22 私は人類を守りたい――あの子供たちや、あの猫を守ってあげたい


「――チャイカ、手伝って欲しいことがあるんだ」

 

 機体の操縦桿を握り、それを右に左にと倒しながら、僕はチャイカに声をかけた。

 彼女は先ほどから、僕の膝の上で借りてきた猫のように大人しくしている。


 僕は、爆発の衝撃を推進剤に高速で落下する機体の制御を取り戻そうと奮闘していたが、それ以上にやらなければならないことが山ほどあった。

 タッチパネル式の指揮卓コンソールと、幾つものウインドが展開したモニターは、処理しきれない量の情報で溢れ返り、ありとあらゆる警告がポップアップして僕を急かしたてる始末。


 僕は、すでにパンク寸前だった。


「はい。私にできることなら」

「『iリンク』で『秋水』にアクセスをしてくれ」

「私が、この機体のコントールをするのですか?」

「ああ。僕の代わりに機体の情報処理をしてほしんだ。そのほうが、僕は操縦に専念できる」

「それだと、機体コントロールに齟齬そごが生じます。操縦に誤差がでるのではないですか?」

 

 チャイカは静かに尋ねる。

 しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の『iリンク』はすでに『秋水』のAIにアクセスを始めており――僕の『拡張現実階層ARレイヤー』には、アクセス許可のタグがポップアップしていた。

 

 チャイカの言う通り、本来『ガンツァー』と『ガンツァー・ヘッド』は、一対一で運用されるもの。

『ガンツァー』の各種センサーやレーダーによって得られる情報の全てを、機体のAIを通じて『iリンク』で処理することによって初めて、ヘッドは『ガンツァー』を自分の身体と同じように精密に操作することができる。

 

 機体情報とは、人で表すところの五感が受ける情報であり――その五感を感じ取るのが、ヘッドの役割。

『ガンツァー』の頭脳であり、意識であり、魂になる存在――それが、戦闘機乗りが『ヘッド』と呼ばれている所以だった。


『ガンツァー』を操縦するための搭載された『iコントロール』とは、脳の電気信号シナプス神経伝達インパルスを『iリンク』が読み取り、読み取ったヘッドの意識を何十倍にも増幅させて、コンマ数秒の誤差もなく機体にフィードバックさせる技術のことを指す。


『iコントロール』があって初めて、ヘッドはこの宇宙空間という過酷な環境下で、『巨人』迎撃というさらに過酷な任務をこなすことができる。

 そのメリットを放棄すると言うことは――ただの自殺行為でしかない。


「ああ、分ってる。だからチャイカには、『秋水』が各種センサーとレーダーで得る情報の処理と分析をして欲しいんだ。具体的には、デブリと衝突しない安全な軌道の確保と、低軌道へのルート検索。僕は、チャイカのナビゲーションで機体を操縦する」

 

 そこまで言うと、チャイカはようやく要領を得たように頷いた。素早く機体の全情報にアクセスをして『秋水』の機体権限を自身のものに上書きしていく。


「機体へのアクセスが完了しました。これで、『秋水』の各種センサー・レーダー機能は、すべて私の『iリンク』によって制御されます。機体の操縦権限のみ、スバルに残されています」

「ありがとう」

「ですが、一つの機体に二人のヘッドが『iリンク』で接続しているというは、機体の制御に問題が生じるのではないですか? それに私たちの意識に齟齬が生まれれば、それがそのまま機体にフィードバックすることになります」

 

 チャイカの言っていることは最もだった。

 いくら役割を分担したところで、一つの身体を二人で動かすのは至難の業。

 

 それでも、僕にはどうにかなるという確信があった。

 希望のようなものが。


「大丈夫。僕は、チャイカを信頼してる」

「信頼?」

 

 チャイカは、その言葉を生まれてはじめて聞いたように、『信頼』と口に出して発音した。まるでその言葉に直接に手で触れて、その肌触りや質感を確かめるみたいに。

 あの公園で、初めて猫に触れたみたいに。


「僕は、チャイカを信じてる。僕たち二人なら、きっとできるって信じているんだ。だって、僕たちは、今――同じ目的でこの操縦席に座ってる。だから、きっと大丈夫だと思うんだ」

「私たちは、同じ目的でこの操縦席に座っている?」

「ああ、そうだ。僕たちは人類を――子供たちや猫を守るために、この場所にいる」

 

 チャイカは一瞬驚いたように目を見開いた後、とても穏やかな顔で頷いた。

 赤い瞳を小さく輝かせて、真っ直ぐに僕を見つめる。

 その表情は、何か大切なことに気が付いたような――まるで、ようやく何かの答えを得たみたいな表情だった。小さな光を見つけたみたいに。


「そうですね。私は人類を守りたい――あの子供たちや、あの猫を守ってあげたい。そして、スバルと地球に帰りたい。そのために、この場所にいる。『秋水』に乗っている」

 

 チャイカは自分に言い聞かせるように、自分に語りかけるようにそう言って頷いた。


「スバル――私も、あなたを信頼します」

 

 チャイカのその言葉と同時に、機体のモニターにはデブリと衝突を防ぐ安全な軌道と、地球低軌道へのルートがいくつも表示された。

 

 各ルートには――デブリ衝突の脅威判定や、降下地点への誤差、到着予想時間、大気圏再突入への入射角などが表示されている。

 算出されたそれらのルートは毎秒事に更新と変更を繰り返し、目まぐるしくその形を変えて行く。まるで、リアルタイムで進行するあみだくじ。蟻の巣に潜って女王蟻の部屋を探しているみたいだった。


「さすがは、ミカサさんに全てのスペックで僕を上回っているって太鼓判を押されただけはあるなあ。本当に、僕の数倍の情報処理速度だ。しかも並列処理でいくつもの作業を同時にこなしているし」

 

 僕はチャイカの算出したルートに従って機体を操縦し、どんどんと地球の低軌道に向って降下をしていく。

 

 現在の高度は――約五千キロメートル。

 そろそろ地球の重力が強くなり、その力に引かれた『巨人』の欠片が加速度を増す頃合い。

 

 僕たちの乗る『秋水』も、地球の重力に引かれるままに速度を上げて一気に低軌道を目指したかったけれど、しかし、それはできない相談だった。

 降り注ぐ『巨人』の欠片のように、ただ重力井戸の底に落ちて行くだけならそれでも構わないが、僕たちは地球に降下してぺしゃんこになるわけにはいかない。大気圏再突入際に地球の低軌道で一度減速をして、無事に地球に帰還できる速度と入射角を選択しなければならない。


『巨人』から脱出を果たす時、『秋水』には想定以上の負荷をかけている。現時点で機体はボロボロで、大気圏再突入を無事に行えると言う保証はない。


 なので、僕たちはこれ以上機体に負荷をかけないように低軌道までの降下を果たさなければならなかった。

 

 つまり、ここからは――機体に追いついて降り注ぐ『巨人』の欠片を回避し続けながら、それと並行して低軌道で減速できる速度を保たなければならない。本来なら大型のコンピュータで複雑なシミュレーションを組まなければ成功しないであろう作戦を、僕たちはお互いの作業を分担することで果たそうとしていた。

 

 ジェットコースターのようだというのは緊張感が無さ過ぎるが、僕たちは一歩間違えれば――僕たちがデブリになってしまう死の逃避行を行っていた。


 降り注ぐ赤褐色の星の雨を背にし、無限とも思える軌道の中からたった一つの正解だけを手繰たぐりり寄せる地球への旅路は――


 道半ば。

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