24 どういたしまして

 赤褐色の死の星。

 流れ出る血のように赤い線を宇宙に引く黒のつぶて

 迫り来る『巨人』の欠片。


 それが目の前に迫った時、僕の体は凍りついたように動かなくってしまった。まるで肉体と意識とを繋ぐ細い糸を切断されてしまったみたいに、僕の体は一ミリたりとも動かない。


 赤熱色に発光した『巨人』の欠片が、コマ送りで機体に近づいている。

 操縦席では各種アラームが鳴り響く。

拡張現実階層ARレイヤー』に警告画面がポップアップする。

 チャイカが、機体ダメージを軽減できる回避行動の指示を送っているが――


 それでも、僕の体は動かなかった。

 まるで、幽霊に憑りつかれてしまったみたいに。

 諦めたわけでも、臆したわけでも、恐怖したわけでもなかった。


 頭の中、意識の上では、僕はこの状況を回避するあらゆる方法を模索していたが、それなのに体だけが動かない。

 おそらく『iリンク』のオーバーフロー現象――拡張し、加速させすぎた思考、処理しきれなくなって情報量の多さに、僕の身体にほうが悲鳴を上げてついて行けなくなったのだ。意識と身体との齟齬そごで、『iリンク』が一時的に機能停止をしてしまった。

 

 これが、僕が半人前のヘッドと馬鹿にされる所以。


 ――くそっ、動けよっ。

 

 頭の中で悪態を吐いても、僕の体は動かないまま。

 意識だけが拡張されてスローになった時間の中に囚われている。まるで、減衰げんすいした時の檻に閉じ込められてしまったみたいだった。

 

 僕は、今度こそダメだとその目を瞑りかけた。

 見上げた空を閉ざそうとしてしまった。

 

 その刹那、

 僕の視界に入ったのは――


 黒い竜のスラスター


『秋水』よりも低軌道からの上昇を果たし、僕たちを高速で追い抜いて『巨人』の欠片と向かい合ったのは――


 黒と灰の重装を纏った騎士のような機体。


 しなやかでシャープな流線型の装甲と骨格フレーム。背中から伸びる竜の翼のようなスラスター。くびれた両腰から伸びる剣の鞘にも似たサブスラスター。機体とほぼ同じ長さの、剣と呼ぶにはあまりに大き過ぎる大剣を装備した『ガンツァー』だった。


 突如、この宙域の迎撃行動に参加した黒灰こくはいの機体は――両の手マニピュレーターで装備した大剣で一閃を描き、二十メートル級のデブリを真っ二つにするのではなく軽々と粉々に爆砕してみせた。


『秋水』の倍はあるスラスター群を全開で焚いて白熱色の線を宇宙に引き、二十メートル級のデブリの後ろから迫っていた五メートル級、十メートル級のデブリも難なく大剣で破壊していく。それは切り裂くと言うのではなく、大雑把に殴りつけると言ったほうが正しい純粋な破壊行動だった。


重珪素ギガニウム』によって構成される、分厚く巨大な超高周波振動の刃――『黄金と黄昏の河畔バルムンク』だけが為せる迎撃方法。


「――『ファブニール』が、どうしてこんなところに?」

 

 僕は思わずそうこぼし、信じられないと目の前の光景を呆然と眺め続た。

 黒灰の竜騎士は――


『ファブニール』。


 全身に配されたスラスター群とバーニア群により、低軌道でも高い機動力を発揮する第二フェーズ専用のハイスペック機体。

 

 主武装は超高周波刃の大剣――『黄金と黄昏の河畔バルムンク』。

 

 操縦席回りだけでなく、機体全身の装甲と骨格フレームに『重珪素』を用いた専用機ワンオフで、この機体に搭乗するガンツァー・ヘッドは一人しかない。


『――やぁ、スカイウォーカー。あいかわらず空を見上げているみたいだけれど、今は帰るべき地球を見たほうが良い。なんて言ったって、僕たちの目は前を――色々なものを見るためについているのだから』


 栗色の巻き毛のマキアが、いつかの僕の言葉を楽しげに引用してみせた。


『フィン? どうしてフィンがここに?』

 

 通信ウインドに投影されたフィンを見て、僕は意味が分からないと尋ねた。


『君の保護者に頼まれてさ』

『保護者? でも、だからって――』

『僕のファブニールなら、低軌道でもある程度自由に活動できる。それに、僕の機体は超至近距離での迎撃を目的として開発されたアタッカー機体だ。これくらいの軌道のほうが活躍できる』

 

 それは、確かにその通りだった。

 しかし、超至近距離での迎撃は大きな危険を伴う。

 本来なら数名のチームを組んで安全性を確保した上で、コマンドポスト機の指示の下、正確に大型デブリを迎撃するのが目的の機体のはずだった。フィンは大きな危険とリスクを承知で、僕たちの救出に駆けつけてくれたのだ。


 それが、たとえ誰かに頼まれたものだったとしても。


『半人前のヘッドが気にすることはないさ。空でって約束しただろ?』


 フィンが、僕の胸の内を察して言う。


『それに、僕一人ってわけじゃない』

『一人じゃない?』

『悪いけど――その前に、少しばかり仕事を片付ける』

 

『ファブニール』の、竜のかぶとを模した頭部から覗くデュアルアイが緑色に発光すると――フィンは接近する『巨人』の欠片めがけて機体を駆った。地球の重力に引かれる低軌道とは思えない圧倒的な機動力で、降り注ぐデブリを次から次に片付けて行く。地球の大気圏でも燃え尽きない大型のデブリだけを選別して、人類の脅威を一つずつ排除する。

