第4話「戦士の魂、いざなわれて」

 レーダーに映る光点こうてんが、音の速さで遠ざかる。

 あっという間にエルベリーデの駆る"レプンカムイ"は見えなくなった。

 彼女らしい懸命な判断だったと、ユアンは大きくため息を一つ。酸素供給用のマスクを外して、改めて洋上に浮かぶ異様な艦艇を見下ろした。

 それは酷くアンバランスで、洗練された兵器の雰囲気が感じられない。

 まるで、悪趣味な好事家マニアが作った出来損ないの模型だ。


「なるほど、あれと一戦交えるのを嫌ったか。エルベリーデたちの目的はあの輸送機のようだったが……?」


 先程スピーカーを通して、大声を響かせた一機の輸送機。その重々しい姿がアプローチに入る。ゆっくりと高度を落とす姿は、その中に小さな少女を内包しているのだ。

 おおよそ戦場には似合わぬ、軍服姿の少女。

 そして、あらゆる戦場が去った戦後の空はまだ燃えていた。

 忸怩じくじたる思いで、着艦態勢の輸送機を見守るユアン。

 そう、着艦――異形の軍艦へと今、輸送機は降下してゆく。

 その艦は甲板が平らな航空母艦こうくうぼかんでもあった。だが、それは奇妙な姿の半分だけにほかならない。ユアンの目には今、双胴型そうどうがたの巨体がありありと浮かんでいた。吸い込まれてゆく輸送機すら小さく見える。

 左舷側は平らな飛行甲板が続く航空母艦だ。

 右舷側は砲塔やイージスシステム等が密集する戦艦のように見える。

 空母と戦艦をひとつなぎにした中央には、ブリッジが対空火器群に囲まれていた。


「……悪い冗談の産物だな、これは。しかも、夢じゃないときている」


 あまりにも酷い、子供じみた無知な無邪気さが感じられた。

 古くから航空戦艦こうくうせんかんという設計思想は存在し、過去には何度か建造、運用されたこともある。だが、その結果が思わしくなかったので、昨今では海の上から消えてしまった艦種かんしゅだ。

 航空戦艦とは、空母と戦艦の長所を併せ持つふねではない。

 空母としても戦艦としても用をなさない、双方の長所を潰し合う艦のことだ。

 だが、眼下の巨艦はどうだろう?

 二つの機能を合一させるため、。そして、それが自然であるかのような説得力がある一方で、あまりにシンプルな結論にはあきれてしまう。空母と戦艦をくっつけたから、航空戦艦とはよく言ったものだ。


「ま、俺には関係のない話だ。……おかまで持つか? いや、燃料はもう――」


 輸送機を迎え入れた例の奇想戦艦きそうせんかんは、迎撃の気配を見せない。

 恐らく、敵と認識されていないのだ。

 既に大戦は終わり、戦後の調停も進んでいる。平和が訪れた今、軍隊には必要最低限の警備行動や監視任務しか残されていない筈だ。

 では、何故今になってこんな兵器が姿を現したのか?

 考えても詮無せんないことがユアンの脳裏をよぎる。

 そして、再び声が空を震わせた。

 またもマイクを通した肉声で、無線封鎖などなにも考えていない。


「そこの赤い人っ! アプローチに入ってください。着艦を許可しますっ!」

「……着艦を、許可? だと?」

「もしもーし! 聴こえてますかぁ? あ……え? はいはい、えっと……周波数の特定、いいんですね? じゃあ、以後は無線で? ううん、面倒だしここでいいです」


 恐らく、10kmキロ四方に響き渡るような大声だ。そして、りんとしてすずやかな声音が不思議と鼓膜に染み渡る。あどけない中にも、不思議な知性を感じさせる声だった。

 ハキハキと元気に、少女の声は言葉を並べ続ける。


「あっ、わたしたちの所属に疑問を持ってますね? では、お教えしますっ! わたしたちは、第747独立特務旅団だいナナヨンナナどくりつとくむりょだん……通称、ですっ!」

「エインヘリアル……旅団?」

「あ、今ちょっと首を傾げましたね? えっと、わたしたちは長き大戦の中ではぐくまれた、見えない巨悪と戦ってます。協約軍きょうやくぐん協商軍きょうしょうぐん、双方から選ばれた人員で構成された、スッペシャァル! な、極秘部隊なんですっ!」


