第8話「アヴェンジャーVSリターナー」

 ユアンは再び、空の中にいた。

 再び、空へと帰ってきたのだ。

 この場所が、ここだけが自分の居場所。そして自分が自分であるための戦場だ。他に生きるすべを知らないが、ててもいいと思えた。あの女となら、翼を棄てても歩いていけると感じた。

 それは今、裏切りの代償としてユアンの心に出血をいていた。

 んでゆくその痛みが、彼を復讐へと駆り立てる。

 高度5,000m上空、ユアンの耳元に挑発的な声が響く。


『よぉ、クソッタレ! どうだ? そろそろおっぱじめようじゃねえか』


 声の主は今、目視で100m先を飛んでいる。安定した動きで、ユアンに合図するように尾翼を左右に軽く振っていた。

 名は、ラステル。

 エインヘリアル旅団のパイロットで、階級は中尉だ。あの部隊がその名の通りなら、彼女もまたワルキューレにいざなわれた勇者の魂ということになる。


『ルールは簡単だ、クソ野郎。互いにペイント弾をクソみたいになすりつけ合う。先にクソまみれになった方が負け。いいな!』

「俺が背後を取っているが……このまま初めていいのか?」

『ハンデだ、ハンデ! 手前ぇのクソみてえな操縦を見りゃわかる。初めての機体だしな。アタシはすでに40時間以上、コイツに乗ってる! わかったか!』

「……了解した」


 今、ユアンは初めて乗る機体の感触を確かめていた。

 悪い機体でないことはわかる……クイックリーなユアンの操作に、機敏なレスポンスで翼は追従してくれた。だが、やはり普段の愛機よりは重くて鈍い。

 ユアンだけのために調整された真紅の翼、Fv-67"レブンカムイ"。そのサブリミテットナンバーとも言えるR6型は、もっと危うい鋭さを持った戦闘機だ。


「YF-88"シャドウシャーク"……悪い機体ではない。試作ナンバー止まりなのが不思議なくらいだ」


 ラステルの背後にぴたりとつけて、ユアンは徐々に乗機に自分を馴染なじませてゆく。

 エースと呼ばれる人間は、決して機械に機械である以上を求めない。機械とは全て、人の手が時間をかけて用意した結果だ。その結果をかすために、最強にして最も高価な部品であるパイロットが乗るのだ。

 機械は意思を持たず、望みも願いもない。

 物言わぬ銀翼ぎんよくで意思を体現し、勝利を望んで願いをつむぐのは人間だ。

 そして、ユアンが再びその腕で機体を必殺の一撃へと変えようとした、その時だった。不意にレシーバーに、広域公共周波数オープンチャンネルで通信が入る。


『ラステルさんっ! ユアンさんも! いいですか、模擬戦もぎせんは艦長として許可しました。でもっ、一つだけ約束してください! 決して遺恨いこんを残さず、純粋に腕を競い合うこと!』

『チッ、うるせえクソガキだ。わーってるよ! こっちはいつだってそのつもりだ』

『それと、もう一つ!』

『一つだけって言ったろーがっ! まだあんのかよ!』


 怒鳴り散らしながらも、やはりラステルの機体は綺麗な飛び方をしている。言動不一致、粗野で下品な彼女とは裏腹に落ち着いた雰囲気だ。これだけでもう、ユアンにはラステルが一流のパイロットだと察することができる。

 そして、模擬戦開始前から既に気迫が満ちて、それが静かに張り詰めている。

 間違いない、修羅場をくぐってきた実戦派、生粋きっすいのドッグファイターだ。


『もう一つ! ラステルさんもユアンさんも、いいですか? この模擬戦、敗北した人は勝利した人の言うことを、なんでも一つだけ聞いてください! いいですね!』

『おうこらクソ娘! ……おもしれえじゃねえか。聞いてたな、クソボケ野郎! 手前ぇが勝ったらアタシを好きにしていいぜ。クソひり出す穴まで全部くれてやる!』

「いらん、断る。俺が勝ったら少し黙ってもらうさ……言いたいことはそれだけだ、


 そして決闘が始まった。

 ラステルの"シャドウシャーク"は『言ったな手前ぇ!』とダイブした。推力偏向機構を備えた二基のベクタードノズルが、空気を焦がして増速する。"シャドウシャーク"は二枚の垂直尾翼と水平尾翼を持ち、クリップドデルタ型の主翼を広げた直線的なスタイルだ。長く続いた戦乱の中、繰り返しの酷使に耐えられる設計を求めて、技術者が苦心した姿が見て取れる。

 この時代、半世紀も続いた戦争はドッグファイトを変えてしまった。

 高性能なミサイルは高価になってゆき、それは全て一時の勝利で消えてゆく。故に、極めて原始的なドッグファイトが安価で効率的なスタイルとして戻ってきたのだ。ステルス性能にものを言わせたファーストルック・ファーストキルという戦術もすたれてゆく。空には派手なカラーリングで存在を知らしめる、エースパイロットたちが戻ってきたのだ。

