6 見せたい景色があるんだ

 それからの日々は、なかなか穏やかに過ぎて行った。

 教育指導係を通じた僕とチャイカの奇妙な関係も少しずつ様になっていき、僕たちのささやかな交流は、転がり落ちた石が手ごろな場所に落ち着くみたいに、落ち着くべきところに落ち着こうとしていた。


 ミカサさんが言ったように、チャイカのスペックは全てに置いて僕を上回っていたので――訓練や模擬戦では、僕が教育指導を受ける立場になった。


「スバルの操縦技術、状況判断、危機回避能力では――最前線に立った時の生存確率は十五パーセントを下回ります。後方支援に回ることを進言します」

 

 最終的には、このように言われてしまう始末。


「特に、『iリンク』の使用で圧倒的な遅れが出ています。スバルの思考速度が『iリンク』のオーバークロックに対応できていない上に、並列思考も使用できていません。個体モデルの特性やスキルを活かした訓練記録はゼロです。『戦術パッケージ』によるバックアップに関しても、肉体との齟齬そごが起きています」

「あーもーわかったよ。もっと精進するよ。これじゃあ、アリサよりも口うるさい教官だ」

「私は、スバルの言葉を否定します。私が今述べているのは主観や感想などではなく、データに基づいた正確な指摘です。結果、スバルに『ガンツァー・ヘッド』としての適性はなく、後方支援を行う部隊への移動が適切だと判断しました」

 

 僕はぐうの音も出なくて、それ以上チャイカと会話をすることをやめた。

 その日は、一日顔を見たくないと思った。

 

 そんなチャイカも、訓練以外では何をしていいのか分からないと言った様子で、いつも部屋の隅に立っていた。まるで充電の切れた機械みたいに。


 僕はソ連の『マキア』が普段どんな生活を送っているのか知りたかったけれど、ソ連の『マキア』たちは同じ基地の敷地内でも完全に区画が別れているので、それを知ることはできなかった。


 ソ連の区画は、同じ基地内でも入ることを許されていない閉ざされた区域で、許可なく入れば懲罰房ちょうばつぼう行きは間違いない。他の『マキア』たちからは、シベリアなんて呼ばれて揶揄やゆされる恐ろしい場所でもあった。あそこに行って帰って来たものはいない、なんて。


 だから、僕はチャイカに本を読んだり、音楽を聞くことを勧めた。ラジオに耳をすませたり、簡単なカードゲームをしたりすることを提案した。

 

 彼女は素直にその提案を聞き入れて本を読んだり、音楽を聞いたりした。

 一冊本を読むたび、僕たちは品評会のようなものを開いた。


「スバル、この本の内容は理解不能です。国家によって定められた法や規則には従うべきです。国家あってこその市民であり、法があってこその秩序です」

「まぁ、そうなんだけどさ――四六時中監視されてたり、憎悪を無理やり植えつけられるような放送を毎日聞かされてたら、けっこう参ってくるとは思うんだよね?」

「現状、ビッグブラザーに反対する理由は見つかりません」

「じゃあ、僕が規則や法を破って思想警察に捕えられても、チャイカは何も思わない? 愛情省の一〇一号室で、僕は拷問されるんだぜ?」

「仮定の話はできません。ですが、スバルが思想警察に捕えられ、愛情省の一〇一号室に拷問にかけられても、私にできることはありません」

「傷つくなあ」

 

 まぁ、だいたいこんな感じ。

 チャイカは音楽を聞いても雑音としてしか認識せず、カードゲームでは全てのゲームで僕を完璧に打ち負かした。勝ってもぜんぜん嬉しそうではなかったけれど。

 

 民放ラジオに関してだけは反応というか、わずかながら意見を述べてくれた。


「この放送は民間では許されていない電波帯を使用しています。放送内容も審査の基準をクリアしてない違法なもので、即刻逮捕し処罰を行うべきです」

 

 ミサイルを打ち込むまではいかなかったけれど、民間放送に関してはアリサと意見の一致を迎えたみたいだった。

 

 チャイカの教育指導係になってから迎えた初めての休暇で、僕とチャイカは基地の外へ出かけることにした。

 現在の地球は、常に覆われている黒い分厚い雲のせいもあって常に冬のように寒いので、僕たちは防寒をしっかりして外に出かけた。

 

 僕は、戦闘機乗りの専用スーツである『タクティカルスーツ』の上に、フライトジャケットを羽織った。


『タクティカルスーツ』は、傍目はためには薄いゴム皮を一枚纏っただけに見える心許ないスーツだが、有機ナノ繊維でできた強化外骨格でもある。身体の線の出るぴっちりとしたスーツなので見た目は心許ない上にだいぶ寒そうだが、着用者を守る各種システムが搭載されており、『iリンク』と同期して健康管理や生命維持を行ってくれる。体温調整もしてくれるので外でも暖かい。


 基本的に、僕は常にこの黒い『タクティカルスーツ』を着て生活をしている。食事をする時も、訓練の時も、就寝時も。


 チャイカは白の制服の上に襟の高い黒のロングコートを着て、黒のコサック帽をかぶっていた。支給品なのでサイズが合っておらず、まるで子供が大人の洋服を着て遊んでいるみたいに見えたけれど、それがとてもチャーミングだった。


