23 宇宙で生まれた正しく宇宙を把握する子供たち
頭上に映る地球は、その大きさを何倍にも増していた。
まるで、急速に空気を入れた風船が膨らむみたい。今では、手を伸ばすだけで掴めそうなほど。
地球の重力に引かれ始めた『秋水』は、機体を少しずつ赤く燃やしながら大破に至らないギリギリの速度を選択して、地球低軌道への降下を続けている。
『秋水』の周囲――
まるで赤い雨の中に打たれているような光景は、見ているだけで恐ろしく――操縦桿を握る手とフットペダルを踏む足に、嫌な緊張と不安を貼りつかせる。夏の夜の蒸し暑い空気みたいに。
僕は、それを払うように頭を大きく振った。
チャイカによってナビゲートされる低軌道へのルートも、加速度を増してその難易度を上げ、今では選択できるルートは限られていた。
『――機体右後方より極小デブリ群の波が来ます』
機体を横ロールさせてそれを防ぐ。
『機体左後方より、全長二十メートルのデブリ接近。回避行動と共に衝撃に注意してください』
デブリを避け、それと同時にデブリ通過時の衝撃に身構える。
『機体速度が上がり過ぎています。減速と共に提示したルートへの軌道変更をしてください。デブリ群が接近。デブリの合間を縫って移動してください』
「無茶を言ってくれるなあ」
ブレーキペダルを踏み込み、姿勢制御のバーニアの逆噴射で機体の減速を行い――即座にフットペダルを踏んでスラスターによる進路変更を試みる。操縦桿を限界まで倒し、機体を地球とほぼ並行に動かしなが、デブリの合間を縫って指定されたルートを目指す。
左右上下へと機体を操縦して、ようやく機体頭上に地球を収めると、『秋水』はしばしの休息を取りながら低軌道への降下へ就く。
宇宙空間に天地の概念はないが、地球を頭上にして降下をしていると――どちらが天で、どちらが地なのかまるで分からなくなる。地球を天にして降下をしているのに、そこには僕たちが足をつけるべき大地が存在している。
地球低軌道での活動は、足下に地球を収め、地球の重力を肌で感じることができるために天地の意識を持ちやすいと言うが、本当にその通りだった。
「僕たちは今、天に向かって進んでいるんだと思う? それとも、大地に向って落下しているんだと思う?」
「質問の意味が分かりません。宇宙空間に天地の概念はありません。現状を正確に表現するなら――機体は地球に向けて降下している、以外にはないと思います」
チャイカはいつも通り正確な答えを返してくれた。
「まぁ、そうなんだけどさ」
他愛のない世間話なので、僕は構わず他愛の無い話を続けた。
「僕たちが生まれる以前、宇宙開発時代に宇宙で生まれた子供たちは、この宇宙空間をセンサーやレーダーを使わなくとも正確に把握することができたって知っていた?」
「いえ、知りません」
「かつて、人類は月で暮らしていたんだ。月面を開発して、そこを第二の星にして――その先の宇宙に進もうとしていた。でも、人類は月から撤退してしまった。きっと色々な理由があったんだと思うけど、人類は再び地球という重力の井戸の底に引き込まってしまった。その事実を反省し、もう一度宇宙へ進出しようとしたのが『トロイア計画』だったんだと思う。だけどその結果、人類は『巨人』の襲来を引き起こしてしまった。たぶん、人類は正しく前に進むことができなかったんだ」
僕は人類の歴史を振り返り、それをチャイカに聞かせた。
「正しく前に進めなかった?」
「ああ。僕たちは、正しく宇宙に適応することができなかったんだ。宇宙で生まれた正しく宇宙を把握する子供たちを
僕の言葉に、チャイカは何も言わなかった。
突然こんな話を聞かされて戸惑っているようにも見えた。
「本来なら、『マキア』と呼ばれる子供たちは――宇宙へ進出するために生まれるはずの子供たちだったんだ。『巨人』を迎撃するために生まれたんじゃない。チャイカたちは、正しく宇宙を認識し把握できる子供たちになるはずだったんだ」
