第31話「穿ち貫く軍神の神槍」
二人を
今、一つの伝説が終わった。
五十年戦争と呼ばれる長き戦いの末期を、
否、この瞬間からエルベリーデは伝説になったのかもしれない。
平和な世の中で語られる戦争の美談として、創作物や逸話の中に生き続けるのだ。
そして、ユアンもまた因縁を振り払った。
一瞬で。
永遠に。
「……こちらヴァルキリー4、ユアン・マルグス。引き続き残敵の掃討に移る」
絶え間なく加速を続ける中で、ユアンの視界が
自分が泣いていることに気付いて、彼は一度だけ涙を拭った。
確かにユアンは、エルベリーデを愛していた。生きるために必死な彼女と、戦後も共に生きたいと思ったのだ。翼を捨てても、二人でその足で歩いていきたい……そう願ったのが、もう随分昔のことのように思えてならない。
飛び方を教えた男と、空を知った女。
女は翼を捨てられず、血に濡れた
男の愛を、飛ぶことでしか実感できないほどに、戦争に侵食されていたのだ。
だが、そんな悲劇はもう沢山だ。
それが因果というなら、ユアンは因果を断ち切る刃となる。
己が身を
『ヴァルキリー1、了解。……終わりまして? ユアンさん』
「ああ。そして、始めるつもりだ。俺の、本当の戦いを」
ナリアの声に湿った返事を返しながらも、どうにかユアンは涙を振り切る。平常心を言い聞かせて新たな愛機を操れば、敵は明らかに混乱して
絶対的なカリスマである指揮官を失えば、それは
最新鋭の"レプンカムイ"に乗っていても、その翼に魂を宿らせることはできないのだ。
次々と仲間が、敵を撃墜してゆく。
敗走へと追い詰められてゆく敵は、既に
全力のスーパークルーズで飛び去ろうとする機体にはもう、恐怖に怯えて戦意が感じられなかった。だが、ユアンはフルブーストで加速するや、容赦なく撃墜してゆく。背後から一撃のもとに審判の弾丸を浴びせ、幾度も爆発を追い越し
そんな彼の目に、海へと浮かぶ威容が迫ってきた。
「あれが連中の母艦かっ! デカい……並の
青い海の波間に、漆黒の巨体が浮いていた。
改めてユアンは、秘密結社フェンリルの規模と技術に恐怖した。
そして、次の瞬間には目を見開いて
「ッ! 母艦が……それがお前たちのやりかたかっ!」
周囲の海を泡立てながら、ゆっくりと巨大な潜水艦が潜行準備を開始した。
まだ、その上空には着艦を待つ"レプンカムイ"が飛び交っている。その一つ一つを丁寧に処理しながらも、同じパイロットとしてユアンの心は怒りに震えた。
飛び立つ者たちは皆、降りる場所があるから飛べるのだ。
大戦中のユアンたち
皆、空へと上がった者たちを見捨てたりしなかった。
己の危険も省みず、送り出した戦士を迎えるために戦ってくれた。
だが、そんな仁義や責務は、フェンリルという組織にはないようだ。
ユアンは
『ヴァルキリー4、ユアン! 弾切れですか? 今、フォローに』
「イーニィ……もう、撃たなくても終わる」
『でも、あの人たちは! フェンリルは!』
「もうすぐ燃料が切れて海に落ちる。回収してはもらえないだろうな……艦長に連絡して、こちらで捕虜として扱うべきだ」
『無駄な殺しはしない、そういう流儀ですか? ユアン』
「有意義で有用な殺しなんてのは、存在しないがな。それより」
追いついてきたイーニィの"シャドウシャーク"が横に並ぶ。
逆側には静かにナリアが浮かんでいた。
そして、旋回する三機の下で
緊急発進で機銃以外に武器のないユアンたちは、指を
そして、帰るべき場所を失った敵機もまた、ユアンたちへと攻撃してはこなかった。
『勝負あり、ですわね……少し、いいえ、かなり後味の悪いことになってしまいましたけど。ヴァルキリー3、ヴァルハラへ連絡を――』
イーニィに母艦との連携を任せ、ナリアが軽く左右の翼を振る。周囲の敵機へと投降を呼びかける彼女の声は、静かにユアンの耳にも浸透してきた。
戦いは終わった。
確かにそう思えたが、言葉に出来ない
ユアンはゆっくりと沈んでゆく敵の母艦を見下ろし、奥歯を
凛冽たる声が響いたのは、そんな時だった。
『ユアンさんっ! ムツミです、もしもし? 聴こえていますか? 応答願いますっ!』
不意に、耳元で歌うような声が響いた。
その奥では、困惑するリンルの声が聴こえる。恐らくインカムをムツミに取り上げられてしまったのだろう。オペレーターを介さず直接、艦長のムツミがコンタクトを取ってきた。
