第23話「無敵の笑顔で」

 特務艦とくむかんヴァルハラへと戻ったユアンを待っていたのは、喝采かっさいと歓声だった。

 ただし、自分へ向けられている訳ではない。

 艦内の食堂へ顔を出したラーズグリーズ小隊は、あっという間にクルーたちに囲まれてしまった。妙齢みょうれいの女性から可憐かれんな少女まで、皆が笑顔を輝かせて迫ってくる。

 やはり、ユアン以外の全員に迫って取り囲む。


「ナリアお姉様! さっき、ニュースの中継で見てました! 流石さすがですわ……素敵」

「ラステルもやればできるじゃんかよー! 最高の演技だったってさ!」

「イーニィちゃんもお疲れ様。ほんとにもー、ハラハラしたんだから。ここの協商軍は全部、フェンリルに掌握されてると見て間違いないんだからね? でも、無事でよかった」


 ぽつねんと取り残されたユアンは、華やかな女子たちの黄色い声に溜息をこぼす。だが、自然と頬が緩んだ。苦笑も不思議と柔らかく、遠巻きに女性陣を見守れば気持ちも軽やかだ。

 自分にできるベストを尽くした。

 仲間たちは自分に呼応し、協力してくれた。

 この市民感情が過敏な時期、敵地でのアクロバット飛行……それがなにをもたらすかは知っている。朝の空気を騒音で切り裂いたし、市民団体にも付け込むすきを与えたかもしれない。だが、街の空で感じた空気は、はっきりとユアンたちに驚きと喜びを伝えてきた。

 そのことに先ずは満足し、自己満足で終わらせないための戦いが始まる。

 そんなことを考えていると、ユアンの元に一人の女性がやってくる。

 意外にも、唯一ユアンをねぎらってくれたのはオペレーターのリンルだった。


「お疲れ様です、ユアン中尉」

「あ、ああ……その、どうも」

「なにか? そんなにおかしいですか、私が中尉に話しかけては」

「いや、ただ、こう……いつも話しかけると迷惑そうにしていたから」

「当然です」


 ました無表情は神の芸術品とでも言うべき美貌で、長く伸ばした栗色くりいろの髪にはベレー帽が載っている。平坦なジト目で、リンルはじっとユアンを見詰めて声を潜ませる。

 どうやら周囲に聞かれたくない話があるようだ。


「……ユアン中尉、ばらしたら……わかってますね?」

「な、なにをだ……あ、ああ! あの、月刊ボーイズ・エデンとかいう――」

「声が大きいです。静かに!」


 グッとリンルが顔を近付けてくる。彼女は一度周囲を見渡してから、さらに声を絞って尖らせる。まるで懇願こんがんではなく恫喝どうかつだ。

 どうやら彼女は、男同士の同性愛が好きらしい。

 そのことに対してユアンから言うことはないし、思うところもない。

 ただ、女だらけのふねで彼女が目の保養をしようとすれば、自然と書籍や映像媒体に頼らざるをえないのだろう。そして、先日その入手に失敗したばかりだ。

 主にユアンのせいで。


「このことは内密に願います。いいですね?」

「か、顔が近いんだが……リンル軍曹」

「ムツミ艦長ほどではありません。どうなんですか、中尉」

「因みに、ばらしたら、どうなるんだ……?」

「中尉の部屋の鍵を、最新鋭の電子ロックにします」

「やめてくれ! 部屋に入れなくなってしまう! ……機械は苦手なんだよ」

「指紋認証型のセキュリティレベルが高い鍵にします。音声認証も搭載で、触れずに解錠かいじょうも可能な逸品いっぴんです。機械音痴きかいおんちの中尉にとって、これがどれほど苦痛かは――」

