7 無条件で子供たちを受け入れてあげられる、そんな世界じゃなきゃ

 舗装ほそうされてないほこりっぽい街路を歩くと、僕たちの頭上に傾きかけた看板が現れた。


 赤い鳥居を思わせる大きな門と看板。

 そこには、何度も補修された字でこう書かれている。


 ――中華街。


『旧』でも『新』でもなく、ただ『中華街』と。

 かつて連日連夜の賑わいを見せた横浜市の顔であり、多くの商店や飲食店が並び、極彩色の看板がいくつも掲げられた日本有数の繁華街。そんなチャイナタウンも、今は見る影もなく、無残なまでにさびれ尽くしていた。ほとんどの建物は崩れかかり――傾いた看板、トタンやベニヤ板で補修された壁、びついた鉄がむき出しになった悲愴とも言える光景が広がっている。


 それでも、少なくない人たちがこの場所で生活を営んでおり――この場所には、たくさんの出店が並んでいた。


 まるで闇市のように。


 僕とチャイカは、中華街を歩きながら市場で売り買いをする人たちに視線を向ける。売られている物は様々で――食料品や衣料品、家具、工具、鉄くずに材木、何に使うか分らない得体のしれないものまで。そして、お年寄りや子供が店主を務めている店もたくさんあった。


「いらっしゃい、安くしておくよ」

「ほら、こんなに珍しいものが売ってるんだよ」


 簡単な軽食を売っている出店も多く――焼き鳥、肉まん、ラーメン、餃子、麻婆豆腐、フライドポテト、ジャガバター、豚汁など、暖かい料理の匂いが通りに充満して、空腹を刺激する斑を描いていた。


 もちろんアルコール類も売っており、昼間から飲んだくれた大人たちも多くいた。そんな大人のほとんどが路地に腰を下ろして眠りこけているか、賭け事に興じているかで、僕はうんざりとした気分になった。


「おい、綺麗な服着たにーちゃん、ちょっと小銭恵んでくれよ」

「ずいぶん別嬪べっぴんさんを連れてるねえ。娼館のお姉ちゃんを買ったのかい?」

「昼間からお盛んで羨ましいねえ」

 

 本気でぶん殴ってやろうかと思ったけれど、こんなところで問題を起こすわけにいかないので、僕は知らん顔をして通り過ぎた。

 

 市場のもっと奥に進めば、目を背け顔を覆いたくなるような光景や、危険なものを売り買いしている店はいくらでもある。武器や麻薬、軍からの盗品や密輸品など。それに娼館では、たくさんの女性たちが働いている。子供を売り買いする店まであると聞いたけれど、真偽のほどは確かめようもなかった。

 

 旧中華街は、ありとあらゆる犯罪の温床だと言われ、『連合』ですら見放したスラム街の顔を持つ。


 旧横浜市である一帯が焦土と化して廃墟群となった時、人類はこの場所を放棄し葬り去った。まるで消しゴムで落書きを消してしまうみたいに、そのまま世界地図の上から消してしまった。

 ここは、そんな忘れ去られた場所。


「スバル、ここの人たちはどうして『ジオ・フロント』で暮らさないのですか」

 

 チャイカは無表情のまま尋ねた。

 この光景に特に興味はないけれど、理解ができないと言った様子で。


「残念だけど、全ての人類が『ジオ・フロント』で暮らせるわけじゃないんだ。身元引受人や一時支度金など――厳しい入植審査もあるし、それに、ここにいる大人たちはみんな、何かしらかの事情を抱えている」

 

 ここにいる多くの大人が犯罪歴を持っている。

 やむにやまれず犯罪を犯した者もいれば、根っからの犯罪者や反社会的な組織に所属しているものもいる。しかし、データの上では一律に犯罪者でしかない。


「ですが、このような『グローバルネットワーク』圏外の、タグ情報もない場所で暮らすのは危険なのでは?」

「ああ、危険だよ。ここには身を守るものが何もないんだ。それでも、ここのいる人たちは、ここで暮らしていかなければならない。『拡張現実階層ARレイヤー』越しに見れば分ると思うけど、ここにはタグ情報は何もない。それどころか、『iリンク』をインプラントした人類もほとんどいない。それがどういことか分るだろ?」

「はい。生きる上で必要な情報が、何一つ得られないということです。現在、『地下都市』で暮らす人類のほとんどが『iリンク』をインプラントし、それを通じて生きるための情報を得ています。非常事態宣言や緊急警報などが起きた時の避難誘導のアナウンス、避難場所までの経路は、全て『iリンク』を通じて案内されます。グローバルネットワーク圏外では、それは望めません」

 

 チャイカは淡々と事実を口にし続ける。


「それに『iリンク』は、使用者の生体データをスキャンして常に健康の管理を行っています。スキャン結果は自動で『医療サーバ』に送信され、それを元に適切な診断や処置、薬の投与が行われます。これにより、多くの人類は健康を保つことができ、病気に罹患りかんしたとしても早期に発見することができますが、このような環境で暮らす人類は常に健康を脅かされ、ウィルスに晒されているようなものです」

「そう。だからここでは、軽い風邪にかかっただけで死ぬ可能性がある。地上では、命というものは簡単に失われてしまうんだ」

 

 僕たちはそんな会話をしながら出店で肉まんを大量に買い、中華街の中にある公園にたどり着いた。

 

 かつて多くの人で賑わっていたであろうこの公園も、今では見る影もなかった。

 屋根つきのベンチの屋根は消し飛んでいて、狛犬だったはずの石像は原型が分らないくらいに崩れている。まるで世界の終りみたいな光景だった。

 

