第25話「休息の一時に濡れて」

 名も無き翼のシェイクダウンを仮想現実ヴァーチャルリアリティで行った後に、ユアンには懲罰ちょうばつが待っていた。

 エインヘリアル旅団も軍隊なれば、軍規は厳しい。

 女性主体の女系社会故に、適度に緩めつつメリハリは忘れないのだ。

 当然、艦長であるムツミを危機にさらしたユアンには、罰が下される。

 それを皆は、罰ゲームだと笑うのだった。


「驚いた……本当に軍艦の中にこんなものが。悪い夢を見ているようだ」


 ユアンは今、デッキブラシを片手に広い室内を見渡す。

 こぼれた独り言は、くぐもるようにタイルに反響して響いた。

 ここは特務艦とくむかんヴァルハラ左舷部……女性陣が共同生活をしている居住区だ。基本的に男子禁制であり、ユアンもここまで奥に入るのは初めてである。そしてそこには、十人程度が一緒に入浴できる広さのジャグジーがあった。


「もともと左舷部の空母は、客船を改装した急造艦だと聞いていたが……こんなものまでそのまま残しているとは」


 ユアンたちラーズグリーズ小隊の面々にとって、飛行甲板と格納庫がある左舷部は馴染み深い。双胴艦のヴァルハラの、その左半分は空母をそのままくっつけた状態である。

 だが、その半分はまだ客船時の面影おもかげを残しており、まるで高級ホテルだ。

 食堂等、限られた一部のみが男性に解放されている。

 ユアンは先日の、ムツミの言葉を思い出していた。

 確かに軍艦の中にジャグジーがある。

 その掃除を含め、またしてもユアンは懲罰の雑務を山ほどメールされたのだ。最近ではようやく少し機械にも慣れてきて、メールを開封するのは自分でできるようになった。だが、返信がまだよくわからず、先日など艦内の全員にまとめて返事を送ってしまったこともある。

 相変わらず機械に弱いユアンだった。


「さて、さっさと片付けてしまおう。仕事は山積みだし、午後からはパトロール要員のローテーションにも入ってるからな」


 とりあえず洗剤を使って、床のタイルをブラシで磨き始める。

 普段から使われてるだけあって、酷い汚れは目立たない。だが、天井や壁など直接触れる機会がない部分は、少し入念な手入れが必要に見えた。

 タンクトップにカーゴパンツで、ユアンは黙々と作業に専念する。

 かしましい声が聴こえてきたのは、そんな時だった。


「おっ、やってるぜ、見ろよ! クソ真面目に掃除してらあ」

「ユアン、お疲れ様です。自分たちも手伝おうかと思って来ました」

「それと、先程のシミュレーションのリザルトも少し。わたくしたちも結局、あれを完全には乗りこなせていませんの」


 冷やかしに来たのか、ラステルとイーニィ、そしてナリアが現れた。

 額の汗を拭いながら、入り口に立つ三人娘をユアンは振り返る。


「手伝いは無用だ。これは俺への罰でもあるからな。俺一人でやらねばいけないだろう」


 ユアンが思ったことをそのまま口にすると、三人は三者三様に驚いてみせた。

 ラステルはトップスを内側から盛り上げる豊かな胸を揺らして笑う。逆に平坦な身体のイーニィは、ツナギ姿でウンウンと腕組み頷いた。そして、ナリアにいたっては何故かホットパンツで、上はブラジャーだけの下着姿だった。

 正直、目の毒だ。

 平静を自分に言い聞かせ、ユアンは掃除に専念する。

 だが、三人は銘々に持ち寄った飲み物を開封して口にしながら、働くユアンを肴に井戸端会議を始めてしまう。勿論、真面目な内容で、先程のトレーニングルームでの件についてだ。


姐御あねご、ありゃ欠陥品だな。クソみてえな機体だ」

「自分も同感です。ユアンやナリア隊長はそこそこ乗りこなしてましたが、リスキーな気がしました。同じエンジンでしたら、普段の"シャドウシャーク"の方が安定性も総合性能も上です」