「わ、わかった! わかったから。誰にも言わない、約束する」


 ようやく満足したのか、リンルは大きく頷くとユアンから離れた。いつもの怜悧な澄まし顔で、そのままきびすを返して去ろうとする。

 だが、一度だけ立ち止まった彼女は、肩越しに振り返って小さく笑った。


「それと、ユアン中尉。素敵でした」

「そ、そうか……ありがとう」

「動画をアップしておいたので、あとで見てみてください。御自身の飛んでいるところを外から見るというのも、なにか得られるものがあるでしょうから」

「ああ、そうさせてもらう。……ちなみに、こいつでも見られるのか?」

「当然です」

「どうすれば……すまん、機械は本当に駄目なんだよ」


 ユアンが取り出した携帯端末を見て、リンルは戻ってきてくれた。そして、まるで魔法のように指を光学表示の立体映像へと走らせる。御丁寧にドローンを飛ばしていたらしく、ユアンたちラーズグリーズ小隊の演技が絶好のアングルで録画されていた。

 リンルは必要最低限の操作で動画を再生すると、そのまま行ってしまう。

 ユアンは改めて、自分の手の中に今日の作戦を見下ろした。

 こうして見ると、完璧に思えていた内容にも粗が目立つ。一晩で練り上げたプランに、実際に飛ぶことのなかった打ち合わせ。リハーサルすらしていないのだから、これはこれで奇跡的と言えるだろう。だが、まだまだということは、自分たちにも伸びしろがあって、これからやるべきことが存在するということだ。


「ふむ……やはりラステルが少しずれてるが、俺も人のことは言えないな。はは、客観的に見ると色々と酷い。……そうだよな。俺は……人を殺す技しか鍛えてこなかったからな」


 不思議と自嘲じちょう自虐じぎゃくもない。

 ただ、仲間とこうして飛ぶ日がまた訪れたことに、穏やかな感謝の気持ちが湧き上がる。そして、また平和な空を楽しく飛びたい……見上げる全ての人々を笑顔にしたい。そんな身の程知らずな気持ちが沸き起こる。

 英雄の帰還でかしましい食堂が、副長のロンの言葉で静かになったのはそんな時だった。


「さて、皆さん。そろそろ艦長の出番ですぞ? ……昨日の今日でよくもまあ、笑って人前に出れるものです。さあ、一緒に見守り応援しましょう」


 それで誰もが、食堂にある大きなテレビ画面へと振り返った。壁一面が巨大なモニターになっており、今は朝のニュース番組が一段落したところだ。今日も政治や経済の話題が終わって、最近だと戦中を振り返るコーナーがあったりする。

 だが、今日はレポーターの前に一人の美少女が立っていた。

 あおい長髪を海風に揺らしながら、美貌の女艦長がマイクに向かっている。

 周囲の皆は知っていたようだが、ユアンは驚きに目を見開いた。


「ムツミ艦長!? 怪我はもういいのか、それに……これはライブ映像だな、場所は……すぐそこ、ヴァルハラが接舷せつげんしている岸壁じゃないか!」


 騒がしくなるクルーたちを掻き分けるようにして、ユアンは人混みの最前列におどり出る。大きくバストアップで映るムツミが、多くのマイクの前で笑っていた。

 ナリアやラステル、イーニィといったラーズグリーズ小隊の仲間たちも驚いている。

 どうやら、ユアンたちが出撃したあとでムツミはメディアの前に出ることを決めたらしい。彼女の背後には、巨大なヴァルハラの艦体と市民団体のプラカードが見えた。


『はい、では現場からの中継です! 本日、突然のサプライズ飛行で市民たちを魅了したパイロットたちは、この軍艦に所属する飛行隊とのことです。そしてなんと! 艦長はこんなかわいい女の子なんですねー』

『メルドリン市民の皆さん、おはようございます! わたしは第747独立特務旅団だいナナヨンナナどくりつとくむりょだんの特務艦ヴァルハラ艦長、ムツミ・サカキ大佐です』

『あの、艦長さん……顔、近いです。もっとカメラから離れて』

『あっ、すみません! えと、こんな感じでいいですか?』


 アップで画面を占拠した笑顔は、少し下がって呑気のんきに手を振っている。

 とても軍艦の艦長、大佐殿には見えない。そればかりか、昨夜まで生死の境を彷徨さまよっていた重傷者にも見えなかった。彼女は完璧に軍服を着こなし、しゃんと立っている。

 そして、フラッシュが無数にたかれる中で喋り出した。


『改めて自己紹介いたします! わたしたちは、戦後の治安維持と平和活動のために、協約軍と協商軍から選抜されたメンバーで構成された独立部隊です。その目的は、今朝も見ていただいた通り、戦後世界の混乱収束のために活動しています』