 僕とチャイカは埃だらけのベンチに座り、そこで肉まんを食べた。

 生地はぼそぼそで粉っぽく、中のあん――つまり具は、キャベツなどのつなぎで誤魔化されていて、肉まんというよりも肉まんもどきと言ったほうが良いようなできだった。

 

 チャイカは特に感想もなく小さな口で肉まんをもそもそと食べているが、これがアリサだったら罵詈雑言が飛んできたと思う。

 

 しばらく、僕とチャイカが無言で肉まんを食べていると、公園の隅の瓦礫がれきの影からヒソヒソ声が聞こえ始めた。


「――おいで」

 

 僕が小さく手招きをすると、物陰から雪崩を打ったようにたくさんの子供たちが出てきた。そして、あっという間に僕たちの座っているベンチを取り囲む。


「全員分あるから、仲良く分けろよ。欲張ったり意地悪したりしたら、もうここには来ないぞ」

 

 僕はそう言いながら、大量に買った肉まんの残りを子供たちに配った。


「わーい」

「スバル兄ちゃんありがとう」

「肉まんだー」

「すげー、肉食べれる」

「ぜいたくぜいたく」

「にくにくー」

「おいしー」

「うまーい」

「しあわせー」

 

 子供たちはできの悪い肉まんを頬張りながら、満面の笑みを浮かべてはしゃぎ出す。

 

『新横浜基地』に所属する『マキア』よりも一回り小さい、五歳から十歳前後の子供たち――全員がボロボロでツギハギだらけの服を着て、穴の開いた手袋や靴、蚤まみれのマフラーや帽子で寒さをしのいでいた。

 

 子供たちの手や足は切傷だらけで、頬は黒く汚れている。

 彼らが一日中何をしていたのか、考えるまでも無く分った。


「スバル、この子供たちはなんですか?」

 

 チャイカが、子供たちを見て尋ねる。やはり、とりあえず尋ねてみたといった感じで。


「この旧中華街で暮らす孤児だよ」

「孤児?」

「ああ、孤児だ」

 

 僕は、特に多くを語らずにそう言った。


「スバル兄ちゃん、このお姉ちゃんはスバル兄ちゃんの女?」

「二人は大人の関係なの?」

「兄ちゃんすげー」

「セックスゼックス」

 

 ませた男の子たちが、僕たちをはやすように「ぎゃーぎゃー」と大声を上げる。


「お姉さんすごい綺麗」

「スバルお兄さんとは恋人同士なの」

「きっ、キスとかするんですか?」

 

 女の子も興味津々といった感じでチャイカに近づいた。


「スバル、私は子供たちの質問に答えるべきですか?」

「好きにしたらいいよ」

 

 僕は手を広げてご自由にと示した。


「お前らは少し静かにしろよっ」

 

 続いて、僕は目の前で騒ぎ続けるガキどもと向き合った。


「それより、お腹は膨れたのか?」

「おー」

「うん」

「食べたー」

 

 子供たちは満足そうにお腹をさする。

 ガリガリで今にも折れてしまいそうな細い手と、へっこんだままちっとも膨らまないお腹。あんな肉まんの出来損ないでも、この場所で暮らす子供たちには贅沢すぎる食事なのだ。僕は幸せそうに笑う子供たちを見て、少しだけ泣きそうになった。


「今日は俺たち大漁だったんだぜ」

「『ギガニウム』もたくさん集めて売ったし」

「そーそー、それに『ガンツァー』のパーツもたくさん」

「うったー」

 

 子供たちは、身を寄せ合ってジャンク屋のようなものを営んでおり、瓦礫がれきの山や、汚染された海から使えそうな物や機械を拾って、それを闇業者に売ることで生計を立てている。


「そっか、今日もがんばったな」

 

 僕は子供たちの頭を撫でてそう言った。


「えへへ」

「撫でて撫でて」

「俺もー」

「わたしもー」

 

 本当は、そんな生活をしないでも済むようにしてあげたかったけれど、僕にできることはこんなことくらいしかない。


「ジュード、リナ、生活は大丈夫か?」

 

 僕は、子供たちを纏めているリーダー各の男の子と女の子に声をかけた。


「なんとかな」

「スバルさんのおかげで、今のところは」

「ほら、『医療用ナノパッチ』だ。大抵の怪我や病気はこれで治る。闇市で売ってもそこそこの金額にはなると思うけど、できるだけ自分たちのために使うんだ。あと、他の大人たちに見つかって目をつけられるなよ」

「ああ、分ってるよ。これはあいつらのために使う。いつも悪いな」

「本当に、ありがとうございます」

 

 僕は、不甲斐なさそうに俯くジュードと、今にも泣き出しそうに目を伏せるリナを見て――僕自身が不甲斐なくて泣きそうになった。

 

 たまたまこの場所で生まれてしまっただけの、何の罪もない子供たち。

 本来なら大人たちが――『連合』でも『機関』でも『財団』でも、誰でもいい、誰かが、子供たちに温かい食事を与え、清潔な衣類を着せて、屋根のある住居で暮らせるように手を尽くすべきなんだ。

 

 無条件で子供たちを受け入れてあげられる、そんな世界じゃなきゃ――本当はいけないはずなんだ。

 

 でも、僕にできることは何もない。

 僕は、自分を殴りたくてしかなかった。

 

 空を見上げると、そこは真っ黒な蓋によって閉ざされていて、まるでその先に道がないことを――未来が無いことを暗に示しているみたいだった。

 

 僕は、そんなことはないと強く首を横に振る。

 この分厚い雲を晴らすみたいに。

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