第20話「償い贖うために」

 無事に特務艦とくむかんヴァルハラへと、ユアンは戻ってきた。

 彼を救ってくれたムツミは、すぐに艦内の医務室へと運び込まれる。救出部隊は待機していた班と合流し、引き続き艦の出入り口を固めるようだ。

 港に停泊するヴァルハラは今、一触即発いっしょくそくはつの事態に直面していた。

 協商軍の基地でのテロと、何らかの関係があると思われているのだ。

 そしてそれは、事実でありながらも、隠された真実を語れないまま広がってゆく。

 そんな中でユアンは、すぐにブリッジへと呼び出された。


「御苦労様です、ユアン中尉。……少し説明していただきたいですな」


 待っていたのは、副長のロンの穏やかな詰問きつもんだ。

 オペレーターのリンルや操舵士のリッキーも、無言の視線で説明を求めてくる。

 ユアンは今、ムツミを護衛しての上陸であったことを全て話す必要があった。それは自分の迂闊うかつさが呼んだミスの報告であり、己の未熟さの吐露とろだ。

 だが、ユアンはしばしうつむいたあとで顔を上げる。

 取り繕う必要も、いつわりをろうすることもない。

 ありのままを話すことでしか今、ムツミの勇気に応えることができなかった。


「報告します、副長。……全ては俺のミスです。ムツミ艦長の護衛中、俺はエルベリーデを発見、確保しようとして失敗したばかりか……とらわれの身となりました」

「なるほど、それで……艦長から緊急連絡で陸戦隊の派遣を要請されましてな。しかも、協商軍の基地に殴り込みときている。ようやく合点がいきました」

「俺を助けるために艦長は単身で基地に突入、合流するも重傷を――」


 ブリッジのすぐ横を、ジェットの轟音が通り過ぎる。

 着艦を待っていた最後の一機、ナリアの"シャドウシャーク"が降りてきたのだ。ビリビリと震える窓の向こう側で、アプローチに入った機体は綺麗にタッチダウンの音を響かせる。

 ラーズグリーズ小隊に犠牲者が出なかったのは、幸運としか言えない。

 それは彼女たち三人の実力であって、ユアンはなにもできなかった。

 ヘリの中で怒鳴どなるだけで、指をくわえて見てるしかできなかったのだ。


「俺は……判断ミスで艦長を負傷させ、艦も危機にさらしてしまった。いや、違うな……判断を誤ったというよりは、判断することができないほど動揺し、感情で動いてしまった」

「よくわかってるようですな、ユアン中尉」

「厳罰を覚悟しています、副長」

「それは当然です」


 ロンの視線は冷たく凍って、威厳と威圧感でユアンをめつけてくる。

 決して激することもなく、怒鳴りもしない。

 ただ静かに、怒りを抑えて事務的な声で副長の責任を果たしていた。

 裁きを待ちながらも、ユアンは言葉を待つ。

 そんな彼に、ロンは小さく溜息をこぼしてから口を開いた。


「ユアン・マルグス中尉。沙汰は艦長が意識を取り戻し次第、彼女の口から伝えられるでしょう。そして、私は副長として……この艦の娘たちを我が子同然に思う父親として、伝えねばなりませんなあ」


 歩み寄ってきたロンが、そっと手をあげた。

 同時に、ユアンは歯を食いしばる。

 拳による修正は覚悟していたし、それで懲罰になるとも思っていない。殴られて当然のことをしたし、ロンの怒りはもっともだ。そして、護衛する立場ながら艦長を危機に陥れた人間が殴られなければ、乗組員たちも溜飲りゅういんを下げることはできない。

 だが、意外なことにロンは殴ってこなかった。


「しかし、ユアン中尉。……よく、戻ってきてくれました」


 ロンは、ポンとユアンの肩に手を置いた。

 白い手袋に覆われたてのひらは、震えていた。

 怒りが伝わったが、それをユアンは拳ではなく体温で感じ取った。

 ロンはいつもの好々爺こうこうやの笑顔になると、目を細めてうなずく。


「誰一人欠くことなく、全員が生還した。まずはよしとしなければ。ですな? ユアン中尉」

「副長……俺は」

「ああ、なに、艦長は……あれは丈夫なですからなあ。ちと訳ありでして、殺しても簡単には死なないタフな女の子ですぞ? それが私には、ちと痛々しいのですが」

「……艦長の話を、聞きました。そして、知った……副長、あの娘は」

「おや、もう聞かされてましたか。まあ、誰でも色々と事情があるものです」


 ロンの優しさが、逆に辛い。

 ののしられながら殴られたほうがましにも思えた。

 そのことを正直に伝えたら、ロンは意外な顔をする。


「おや、中尉。そういう趣味がおありですかな? ちと、私は遠慮したいものですなあ」

「俺は、それだけのことをしでかした。とりかえしがつかないことを」

「おっと、自分を卑下ひげする自虐じぎゃくでしたら、一人の時に鏡の前でお願いしたいですな。それか、恋人を作って二人の時にでも。私はふねを預かる副長で、艦長が不在の今は最高責任者ですからな。愚痴ぐちなど聞きませんぞ」