 どの国も戦闘機の開発競争が激化し、広告塔となるエースが生まれては消えていった。

 その一人だった女のために、ユアンも己の翼に全てを賭けて飛んだのだ。

 そのことを思い出す贅沢を、今は己にいましめユアンは呟く。


「なるほど、いい腕だ。デカい口を叩くだけはあるな」


 乗機を操り掌握しょうあくして、ユアンは蒼穹そうきゅう闘技場コロッセオを駆け抜ける。

 目の前を飛ぶラステルの"シャドウシャーク"は、ユアンの照準を見ているかのようにたくみな回避運動を織り交ぜていた。やがて、大きく機体を投げ出すように眼下へ遠ざかる。

 機体の限界を知るゆえの大胆な機動で、ユアンはラステルを事実上ロストした。

 腕もあるが、やはり慣れぬ機体への信頼度が違う。

 ユアンはようやく燃え始めた闘志を、刃のように冷たくとがらせる。


『悪いな、クソ野郎! 決めさせてもらうぜ』

「好きにしろ。デカいのは口だけにしておけ……ケツもそうならすぐに追いつく」

『ハッ! 言うね……流石は"吸血騎士ドラクル"と呼ばれた男だ』


 大きく出たものの、本気で追い込むユアンが汗に濡れる。

 冷たい不快感が背筋を滑り落ちてゆく。

 限界へとギリギリで攻めてゆく中、ユアンの操縦に"シャドウシャーク"はよくこたえてくれる。だが、見えない限界へ挑む時、機械は100%の力しか示してはくれない。把握した限界の、その先の限界までを熟知して操る時、機械は数値を超えて魂を宿すのだ。

 その限界値が、まだユアンにとってはあやふやだ。

 逆に、ラステルはその全てを掴んでいるかのようで、はやするどい。

 自在に空気を切り裂き進む仮想敵機が、どんどん小さくなってゆく。

 余裕の現れか、ラステルの声は不思議と饒舌じょうぜつになっていった。


『最後にクソみてぇな昔話をしてやる』

「興味ない」

『いいから聞けっ! 今すぐクソみてぇにぶちまけられてえかっ!』


 既にラステルは、ユアンの背後に回り込もうとしていた。

 今度はユアンが逃げる番、そして……逃げ切れぬ時は敗北する番だ。実戦は勿論、模擬戦でも負けたことなど数える程しかない。常にユアンは影のエース……"白亜の復讐姫ネメシスブライド"の叙事詩じょじしつむぐ、伝説の歌い手なのだから。

 だが、誰も知らぬ伝説の真相が、誰にも知られぬ敗北に落ちようとしている。

 必死でユアンは、機体に心を重ねて危うい操縦を繰り返した。


「クッ、振り切れないか……いい腕だ」

『手前ぇは覚えているか! 一年前、協商軍の名だたるエースが死んでった、あの空を!』

「知らん。興味がないと言った!」

『なら、教えてやるっ! ユピテルブルグの国際空港だ。あの時、アタシもあの空にいた』


 ユアンの中で一つの記憶が浮かび上がる。

 あれは、ユアンたちの部隊が反攻の象徴として祭り上げられ、敵には恐怖、味方には希望を与え始めていた時期だ。そして、"白亜の復讐姫"の伝説が決定的となり、それは神話の域まで高まってゆく。そんな時期の、両軍が激突した大空中戦があった場所。それが、協商軍が当時占領していた、ユピテルブルグ国際空港だ。

 そして、はっきりとユアンは思い出す。

 その戦いは今、ラステルを通じて自分に繋がっていた。


『みんな死んだっ! おっんだ! クソみてえな奴も、そうでない奴も! クソよりひでえ最期さいごだった。アタシ以外……みんな、死んじまった!』

「そうだ……俺たちは徹底的に協商軍のエースたちを倒した。軍の象徴であるエースたちを」

『そうだっ! そしてお前たちは……赤い悪魔っ、お前は!』

「……そうか、お前はあの時の」


 脳裏をりし日の記憶がよぎる。

 それは、あまりにも生々しい血の色だ。

 ユアンはあの日、空港の上空で戦っていた。敵味方が入り乱れる中、常にあの女を……エルベリーデを守って飛んでいた。その必要がないほどに、エルベリーデの空戦技術は突出していた。次々と協商軍のエースをとしてゆく、"白亜の復讐姫"……その援護に徹していたユアンは、エルベリーデを飾って輝く星のために、それを生贄いけにえのように献上していたのだ。

 そんな中で、ユアン自身を襲ってきた敵意を覚えている。

 あの乱戦の中、ユアンこそが一番危険なパイロットだと気付けた者……それは、過去にも先にもあの時の敵機だけだった。


『そう、アタシは気付いた……はっきりわかった! まるで、裏で糸をひいてるような……ふざけた余裕かましてる、赤いクソ野郎をな!』

「だったらどうする! 戦争中の兵士は、自分の任務に専念する。そして、戦争が終わった時、あらゆる戦争中の責任は国家が請け負うものだ。個人の遺恨など!」

『そうさ、だからこれは私闘しとう……アタシの勝手だ! あの時手前ぇは……唯一、アタシだけを逃した! 殺さずにな! そして、アタシ自身を伝説の生き証人にしたんだ……協約軍最強のエース、"白亜の復讐姫"の語り手としてな!』