 言っている意味はわからないが、少女の声は弾んでいた。

 そして、極秘部隊なのに堂々と名乗っている。

 意味不明な上に、どう見ても無謀で無意味な行動だった。

 だが、既にユアンに選択肢は限られていた。

 ガクガクと揺れ出した愛機が、燃料の枯渇こかつを無言で訴えてくる。すでに燃料計は限りなくゼロへと近付いていた。

 あの艦に降りるしかない。

 そして、アプローチに失敗すれば、やり直す余裕など許されない。

 招かれざる客になることを承知で、明日に希望を繋ぐか? エルベリーデへの復讐をげるため、今はどろをすすってでも生きるべきだろうか? 自尊心プライドに問いかける贅沢すら、今のユアンには選べない現実だった。


「チィ! いいだろう……周波数をセット、聴こえるか、コントロール? これより着艦態勢に入る。一発勝負だ、フォローを頼む」


 無線機の向こうで、冷たい声が返ってくる。

 やはり女性、先程の少女とは別の声色だ。


『こちら特務艦とくむかんヴァルハラ・コントロール。感度良好、どうぞ』

「ヴァルハラ?」

『この艦の名前です』

「……了解した」


 エインヘリアル旅団に母艦のヴァルハラ……酷く趣味的な命名だ。見下ろす航空甲板では、先程着艦した輸送機が手際よく誘導されている。

 ユアンのためにけられた飛行甲板へと、赤い翼がしなって唸る。

 究極の多目的汎用戦闘機マルチロールファイターを目指して開発された、Fv-67"レブンカムイ"には、あらゆる状況下での戦闘と帰還が想定されている。着艦に問題はないし、ユアンも大戦中は何度も経験した。

 常に分刻みで位置を変える母艦。

 僚機のアプローチを受け入れる瞬間、沈められた艦もあった。

 何度も死線を潜り抜けてきたユアンには、平和な海に浮かぶ巨艦などは地面の滑走路にも等しい。風は静かで穏やかで、波もいで落ち着いていた。

 この上ない好条件で、ユアンは高度を落としてライディングギアを出す。


「ヴァルハラ・コントロール、コースに乗った。このまま着艦する」

『コントロール、了解。ようこそ、ヴァルハラへ』

「……まさか、英霊えいれいの仲間入りってことはないだろうな」

『ご想像におまかせします。着艦後は保安員の指示に従ってもらいますので』

「了解だ、せいぜい歓迎してくれ」


 酷く神経質そうな、抑揚よくように欠く女の声。

 この時代、女性兵士などは既に珍しくない。五十年戦争と呼ばれた未曾有みぞうの世界大戦は、世界中の成人男性の七割を死に追いやった。それは必定、女性の兵役義務へと直結したのだ。

 終わって初めて気付く、愚かしいまでの消耗戦。

 その愚かさが終戦のきっかけになったが、遅過ぎた。


「これが青少年向けのコミックなら、ハーレムへ御招待ってとこなんだがな。……軸線固定、着艦する」


 空から見下ろす艦は、いかな巨体であれ水面に浮かぶ落ち葉に等しい。

 失速寸前の速度と高度で、その小さな目標は眼前に迫っていた。そして、正規空母も同然の巨大な甲板へと"レプンカムイ"が舞い降りる。

 空母への着艦、それは『』と揶揄やゆされる危険な操縦だ。

 かつてはワイヤーにフックを引っ掛け、強制的に着艦後は速度を殺していた。今の時代では、甲板自体が強力な超電導リニア効果で制御されていることが多い。等間隔で並ぶ光の道で、ユアンの完璧な操作は静かに受け止められた。

 機体が完全に停止してから、ユアンは風防キャノピーを開く。

 同時に、手にした拳銃を油断なく構えた。


「……予想通りの展開というのは、あまり嬉しいものじゃないな。歓迎には感謝する」


 ギリギリで生へと帰還したユアンを、居並ぶ銃口が出迎えた。

 艦内で規律や機密を守るための保安員たちだ。その手には皆、自動小銃ライフルを構えている。そして、判で押したように皆が皆、若い女性だった。

 その名の通りここがヴァルハラなら、彼女たちはワルキューレだろうか?

