第30話「復讐姫が朱に染まる時」

 再び希望の方舟はこぶね疾走はしり出した。

 一切が謎に包まれた動力による、100ノットを超えるスピードで。

 戦後の世界で闇から闇へと、影の中で邪悪を討つ……その名は特務艦とくむかんヴァルハラ。

 死せる勇者が英霊えいれいとなって集う、神々の黄昏ラグナロクに備えた力だ。

 そう、ユアン・マルグスは一度死んだのだ。

 憤怒ふんぬに燃える復讐鬼など、もういない……血涙の赤を纏った"吸血騎士ドラクル"は死んだ。

 今ここにいるのは……あかつきにも似た朱色の翼を持つ、戦士ファイター

 ユアンは、無式むしき"朱蛟あけみずち"のコクピットで操縦桿スティックを握る。

 魚雷と対艦ミサイルで浅からぬ損傷を受けながらも、ヴァルハラは風切る速さで大洋を飛んでいた。その飛行甲板で、ゆっくりとユアンの新たな翼が高鳴り始める。


『ユアン中尉、こちらヴァルハラ・コントロール』

「リンル軍曹か」

『ラステル中尉から伝言です、読み上げます。……海水浴をクソ満喫中だ、あとで拾いにこい。以上です』

「了解した、ありがとう」

『中尉』

「ん? ああ、大丈夫だ。この機体の感触……俺はまた、飛べる」

『それは心配してません。ただ、艦長の無茶にはほとほとあきれました。なので……帰ったらしかってあげてください。これ、艦長の友人からのお願いです。では……グッドラック!』


 空にはまだ、秘密結社フェンリルの尖兵せんぺいへとした翼が乱舞している。かつて戦友たちと駆った最強の翼……Fv-67"レブンカムイ"。本当のトップエースにのみ許される、天空の神にして悪魔。その轟音が包む中へと、ユアンは"朱蛟"を向ける。

 だが、空へと続く飛行甲板の滑走路は、ついに直撃弾を浴びでれた。

 対艦ミサイルが炸裂して、鋼鉄の甲板がめくれ上がる。

 そして……頭上を白い殺意が冷笑れいしょうと共に通り過ぎた。

 リンルたちクルーがダメージコントロールで忙しく叫び合う中、静かに響く声は濡れている。


『ユアン……それはなに? なんて醜い翼……嗚呼ああ、どうして! その出来損ないからいつものエンジン音が……貴方の鼓動が聴こえるの。何故! そうまでして――』

「エルベリーデッ! ……そこを動くな、今……今すぐ行ってやる」

『そうまでして私に殺されたいのね。全てを壊して殺す私を、追いかけたいのね!』


 すでに前方は火の海だ。

 燃え盛る飛行甲板に取り残された"朱蛟"の中で、ユアンは唇を噛む。

 だが、事前のシミュレーションやパイロットの直感、なにより長年連れ添ったエンジンの咆哮ほうこうが教えてくれる。

 世界最強のエンジンを得て、無式"朱蛟"は完成された。

 名無しの蔑称べっしょうを脱ぎ捨ていた今、ユアンにとってこの機体は我が身そのもの、肉体の一部にも等しい。その感覚的な確信が、神業かみわざを人の手で実現させる。


「ヴァルハラ・コントロール、発艦する……待ってろ、エルベリーデ!」


 一度だけ見上げた空では、ラーズグリーズ小隊の仲間たちが必死に戦っていた。ラステルを欠いた上に、自分もまだふねの上……二機では多勢に無勢だ。そして、ランドグリーズ小隊の四機の"シャドウシャーク"も懸命に戦闘を継続している。

 皆が、空で待っている。

 ユアンと艦のために、舞っている。

 危ういダンスを踊り続ける仲間たちの戦場へと、ユアンは全力で愛機を押し出した。

 否……突然、リニアカタパルトとの接続をカットするや、後退する。 

 そう、

 三次元ベクターノズルの繊細な操作と、ラダーを手繰たぐる大胆な挙動。

 全力疾走するヴァルハラからずるりとがれるように、後ろへと"朱蛟"は落ちていった。そして、ブースト……最大出力でエンジンが金切り声を叫ぶ。割れ響く産声うぶごえで、海面へと滑り落ちた"朱蛟"が見えない炎をほとばしらせる。