 僅かに背後の殺気が揺らいだ。

 激しく燃え上がる故に、くゆる炎が不安定になってゆく。

 先程までの見事な操縦は、次第に荒々しい凶暴さを剥き出しに迫る。ロックオンされるのも時間の問題で、荒れ狂う敵意は殺意へと変貌へんぼうしていた。

 ユアンも覚えている。

 鮮明に記憶している。

 あの時、自分の存在に気付いた敵がいた。ユアンは激しいドッグファイトの末……大空戦の乱痴気騒らんちきさわぎが終息する中、撤退命令に従ったのだ。決着がつかないまま、その敵は敗走した。あの時、倒し損ねた敵……最初で最後の、ユアンだけを狙った敵。それが、ラステルだったのだ。


『手前ぇにわかるか! 一人だけ生かされ戻ったアタシを、なにが待っていたか!』

「わからん、知りたくもない! 想像だにかたくないがな」

『そうだ、想像しろ……手前ぇはあの時、アタシの戦いを奪い、死に場所を奪い、パイロットとしての誇りも奪った! それを今っ、取り戻すっ!』

「……やってみろ」


 不意にユアンが、機体を立てて空気抵抗に身をゆだねる。機首をあげたまま、失速寸前まで乗機が減速した。その横に飛び出してしまったラステルの"シャドウシャーク"も、同時に同じ機動を選択する。二機のさめは今、互いの尾をむべくにらみ合うように並ぶ。

 互いの忍耐と度胸を試すような、永遠にも思える一瞬。

 その中で両機は、ほぼ同時に限界を超えて左右に別れた。

 背後を許さず激しく機動を交え、上昇する中で距離を取る。

 大きな弧を描いて、二人はかれ合うように因縁の距離を縮めて飛んだ。あっという間に広がった距離を食い潰し、互いの過激な相対速度で急接近。真正面からぶつかるように、ユアンはラステルを、ラステルはユアンを照星しょうせいの先に捉えた。条件は五分と五分、擦れ違いざまの一撃が行き交う。

 ユアンは軽い振動と共に、乗機が赤い色に染まったのを確認した。

 鈍色にびいろの翼がまだら模様に、普段のユアンの色に染まる。

 同時に、耳元で筆舌ひつぜつし難い下品な言葉が叫ばれた。


『クソッ、クソクソッ! 相打ちかっ! ……だが、アタシは終われねえ。あのふねで……エインヘリアル旅団で戦うためには、手前ぇを超える必要がある!』

「なら、その楽しみを後に取っておけ。俺は……逃げも隠れもしない。あの艦で俺も……俺の戦いを始めさせてもらう。お前が挑み続ける限り、いくらでも付き合ってやる」

『……ケッ、クソが! その言葉、覚えておけよ――ん? ありゃ、おい! こっ、これ!?』


 突然、回線の向こうでラステルが頓狂とんきょうな声をあげた。

 ユアンも、残り少ない燃料を確認したところで気付く。

 二人の母艦である特務艦とくむかんヴァルハラは……

 そして、再び艦長であるムツミの声が回線越しに響く。


『お疲れ様です! 決着は……まあ、痛み分けじゃないですか? わたし、そんな気がします』

「艦長、帰投したいのだが。現在のヴァルハラの位置までは、ギリギリ燃料がもたない」

『おうこら、クソビッチ! なに勝手に艦を動かしてんだ、アタシたちにこのままちろってのか? さっさと戻ってきやがれ!』


 そこでユアンは気付いた。

 今すぐムツミがヴァルハラをこちらへ戻してくれれば、十分に燃料は間に合う。逆に遠ざかれば、それはもう着艦は絶望的だ。

 してやられたと思った。

 飛行甲板からリニアカタパルトで打ち出された時点で、勝負は決まっていたのだ。

 そう、この模擬戦の勝敗の行方、本当の勝者は――


『はい、そういう訳です! 二人とも、わたしに負けを認めてください。二人がわたしの勝ちだと言ってくれれば、すぐに回収に戻ります。どします?』

『クソがぁ……おい、ユアン!』

怒鳴どならなくても聴こえている。……俺たちに選択の余地はない。違うか?」


 こうして怨恨えんこんをはらんだ模擬戦は、引き分けの後に両者敗北という結果で幕を閉じた。自ら勝者と言ってはばからないムツミは……戻ったユアンとラステルに、早速一つずつ我儘わがままを思いついたようだ。それを拒否できぬ中、ユアンは改めて知った。

 エインヘリアル旅団……和平と終戦の時代の、その影で暗躍する敵を討つ力。

 試作機だらけの特務艦に、集められた人員も多種多様でそれぞれ訳ありらしい。そんな女だらけの艦に、ようやくユアンは居場所を見つける決心を誓ったのだった。

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