20 まるで割れた卵から雛鳥が飛び出すみたいに。 そして、産声を上げて翼を広げるみたいに

『――チャイカ、応答してくれ』

 

 ジュアンと別れると、僕は直ぐにチャイカに通信を送った。しかし、チャイカからの反応はない。

 

 僕は機体を慎重に操作しながら、崩壊現象の起きた地盤の中心部に足を進めた。

 もろくなった岩盤がいつまでも機体の重量を支えきれるわけもなく、いつ二次崩壊が始まってもおかしくはない状況。しかし、このまま手をこまねいて時間を無駄にするわけにもいかない。

 巨人の爆破まではもう猶予がなかった。


『――スバル、それ以上こちらに来ないでください』

 

 瞬間、チャイカからの通信が入り――まずは、彼女の無事に安堵した。

 

 機体が大破した状況にもかかわらず、彼女の声はいつも通り落ち着き払い、抑揚はまるでなかった。

 そして、一切の感情もこもってはいなかった。


『やぁ、チャイカ――無事で良かった』

『無事ではありません。私の機体は大破しています。巨人からの離脱は不可能です。スバル、あなたは速やかにこの場所を離脱してください』

 

 チャイカはただ事実だけを淡々と告げて、まるで自分の命や未来と言ったものにはまるで興味はないと言った様子だった。

 この場所で、機体と共に最後を迎えるのがさも当然と言ったように。

 

 それはとても寂しいことで、悲しいことだった。

 僕たちは、そして子供たち――『マキア』たちは、そんなことのために生まれてきたんじゃない。

 僕たちは、生きるために生まれてきたんだ。

 死ぬために生まれてきたんじゃない。


『チャイカ、操縦席の映像は送れる? できれば、顔を見せてくれ』

『拒否します。スバル、一刻も早くこの巨人から離脱をしてください――爆破までもう時間がありません』

 

 チャイカの言葉とほぼ時を同じくして、コマンドポスト機より全『ガンツァー』に向けた一斉通信が入った。


『こちら、コマンドポスト機――全ギガス・ブレイカーの爆破計算が終わったわ。今から五分後、高度一万五千五百メートルで巨人の爆破を行う。先行して大気圏に突入した各ガンツァーは、引き続き巨人の迎撃を行ってちょうだい』


拡張現実階層ARレイヤー』と機体のスクリーン・モニターに、爆破までのタイムスケジュールが表示される。


『中破及び弾切れの機体は、迎撃の邪魔にならないように迎撃空域からの離脱コースを取って大気圏へ突入して。地球で待機している迎撃援護のガンツァー、航空迎撃機、援護艦隊は出撃の準備を――これより、ゲーゲン・ヤークトは第二フェーズに入るわ。全員、よく聴いて。ここからが本番よ? 気張ってよね』

 

 爆破までのタイムリミットが表示されカウントが動き出したことで、いよいよその時が迫ろうとしていた。

 

 残り――

 五分。

 

 これが、僕たちの残り時間。


『スバル、早く離脱を――私のことは、置いて行ってください』

『ダメだ。僕たちは二人で地球に帰るんだ』

『この状況で、二人で地球に帰るのは不可能です。スバルがこれ以上、私の救出に時間を割くことに意味を見出せません。このままでは、あなたも爆発に巻き込まれてしまう』

『意味なんていらないんだ。僕たちは――意味なんかなくったって、それをするんだ』


 僕は、少しだけ声を荒げた。

 チャイカにしっかりと届くように――そして、その魂に響くように言葉を続ける。


『チャイカだって、ジュアンを助けただろう? 僕たちに与えられた命令に、味方機を助けるなんてオーダーは無かったはずだ。リーダー機がアンカーをセットした時点で、僕たちが優先すべきは第二フェーズだったはず。それでも、チャイカはそれを行った。僕たちは、ただ命令だけをこなすだけじゃない。時には――命令以上に大切なことをするんだ』

