本当にありがとう。また基地で』

 

 ジュアンの乗る『ヤクト・ドラッヘ』は、『秋水』を見送るとスラスターを逆噴射させてブレーキをかける。降下速度を落として大地に背を向けると、レールライフルを構えて『巨人』の欠片を迎撃すべく行動を開始した。

 

 黒い雲の晴れた薄暗い空では、まだ百を超える『ガンツァー』が必至の迎撃行動を行っている。『巨人』の欠片を一つとして地上に落とさないために、最後の掃討を敢行していた。


 新しく空に上がってきた『ガンツァー』たちが、降下する僕たちを追い抜き、流星群の降り注ぐ空に上がっていく。従来の人類兵器――戦闘航空機も空を駆け、空に幾筋もの白線を引いていく。


 空は、人類の駆ける白い架け橋で溢れていた。

 空と星を繋ぐように。

 

 全ての『戦闘機』が、僕たちと交錯こうさくする間際、『秋水』を追い抜く際に、親指を立てたり、敬礼をしたりして――僕たちの帰還を祝福してくれた。


 まるで「おかえり」と声をかけてくれているみたいに。

 

 そんな人類の総力が結集した空の中心では――


 真紅の機体による指揮が続いていた。

 

 中世の騎士を連想させる兜のような頭部には、一角の角。

 複雑なスラスター群と、肩先から伸びる翼状の盾。舞踏会のドレスのように壮麗な装飾の施された真紅の専用機。


『マリウス』


 その『ガンツァー』は、あらゆる環境下と状況下で作戦指揮と作戦継続ができるよう設計された指揮官機。細い腰回りからロングスカートのように伸びたスラスター群と、背面に搭載された航空機のような飛行継続装置フライトユニットを持ち――その最大の特徴は、通常の『ガンツァー』の数十倍の通信機能とレーダー装置群。

 そして、直接『戦術データリンク』とアクセスできる指揮官権限。

 機体の装甲と骨格フレームは、全て『重珪素ギガニウム』で構成された超ハイスペック機体。


『全機、よく聞いて――現在、私たちは大型デブリの約90%の迎撃を完了したわ。これより中型・小型デブリに優先度をシフトして迎撃行動を行う。地上の援護艦隊は、今から私が送る座標にミサイルを集中させて。航空戦闘機は指示した迎撃ポイントで待機――ガンツァーの打ちらしを掃討してちょうだい』

 

 前線指揮官のアリサが、この空域にいる全てのものに命令を送る。

 まるでこの空の全てを見渡し、把握しているかのように。

 そして、全てを掌握して支配するかのように。

 

 これが、彼女の搭乗する専用機――『マリウス』による『絶対支配空域庭園アイギス・オブ・アクロポリス』の絶対防衛網。

 

 その迎撃オプションの能力は――その名通り、迎撃作戦の全てを把握し、掌握し、支配する力。


 アリサの『iリンク』と戦術データリンクとを同期――そして、迎撃作戦に参加する全ての『ガンツァー』と、全人類兵器とも同期し、あらゆる情報にアクセスして指揮系統を完全に統一する。同時に、全兵器の火器管制をも掌握することで、作戦宙域・空域の全てを把握する。そして集約された情報を元に、常に最善で最適な作戦立案と作戦命令を下すことができる。

 

 アリサ自身が『巨人』迎撃の総合的なシステムになることを指して『絶対支配空域庭園アイギス・オブ・アクロポリス』と呼称される。

 

 かつて『対ミサイル防衛』の要となった『イージス艦』に搭載された対空防御網、『イージスシステム』を進化させた『対巨人迎撃仕様』と呼ぶべきシステムで――

 

 その名には、軍神『アテナ』の象徴である邪悪と災厄を払う『アイギス』と、女神『アテナ』が崇められた絶対的な『都市アクロポリス』の名を冠している。


『マリウス』に搭載された通常の『ガンツァー』の数十倍の通信・レーダー機能と、アリサ自身の『マキア』としてのスペック――そして『マキア・モデル‐アテナ』の性能と能力の為せる技。


 アリサの存在は、まさにギリシャ神話で軍神と崇められた『アテナ』の化身そのもの。


『マキア』には、生まれながらに与えられたスペックやスキルを現す『モデル』が存在している。その多くは、神話や伝説に登場する『神々』や、歴史に残る偉業を成し遂げた『英雄』から取られている。


 フィンなら北欧神話の英雄『シグルズ』と起源を同じくする英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の大英雄『ジークフリート』。

 特化型の『マキア』、オデットとオディールは万学の祖『アリストテレス』。

 同じく整備特化型のメッサーは、ギリシャ神話に登場する炎と鍛冶の神『ヘファイストス』から。


『モデル』とは、神話や伝説の神々や、歴史に残る偉業を為した英雄の再現であり、その力を以って人類を守ってほしいという――願いや、祈りの結晶。


『巨人』に追い詰められた人類が、人類以上の力を求めた結果――

『モデル』と言う概念を生みだし、そして『マキア』の存在を創り上げた。

 

 神や英雄に願い、祈り、縋るように。


 チャイカの『モデル』は秘匿されていて分らなかったけれど、きっと彼女にも神話や伝説から与えられた『モデル』が存在し、その『モデル』に由来する性能や能力を有しているのだろう。


 僕なんかには、まるで及びもつかない何かを。


 そんな人類に戦うことを命じられ、『アテナ』の再現として生み出された少女が――

 アリサが、覇気のある声を空に響かせる。

 全ての『マキア』を、全ての人類を鼓舞し高揚させるように。


『さぁ、ゲーゲン・ヤークト第二フェーズも、いよいよ終わりが見えてきたわね? クソッタレな巨人も今じゃ小人以下だけど――全員最後まで気を抜かないでよ。あと、迎撃に参加できない機体は速やかに迎撃空域を離脱してちょうだい。足手まといにかまけてる時間はないんだからね』


 最後の指示は、おそらく僕たちに向けて発されたものだろう。

 僕は「了解」と心の中で呟いて――近づいていく大地と、少しずつ赤熱色の陽炎が消えてゆくモニターの空を眺めた。

 

 機体は現在、高度七十五キロ。

 熱圏を抜けて中間圏にいた。


 もう少しで、安全空域の成層圏ストラトスフィアへと到達する。


『秋水』のスラスターを逆噴射させてブレーキをかける。機体は落下速度を落としてゆっくりと大地に向かって行く。機体温度も低下し、プラズマ気流の衝撃もなくなった操縦席で――


 僕はようやく安堵の息を吐いた。

 

 しかし、

 

 その瞬間――

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