「急激な旋回やロール、急制動に反転上昇……時々、おおっ!? ってなんだけどよぉ。なんか、そういうのを感じさせつつ、肝心のその先には行けねえ機体だぜありゃ」


 どうやら無式の評判は悪いらしい。

 シミュレーションの相手が、"白亜の復讐姫ネメシスブライド"ことエルベリーデだったのもあるだろう。無機質なデータ、蓄積された経験の再現でしかないシミュレーションでも、強敵は強敵だ。それを相手に、全く融通の聞かない新型機では勝負にならなかった。

 事実ユアンやナリアも、最終的には撃墜と判定されたのだ。

 だが、ナリアはちびちびとビールを舐めながら二人に言葉を挟む。

 待機時間中で飲酒は言語道断だったが、あえてユアンは見ないふりをした。


「二人共苦戦してたわね……わたくしも、今のままではあの機体は使い物にならないと思いますわ。……あれでは、命を乗せて飛べませんの」

「だろ、姐御!」

「でも……それはあの名無しさんになにかが欠けているから。ニックさんの設計はまだ初期案ですし、今はまた製図板とにらめっこしてますわ」


 せっせと浴場のタイルをあちこち磨きつつ、ユアンも心の中で頷く。

 そう、あの無式には決定的なものが欠けている。

 時折素晴らしい手応えを伝えてくるのは、欠陥を抱えながらも可能性をはらんだ真の力の、その片鱗だ。

 イーニィは上品に紙コップの珈琲コーヒーを飲んでいるし、ラステルはびんのコーラをあおる。

 二人もナリアの言う欠けた要素を考え、小さくうなった。


「やっぱり、安定性……でしょうか。とにかく過敏で、ずっと気を張ってないとすぐ失速する印象があります。気の許せない、抜身の刃みたいな機体ですね」

「同感だ。あと、妙にふらつく時があるし、落ち着かねえ。クソする時に便器が冷たいままみたいな、そんな感じだぜ」

「……全然わからないですよ、ラステル。わかりたくもないです」

「おいおい、イーニィ……言うようになったじゃねーか、ヘッ」


 ユアンの中で答は出ている。

 そして恐らく、ナリアも同意見だろう。

 あの無式に足りないもの、。もっと馬力のあるエンジンで常時高速度を維持できれば、音を斬り裂く速さで機体は抜群に安定する筈だ。電子制御されたフライ・バイ・ワイヤ機構を持ってしても、ある種浮いて舞うような軽さ……不安定な挙動。それは全て、一定以上の速度域を超えた時に特別な翼になる。

 だからユアンは、愛着のある愛機のエンジンを提供したのだ。

 共に長らく大戦の空を飛んできた、我が身の半身、その一番大事な心臓部だ。


「まあ、ニックさんにあとは任せましょう。ふふ……ユアンさんはどう思われました?」

「俺か……意外に思われるかも知れないが、いいと思った。ただ、素晴らしい仕上がりのボディに対して、エンジンが負けている。もっとスピードに乗り、それを維持できれば……あの機体、化けると思うが」


 それだけ言って、ユアンはホースで浴槽の泡を流し落とす。

 このあとは当番を終えて休息に入る女たちのために、バスタブに湯を張らなければいけない。そのことでふと、ユアンは不思議に思って首をひねる。


「……そういえば。どうしてこうも潤沢じゅんたくに真水が使える? 軍艦だぞ、ここは」

「ああ? なんだお前、知らないのか? ヘイ、イーニィ! 教えてやんな」


 笑ってコーラを飲み干すラステルに代わり、イーニィが教えてくれた。


「例えば、船の動力が原子炉の場合、電気分解で海水を真水にできます。原子力潜水艦はこの原理で酸素を発生させることもできるのは御存知ですよね?」

「理屈はな。ただ、ちょっと、その……機械の話は苦手だ」

「ふふ、飛行機の話なら食いつくのに、やっぱりユアンって面白いですね。それで、このふねですけど……ヴァルハラは実は、よくわからない動力部で動いています。普段は左舷側の空母と右舷側の砲艦、双方の通常動力を同期させて運用されてますが……」