 

 僕の言葉に一瞬に沈黙したチャイカは、通信を映像付きに切り替えて僕と向かい合った。

 拡大されたウインドに、アルマータの操縦席の映像が映し出される。その映像はとても乱れている。砂嵐のようなノイズが混じり、僕たちはまるで鉄格子越しに向き合っているみたいだった。

 

 彼女の白いヘルメットのバイザーは割れていた。そして、その破片で切れたのか――狭い額からは赤い血が流れ、顔の左半分を真っ赤に染めていた。

 見ているだけで痛々しく、今直ぐに手当てをしてあげたかったけれど、まずはチャイカの救出が先だった。

 

 僕は、彼女の言葉を待った。


『――ジュアン機が崩壊現象に巻き込まれると分った時、私は、スバルあなたのことを思い出しました』

『僕のこと?』

『はい。あなたは、与えられた命令を無視してまで私を助けに来た。そのことを、何故か思い出したんです。どうしてあなたが私を助けに来たのか、それが分らなかった。私が、どうしてジュアン機を助けたのか――何故そんなことをしたのか、分らないんです』


 チャイカの声は少しだけ震えていた。

 まるで、はじめて触れたものの感触に戸惑っているみたいに、彼女は未知の感情を知ってその意味が分からずにいた。


『それに、子供たちのことを思い出しました。そして、猫のことを思い出したんです。あなたが子供たちに手を差し伸べている姿を思いだし――私は、気がついたら彼をかばって崩壊現象に巻き込まれていました。理解できません。私は、そんなことをするべきではなかった。だって、そんな命令は受けていないのだから。私は、壊れてしまったのかもしれません』

 

 チャイカは自分の行動の意味が分からないと、そしてその分らないことが怖いというように、赤い瞳を震わせた。

 彼女の表情に、初めて感情というものの影が浮かび上がろうとしていた。表情に一切は変化はなかったけれど、それでもそこには僕だけに分る明確な変化の兆しがあった。

 

 チャイカは今、とても不安そうで怯えた目で、僕のことを見つめていた。

 まるで、あの公園の痩せこけた猫のように。

 

 でも、僕には分っていた。

 チャイカは、壊れそうで震えているんじゃないってことが。

 

 彼女は今、自分自身の意志に目覚め――自我を獲得しようとしているんだ。

 まるでひなの卵に、そっとひびが入るみたいに。

 

 彼女は今、自己を獲得して――生れ出ようとしているんだ。

 そのことが、僕はたまらなく嬉しかった。

 僕は、にっこりと笑ってみせた。


『壊れてなんていないさ。それに、わからなくていいんだ。僕たちは――時々、わけの分からないことをするものなんだよ。こんなふうにさ』

 

 僕は操縦席のハッチを開けて、宇宙空間に飛び出した。そして、くちばしのように上下に開いた二重のハッチのふちに立ち、パイロット用の手すりに捕まって『アルマータ』と――


 チャイカと向き合う。


 僅か一メートル程度しかないハッチの上はとても不安定で、今再び崩壊現象が起きれば、僕は宇宙空間に放り出されてしまうだろう。

 それも構わなかった。


 僕は機体ではなく『iリンク』の通信回線で、チャイカの『iリンク』に直接通信を送った。僅か五メートル程度――機体同士が触れあえそうなこの距離なら、『iリンク』同士での通信も可能なはず。


『――私たちは、時々わけの分からないことをする?』


 チャイカは、僕の通信に応答して『iリンク』を通じて声を発した。

 そして、続ける。


『ですが、それでは――私の存在理由が無くなってしまう。私は、命令に従って巨人を迎撃するためにつくられました。その命令に反したら、私にマキアとしての存在価値がありません』

