第17話「絆は鎖に、血は導に」

 監禁されたままでユアンは、死を覚悟した。

 そして、それを甘んじて受け入れるあきらめを拒絶する。

 ドアのノックへと背を向けたエルベリーデの、その長い金髪をにらみ付けて思考を巡らせる。今、ムツミが大胆にもこの基地に潜入してきた。確か、メルドリン市には協商軍の空軍基地があったはずだ。

 なにか、なにか手が……チャンスが残されていると信じる。

 諦めない限り、チャンスを作ることも待つこともできる筈だった。

 そんな彼に、思いもよらぬ事態が訪れた。

 ドアを開いたエルベリーデが出迎えたのは、ユアンを移送する人員ではなかったのだ。


「入って頂戴ちょうだい、傷付けては駄目よ? ――ッ!? な、何故お前がここにっ!」


 エルベリーデが開こうとしたドアを蹴り押して、意外な人物が現れた。

 それは、肩を上下させて呼吸をむさぼるムツミだった。

 倒れ込んだエルベリーデが立ち上がる前に、その脳天へと拳銃を突きつける。まるで十代の少女とは思えぬ、迷いのない銃さばきだ。銃器の扱いに慣れているばかりか、銃口を向けることにまるで躊躇ちゅうちょがない。

 凍れる殺意の女神と化したムツミは、エルベリーデの動きを封じて視線をめぐらせる。

 ユアンと目があって、ようやく彼女は普段の人懐ひとなつっこい笑みを浮かべた。


「ユアンさん、無事ですね! もー、駄目ですよ? 美人だからってホイホイついていっちゃ」

「あ、ああ……すまん。それより、なんで」

「尻軽さんはいけないんですからね? 帰ったら艦長権限で懲罰オシオキです! 罰としてトイレ掃除とかお風呂掃除を……そうそう、左舷さげんの元客船部分にでっかいジャグジーが」

「いや、それは……戻ったら必ず。戻れたら。それより、ムツミ艦長」

「はいっ!」


 立ち上がることもできず両手をあげるエルベリーデの前で、ムツミは満面の笑みを見せてくれた。

 何故か、姿で。

 そう、先程百貨店で試着していた水着だ。


「あ、これですか? 早速役に立ちましたねっ! でも、やっぱり少し派手だったでしょうか」


 そっとエルベリーデが、二人の会話から目を盗むように動いた。だが、彼女が腰の銃へとゆっくり手を伸べた、その瞬間に床へ弾痕が刻まれる。ムツミはエルベリーデを見もせずに、彼女の足元スレスレを容赦なく撃った。


「憲兵さんや基地の軍人さんには、滑走路に行ってもらってます。お気に入りのワンピだったんですが、しかたありません!」

「……おとりに?」

「はいっ! 帽子を落として逃げて、その先でワンピースを……あと、血痕けっこんをその先へドバー! っと。結構派手に出血してるので、上手くいきました」


 ムツミに言われてようやくユアンは気付いた。

 彼女は脇腹から酷く出血している。常人ならば動けないレベルの怪我で、今も泡立あわだつ鮮血が彼女の半身を汚していた。

 だが、汗ばみ浅い息をきざんで、ムツミは笑顔でユアンのロープをほどく。

 ありえない。

 不可解で不可能だ。

 鍛えられた兵士でも、これだけの深手でそうそう動けるものではない。傷の深さは、黒ずんだ血の粘度で自然と知れる。


「艦長、傷が」

「大丈夫です、モルヒネも効いてますから。派手にドンパチしましたが、少し怪我してみせないと警戒されちゃうので!」

「……すまない、俺は……」

「もーっ、ユアンさん? 駄目ですよ? エッヘン、天才美少女艦長が教えてあげますっ!」


 血に濡れたパレオを解くと、それを渡しながら鼻先に顔を寄せてムツミは笑った。とても瀕死の重傷者には見えない。そして、やはり顔が近い。

 だが、気丈な笑顔はどこか弱々しく、にじむ汗が止まらないようだ。


「そういうときは、ありがとうですっ! いいですか、感謝の言葉ですよ? サン、ハイッ!」

「あ、ありが、とう」

「もう一度! 元気よくっ!」

「ありがとうっ! ……本当にありがとう、ムツミ艦長」

「いえいえ、どういたしました。さ、これでエルベリーデ大尉を拘束こうそくして下さい」


 二人のやり取りを黙ってみていたエルベリーデは、上目遣うわめづかいにユアンをにらんでくる。その目に輝く光は、まるで親を失ったライオンの子供だ。子猫だった少女を危険な猛獣へと育ててしまったのは、他ならぬユアンである。

 掛ける言葉も見つけられないまま、エルベリーデの両手を後ろ手にしばる。

 彼女はユアンを、そしてムツミをすがめて笑い出した。


「フフ、アハハッ! はぁ、おかしい。してやられたわね……流石は最強の人造兵士、計画種プランシーダー。フフッ、バケモノだわ」

「やめろ、エルベリーデ! 彼女は――」

「五十年戦争が生み出した最強の兵器よ。常人を超えた身体能力と反射神経、そして屈強な精神力と集中力。遺伝子レベルで調整され、薬物で強化された戦うためだけの殺戮人形ジェノサイダー