 嘘は言っていない。

 ただ、言ってはならない真実を伏せている。

 そのことを微塵みじんも感じさせない口ぶりで、ムツミはハキハキと歯切れよく喋った。こういう時に彼女のヴィジュアルは、大人びた余裕と少女のままの無邪気さが同居している。それは誰もが認める美貌で、きっと好印象を持たれるだろう。

 だが、レポーターは当然のように突っ込んだ質問をしてきた。


『突然のアクロバット飛行、市民にとっては危険ではなかったのでしょうか? また、朝からジェットの轟音で騒音被害をこうむったという声も出ていますが』

『はい! 予告なきアクロバットに関しては、気分を害された方や不利益を被った方に謝罪いたします。ごめんなさいっ!』


 ムツミはあっさりと頭を深々と下げた。

 しかし、おもてを上げると真剣な表情で言葉を続ける。理知的に輝くみどりの瞳は、カメラを通してこの食堂のクルーたちにも語りかけている。


『現在、ヴァルハラは補給のためにメルドリン市に寄港していますが、市民の皆様から温かな歓迎と厳しい叱咤激励しったげきれいを頂戴しています。この平和な戦後に軍隊は不要、その想いはわたしたちも一緒です。こうして市民の方がそれを声高に叫べることが、平和が訪れたことの証でもあります。それを守るのが、わたしたちのお仕事ですねっ!』

『先日の協商軍基地でのテロが、こちらのヴァルハラに所属する兵士によって引き起こされたという情報がありますが』

『それについては、現在調査中です。ただ、テロリスト等、平和の敵となるあらゆる存在へと、わたしたちは示威行動しいこうどうを選択しました。わたしたちがこの街にいること、そしてこの街のためにいつでも戦えることを敵は理解したでしょう。そしてそれは、これより抜錨ばつびょうして出港した後も、同じです』

『はあ……しかし、ネットでも好意的な意見が目立つものの、一定数の批判は集まっています。それについては?』

『健全な反応ですし、軍隊が諸手もろてを挙げて歓迎される風潮とはもう決別すべきなんですっ! 五十年戦争と呼ばれた戦いは終わり、平和な時代が訪れました。これを守る中で、わたしたちのような存在はやがて縮小され、消えてゆくでしょう。わたしを含むクルー全員が、それを望んでいます』


 腕組み満足気に頷いていたロンが、パンパンと手を叩いた。同時に、女たちは誰もが慌ただしく走って食堂を出てゆく。船出の時が来たのだ……だが、ヴァルハラの出港をはばむように、今朝も早くから市民団体のボートが行く手を遮っていたはずだ。

 そのことに関しては、ユアンはムツミの笑顔の向こうに結果を知る。

 シュプレヒコールを叫んでいた者たちは皆、静かにうつむいていた。市民団体の上層部はともかく、現場の人間は正真正銘の真っ当な市民だ。リアルタイムの中継でムツミが言葉を尽くし、笑顔で訴えれば黙るしかない。場の雰囲気に反してまで主張を繰り返せば、その正邪は別にして反感を買うからだ。


『では、ムツミ艦長。最後にメルドリン市の市民全てに一言お願いできますか?』

『はいっ! メルドリン市の皆様、お世話になりました。これよりヴァルハラは次の寄港地を目指して出港します。でも、忘れないでください……この街の平和は、わたしたちが全力で守ります。いつか守られてることすら忘れられるようになるまで……わたしたちは戦い続けます。悪に目を光らせ、ただ存在して抑止力になるのも、わたしたちの戦いです! それでは、本日はありがとうございましたっ!』


 ムツミは再び大きく頭を下げてから、無敵のスマイルでカメラに手を振る。ホッとしたのか、ユアンも気付けば手に汗を握っているのに気付けた。だが、ムツミは満面の笑みでタラップをのぼり、ヴァルハラへと戻ってくる。それを最後まで映して、中継はスタジオへと戻った。

 こうしてヴァルハラはあわただしく出港準備に取り掛かった。

 艦内に戻ってカメラの目から逃れると……再びムツミは倒れて医務室に運び込まれたのだった。

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