「……連中は、秘密結社フェンリルは艦長を狙っている。そのことをエルベリーデは言っていた。そして、俺には価値がないと……ただのエースでしかないと」


 だが、二度三度とポンポン肩を叩いてロンは笑った。

 無理に作った笑顔だったが、彼は静かに言葉を選ぶ。


「長く戦争が続き過ぎましたな……平時であれば三機以上の撃墜数を持つ者がエースと呼ばれましたが。今は中尉のように、百機をくだらぬ撃墜数の者がゴマンといる。ですが」

「……はい」

「私たちは生憎あいにくと、中尉の代わりではなく……

「えっ? 副長、それは」

「我々エインヘリアル旅団は、常に人材を欲してましてなあ。中尉、貴方が必要です。きっと艦長なら、そう言って聞かないと思いますが……どうでしょうか」


 それ以上、ロンはなにも言わなかった。

 ただ、無言の眼差しでユアンに伝わってくる。それは、独房入りや降格よりも厳しい処罰。そして、罰する代わりに求められたのは……貢献と信頼だ。

 かなしいことに、パイロットとしてのユアンは汚名返上の機会に恵まれるだろう。

 この艦に乗る限り、戦うことでいくらでも名誉を挽回できるのだ。

 そして、ヴァルハラは常に戦いの中にあり、戦いの方から向かってくる。

 寛大かんだいにも思える処置が、過酷な未来を突き付けてきても……ユアンは身を正して敬礼する。精算しきれぬ罪を背負ったからこそ、己の決意と覚悟を表明する。


「ユアン・マルグス中尉、引き続き任務に邁進まいしんします。全ては己の働きと戦いであがないます」

「結構。これからも期待してますぞ。さて……いいですかな、皆さん! 艦長不在ですが緊急事態です。クルーの総力を結集して、この危機を乗り越えますぞ」


 パンパンと手を叩きながら、ロンは周囲を見渡す。

 なりゆきを見守っていたブリッジ要員たちも、すぐに仕事に戻り始めた。

 問い詰めるような視線がゆるんで、いつもの心地よい緊張感がブリッジに戻ってくる。不思議と誰も、副長の沙汰さたに文句を言わなかった。そればかりか、ユアンの失態は既に過去のものとしてあっさり片付けられてしまった。

 今現在、この艦は危機に瀕している。

 それでも、絶体絶命な現状を乗り越え未来へ進むため、誰もが遺恨いこんを押し込め封じたのだ。ユアンはクルーたちの背中に、無言で一度だけ頭を下げた。


「さて、ユアン中尉……状況は率直に言って最悪ですぞ? 御覧なさい」


 ロンはおもむろに、カツカツ歩いて左舷側を見やる。

 あとに続けば、忙しい飛行甲板の向こうに港が広がっていた。接舷せつげんしたヴァルハラは、岸壁に係留けいりゅうされている。今は双方の兵がにらみ合っていて、ヴァルハラ側の特殊部隊と港湾警備隊が緊張感を高めていた。

 エインヘリアル旅団は、秘密結社フェンリルを殲滅せんめつする極秘戦力だ。

 しかし、秘密の存在ゆえに……戦争の終わった世界に安住の地はない。

 そして、補給を受けていた艦に戦闘態勢を取らせたのはユアンなのだ。


「最強の洋上艦であるヴァルハラでも、今はおかに縛られ身動きがとれませんからな。今、フェンリルの連中に襲われたらひとたまりもありませんぞ」

「協商軍の基地は、すでにフェンリルが掌握しているようでした。エルベリーデの機体が補給を受けていましたし」

「……秘密結社フェンリル。常に歴史の影で暗躍してきた存在。五十年戦争以前より、常に人類社会の闇から闇へと跳梁ちょうりょうしてきたのです。その手は恐ろしく長く、世界の隅々に行き渡っているとみていいでしょう。それと」

「それと?」


 ロンの視線が統べる先へと、ユアンも目を向ける。

 そして、思わず顔をしかめてしまった。

 それは岸壁に無数に広がり、横断幕やプラカードを掲げている。


「あれは……なんです?」

「市民団体ですなあ。これがまた面倒でして」


 戦争反対を過激に表現した文言を踊らせ、多くの市民がシュプレヒコールを張り上げていた。五十年戦争が終わって半月、ようやく平和になった世界を象徴する光景だ。

 戦争中は黙殺されていた声が、全てエインヘリアル旅団へと向けられていた。

 彼らは真摯しんしに、真剣に平和をうれいて叫んでいる。

 だが、知らないのだ。

 真の平和のため、エインヘリアル旅団がなにと戦っているか。

 まだ終わっていない戦争が、次の戦争へ向かっていることが。

 やれやれと肩をすくめつつ、ロンは振り返る。


「とりあえず、中尉。貴方にはなすべきことをなしてもらいます。すぐに格納庫ハンガーへ……物資が届いていますので、ニック君が待ってますぞ?」

「それは」

「中尉の機体をオーバーホール中です。最悪、この港からの脱出のために飛んでもらうことになるでしょう。フェンリルは、身動きが取れぬヴァルハラを逃したくないでしょうかならな」

「……了解です、副長」


 暮れ始めた太陽が、沈んでゆく。

 そして、遠くより暗雲が既に立ち込め始めていた。

 ユアンは敬礼に身を正すと、格納庫へと向かう。パーツが届いているなら、次は自分の"レプンカムイ"で飛べる筈だ。真っ赤な翼を今度こそ、エルベリーデの血で染めるしかない。純白の殺意を斬り裂くべく、飛ぶしかない。

 高まる緊張感は今、臨戦態勢の艦で全ての女たちを走らせ働かせている。

 その全てを守るユアンは今、自分を救って傷付いたムツミのためにも戦いを始めるのだった。

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