「スバル、どうしてそんなに楽しそうなのですか?」


 チャイカは、ほとんど目元しか出ていない顔を僕に向けて尋ねる。


 僕たちは、基地と旧市街とを結ぶボロボロの路面電車トラムに乗って、旧中華街を目指していた。


拡張現実階層ARレイヤー』でタグを展開すると、路線図と到着時間が表示される。スポンサーがいないので広告は一件も表示されなかった。

 そんなトラムの中は、僕たち以外の乗客はいない。貸切状態。


「楽しそうに見える?」

「はい。いつもよりも顔の筋肉が緩んでいます。ここに来るまで足が弾んでいました。心拍数も高く、鼻歌を歌っていました」

「なるほど。チャイカはそれを楽しいと認識したんだね? チャイカは楽しくないの?」

「楽しいという感情は理解できません。しかし、スバルが楽しいと感じている状態を判断できるようにはなりました」

「じゃあ、チャイカも僕の真似をしてみてよ。まず、顔の筋肉を緩める。足を弾ませる。心拍数は難しいから、とりあえず鼻歌を歌ってみよう」

「わかりました。ふんふんふんー」

 

 チャイカはまるで表情を変えずに不格好なスキップをその場で行いながら、謎の鼻息を発し始めた。


「うーん、少し難しかったか? とりあえず笑ってみるっていうのはどうかな? 笑顔笑顔っ」

 

 僕は歯をむき出しにして「にっ」と笑ってみせた。


「にっ」

 

 チャイカも真似をして歯をむき出しにしてみたが、表情は一ミリも変わっていなかった。と言うよりも不気味ですらあった。

 まぁ、最初はこんなものだろう。


「僕が楽しいのは、きっとチャイカと一緒だからだと思うよ。女の子と遊びに出かけるって、男の子にとってはけっこうワクワクすることだしさ」

「スバルは私といると楽しいのですか?」

「楽しいよ。チャイカは僕と一緒にいて楽しくない?」

「分りません」

「うーん、それはなかなか傷つくなあ」

「ですが、不快では――嫌ではありません」

「なら、良かったよ」

 

 僕は、にっこりと笑った。

 

 僕たちはしばらくトラムの揺れに体を預けた。

 窓の外には、いつまでも復興しない横浜の街並みが広がっている。

 まるで巨大な爆弾によって吹き飛ばされたような建物がいくつも建ち並び、当たり前だが人の気配はまるでなかった。広範囲にわたって更地のような場所もあり、まるで巨大な怪獣がそこら中を踏み荒らしたみたいにも見えた。

 

 しばらくすると『新横浜港』に近づきはじめ、港に停泊した巨大な戦艦や空母が姿を現す。にごった灰色の海に浮かぶ巨大な鉄の塊は、まるで切り立った山々のようにおごそかで静かだった。

 

 僕やチャイカの所属する『新横浜基地』を軍組織で言うところの『空軍』とするなら、『新横浜港』は『海軍』の役割を担っている。空母七隻、戦艦十隻、その他の艦艇二十隻によって構成される大艦隊が、この新横浜港を鎮守府ちんじゅふとして海の守りに付き、整備や補給などを受ける。

『新横浜港』の運営と維持のほとんども『マキア』によって行われているが、大人の数はこちらのほうが段違いに多いらしい。


「スバル、どうしてわざわざ旧中華街に行くのですか? 買い物なら新横浜市で済ませる方が利便性も高く効率的です」

「まぁ、そうなんだけどね。チャイカに見せたい景色があるんだ」

「見せたい景色?」

 

『新横浜市』はかつて神奈川県横浜市だった土地の地下に造られた広大な地下都市――『ジオ・フロント』のことを指す。

 

地下都市ジオ・フロント』の開発には、『月面都市』や『宇宙ステーション』を建設するための技術が応用され、地上の暮らしとほぼ変わらない快適さを誇る。『擬似太陽』や『環境システム』などの発達により、現在は春夏秋冬を再現できるまでになった。さらに天気のスケジュールも組まれており、雨を降らせたり強風を吹かせたたりもする。


 それらの技術は、いずれは宇宙空間専用の人類居住区――『人工天体コロニー』を開発するためのもの。国や地域、国境や土地と言った概念を無くし、宇宙のどこにでも居住することができる、という夢を目指してつちかわれ、発展してきたはずのものだった。

 しかし、今はその技術によって人類は地下に――穴倉に閉じこもって生活を営んでいる。下を向き、空を見上げることもなく。

 僕には、それが何かの皮肉のように感じられてしかたなかった。


 そんな『新横浜市』は、かつて日本最多の乗り入れ数を誇ったターミナル駅である『横浜駅』を地下に広げる形で建設されており、そのため『ジオ・フロント』内は地下鉄網が発展している。


『メトロ・シティ』の愛称で呼ばれることもある。

 

 現在、人類の八割が地下都市で暮らしており、その第一号地下都市――『モデルフロント』になったのが、『新横浜市』だった。日本国内だけでも、札幌、仙台、京都、広島、福岡、沖縄の七つの『ジオ・フロント』が建設されている。


『新横浜市』には、僕たちの所属する『新横浜基地』から『アンダーシャフト』と呼ばれる地下エレベーターに乗れば僅か数分で到着する。『新横浜港』からも専用の地下鉄メトロが出ているので、チャイカの質問は当然と言えば当然だった。


『新横浜市』には居住区だけでなく、常に賑わいを見せる新中華街や大型のショッピングモール、映画館や各種アミューズメント施設が充実している。農業プラントや工業プラントもあり、多くの人がそこで労働している。


 わざわざ、こんな寂れたトラムに乗る必要はまるでないのだ。

 それでも、僕はチャイカに見てもらいたい景色があった。


 

 灰色の景色の中を――


 トラムはゆっくりと進んでいく。


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