第16話「世界は間違ってゆく」
暗闇の中で
ようやく気付いたユアンは、自分が薄暗がりの中に座らされていることに気付いた。腰を下ろした床は、周囲に無数の資材やコンテナが置かれている。
どうやらどこかの倉庫のようだ。
だが、すぐに耳はジェットの轟音を聞き分けた。
軍用機が緊急離陸訓練をする音が、コンクリートの滑走路に反射している。もう少し意識が鮮明に慣れば、きっと機種も特定できるかもしれない。とりあえず、ここが空軍の軍事基地らしいとわかったところで、ハッと顔をあげた。
奥にドアがあり、その前に人影が立っている。
こちらを刺すような視線で見詰める女性は、冷たい声を
「お目覚めかしら? ユアン・マルグス。随分と
声の主が誰か、直ぐにわかった。
「……エルベリーデ・ドゥリンダナ。そこを……動くなっ! 殺してやる……お前だけは絶対に! 俺の手で、殺してやるっ!」
「そう、まだ私の命を狙ってるのね。どうしてかしら」
「どうして、だと? お前は仲間の……部隊の皆の
立ち上がって飛びかかろうとして、ユアンは自分が後ろ手に縛られていることに気付いた。手首に食い込むロープの痛みは、繋がれた柱をギシギシと小さく震わせる。
硬く結ばれたロープは、自力では
エルベリーデは昔からそつがなく、万事徹底した女だ。
そういう女に育てたのは、ユアンである。
身動きできぬまま、ユアンは奥歯を噛み締めながら
「なにが目的だ……言えっ! エルベリーデ! 何故こんなことをするっ!」
「なにから話しましょうか、ユアン。そうね……まず、誤解があるようだから言っておくわ。
彼女が言う上層部とは、秘密結社フェンリルのことだろう。
世界を再び戦争に巻き込み、戦争が常態化した中で利益を追求する死の商人……あらゆる戦場を演出する、劇場型の戦争屋である。生真面目で公明正大、潔癖とさえ思えたエルベリーデが、その
改めてユアンは、
だが、現実を突き付けてきたエルベリーデはユアンを前に身を屈める。
見上げるユアンの耳元に
「勘違いしないで頂戴、ユアン。あくまで上層部はという話だわ。私は貴方に価値を感じてる……ううん、私だけが貴方を必要としているの。……お願い、私ともう一度飛んで」
「……断る。お前を倒すためだけに俺は飛ぶ。そのあとは……お前を狂わせたフェンリルとやらも潰す。だから、俺を殺るなら今のうちだ」
だが、エルベリーデは平然と恐ろしいことを言い放つ。
「ユアン、ターゲットではなく貴方を捕らえてしまったことは組織にとって誤算だったわ」
「ターゲット? そうか、ムツミ艦長を!」
「そうよ。あれこそが組織にとって最大の障害……そして、最高の商品。でも、私にはどうでもいいの。知って、そして感じて……私はね、ユアン。貴方に狂わされたの」
「俺が……?」
「貧しい
うっそりと酔ったようにエルベリーデは笑った。
そして、ユアンの耳へと舌を
だが、
自分が愛した女はもう、この世のどこにもいない。
いるのは、長い戦争の
そして、エルベリーデの言葉でその意味が明らかになる。
「ユアン、私を見て。貴方が私をこんな女にしたの。戦争しか能のない、戦いの中でしか生きれない女にしたんだわ。だから……ずっと、私を見てて。敵でも味方でもいいわ、できれば後者がいいけど。私が貴方の最高の作品だってことを、感じ続けて」
「狂ってる……なにがお前を――ッ! ……そうか、俺が?」
「そうよ。今の私はユアン、貴方が作ったの。手取り足取り、肌も心も重ねて導いてくれた。お陰で私は、生まれ変われた……戦争の大空という居場所を得た。でもっ!」
不意にエルベリーデは、ユアンの耳を
歯を突き立てて痛みを走らせ、そのあとでまた優しく舐めてくる。
その息遣いを間近に感じながらも、
初めて合ったあの日、エルベリーデは
そんな彼女だから振り向いたし、安らぎが必要だとも思えた。