 ユアンは以前、ムツミの指揮を目の当たりにして気になっていたことがあった。秘密結社フェンリルの艤装貨物船を撃沈した、あの戦いだ。光学兵器を搭載し、このサイズの水上艦としては異常な速度を発揮……全て、この艦のブラックボックスが生み出す力だ。


「確か、とか言ったか? 知っているか、イーニィ」

「自分も詳しくは……グレイプニールは現在、短時間のみ切り替えて使われる動力源らしいです。恐らく新型の高効率原子炉のたぐいで、理由があって常時稼働できないのでは」

「ふむ……まあ、こうして毎日風呂に入れるのだからありがたいし、深くは考えない方がいいかもしれん」


 そして、ピカピカになった浴室を見渡しユアンは思い出す。

 たっぷりと湯船に熱い湯を満たして、泡立つジャグジーに身をひたせるのは……女たちだけだ。ユアンたち数少ない男は、右舷側のいかにも軍艦といった狭いシャワールームを使うしかない。

 不満はないが、少し女性陣がうらやましいのも事実だ。

 そうこうしていると、缶ビールを飲み終えたナリアが近付いてくる。レースの下着から零れ落ちそうな胸の実りが、たわわに形よく膨らみ上を向いていた。サイズの小さなホットパンツは、ヘソのずっとしたで股間をどうにか覆ってる。

 少し頬を赤く染めながら、ナリアは魅惑的な笑みでユアンを隣から見上げてくる。


「ユアンさん、わたくしたちとお風呂……入ります?」

「……は?」

「もう少しでランドグリーズ小隊から任務を引き継ぎますが、それが終わったら……うふふ。ラーズグリーズ小隊の仲間なんですもの、裸の付き合いも必要ですわ」

「いや、それは! 困る、その……なんというか、軍規が。規則がある」


 意外にシュボン! と真っ赤になったのはラステルで、イーニィは無邪気に「いいですね!」と笑っている。そして、妖しい色香を振りまくナリアが上目遣いで瞳をうるませてきた。

 魅入られ飲み込まれそうな錯覚を感じて、慌ててユアンは壁へと歩く。


「と、とにかく! 俺は仕事が山積みなので遠慮する! えっと、湯は……ええい、どうして蛇口じゃぐちではなくタッチパネルなのだ。どれを押せばいい、クソッ!」

「ユアンさぁん? あン、そこはダメ、ダーメ……違いますわ」

「ええい、これか! さっきからピッピピッピと」

「やだ、もぉ……ユアンさん、それじゃいけなくてよ? そこは――」


 防水加工されたタッチパネルは、先程から触れる度に電子音を返してくる。だが、ユアンにはその意味するところがまったくわからない。ただジャグジーに湯を溜めたいのだが、その操作が全くわからないのだ。

 隣で手元を覗き込むナリアが、口元に意味深な笑みを浮かべる。

 焦るあまりユアンな乱暴に触り続けたら、タッチパネルは沈黙してしまった。

 そして、次の瞬間……浴室中のシャワーが水を強烈な勢いで吹き出し始めた。そのまま水圧で注を舞うシャワーの群れは、さながら鎌首をもたげた蛇にも似て暴れる。

 あっという間にこの場の四人はずぶ濡れになってしまった。


「クソッタレ、ユアン! 早く止めろ!」

「やっている! 叩いてるのに止まらないんだ!」

「駄目ですよ、ユアン。ますます壊れてしまいます」

「ふふ、濡れちゃった……いけない人ですわね、ユアンさん」


 だが、自然と皆が笑顔になれた時間が唐突に終わる。ずぶ濡れの四人を、突然のアラートが呼び出した。艦内全体に響き渡る警報に、すぐにユアンたちは走り出す。ナリアは瞬時に酒精しゅせいを振り払ったのか、誰よりも速く先頭を駆け抜けていった。

 まるで別人、プロのパイロットへと戻った三人娘は、間違いなくエースだ。

 そして、共に飛ぶユアンもまた、仲間を守れるエースでありたいと思うのだった。

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