 飛行甲板から背後へと身を投げた翼は、不出来な特撮映像のように空中で停止、そのまま天空へと駆け上がる。

 ユアンは交錯こうさくする回線の中に仲間たちの声を拾って飛んだ。


『ナリア隊長、ユアンが! 見て下さい、あの機体』

『イーニィさん、周りを掃除しましょう。彼に……ユアンさんに、因縁の決着を』

『ヴァルキリー3、了解!』


 たちまち群がってくる敵影が、火を噴く鉄屑てつくずと化して洋上に落ちてゆく。

 火線の花道を直上へと駆け昇り、ユアンは目を凝らして周囲に探した。

 そして、宿業しゅくごうを分かち合う白い影が殺意を交えてくる。

 男と女、敵と味方……翼と翼が紅白のクロスファイアで輪唱りんしょうを歌った。

 すぐに背後へ回った白い"レプンカムイ"から、恍惚こうこつとしたエルベリーデの声が響く。


『ユアン……それが貴方のひつぎかしら? なんてこと、醜い……色だけを真似ても、そんなガラクタでは私には勝てない! もう、私を守る"吸血騎士"は死んだわ!』

「そうだ、エルベリーデ……仲間の恩讐を背負った復讐鬼アヴェンジャーは死んだ。俺は……俺と世界と、仲間のために飛ぶ! お前のためにも、決着をつける!」


 むずがるように"朱蛟"の挙動は不安定で、掌握しながらも手の指をすり抜けるような感覚が操縦桿から伝わってくる。やはりシミュレーション通り、低速域での安定感がまるでない。鈍い反応に鞭打むちうって、背後からの射撃に踊るユアン。

 もはや乱射と言ってもいい攻撃の中で、エルベリーデはうっそりと笑っていた。

 共に過ごした時間の中で、わずかな安息を分かち合った時のように、笑う。

 だが、協約軍が作った偶像アイドルの仮面を脱ぎ捨てた、可憐な少女の笑顔ではない。

 見なくてもわかる……狂気に魅入られた女の、目的と手段を取り違えた凶行がもたらす哄笑こうしょうだ。


『さあ、ユアン……もう私から逃げないで。逃さないんだから……フフフ』

「ああ、俺はもう逃げはしない! お前の空を終わらせる……お前に翼を与えたのが俺ならば、奪うのもまた俺だ。お前の白い翼は、見えない血で未来永劫にいたるまで汚れている!」