 ムツミは否定も肯定もしなかった。

 ただ黙って、自由を奪われたエルベリーデへ銃を突き付けている。

 立場が逆転したエルベリーデは、尚も言葉を続ける。


うらやましいわ……生まれた時から全てを与えられているなんて。私がユアンという師を得て、彼の手で作り上げられ、生まれ直していた時も……貴女は生まれながらに最強の兵士だったって訳よ」


 ユアンはエルベリーデを黙らせるすべが見つからない。

 ムツミをこれ以上はずかしめて欲しくもない。

 だが、手荒な真似ができないのだ。

 教え子で恋人だった女だからではない……ここにいるのは、拘束された敵の兵士。それだけだ。流血を覚悟で救出に来てくれたムツミが、それを教えてくれる。。武の力を行使する時、それは必然を持った大きな戦略や戦術のための意思表示であるべきなのだ。

 優れた兵士には、激情に寄る暴力など存在しない。

 ただ、必要と思う時に倒し、殺して、破壊する。

 冷静に心を研ぎ澄ませて、最小の力で最大限の効果を導き出すのだ。


「ユアン、いいのかしら? 私はこの艦長さんが……強化被験体No.エンシェント・ナンバー623が憎いわ。生まれながらの強者、才能のかたまり。フェンリルでも彼女の確保、ないしは殺害は最優先事項よ。何故って? その気になれば、小さな国ぐらいなら彼女一人で消し飛ばせるからよ」


 挑発じみた言葉を続けるエルベリーデに、ムツミはようやく口を開いた。

 それは、ユアンやふねの仲間たちに向けられるような声音ではなかった。

 冷たく凍てついた、氷の刃のような鋭い響き。


「エルベリーデ・ドゥリンダナ大尉。確かにわたしは計画種、絶対兵士マイティソルジャーと言われた生まれながらの戦士です。でも、覚えておいてください。あらゆる状況下で作戦を達成させるであろうわたしの判断は、わたしの気持ちは……

「なっ……なんですってっ! この私を――」

「今、この瞬間にわたしはあなたを殺すことができます。でも、その手間は惜しいんです……わたしは、ユアンさんを助けに来たんですから」

「言わせておけばっ! 人形が!」

「あなたがなりたかったのも、お人形さんですね? 殺戮と破壊を芸術の域まで高め、多くの死で己を飾ったお人形さん……その美しさをユアンさんに見せて、褒めてほしかった」

「うるさいっ! お前になにがわかるの、私とユアンのなにがっ!」

「理解の必要を認めません。さ、行きましょうユアンさん。脱出ルートも既に――」


 銃を構えたまま、ムツミがぐらりとよろめいた。次の瞬間には、ユアンは倒れた彼女を抱きとめる。温かな鮮血で手が濡れて、上気したムツミの肌が震えていた。

 すかさず立とうとしたエルベリーデへと、ムツミの手から取り上げた銃を向ける。

 そこにもう、愛し合った二人の言葉はなかった。

 気持ちが尽きて想いが途絶えた瞬間が、決定的になった。


「……俺に撃たせるな、エルベリーデ」

「いいえ、撃つべきね。でないと……私は貴方を追い続ける。自分が貴方の最高傑作であることを証明し続けるため、世界を紅蓮のほのおで焼き尽くしてやるわ」

「それでもだ! ……お前が俺の育てた最強のパイロットだということ、それだけは認めてやる。正しく導けなかったことも、俺にその器量も努力も足りなかったことも」

「ああ、ユアン……なら、やり直せばいいわ。二人で飛びましょう? また、どこまでも」

「……言われなくても飛んでやる。一緒に空で……そこで決着をつける。俺がお前を殺してやる。平和な時代を共に生きてやれなかった俺が……お前を、殺す」


 ハッと目を見開いたエルベリーデは、瞳をうるまませ乙女の顔になった。

 恍惚こうこつにも似た表情で優しく微笑む、その顔は昔のエルベリーデに戻ったようだ。

 だが、上着を脱いでシャツを引き裂き、ユアンは申し訳程度にムツミの傷を止血してやると……軽過ぎる少女を抱き上げ、かつての女に背を向けた。


「次に空で会った時……"白亜の復讐姫ネメシス・ブライド"という伝説は終わる。俺が終わらせてやる」

「素敵よ、ユアン……でも、無理だわ。この場で私を殺せない貴方が、空で私をとすですって? 気付いてる筈よ、ユアン。もう、私の方が空では強いわ」

「それでもだ。……これは、お前を屈強な兵士へと育てながら……平和の中でやり直す強さを教えられなかった、俺のケジメだ」


 それだけ言うと、ユアンは走り出す。

 ドアの外へ出て、振り返らずに駆け抜ける。

 アラートが鳴り響く基地内は、外への道をムツミが教えてくれる。苦しげに腕の中であえぐ彼女の血が、ユアンを助けるために進んできた道のりに点々と落ちていた。

 ユアンは迷わず、ムツミの血にみちびかれて外へと飛び出した。

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