4 カモメと名付けられた女の子は、まるでその翼のはためかせかたも知らないみたいに

『――マスター・スバル。私は、祖国ソビエト連邦より派遣された補充要員――個体識別番号はHD・ME・T000。愛称は、マスター・ミカサによりチャイカと設定されました。以後、あなたの指揮下に入り、あなたの命令に従います。私の翼をささげます』

 

 ミカサさんの部屋を出ると、その補充要員は直ぐに『iリンク』を通じて自己紹介を行った。とても機械的で、まるでそうプログラムされたみたいに。

 

 翼をささげると。

 

 チャイカ。

 ロシア語で『カモメ』と名付けられた女の子は、まるでその翼のはためかせかたも知らないみたいに――それどころか、物事の何一つを知らないみたいな真っ白な顔で、ただ前を向いていた。

 

 僕と目を合わせることもなく。

 

 ミカサさんが「人間的なこと」といった意味が、考えるまでも理解できた。

 チャイカたちのような試験管――人工子宮から生まれてきた『マキア』は、人としての振る舞い方や、人との接し方を知らずに前線へ送られる。


 戦闘機の乗り方や迎撃支援、武器や兵器の整備の仕方、与えられた任務のこなし方などは、予め『iリンク』を通じて『戦術パッケージ』として脳と肉体にダウンロードされるが、それ以外のことに関してはとことん無関心で、無自覚なまま前線で任務に就く。

 

 先ほどのミカサさんの説明通り、戦闘機での初の迎撃任務での帰還率は僅か七パーセント――これは、初迎撃では実力というよりは運の要素が強く、『マキア』に求められるのは質というよりも量であるという点が大きい。そのため、大量生産で生まれてくる『マキア』にはコストを掛けられないという事情があった。消耗品や備品、戦闘機のパーツ的のように扱われる場合だって少なくない。


 とくにソビエト連邦は、大量の『マキア』を常に前線に送り続けることで国家の威信と国際的な影響力を強めようという政治的な思惑や野心があり、『マキア』の人権や人命を最も軽視ししていた。


 ソビエトの『マキア』は畑から生えてくると揶揄されるほど、その命は軽く、儚い。


 僕は、今にも雪のようにとけて消えてしまいそうな女の子を真っ直ぐに見つめて、そして口を開いた。『iリンク』ではなく――喉を震わせた。


「チャイカ、今後、僕とのやりとりは――いや、僕だけじゃなく他の人と接する時も、なるべく自分の声で話してほしんだ。相手の目をしっかりと見て、自分の声と言葉で、相手に自分の思いを伝えるんだ」

 

 チャイカは虚ろな目で僕を見て、ほんの少しだけ戸惑いのような表情を浮かべた。


「それが命令なら、私はマスター・スバルの言うとおりにします。しかし、理解できません。発声による意思の疎通は時間的に無駄が多く、意思の疎通に齟齬そごをきたす可能性が高まります」

「確かに、『iリンク』による会話のほうが早く正確に意思の疎通ができる。でも、無駄なことや、齟齬が生まれてしまうことが、案外大切だったりすると思うんだ。お互いを知る上ではね」

「お互いを知る?」

「そう。僕たちは、これから少しずつお互いを知って行くんだ。時間をかけてゆっくりと。あと、これは命令じゃなくて、お願いみたいなものかな? そもそも、僕はチャイカに命令をしたりしない」

「命令ではなく――お願い? 理解できません。私は、それを履行りこうするべきなのですか?」

「好きにするといいよ。でも、お願いの意味を理解できなうちは――それを命令だと思ってもいい。いつか、僕のお願いを聞きたくないと思ったら、その時は拒否をすればいいんだ」

「理解できません。私がマスター・スバルの命令を拒否することはありません」

「そうかな? たぶんチャイカは、いずれ僕のお願いを拒否する日が来ると思うよ。それも、そう遠くない未来に」

 

 僕は確信を持ってそう言った。

 その確認の中には、そうであってほしいという希望も含まれていた。


「あと、僕のことはマスターじゃなくて――スバルって呼んでほしいんだ。マスターなんて呼ばれると、なんだか自分が間違ったなにかになったみたいでうんざりしてくるからさ」

「わかりました。スバル」

 

 こうして僕たちのファーストコンタクトは、思いの他スムーズに行われた。

 平和的かつ友好的に。

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