驚きつつユアンが応じる相手は、艦長としての責任と使命に燃えている。
戦うために造られた計画種である以上に、任務に燃えて世界を守る、ヴァルハラに集ったワルキューレたちの女王だ。
「こちらヴァルキリー4、ユアンだ。すまない、敵の母艦を取り逃した」
『まだですっ! 位置情報をこちらへ送って下さい! 引き続き、上空からラーズグリーズ小隊の三機でデータ収集を。音や熱源、目視、なんでもいいです。全部わたしにくださいっ!』
そして、ユアンの返事も待たずにムツミはクルーへと指示を出す。
ヴァルハラのブリッジはいまだ臨戦態勢で、緊張感が満ちていた。その中で、楽器が奏でられるようにムツミが叫ぶ。
『グレイプニール、あと5分、いえ……3分だけ持たせて下さい! 垂直発射セル、一番二番に魚雷装填。
ムツミがなにを言っているのか、ユアンにはさっぱりわからない。
彼女は自分の
だが、ユアンの直感が訴えてくる。
ムツミはまだ、恐るべき判断力と戦術眼を維持している。
彼女はまだ、戦っているのだ。
すぐにユアンは、イルミネート・リンクで直結されたヴァルハラへとデータを送る。
そうしている間に、とうとうフェンリルの母艦は海中へと見えなくなった。
白くかき混ぜられた海だけが、
ムツミにそのことを報告しても、彼女は全く動じずブリッジで声を張り上げていた。
『一番二番、魚雷発射! 全電源を
ユアンはその時、ようやく理解した。
そして、周囲ではナリアがイーニィにそのことを説明し始める。二人の会話を黙って聴きながらも、ユアンは戦慄に震えた。
ムツミは恐ろしいことを考える。
それを平然とやってのける。
そして、結果に結びつくであろう大胆不敵な戦術を、不思議と仲間に信じさせてしまう。
『ナリア隊長、ムツミ艦長は……あの、超電磁弾頭射出砲って右舷側の
『簡単ですわ、イーニィさん……ただ、敵に向けて最大出力で撃つ、それだけですの』
ヴァルハラの右舷側に搭載された超電磁弾頭射出砲は、艦の全長をそのまま砲身とする巨大なものだ。必定、艦首を向けた方向にしか撃てない。
常人の考えならば、それは常識であり正解だ。
だが、戦後の平和を守るために戦う少女は、良くも悪くも普通ではない。
そしてユアンは、そのことが彼女の考えた戦術ごと理解できていた。
「……そうか。だが、可能なのか? タイミングをどうやって……いや、あの
『魚雷の自爆と同時にトリガーをわたしへ! メインモニターにリアルタイムの情報をください。総員、耐ショック姿勢ですっ!』
同時に、回線の向こう側で爆発音が響いた。
空高く打ち上げられた魚雷は、ヴァルハラの背後に着水、自爆したのだ。
恐らく艦内は今、衝撃波で揺れているだろう。
そして……海中での爆発は、ヴァルハラの艦尾を大きく持ち上げる。
必定、艦首は海へと下がる。
ムツミは迷わず、激震の中で叫んだ。
『超電磁弾頭射出砲、最大電圧! 発射ですっ!』
直後、信じられない光景がユアンの眼下に広がる。
青い大洋を切り裂く軌跡が、海の中を貫き走った。
そして、それが見えなくなる先で巨大な水柱が上がる。
ムツミは無理矢理ヴァルハラの艦首を海中へと向け、超電磁弾頭射出砲で潜水艦を狙撃したのだ。最大出力で放たれた砲弾は、水圧をもろともせずに深海へと飛んで……逃げる敵を
ややあって、いつもの
『……艦長、インカム返してもらいます。まったく、無茶を……ラーズグリーズ小隊、聴こえますか? 投降した敵を連れて帰還して下さい。現在飛行甲板を復旧作業中、もうすぐ降りられます』
「了解した。敵の母艦は」
『スクリュー音が消えました。ソナーで撃沈を確認してます』
「……信じられんな、
『空の悪魔にそう言われると、私としても同意するしかないですね』
こうして、一つの戦いが終わった。
新たな愛機を
だが、決意と覚悟とがユアンを静かに奮い立たせる。
「エルベリーデ、地獄で待ってろ……俺もいつか、そこへ行く。全てを終えたその時……俺たちはまた、あの日のように出会えるかもしれん。それまで、俺は飛び続ける」
損傷
敵と味方の概念が去った空は、帰路につく翼を見送るように晴れ渡っていた。
ユアンもまた、空に散った思い出に別れを告げるのだった。
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