 

 これが、北欧の生んだ威信。


『マキア‐モデル・ジークフリート』の圧倒的な実力。

 

 ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に登場する英雄『ジークフリート』をモデルにデザインされ、それに相応しい能力と性能を与えられて誕生した『マキア』のヘッド能力。

 

 北欧唯一の専用機乗りにして『トップ・マキア』の英雄的なスペックだった。


『――少しばかり数が多いみたいだ。スカイウォーカー、君は先に地球に降下してくれ。ここは、僕がどうにかしよう』

『この宙域を、一人で?』

『そんなボロボロの量産機が近くにいたんじゃ気になって仕方ないだろ? 弱いんだから早く降りろよ』

『おい、それは言わない約束だろ』

『それに言っただろう? 僕一人ってわけじゃないって』

 

 フィンがそう言うと、『秋水』を追い抜いていく無数の熱源反応。

 それらは『巨人』の欠片に向って突き進み、この宙域の至る所で爆発の光輪を巻き起こす。刹那、無数の閃光が花火のように宇宙空間を照らし、『巨人』の欠片を迎撃して宇宙の塵芥ちりあくたと変える。

 

 地球の援護艦隊から撃ち込まれる大陸弾道ミサイル群――『巨人』の迎撃専用に開発された、第二フェーズ開始の狼煙のろしとも言えるミサイルの一切発射だった。


『マキアのせっかちなお姫さまから伝言だ――私の足を引っ張るなって言ったでしょう? 地球に帰ったらただじゃおかないから、ってさ。感謝をするなら、彼女にするといい』


 僕は、地球に帰ってから聞かされるだろうアリサからの叱責を思い浮かべてうんざりした。とてつもなく、やれやれって気分になっていた。

 

 でも、僕は無性にアリサに会いたくてしかたなかった。

 会って彼女のしかめた顔や、苛立った顔を、自信と自尊心に満ち溢れた表情を見たかった。

 

 僕は、アリサの待つ――僕たちの返るべき青い星を見つめた。

 足元の大き過ぎる星を。


『フィン、すまない――僕たちは先に降りるよ』

『気にする必要はないさ。前線司令官の命令に逆らうわけにいかないだろ? さぁ、早く地球へ。僕も直ぐに後を追う』

『ありがとう』


 僕は、それだけ言って機体の進路を地球へ向けた。


『ああ、そうだ――地球までのエスコートは彼がしてくれる』

『エスコート?』

 

 意味が分からないと尋ねると――ミサイル群に紛れてビーコン反応が一つ出現した。その機体識別番号は、僕の良く知るもので、フィンが一人じゃないと言った本当の意味がようやく理解できた。


 先に『エンケラドス』からの離脱を果たし、地球へ降下したはずの『ヤクト・ドラッヘ』が、『秋水』の背後に現れる。まるで、僕たちの背をそっと支えようとするみたいに。


『スバル、無事で良かった』

 

 その顔と声はとても懐かしく、僕は少しだけ泣きそうになっていた。

 通信ウインドの先で、ジュアンは安心したように頷いた。


『ジュアン、どうして?』

『空で会おうって約束しただろ?』

『だからって――』

『気にするな。お前を救出に行けと、コマンドポスト機から命令を受けただけだ。ファブニールよりだいぶ遅れたが――間に合ってよかった』

 

『秋水』と『ヤクト・ドラッヘ』は、赤熱色に発光しながら地球へ向けて降下していく。


 現在の高度は百二十キロ。


 圧縮した空気が灼熱となって機体を包み、発生したプラズマ気流に機体がさらされる。断熱圧縮によって加速した機体のモニターは、灼熱の炎で染まっている。

 眼下に見える地球は、すでに機体のメインカメラで全貌ぜんぼうを捉えられないほどに大きくなり、モニターに収まりきらずにいる。流星群となった『巨人』の欠片と、打ち上がり続ける大陸弾道ミサイルによって金属雲は吹き飛び、地球はその青さを取り戻していた。


 僕たちはプラズマ障害によってノイズが酷くなり、通信が不安定なる中で言葉を交わし続けた。



『チャイカも無事みたいだな?』

『はい』

『これで、七班は全員無事に帰還だ。まぁ、第二フェーズを生き延びられればだが――でも、本当に良かった』

『ご心配をおかけして申し訳ありません。ありがとうございます』

 

 チャイカは、ジュアンに「ありがとう」と言った。


『いや、礼を言うのは俺のほうだ。俺は、お前に助けられた。お前のおかげで、無事に離脱することができたんだ。ありがとう』

「スバル、こんな時、私はどう言葉を返せばいいですか?」

 

「ありがとう」と言われたチャイカが振り返り、「どうすれば?」と僕に尋ねる。


「こういう時はさ――にっこり笑って、どういたしましてって言えばいいんだよ」

 

 僕がにっとりと笑って言うと、チャイカは不自然で不気味な笑みを浮かべみせた。

 それは。お世辞にもチャーミングとは言えない表情だった。


 チャイカはその表情のままジュアンと向き合う。

 ジュアンは少し驚いたように目を見開いたが、直ぐに真剣な表情を浮かべてチャイカを見た。

 まぁ、まずはこんなもんだろう。



『どういたしまして。私のほうこそ、助けて頂きありがとうございます。一緒に地球へ帰りましょう』

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