第18話「妄執は白く燃えて」

 ムツミを両手で抱えて、ユアンは走る。

 軍事基地などどこも似たような作りで、それは協約軍も協商軍も変わらない。なにより、ムツミの残した血痕けっこんが教えてくれる。それを追うユアンは、敵意への鋭敏な感覚だけは確かで、そこかしこで走り回る兵士たちをやり過ごす。

 優れた聴覚は遠くで、銃撃戦の音を聴いていた。

 恐らく、ムツミが手配した特務艦ヴァルハラの陸戦隊だろう。

 本来、この基地とは表立って事を構える予定はなかった筈だ。秘密結社フェンリルに加担しているとはいえ、表向きは終戦後の事後処理に追われる普通の基地でしかないのだから。


「クッ、俺のミスだ……この上、ムツミ艦長を守れなければ俺は!」


 抱えるムツミはすでに、意識がない。

 止血のために巻いたシャツは、あっという間にドス黒い血で染まった。

 エルベリーデが言うには、ムツミは五十年戦争の狂気が産み落とした私生児、計画種プランシーダーだという。俗に言うデザインベイビー、人造人間だ。改めて思い返すと、それを思わせる言動は多々あった。脳天気に見えて抜群に頭が切れて、ヴァルハラの常軌を逸したフル加速の中でも平然としていた。

 やはりムツミは、遺伝子レベルで心身を強化された絶対兵士マイティソルジャーなのかもしれない。

 だが今は、ユアンが命に代えても守らねばならぬ普通の少女だった。


「考えろ、考えるんだ……ユアン・マルグス! どこへ逃げる……艦長ならどう考える? 大雑把おおざっぱ野放図のほうずに見えて、この人は恐ろしい程に頭脳明晰ずのうめいせきだ。恐らくもう、迎えの味方も呼び寄せてる。なら、こっちか!」


 敢えてユアンは、声に出して自分へと言い聞かせる。

 悲観にくれて感傷に沈むにはまだ、この場所は危険に満ちていた。

 そして、時の砂がこぼれ落ちるように、ムツミの出血は続いている。砂時計にも似た彼女の命をひっくり返すことは、神の手を持ってしても不可能なはずだ。

 人知を超えた驚異的な戦闘力、絶対兵士と呼ばれる少女でも出血死するだろう。

 ユアンは迷わず、鉄火舞い散る銃声の方向へと走った。

 それは、予想通り滑走路だ。


「艦長は当初、滑走路側に行くと見せかけたくみに敵兵を誘導した。その上で施設内の警備をあざむき潜入。時間差で救援部隊を呼び、滑走路から施設内へ戻ってきた兵たちの背後を増援が急襲する。つまり……救援のヘリと特殊部隊が来ているっ!」


 息せき切って走る中で、ユアンは口早に喋り続ける。

 ムツミの思考を追うように行動して、そのことに合理性を説明していなければ正気を失いそうだった。それほどまでに動揺していたし、動揺する自分を律する精神力が残っていた。滑稽こっけいな独白を続けつつ、ユアンはドアを蹴破けやぶり外へ出る。

 再び空の下へと飛び出せば、遠くに遠雷えんらいまとう暗雲が垂れこめていた。

 心なしか、青空も陰ったようで重苦しい。

 正午を折り返して久しい日差しが、今は寒々しい程に弱かった。


「あのヘリかっ!」


 予想通り、迎えのヘリが待機している。いつでも飛び立てる状態の機体は、エインヘリアル旅団の所属であることが明らかだ。何故なら、航空機のたぐいには詳しいユアンでも、見たことがないタイプのヘリだからだ。恐らく試作機かなにかがヴァルハラに回されてきたのだろう。