『つくられたんじゃない。生まれたんだ。チャイカは、この世界に生まれてきたんだ』

『私は、この世界に生まれてきた?』

『そうだよ。チャイカはマキアとして生まれきたんじゃない――人として生まれてきたんだ』

『人として生まれてきた?』

『それに、チャイカの存在理由はなくなったりしない。何があったってだ。そんなものは、チャイカをつくったなんて言う馬鹿な奴らの言い草だ。僕たちがどう生きるかは――僕たちが決めればいい。そりゃ、僕たちに決められることなんてほんのわずかなことだけど――そのわずかな選択の中で、僕たちは時々わけの分からないことをすればいいんだよ。例えば、命令違反をするとかさ?』

『わずかな選択の中で、時々わけのわからないことをする?』

『ああ、そうだ。だからチャイカ、一緒に地球に帰ろう』


 僕は、チャイカに向けて大きく手を伸ばした。

 そして、声を大にして続けた。


『僕は、チャイカと地球に帰りたいんだ。訳がわからなくても、可能性が低くても、命令違反でもいい――この気持ちは嘘じゃない。僕は、二人で地球に帰りたいんだ』

『スバル、それは命令ですか?』


 チャイカはそう尋ねた。

 その意味は、考えるまでもなく分っていた。


『命令だと言ったら?』

『拒否します』


 僕は、嬉しくなってにやりと笑った。


『ほらね、そう遠くないうちに、チャイカは僕の命令を拒否するって言っただろ? じゃあ、チャイカにお願いするよ。僕と二人で地球に帰ってくれ』

『はい。私も、あなたと二人で地球に帰りたい』

 

 そう言うと――


 チャイカは『アルマータ』の操縦席のハッチを開いて、宇宙空間に飛び出してきた。彼女は器用に後ろ足でハッチを蹴った後、身体を小さく丸めてボールのようにくるくると回転をしながら、僕に向って一直線に向かってくる。

 まるで割れた卵から雛鳥が飛び出すみたいに。

 そして、産声を上げて翼を広げるみたいに。


 ヘルメットのバイザーが割れているので、膝を抱えて頭を押し込むことで密封状態を保とうとしたのだろうけど、なかなか無茶な行動だった。それに、僕がチャイカを機体まで迎えに行くつもりだったのだけれど、彼女はそれを時間の無駄と感じたのだろう。


 僕は勢いよく突っ込んできた彼女を両手で受け止めて、その勢いのまま機体の操縦席まで吹き飛んだ。そして僕とチャイカは、二人で一つの塊になりながら操縦席をボールのように跳ねた。


 ハッチが閉じて操縦席に再び酸素が充満すると、僕は抱きかかえたチャイカのヘルメットを外して彼女と向き合った。


『無茶をするなあ』

『この方が直ぐにここから離脱できます』

『額、大丈夫?』

『はい。痛みはありません。先ほどは生存する可能性がなかったのでスーツの修復機能は使いませんでしたが、今はスーツのリソースを肉体の治癒に回しています』

 

 彼女の言葉通り、チャイカの額の傷はすでにナノマシンによる治癒が始まっていた。僕は手袋の甲で彼女の顔にこびり付いた血を拭ってから、僕のかぶっているヘルメットを彼女にかぶせた。


『スバル、これはあなたが――』

『――大丈夫。さぁ、ちょっと窮屈だけど二人でここを離脱しよう』

『はい。わかりました』

 

 僕はチャイカを膝の上に乗せたまま機体の操作し、操縦桿をおもいきり引いた後――フットペダルを限界まで踏み込む。

  

 瞬間、メインスラスターが火を噴き、機体は巨人を離れて宇宙空間に飛び出していく。


 二人で新しい空へ、

 初めての空へ飛び出すみたい。


 足下には、遠のいていく黒い大地。

 頭上には黒い雲に包まれた青い星。


『秋水』は重力井戸の底に引きずり込まれるように、

 地球へと落ちていく。


 モニターに表示された爆破までの残り時間は――


 残り、わずか三十秒。

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