なにより、ユアンもまた彼女が自分を求めてくることが嬉しかった。
「上層部は貴方の生死になんて興味ないの……でも、私は違うわ。ユアン、私を見て、見続けなさい。貴方のお陰で、私がどれだけの力を得たかを」
「何故、その力をもっと上手く使えないっ! ……どうして仲間を殺す必要があった」
「……私は戦うしかできないわ。戦争が終われば居場所なんてないの。でも、あの連中は違った……戦後の平和に希望が持てるなんて、ちょっとずるいと思わないかしら?」
「俺が! 俺がお前の希望になると言った! お前となら……翼を捨てても、二本の脚で歩いていける……そう思っていた。なのに、お前は!」
「駄目よ、ユアン……翼をもがれたら、また私は
大戦末期、劣勢だった協約軍から生まれた
エルベリーデは、自分の力をユアンに見せつけたいのだ。
ユアンに叩き込まれた力でしか、生きていけないと思い込んでいる。
そして、そういう女へと追い込んだのもまた、ユアンなのだ。
「一度は殺すと諦めたから、今は幸運に感謝してるわ。興奮してるの、ユアン」
「俺はお前を殺すことを諦めてはいない。力と強さを勘違いした女の
「それは私が決めることよ、ユアン……私の愛しいユアン。再び私と飛ぶなら、まだまだ私は強くなれるわ。貴方が作り替えた私が、私自身を生まれ変わらせるの」
「力は力でしかない。強さの意味も知らん小娘が、笑わせてくれ、グッ!」
不意に顔を離したエルベリーデが、ユアンの髪を乱暴に掴んだ。そのまま吊るすように持ち上げ、
目の前に、
「貴方に選択肢はないの、ユアン。私に殺されるか、私の
「艦長は……部隊の指揮官で、普通の女の子だ。彼女は、俺ごときのために行動しない。テロリストとは交渉を持たないのが鉄則だ」
「テロリスト、ね……元を正せば貴方たちエインヘリアル旅団が悪いのよ? 私たちの大事な商品、世界で4体しかない希少な兵器を奪ったのだから。だから、返してもらうの。場合によっては死体ででも」
ユアンにはエルベリーデの言ってる意味がわからない。
ただ、
そんな彼に、残酷な真実が叩き付けられた。
「
「な、なにを……No.623?」
「そう。ムツミ・サカキは通常の人間を
ユアンは頭部を鈍器で痛打されたような衝撃に
脳裏でムツミの笑顔が無数に花咲いて、その
ムツミは兵士として造られた存在……番号で選別されるフェンリルの商品だったのだ。
ユアンが言葉を失う中で、不意にエルベリーデの携帯端末が鳴った。直ぐに身を起こして立ち上がると、エルベリーデは通話に応じて金髪を
だが、彼女の狂える美貌は突然歪んで眉間にしわを寄せた。
「なんですって? ターゲットが自ら基地に潜入してきた? 報告は正確にしなさい。……まさか。ふふ、飛んで火に入る夏の虫ね。そうよ、対象は白いワンピース姿で……ええ、帽子を被ってたわ。なるべく生け捕りにしなさい。手足の一本二本くらいなら構わないわ」
だが、落ちた帽子の先で憲兵たちが発見したのは、血塗れのワンピースだ。
おびただしい流血の赤い跡は、点々と滑走路へ続いているらしい。
だが、ムツミの危機にもユアンは頭が働かなかった。
そして、こんなことでショックを受ける自分が情けなく、それをエルベリーデが
戦争のために造られた少女、その秘密を語る少女もまた……ユアンが戦争のために育てた兵士なのだから。
「どうやらターゲットの確保も時間の問題ね。……あら? ふふ、お迎えが来たみたい。ユアン、返事はゆっくりでいいの。拒むなら、貴方が最後に見る私の殺しが、貴方自身になるだけ。そうでないのなら……素敵な死を、見渡す限りの死を
エルベリーデの笑みは、
そして彼女は、ノックされたドアへと振り返って歩み寄る。
ユアンは今、
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