第22話「翼が染め上げる空の色は?」

 長い夜が明け、出港準備中の特務艦とくむかんヴァルハラが動き出す。

 いまだ港に係留されたままだが、副長のロンはこれ以上の長居を危険だと判断していた。秘密結社フェンリルは、この国の協商軍はおろか、市民レベルにまで魔の手を伸ばし、侵食している。

 今も市民団体の声は、沖への航路をふさぐようにボートの上で叫んでいた。

 現状でヴァルハラは身動きが取れず、艦長のムツミも重傷で面会謝絶だ。

 だが、座して死を待つ者など一人もいない。

 そして、ユアンにできることと言えば、飛ぶことしかないのだ。


『ヴァルハラ・コントロールよりヴァルキリー4へ』


 いつもの冷たく無機質な声は、オペレーターのリンルだ。きっと、この絶体絶命の状況でも顔色一つ変えずに仕事をこなしているのだろう。

 敵中深くで身動きが取れず、守るべき民に敵視されている。

 だが、すでにユアンの復讐は新たな局面へと突入していた。

 教え子を狂わせ、仲間を虐殺させたもの……それは、戦争の狂気にほかならない。そして自分もまた、その狂気の産物でしかないのだ。

 だから今、翼に怨嗟えんさと憎悪以外の気持ちを通わせて飛ぶ。


「ヴァルキリー4よりヴァルハラ・コントロールへ。感度良好」

『了解。副長よりお話があるそうです。代わります』


 通話の向こう側で、回線の切り替わる気配があった。

 恐らく眠れぬ夜を過ごしたであろう、ロンの声は今日も穏やかに澄み渡っている。このふねの副長は常に冷静で、決して声を荒げたりはしないのだ。

 それでも、並べられる言葉は緊張感が漂う。


『ヴァルキリー4、ユアン中尉。フライトプランに関しては許可しましたが、博打ばくちですぞ?』

「もとより承知の上です、副長。我々兵士は、状況に即して判断し、速やかに必要な行動を取らねばなりません。そのために平時より、厳しい訓練を課されられているのです」

『よろしい、ならば私もそれに賭けてみましょう。グッドラック、ヴァルキリー4』

「ありがとうございます、副長。では、後ほど」


 今、ユアンの乗るYF-88"シャドウシャーク"がリニアカタパルトへと乗る。

 超電導で加速されて打ち出されるまでに、手早く所定の手順をユアンはこなした。慌ただしい飛行甲板では、作業員の女たちが忙しく行き交う。

 心地よい緊張感がユアンの心身を引き締めてゆく。

 自分の中に、一本の芯が硬く真っ直ぐ通るような感覚。

 飛行甲板の途切れる先、空へと向かうきざはしを見詰めててユアンは大きく息を吐き出した。今まで何度、空へと離陸したことだろうか。多くの仲間と共に飛び、その何割かはいつも戻ってはこない。

 しかし、空を飛ぶ者たちは減らない。

 散っていった者たちが皆、己の血で染めた空へ魂を呼ばうからだ。

 希望と絶望、冒険と殺戮に満ちた空は……人を魅了する。


『ヴァルハラ・コントロールよりヴァルキリー4へ、発進どうぞ』

「こちらヴァルキリー4、了解だ。……そうだ、リンル軍曹。君にも済まないことをした。一応、謝っておく。申し訳ない」

『……別に。さっさと行ってくだい』

「艦長が、たしか……月刊ボーイズ・エデン? 君に頼まれた本を――」

『ッ!? ヴァルキリー4、発進どうぞ! さっさと行って下さい! ぶちますよ!』


 何故かリンルは、珍しく声を尖らせ叫んできた。

 初めて彼女の言葉に、感情らしい感情を感じた気がする。

 それでユアンは、最終安全装置を解除した。リニアカタパルトから打ち出される乗機は、一瞬屈んだと思った瞬間にユアンをシートへ深く沈める。強烈なGで押し付けられたまま、あっという間に周囲の背景が通り過ぎた。