 そして、その周囲にはアサルトライフルを手にした特殊部隊らしき者たちがいた。

 ざっと一個小隊、当然だが全員女性だ。黒いボディアーマーは必要最低限で、女性の起伏を浮き立たせる特殊スーツを着ている。

 ユアンは迷わず、援護を信じて走った。

 向こうもこちらへ気付いて、何人かがスモークグレーネードを投げる。

 煙幕の中、ユアンは真っ直ぐヘリへと合流した。


「ユアンさんっ! 迎えに来ました!」

「早く艦長をこちらへ! 衛生兵メディック、止血と増血剤ぞうけつざいを!」

「んもーっ、休暇が台無しじゃん? ユアン、あとで甘いものおごれよー!」

「ユアンさんと上陸するなら、もっとロマンチックな場所がよかったよう~」


 軽口を叩きつつ、女性兵たちが小銃を乱射しながらヘリを援護する。直ぐにムツミはストレッチャーに載せられ、ユアンと一緒に機上の人となった。

 若い女ばかりの特殊部隊は、妙に手慣れた様子で撤収する。

 最後の一人が手榴弾を放って、ホバリングで浮かび出したヘリにつかまった。

 周囲の白煙を振り払うように、ゆっくりとヘリが上昇する。

 だが、危機は去ってはいなかった。


「艦長の心拍数、低下中! 強心剤きょうしんざい!」

「ごめんね、艦長! やっぱ常人じゃないから……ちょっと強く薬、入れるね?」

「ヴァルハラへ繋いで! 緊急出港準備! 指揮権をロン副長に引き継いでもらって」

「とりあえず、急いでふねへ帰投します! ――ユアンさん! あ、あれっ!」


 全裸と変わらぬシルエットの少女兵が、外を指差し叫んだ。

 そして、ユアンは目撃する。

 混乱する基地内の片隅で、格納庫から純白の機体が滑走路へと向かっていた。

 間違いない、エルベリーデのFv-67"レブンカムイ"だ。

 "白亜の復讐姫ネメシスブライド"と呼ばれたエースにとっては、逃げるヘリなど止まっているまとにも等しい。対空兵装も防御策もないまま、ユアンたちは黙って飛ぶしか許されないのだ。

 一難去ってまた一難、最強の追手が送り狼となって放たれようとしていた。


「クッ! 全速で飛ばしてくれ! 市街地に逃げ込めば、あるいは……いや、駄目だっ! 奴は、エルベリーデは迷わず攻撃してくる」

「ですね。フェンリルって、そういう組織ですから」

「どっちかっていうと、連中ですし」

「わー、ユアンさんの元カノ、こわっ! ……ちょっと揺れるよ! しっかり掴まってて!」


 まともな軍人であれば、市街地上空での空戦は避ける。最終的に交戦するにせよ、手続きを踏む必要があるから時間が稼げる筈だ。

 だが、ユアンには確信に満ちた予感があった。

 先程会った時もう、エルベリーデは完全に自分の知る18歳の少女ではなかった。

 狂気に身を焦がし、自らを燃やして羽撃はばたく危険なエースだ。

 恐らく、警告すら行わずにユアンたちのヘリを撃墜するだろう。

 徐々に小さくなる基地と滑走路をユアンはにらむ。ここからでもまだ、はっきりと白い機体がタキシングしているのが見えた。

 諦めきれぬまま覚悟の時が迫る中……ユアンは不意に頼もしい声を聴く。


『オラオラァ! クソ海兵どもっ、初夜の処女おぼこみたいに泣きわめいてんじゃねえぞ! 騎兵隊きへいたいの到着だっ!』


 ノイズ混じりの無線の向こうで、粗野で下卑げびた声が叫んでいた。そして、ヘリの頭上を三機編隊がれ違う。ヴァルハラの飛行隊、ラーズグリーズ小隊だ。ナリアを先頭に、ラステルとイーニィである。一目でユアンは、三人の乗機が先日と違うのに気付く。

 救援のYF-88"シャドウシャーク"は、既に改修されたのか機首の付け根にカナード翼が増設されていた。エンジン音も以前とは少し違う……獰猛どうもうな天空のさめたちは、大戦の伝説へ襲いかかった。


