8 差し伸べられる手が二本しかいないのと同じように
「子供たちと触れ合ってみてどうだった?」
走り回ったり、はしゃいだりする子供たちを眺めながら、僕は隣に座るチャイカに声をかける。
「子供たちの多くは、成人する前に死亡する確率が高いと思います。彼らのほとんどは栄養失調で、免疫力が低下しています。それに現時点で、いくつかの病気や感染症に罹患しています」
チャイカは『iリンク』で診断した結果を告げた。
無慈悲なまでの真実を、表情も変えることなく話し、続ける。
「スバルが彼らに渡した『医療用パッチ』でできるのは、せいぜい応急処置程度のものです。根本的な症状の回復には繋がりません。早急に『医療サーバ』による正確な診断を受けることを進言します」
「ああ、そうしてあげたいんだけどね――」
僕は、力なくそう言って肩を落とした。
確かに、ここにいる子供たちの多くは成人を迎える前に死亡するだろう。
しかし、それはチャイカたち『マキア』だって同じことだ。
『マキア』の多くが初の迎撃任務で死亡する。
新人への洗礼である七パーセントの壁を越えられるものは、ほんの一握り。そして、その壁を越えたとしても――いや、その壁を何度も越えた
五年以上生きられる『マキア』の数は――
わずか数パーセント。
この旧中華街の子供たちと、いったい何の変りがあるだろう?
こんなクソッタレな世界は間違っていると思ったけれど、子供たちに肉まんを与えることしかできないのと同様に――僕が『マキア』に対してできることも、ほとんどなかった。
戦闘機に乗って――
『ガンツァー』で、迎撃に出るだけ。
僕には、特別な力がある。
それでも、僕にできることは僅かだった。
差し伸べられる手が二本しかいないのと同じように。
この手からこぼれ落ちて行く多くのものを守りたいと、救いたいと願っても――それら全てを守り、救うことは不可能だった。
「にゃお」
「スバル、足元に何か来ました」
僕がぼんやりと空を見上げていると、チャイカに声を掛けられて足下に視線を向けた。
そこには、痩せこけた黒猫がいた。
「猫だね」
「猫。食肉目ネコ科ネコ属に分類される動物。哺乳類。現在の猫のほとんどが、ヨーロッパヤマネコが家畜かされたイエネコ。これは、野良猫ですね?」
チャイカは猫の検索結果を口に出した。
「にゃーにゃー」
猫は何かを抗議するみたいに大きく鳴いた。
「チャイカ、手を出してごらん」
「こうですか?」
チャイカは猫に向って手を出した。
すると、痩せこけた黒猫はチャイカの手をペロペロと舐めはじめる。まるで、そこに栄養があると言わんばかり――母親の乳にありつこうすると赤ん坊みたいに。
「これは、いったい何をしているのですか?」
「肉まんの匂いがするんだろうね。きっと、ものすごくお腹が減っているんだよ」
「にゃーにゃー」
黒猫は、もっとお乳を出せと言わんばかりに不平を漏らした。
「何か食べる物でもあればいいんだけど、肉まんは全部あげちゃったし」
僕は、困ったようにあたりを見回した。
「食糧なら、これを携帯しています」
「おおっ、基地支給の固形食糧。こんなまずいものをどうして携帯してるんだ?」
「規則です。基地を離れる際は、固形食糧と飲み水を携帯するように定められています」
「さすが、規則に厳しいソ連の『マキア』。そんな規則を守っているなんて――っていうか、今までそんな規則知りもしなかったよ」
「猫に食べさせるべきですか?」
チャイカは、コートに下から取り出した固形食糧と水筒を手に持ちながら尋ねた。
「チャイカはどうしたい? 猫に食べさせたいと思うならそうすればいいよ」
「私は、この猫に食料を与えることに意味を見つけられません」
チャイカの言葉に、僕は少しだけ残念な気持ちになった。
「ですが、スバルが子供たちに食料を与えたように――私も、この猫に食料を与えてみたいと思います」
その言葉を聞いて、僕はたまらく嬉しくなった。
チャイカはビスケットのような固形食糧を砕いて、それを手の先に乗せて猫に与えた。
「にゃーにゃー」
猫は、一心不乱にそれを食べた。まるで砂漠でようやくオアシスを見つけたみたいに。食事の後、チャイカは手のひらに水を注いでそれを猫に飲ませて上げた。とても優しく、とても丁寧に。
母親のように。
「かわいいなあ」
「これは、かわいいというのですか?」
「きっと、そのうちチャイカも猫を可愛いと思うようになるよ」
「理解不能です」
「ねぇ、チャイカ――」
僕は少しだけ声のトーンを落として、少しだけ真面目になって言った。
空を見上げながら。
「忘れないで欲しいんだ。チャイカたち『マキア』は――そして、僕たち『ガンツァー・ヘッド』は、『
「私たちは、地上で暮らす人類や子供たち――そして、猫を守っている?」
「ああ、僕たちの作戦や任務が失敗すれば、地上で暮らす多くの人が被害にあって死亡する。だから、僕たちは絶対に失敗できないんだ」
僕はその言葉を、自分自身に言い聞かせるように言った。
そう、僕たちは失敗できない。
僕は、失敗したらいけないんだ。
やり直すことのできない――
本当の失敗を。
その時、僕の『iリンク』に緊急のメッセージがポップアップする。
けたたましい警報を鳴らし、赤い『
『iリンク』使用者の意志にかかわらず強制で展開される命令書は――
『第一種迎撃配置』の意味を持つ。
そして、出撃の意味を。
僕は、黒い雲に覆われた空を睨みつけた。
その先から訪れる、
飛来する、
襲来する――
そして、降り注ぐ、
『巨人』を迎え撃つように。
「チャイカ、行こう」
「はい」
「『ゲーゲン・ヤークト』――『ギガント・マキアー』だ」
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