 古き神話にある、死せる勇者の魂を導く宮殿……ヴァルハラ。戦乙女いくさおとめたちに導かれてたどり着いた戦士たちは、神の前で力を比べ、技を競う。来るべき戦いに備える英霊たちを、エインヘリアルと呼ぶのだ。

 ユアンは緊張感を巡らせる中、両手をあげる。

 だが、右手に握った銃は離さない。

 まだ、死ぬ訳にはいかない。

 冥府めいふへ放り込まれた仲間たちのため、そして自分のため……復讐を成し遂げなければいけない。そのためには、ここがヴァルハラだとうそぶくならば、その中で生きて生き残り、再び空へと戻らねばならないのだ。

 そんな時、飛行甲板の緊迫感が突き破られた。


「皆さん、銃を下ろしてくださいっ! 赤い人は敵じゃありません。敵にしちゃいけないんですっ!」


 あの声だ。

 ユアンを取り囲む保安員たちの壁が、左右に割れた。

 そして、海軍の軍服を着た少女が小走りに駆けてくる。

 あおい髪を海風に棚引たなびかせる、十代の女の子だ。そして、どこにでもいる天真爛漫な少女に不釣り合いな、白い軍服と大佐の階級章。間違いない、先程スピーカーで大声を張り上げていた人物だ。

 彼女はユアンの前まで来ると、両膝に手を当て呼吸をむさぼった。

 そして、豊かな胸を撫で下ろして息を整え、真っ直ぐ前を向く。

 大きな瞳は緑がかっていて、輝くエメラルドのように光をたたえている。


「はい、終わり! 終わりです! 銃を下げて」

「しかし艦長」

「いいんです、これは艦長命令っ! 皆さんだって不慣れなことして、疲れてるでしょう? ここはわたしが預かりますから、持ち場に戻ってください。ね?」

「あの、この男は……まだ銃を」


 周囲に笑顔を向けてから、再度少女はユアンに向き直る。

 そして、無防備に近付いてきた。

 目の前で彼女は、背伸びしてグイと顔を近付けてくる。

 精緻な小顔に彩られた美貌が、ユアンの視界を占領してしまった。


「はじめまして! 特務艦ヴァルハラの艦長、ムツミ・サカキですっ! えっと、赤い人は」

「ユアン・マルグスだ。……八洲皇国人やしまこうこくじんか? 顔が近いんだが」

「気にしないでくださいっ! ようこそエインヘリアル旅団へ。歓迎しますっ!」

「……いや、俺は気になる。それより、ようこそ?」


 思わずのけぞるユアンに、どんどんムツミは顔を近付けてくる。

 前のめりにずいずいと押してくる。

 鼻息も荒く、彼女はじっとまっすぐにユアンを見詰めてきた。


「赤い人、貴方は確か……そう! 協約軍の影のエース、"吸血騎士ドラクル"のユアン・マルグスさんですね! やっと思い出せました」

「そりゃどうも。それで? 俺の扱いはどうなる。……普通は真っ先にエルベリーデの、"白亜の復讐姫ネメシスブライド"が出て来る筈なんだがな」

「吸血戦隊と恐れられ、唯一この子……"レプンカムイ"が配備されていた第666戦技教導団だいロクロクロクせんぎきょうどうだんですね? 確かに一般的には、エルベリーデ・ドゥリンダナ大尉の活躍が話題です! でもでもっ、わたし知ってますよ? "白亜の復讐姫"の戦果は大半が――」

「昔の話だ。それに……あの女はまだ、飛んでいる。戦いを求めて、今この瞬間も……だから、俺、は――」


 不意にぐらりとユアンの世界が揺れた。

 艦の揺れかと思った時には、甲板に膝を突いていた。

 極度の緊張状態から開放され、銃を落としてしまう。身体の自由がきかなくなり、どんどん視界が狭くなっていった。


「あっ、あの! 赤い人、ユアンさん? しっかりしてください、ユアンさんっ!」


 ムツミが抱き留めてくれたが、二人でその場にへたり込んでしまう。徐々に薄れ行く意識は、しおの香りが入り交じる少女の匂いに包まれ暗転した。夢も見ないかに思えた突然の眠りは、暗闇の中に記憶の化石を引きずり出す。

 忘れもしない現実、忘れられない過去……それがセピア色の懐かしさと共に浮かび上がった。

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