第14話「海の少女と空の男、上陸」

 メルドリン市に上陸したユアンは、ムツミに言われるまま郊外へと車を走らせた。

 そして今、二人は海をのぞむ丘の墓地に来ていた。

 まばらながらも行き交う人々は、慰霊いれいの地の厳粛げんしゅくな朝を共有している。老若男女の大半が黒い服の中、白いワンピースのムツミはとても目立った。その美貌が、誰もを振り向かせて言葉を奪ってゆく。

 後ろを歩く黒服のユアンも手伝って、名家の令嬢を彷彿ほうふつとさせる風格だ。

 ユアンの前を今、花束を手にムツミは真っ直ぐ歩いていた。

 彼女は振り向き後ろ歩きに、ユアンへと微笑む。


「ユアンさんっ! ……ほんっ、とぉーにっ! 機械! 駄目なんですねっ」

「……力一杯言わないでくれるか。これでも気にしてる。車の運転は久しぶりなんだ」

ATオートマ車ですよね? エンストする人、初めて見ました!」

「す、すまん」


 だが、クスリと笑うムツミは上機嫌だ。

 再び前を向いて、強い歩調で進んでゆく。

 その先に、巨大な慰霊碑いれいひが現れた。

 海へと突き出たみさきの上に、御影石みかげいしで打ち立てられた慰霊碑。それを見上げて立ち止まると、ムツミはじっと碑文ひぶんを見詰める。

 ユアンも、海風に洗われる石碑を前に身を正した。

 これは、どこの街にもある五十年戦争の碑だ。

 世界全土が戦場となる中、何十年も前から各地で建てられたものの一つである。しかし、戦時中は訪れる者も少なく、この碑を墓とするしかない死体なき戦死者は増え続けた。

 生死すら不明なままの人間は、億をくだらない。

 まだこの世界は、人類滅亡寸前の終戦から半月しか経っていないのだ。

 ムツミは帽子を脱いで献花けんかすると、両手を合わせて目を閉じた。

 ユアンも左の胸に右手を置き、静かに祈りをささげる。

 人類は愚かにも、数字で全てを計り過ぎた。

 先鋭化した効率重視の世界が、経済格差や民族問題、思想の違いで戦争していい理由を安易に選ばせてしまったのだ。コストとリターンの両天秤でしか全てを見られなかった時、人命や平和、調和と融和の精神は泡銭あぶくぜににもならない。


「ユアンさん、一つだけ覚えておいてほしいことがあります」


 顔をあげたムツミは、帽子を手に振り返る。

 その表情は、普段のあどけない美貌とは違った輝きを放っていた。

 周囲にも祈りと願いが満ちる中で、ムツミにはいつくしみの笑みが浮かんでいる。それはまるで、女神か天使のような慈愛と慈悲に満ちていた。

 とても十代の女の子には見えない。


「わたしたちエインヘリアル旅団の人間は、恐らくまともな死に方をしないでしょう。わたしもそうですし、今まで散っていた仲間たちもそうでした」

「……俺はパイロットだ、覚悟はある」

「昨日撃沈した秘密結社フェンリルの偽装貨物船、あの情報をもたらした諜報員の方も……恐らくもう、この世にはいないでしょう。連絡が途絶え、死体すら回収できません。だから」


 グッとまた、ムツミが近付いて見上げてくる。

 間近に背伸びしたムツミの顔があって、互いの呼気が肌を撫でる距離だった。

 真っ直ぐユアンの目を見て、彼女は通りの良い声を響かせた。


「だから……絶対に! ぜーっ、たい、にっ! 勝ちましょう! もうこれ以上、戦争で泣く人を増やさないために。戦争で亡くなる方を生み出さないために!」

「……ああ。だが、その、艦長」

「はいっ! わたしも全力で戦います。ユアンさんみたいな腕利きのパイロットさんに来てもらえて、よかったです。これからもよろしくお願いしますっ!」

「わ、わかった。わかったから……顔が、近いんだ。いつもいつも」


 満面の笑みで、ムツミはようやく離れた。

 こうして見ると、先程の大人びた表情が嘘のようだ。

 どこにでもいる普通のティーンエイジャーで、普通以上に可憐な美貌がまぶしい。あおい髪を海風に揺らしながら、彼女は帽子を被って歩き出す。


「よしっ! 次はお買い物です。行きましょう、ユアンさんっ!」

「了解だ、御嬢様」

「あっ、それいいですね! 艦長って呼ばれるとやっぱり、こぉ……」

「ああ、まずいだろうな。壁に耳あり障子に目ありって、御嬢様の国のことわざだろう?」

「それもありますけど、雰囲気が盛り上がらないです! 上陸なので! 休暇も兼ねてるので!」

「そっちか……はは、まあいいさ。それじゃあなんなりと、御嬢様」


 元気よく歩き出したムツミを追って、ユアンもポケットに手を突っ込みつつあとを追う。

 こんなにリラックスした気分のおかは初めてだ。

 大戦中もいつも、陸にいる時は奇妙な焦燥感があった。どこか地に足のついていないような、自分の居場所がないような不安。戦闘機のコクピットにいる時と違って、陸では全てがユアンを必要としていない気がしたのだ。

 あの女以外の、誰にとっても不必要な自分だと感じていた日々。

 だから、いつも空に戻りたかった。

 自分が帰るのは空で、陸に来ているだけだと思っていた。

 だが……やはりユアンも人間で、二本の脚で大地に立つ場所が必要なのかもしれない。それはムツミたちが守る世界であり、ムツミたちが戦うあの艦……特務艦ヴァルハラのような気がした。