 下へ、後ろへとヴァルハラが小さくなってゆく。

 僅か数秒でユアンは、晴れ渡る朝の空を飛んでいた。

 時刻は八時、街が動き出す時間帯だ。

 先に発艦していたラーズグリーズ小隊の三機と合流、ダイヤモンド編隊を組む。

 新しい仲間たちは皆、女だてらに一騎当千のエースパイロットたちだ。

 抜群の安定感で、ユアンたちは都心部の空を目指した。


『よぉ、ユアン! このクソみたいに笑える作戦は誰が考えたんだ? ええ?』

『ラステルさん、朝から下品です。ユアンが考えてくれたんです。自分もいいと思いました』

『ヘイ、イーニィ! なんだぁ、お前……クソなついてんじゃねえよ、しかもユアンだあ? 呼び捨てたぁ……オッ、オレだってな、その……ラステル、でいいんだぜ?』

『あと80秒でメルドリン市中央、セントラルステーション上空です。ナリア隊長、最終確認をお願いします!』

『こっ、こらイーニィ! オレを無視すんな、クソチビがっ!』

『ここから先はお仕事の時間ですから。ね、ラステル』

『お、おう……わーってるよ! ヘヘ』


 行き交う会話が弾んで聴こえる。

 今日のラーズグリーズ小隊は皆、武装していない。一発のミサイルも装備していないし、機銃に弾も入っていない。

 この作戦に、武器は必要ない。

 唯一の武器は、ユアンたち四人の操縦技術だ。

 芸術的とさえ言えるテクニックとセンスで、ユアンは新たな仲間たちと飛ぶ。

 この四人なら可能だと思えるからこそ、最高難度の危険に挑む。


『ヴァルキリー1より各機へ。おしゃべりはそこまでよ……もうすぐ時間ですわ。フォーメーションを変更、作戦開始15秒前』


 ナリアの声は普段以上に落ち着いている。

 回線の向こうで、三人娘の呼吸が一つに重なる確かな感覚があった。

 そして、その中へユアンの意思も吸い込まれてゆく。

 四人が一つとなって飛ぶ時間が訪れるや、ユアンの視界が激変する。


『ミッション・スタート! 散開ブレイク!』


 ナリアの声と共に、ユアンの天地が入れ替わる。

 左右に別れたラステルとイーニィも、まるで中空の見えないレールを滑るように飛んでいった。そして、中央で先頭を飛ぶナリアもスモークの尾を引き舞い上がる。

 赤、青、緑、そして黄色……空のキャンパスを華麗に染める極彩色。

 ユアンは打ち合わせ通り、アクロバット飛行を開始した。


「ッ……なかなか過激な構成だがっ! 流石さすがに皆、ついてくるか!」


 そう、ユアンの単純で安易な発想。

 空を飛ぶことで解決をはかるとしたら、唯一にして絶対の方法だ。

 それは、自分たちが戦争だけのための軍隊ではいことの意思表示。

 この空を飛ぶ喜びでいつか、世界を満たしてみせると信じたままに表現する。


『ヴァルキリー2、ラステルさん? 少し遅れてますわ』

『あいよ、姐御あねごっ! ったく、逆宙からナイフエッジサークルかよ!』

『合流地点まであと15秒です! 最後の大技はこれ、自分も初めてやりますね』


 アクロバットのサーカス飛行は、その全てが戦場で生まれた技からできている。ループ、ローリング、サークル……多くの戦技によって蓄積された、それは空の防人さきもりたちがつむいできた歴史だ。

 かつてはステルス性を高めた戦闘機によるミサイル攻撃が主流だった。

 ファーストルック・ファーストキル……パイロットたちの技は皆、無機質な殺意を乗せたミサイルに屈していった。時には、クーラーの効いた司令室から操られる無人機のミサイルで、多くの手練てだれが散っていったのだ。

 だが、長過ぎた戦争はミサイル技術を高度化、先鋭化させ過ぎた。

 結果、高騰するミサイルの開発費と維持費が、疲弊した両軍を破産させた。

 ――そして再び、空にはエースたちが戻ってきたのだ。


「ッッッッッ! ッハァ! ……こんなデカいループは久々だ。そして……これでフィニッシュだ!」


 最後に四機の"シャドウシャーク"は、重なり触れ合う距離で天空へ駆け上がる。

 その時、地上からは見えている筈だ。

 ユアンは確かに感じた……誰もが見上げる瞳を輝かせているのが。

 ジェットの轟音が遠くまで響き渡る、澄んだ夏の朝の空気を引き裂いて。

 今、雲一つない青空にメルドリン市の市章ししょうを。

 三色のラインにユアンが描く、黄色い月……それはこの街のマークだ。長らく協商軍の基地がある街として、半世紀もの間ずっと戦火にさらされていたこの都市の象徴。

 空に大きく市章を刻んで、最後にユアンたち四人は翼を揃えて港へ戻る。


『ッシャ、いい感じだぜっ! どうだイーニィ、オレ様の腕はよぉ』

『途中で三箇所ほどテンポのズレてるところがありましたね』

『……るせーよ、細けぇな』

『まあまあ、いいじゃないの。ふふ、満点のデキですわ。さ、戻りましょう……あとはこの街の市民、本当の市民が決めること。最悪の場合は、わたくしたちで閉ざされた航路をじ開けなければいけませんわね』


 ユアンは希望的な憶測で行動する軍人はいないと思っている。

 だが、何かしらの合理性を伴う行動が、最大限に効果を発揮するように軍人は努力するものだ。そしてその過程では、希望を抱かぬ者などいない。

 常に最悪を想定しながらも、自分の行動には迷いも躊躇とまどいも感じないものだ。

 そんなことを考えていると、ナリアの声が一際優しくなる。


『ヴァルキリー4、ユアンさん。いい腕ですわね……確かユアンさんも以前は』

「ああ、第666戦技教導団だいロクロクロクせんぎきょうどうだん……本来は、仮想敵アグレッサーとなって戦技を教える立場にいた。フッ、もっとも……俺たちは結果的に、自分の戦技で相手に流血を強いるだけの吸血部隊だったがな」

『そう……わたくしとは、同じ教導団でも全然違いますのね』

「ナリア隊長も? ……確か、隊長は協商軍の」

『昔の話でしてよ。でも……まだ昔話として話すには、ちょっと生々しいですわね。ふふ』


 雲を引いた四機が、母艦への帰路を飛ぶ。

 再びあの艦にヴァルハラへと着艦するために戻る。

 ユアンの細やかな反攻作戦が、敵味方に全く損害も消耗ももたらさず、意味さえなかったかもしれないまま終わろうとしていた。

 だが、彼の行動を最大限にかしてしまう少女がいる。

 彼女の意外な働きが待っているとは、この時はユアンはわずかばかりも考えないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る