 徐々に決闘、そして私闘のリズムがテンポアップする。

 刻むビートはなまりつぶて、重金属の弾丸が擦過さっかする中でユアンは加速する。

 どこまでもスピードを絞り出すように、エンジンの力が翼へと広がってゆく。

 高速域へと突入した"朱蛟"は、ピーキーなジャジャ馬とは違う顔を見せ始めていた。

 難なくユアンは、真っ向勝負のパワーで背後のエルベリーデを引き剥がす。

 主翼ばかりか、カナード翼までも前進翼が配置されたいびつな翼。空ごと敵を切り裂く刃のような、直線と曲面の織り成すボディが風に交わる。

 取り巻く空気は今、静かにユアンを通り抜ける。

 気流は翼に力をたくして吹き去る。

 未知の領域、選ばれし者のスピードに達した赤い竜神は、戦後に迫る闇をあけの光で切り裂いた。


『なに……違う、嫌よ! ユアン、待って……私を置いて行かないで!』

「これが、無式の……"朱蛟"の本来の力。高速を維持することで生まれる極限のバランスと機動性。これならっ!」


 高鳴るユアンの興奮が、遅れてゆくエルベリーデすら忘れる。

 怨嗟えんさも憎悪も、復讐も……世界の命運すらも忘れてゆく。

 どこまでも青い空の中で、究極の自由がユアンの中にあった。それは天空の支配者であり、全ての翼に勝る力……海の上、空の彼方の青を支配する真紅の超越者だ。

 ふと、ユアンは突然察して合点がいった。

 名も無き翼に名を与え、ユアンに託したのはあの少女だ。

 きっとムツミが、"朱蛟"と名付けた力をユアンにもたらしてくれたのだ。

 それを確かめ、そうなら礼を言って、そして伝えたいことがある。

 型式番号もペットネームもない、ガランドウの翼は孵化ふかせぬ卵。そこに自分を重ねて温め名付けた少女を、ユアンは叱って怒って、そして大切にしたくなっていた。


『ユアン……待って、ユアン! 追いつけない……私の翼が! 私の力が!』

「幕を引こう、エルベリーデ。再び俺が俺の空を飛ぶために……お前との因果いんがを、ここで断ち切る!」


 圧倒的なパワーで、白い"レプンカムイ"をたやすく振り切る"朱蛟"。

 豪快にして凶暴なその力を制して、ユアンはジェット戦闘機とは思えぬを描く。減速を知らぬ"朱蛟"は、常識を無視して小さな円を描いた。現用機の最小回転半径を知らぬかのように、速度を落とさずターン。あっという間にエルベリーデの背後に回る。

 本質的に、エルベリーデのC型の"レプンカムイ"とエンジンは同一。

 だが、R6型と呼ばれるユアンだけのスペシャルメイドは、新たな宿主を得て歓喜の歌で絶唱ぜっしょうしていた。名を得た翼は、始めて本来の設計思想……加速するほどに安定するという危険な暴力をユアンに与える。

 バックを取られたエルベリーデが、急上昇で反転。

 その先を読んで潰すように、ユアンは嘗て愛した女の軌跡をなぞった。


『振り切れない……この私が! 最強のエース、"白亜の復讐姫ネメシスブライド"が!』

「もうよせ、エルベリーデ! ベイルアウトしろ! その機体を……お前に俺がせてしまった呪いを破壊する!」

『嫌よ! この機体は、この力は……この名は私がユアンから与えられた全てだわ! それは、私の全てという意味……お願いユアン、私に殺されるだけでいて頂戴!』

「断る! いいな、エルベリーデ……ベイルアウトしろ! お前の見る夢は終わりだ……目を覚ませ!」


 ユアンは迷わず銃爪トリガーを引いた。

 互いの因縁と愛憎が複雑にからまるなかでの、一瞬。

 数え切れぬ睦言むつごとささやき合って、永遠にも等しい時間の中で肌を重ねた。

 求めて与えて、求められて与えられた。

 激化する戦い、五十年戦争末期の地獄を寄り添い生きてきた、それは互いの翼を互いで補う比翼ひよくと比翼だった。それを守るために飛んできたユアンは今、自らの手で知らぬ内に膨らんだ戦争の狂気を撃つ。

 それが、一人の戦災孤児を偶像の英雄にしてしまったユアンの罪。

 罪をつぐなあがなう、最初の一撃。

 放たれた20mm弾頭が、白い"レプンカムイ"を運命の糸でい上げてゆく。

 まるでミシンにかけられたシルクのように、真っ直ぐ貫いてゆく。

 決着……始めての減速で揺れながら挙動を乱す"朱蛟"は、今のユアンの心そのものだった。目の前で爆発を等間隔にこぼしながら、エルベリーデがちてゆく。


「エルベリーデ! 脱出しろ!」

『……大丈夫よ、ユアン。平気だわ。基地まで、持つ』

「何を言っている、お前の負けだ! 勝負はついた……勝敗が決しても、なにも終わらないんだ! 戦争が終わったくらいで、人はなにも終われないんだ」

『任せて、ユアン……機体は、まだ飛べる……基地まで、飛ばしてみせる』


 真っ直ぐ海へ落ち始めたエルベリーデの声は、静かにんでいた。

 極限の葛藤かっとうを突っ切ったユアンの想いは、弾丸と共に彼女に通じていたのかもしれない。しかし、撃墜されたエルベリーデが思い出したように口にするのは、"白亜の復讐姫"としての勝気で強気な声だった。


『燃料はギリギリ……大丈夫よ、帰れる。二人で帰れるのよ、ユアン』

「その機体では無理だ! 今にも爆発するぞ! ベイルアウトしろ!」

『駄目よ……協商軍に無様ぶざまは見せられないわ。だって……だってそうでしょう、ユアン? 貴方が育てた私は、常に空を支配する女王、女神なの。だから――』


 狂奔きょうほんの果てのむくいが、皮肉にもエルベリーデの時間を巻き戻す。

 そして……黒煙を吐き出す白い鳥は、寄り添うべく追うユアンの目の前で爆発した。そのまま残骸が海へと落下してゆく。

 機首を起こして急反転で上昇するユアンもまた、見えないしずくを波間に落として飛んだ。

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