「スバル、何を言っているのですか?」
僕は、チャイカに言われて言葉を閉じた。
僕は少しばかりセンチメンタルになっていたみたいだった。僕の願望や希望を、チャイカたち『マキア』に押し付けようとしていたのかもしれない。
それも、仕方ないような気がした。
だって、目の前には――こんなにもきれいな宇宙の光景が広がっているのだから。
幾千幾億の星は瞬き、数百の流れ星が尾を引いている。まるで、無数の宝石が黒いキャンパスを輝かせているみたいだった。
僕たちの頭上には僕たちの故郷の青い星。いつもは黒い雲に覆われている僕たちの星が――今はその雲を晴らして青い輝きを放っている。
『巨人』迎撃作戦の時だけ晴れる地球の空が、そして宇宙から見下ろす青い地球が――僕は大好きだった。たとえその雲を晴らしたものが、人間が作り出した兵器や、降り注ぐ『巨人』の欠片だったとしても。
僕は、それを心の底からきれいだと感じた。
しかし、そんな青と星の壮大な光景に
『――スバル、直ぐに機体を旋回させてください』
『iリンク』越しの指示に即座に反応し、僕は機体を旋回させる。
その瞬間、凄まじい衝撃が機体を襲う――スクリーンの半分がノイズで潰れ、『
「いったい、何が?」
僕は機体の制御が取り戻せないことに苛立ちながら、必死に操縦桿を握った。
『大型のデブリ同士の衝突で機体のルートが潰されました。現状、新しいルートは見つかりません。まずはデブリの回避に専念してください』
その瞬間、モニターに表示された危険なデブリ――ターゲットマーカーのついた脅威の数は、優に百を越えていた。つまるところ、ビリヤードのブレイクショットの要領であちこちに散らばったデブリが、一斉に襲い掛かってきたということだ。
最悪なのは、そのデブリの多くが僕たちの進路を潰し、機体に直撃のコースを取っているということだ。
「これは、ちょっとばかり骨が折れるぞ? ジェットコースターの最後の盛り上がりってところだな」
気勢を吐いてはみたものの、正直この数のデブリを全てよけきれる自信は無かった。未だに潰れたモニターの半分は回復せず、視界は奪われたまま。デブリを迎撃するための武装も弾切れと半壊の状態で、残されているのは高周波ナイフだけ。
まさに、絶体絶命だった。
機体の右手に高周波ナイフを装備させ、先程よりも激しく操縦桿を右へ左へと倒しながら、降り注ぐ赤い流星群を回避する。
「くそっ、こんなのめちゃくちゃすぎる」
『スバル、背後から大型デブリです。直径五メートル級。避けられません』
「わかってるっつーの」
僕は大声を挙げながらスラスターを逆噴射。機体を無理やり旋回させ、その反動で機体右腕を大きく振る。大型のデブリにナイフを突き刺すと――高速で振動する刃がデブリを切り裂き、半分に割ることでその進路を無理やり反らそうと試みた。
しかし機体にかかる衝撃も激しく、吹き飛ばされた『秋水』はナビゲートされたルートを大きく外れて制御不能となった。
「くそっ、制御がきかない」
地球を背にしながら、まるで海の底に沈んでいくみたいに地球の重力に引かれていく。
現在の高度は、地球低軌道の百五十キロ。
すでに自由に操縦の利く高度ではなかった。
そして、目の前に――
『スバル、前方に巨大デブリが複数接近。十メートル級、五メートル級、二十メートル級です』
まるで、黒い悪魔が下りてきたみたいに――
禍々しき形の『巨人』の欠片が『秋水』を覆い尽くす。
人の造った
「――ちくしょう、ここまでなのか? こんなところで」
その赤い刃が、どうしてか死神の鎌に見えてしまった時――
僕は、思わずそう呟いてしまった。
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