「さて、御嬢様の買い物にでも付き合ってやるか。……ん? な、なんだ? まさか、この音はっ!」


 不意に、耳の奥で鼓膜が震えた。

 その振動をユアンは知っていた。

 遥か遠くから、朝の空気を伝って突き刺さる、音。

 瞬間、ユアンの全てが黒く燃え上がる。

 ムツミに連れられての休日が、紅蓮の炎に包まれる。

 そして、見上げる空に彼は飛行機雲を見た。


「この音は、間違いないっ! Fv-67"レブンカムイ"ッ!」

「ユアンさん? あの……あ! こ、この音って」

「間違いない、C型……そこにいたかっ、エルベリィィィィデェェェェッ!」


 絶叫を吸い込む中、白い翼が天空を引き裂き飛ぶ。

 雲一つない青空を飛ぶ機体は、見上げれば小さな点にも等しい。

 だが、その独特なシルエットをユアンは網膜に刻み付けた。

 格闘戦に特化した前進翼ぜんしんよくとカナード翼は、まるで鋭く鍛えられた聖剣の輝き。触れる全てを千切ちぎって断ち割る、魔剣の刃にも等しい。この世でわずかに生産された、かつてのユアンたち第666戦技教導団だいロクロクロクせんぎきょうどうだん……吸血部隊と恐れられたエース集団だけの機体。

 空を朱に染める翼は、純白の影となって飛び去った。

 かたわらで見上げるムツミも、ユアンの動揺で事態を察したらしい。

 しかし、すでにユアンは正気ではいられない。スーツの内ポケットから携帯端末を取り出し、おぼつかない手つきでいじり出す。


「そこを動くな、エルベリーデ……この街に降りる気なら! クソッ、通話にはどうしたらいい、どこを――ええい、らちがあかんっ! どうやれば母艦に連絡が取れるんだ!」

「ユアンさんっ!」


 震える手がもどかしくて、ユアンは携帯端末が浮かべる文字列を掻き混ぜていた。だが、通話機能はおろか、メールも打てずに同じメニューページをぐるぐる回るだけ。


「ムツミ艦長っ! すぐにヴァルハラを呼び出してくれ! ……クソッ、これだから機械は苦手なんだ! 急いで戻らなければ。俺は、俺はっ! ――!?」


 不意に携帯端末を取り上げられた。

 慌ててムツミを見やるユアンは、絶句する。

 唇が言葉をつむぐ仕事を奪われた。

 触れてくる唇が、ユアンの呼吸を止めてしまった。

 心臓すら止めたかもしれない、一瞬の出来事。

 そっと唇を離すと、目を開けたムツミが表情を引き締める。


「落ち着きましたか、ユアンさん。これ、お返しします」

「あ、ああ……それより」

「既にヴァルハラの方でもレーダーで補足してる筈です」

「じゃあ、急いでふねに! 奴を逃しては」

「いけませんっ! ユアンさん……死ぬ気ですね? 刺し違えてでもって、そういうこと考えてます。そういうのっ、めぇーっ! ですっ!」


 グイとムツミは、人差し指でユアンの鼻を押してくる。

 思わず言葉に詰まりながらも、ユアンは黙るしかない。

 頭上を飛び去った仇敵きゅうてきは、この街に降りるかもしれない。すぐ手が届く先に、仲間の仇がいるかもしれないのだ。そうと知ればもう、胸の奥に沈めた憎悪が抑えられない。

 気付けば震える手がわなないて、武者震いが収まらない。


「奴は……エルベリーデは、仲間を! 俺の仲間を……殺したんだ。一人残らず……皆、戦争の終わりに新しい人生が待っていた。それを!」

「そうです、そしてユアンさん! 今も彼女は戦後の世界を脅かしています。ユアンさんの仲間の方たちだけじゃありません。これからも、新しい人生を奪い続けるんです」

「だったら!」

「またチューしますよ! 何度でも! ……お願いです、落ち着いてください。ユアンさんはもう、あの"白亜の復讐姫ネメシスブライド"を倒して、刺し違えて終わりではないんです。だから!」


 思わずハッとして、ユアンは口元を手で抑えた。

 すぐに先程の、ムツミの唇の感触が思い出される。

 気付けば顔が火照って、思わずユアンはムツミから目を逸した。


「そ、その、済まなかった……取り乱してしまった。だが」

「大丈夫です。ユアンさんには必ずいつか……あの"白亜の復讐姫"を倒してもらいます。そして、彼女を狂気へとおどらせるフェンリルも……わたしと一緒に潰してもらいますから」

「……ああ。そうだな。そうだ、だから俺も……あの艦に、ヴァルハラに乗ったんだ」

「はいっ! じゃあ、あとは艦に残ったクルーたちに任せましょう。お買い物ですっ! それとも……もっとデートっぽくしましょうか?」

「なっ、なにを! 大人をからかうな……全く、困った御嬢様だ。……これでいいか?」

「よろしい! 行きましょう。今日は難しいことは忘れて、パーッと息抜きです!」


 ムツミの笑顔に、不思議と平常心がユアンへ戻ってきた。

 エルベリーデへの愛憎あいぞう渦巻く怨嗟えんさの気持ちは、まだ燃えている。ユアンの中でにらいで沸き立つままに、黒い炎となって己をいている。

 だが……不思議とムツミを見ていると、ささくれだった感情が静かにいでゆく。

 そう、蒼髪そうはつの少女艦長はまるで凪いだ海だ。

 陸に居場所がなかったユアンを、海をくヴァルハラへ招いたワルキューレのよう。そして彼女は、遠慮なくユアンの腕に抱きつき、グイグイ引っ張って歩き出す。

 二人の休日は、始まったばかりだった。

 そして、ユアンの進む先には今……予想だにせぬ再会が待っているのだった。

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