『ヴァルキリー1より各機へ、遠慮は無用ですわ。滑走路を飛び立つ前に潰しましょう。狙い撃ち、ですわね』

『ヴァルキリー3、了解。……少しあっけないですね。でも、テロリストに加担かたんする人には容赦しません』

『ヴァルキリー2もクソ了解だぜ! アタシにやらせてくれ、姐御あねごっ!』


 伝説の終焉しゅうえんは、あまりにも切ない。

 ユアンが見守る中、ラステルが高度を下げて滑走路をなぞるように飛ぶ。

 真正面から、白い"レプンカムイ"をはちの巣にするつもりだ。おかの戦闘機など、機銃の一斉射いっせいしゃ鉄屑てつくずと化す。

 だが、ユアンはヘリのコクピットに向かって怒鳴った。

 戦慄を感じるのは、自分が知っているから。

 彼女に……エルベリーデ・ドゥリンダナという女に、なにを教え、どう仕込んだかを覚えているから。


「ナリア隊長! イーニィと二人でラステルをフォローしてくれ! 三方向から攻撃、絶対に飛ばせては駄目だっ!」

『あら、ユアンさん。無事だったみたいですね。大丈夫ですわ、ラステルさんは上手くやります。けど……ええ。わたくしも妙な胸騒ぎが。イーニィさん』

『了解ですっ! ヴァルキリー3、援護に回ります』


 滑走路を走る戦闘機など、空を飛ぶヘリ以上にカモである。三次元的な機動はおろか、真っ直ぐ加速するしかできない物体なのである。

 だが、ユアンは知っている。

 ユアンたちが所属していた第666戦技教導団だいロクロクロクせんぎきょうどうだん……この世で唯一、最強の制空戦闘機"レプンカムイ"のコクピットシートを許された男たちがどういう人間か。そして、屈強なエースたちをたばねて統率とうそつする少女が、どういう人間に作り替えられたか。

 そして、ユアンの懸念は現実になる。

 滑走路を全力疾走する白い翼は、絶え間ない加速の中で風になる。

 真正面から降下しながら、ラステルの"シャドウシャーク"が牙を剥こうとした、その時。


『ファーック! クソ野郎が、自爆しやがった!』


 ラステルの絶叫を心の中で否定するユアン。

 白い"レプンカムイ"は、搭載した二発の空対空ミサイルを発射した。滑走路を走る、その目の前へと解き放ったのだ。ただ真っ直ぐ飛ぶ飛翔体ひしょうたいと化したミサイルが、二発立て続けに爆発する。

 その巨大な爆炎の中に、白い機体は飛び込んでいった。

 当然、空対空ミサイルを地上から撃ってもラステルに危険はない。

 だが、警戒をおこたらず翼をひるがえしたラステルは一流のパイロットだった。彼女も感じた筈だ……背筋を擦過さっかする冷たい殺意を。そして……ユアンが育てた超一流のパイロットは、危険なサーカスの中で、黒煙を突き破って離陸した。


『クソッタレがあ! 飛びやがった! ミサイルで目眩めくらまし、その中へ突っ込んで飛ぶたあ……気合入ってるじゃねえか! 姐御、イーニィ! パーティを始めんぜ!』

『あ、あれが……伝説のエース、"白亜の復讐姫"。あんなの……正気の沙汰さたじゃないですよ』

『ヴァルキリー1より各機へ。なかなかの大道芸でしてよ……喝采かっさいモノね。たっぷりチップをはずまなきゃ。フフ、20mmをたっぷりとね……コンバット・オープンッ! 包囲して墜としますわよ!』


 それは、基地が奇襲された際の緊急離陸マニュアル……その中でも、第666戦技教導団だけが使うサーカスレベルの奇策だ。ミサイルの爆炎に飛び込むという発想は、既に常識の埒外らちがいである。

 しかし、ユアンは何度もそうして協商軍の爆撃を退しりぞけたし、エルベリーデにそう教えた。

 高度な操縦技術とタフな精神力、そして度胸と覚悟。

 全てを満たした白き死の翼が、血に飢えたシャチのように舞い上がった。

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