第6話「ラグナロクの足音」

 ユアンが目を覚ますと、そこには白い天井が広がっていた。

 ベッドに横たえた身の感じる揺れが、ここが洋上だと教えてくれる。

 だが、あまりに鮮明な夢を見た後の覚醒で、ユアンはしばらく呆然ぼうぜんと天井を見詰めるしかできなかった。そして、当然だが目覚めた時に隣にあの女はいない。そのことに気付いてようやく、自分の現状を正しく認識することができた。

 自分は仲間のかたきであるエルベリーデを、殺そうとした。

 失敗したが、突然現れた謎の奇妙な軍艦に拾われたのだ。

 落ち着いた男の声が投げかけられたのは、そんな時だった。


「おや、気付かれましたな。気分はいかがですかな?」


 首を横に巡らせると、椅子に座った初老の紳士が立ち上がる。手にした文庫本を畳んで、彼はユアンに向き直った。

 海軍の将校服を着ている。

 しかし、中将の階級章が飾られたその軍服は、ユアンに見覚えはない。

 とりあえず上体を起こすと、ユアンはにこやかな男を見上げた。


「ここはどこだ? 例の奇妙な空母の……そう、ヴァルハラとかいう」

「いかにも。私は副艦長のロン・チューフェン。階級は中将ですが、なに、この艦ではさほど意味をなさぬものでして……と、少々お待ちを」


 不意にロンは振り返って、ドアへと歩く。その背を視線で追いつつ、ユアンは周囲を見渡した。どうやらふねの医務室のようだ。だが、かなりの医療体制が整っているように見える。ユアンが寝かされていたベッドも、清潔感の整った完璧なものだ。

 そうこうしているとロンは、ゴホン! と咳払せきばらいを一つ。

 そして、静かにドアを開いた。

 瞬間、大勢の女性が部屋へと雪崩込なだれこんでくる。

 皆、若い女性兵ばかりで、中には十代と思しき少女もちらほらいた。


「あー、諸君。盗み聞きはいけませんぞ? さ、持ち場にお戻りなさい」

「あっ、副長! こ、これはですね」

「ほら! だからやめようって言ったのに」

「だって、すっごいイケメンだって聞いたから」

「ちょっと、押さないで! もーっ!」


 折り重なって倒れた女性兵たちは、蜘蛛くもの子を散らすように逃げていった。その背を見送り、フムとうなってロンはドアを閉める。戻ってきたロンには、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 どうやら軍規ぐんきのゆるい艦らしく、いささか緊張感に欠く。

 そして、その最たるものと思しき少女をユアンは思い出した。

 自分が艦長だとうそぶいたのは、まだ年端もゆかぬ子供だった。


「みっともないところをお見せしましたな、マルグス中尉。ユアン・マルグス中尉……"白亜の復讐姫ネメシスブライド"を守って飛ぶ、恐るべきエース。血のように赤い機体を駆る"吸血騎士ドラクル"」

「どうしてそれを……!?」

「一部では"白亜の"復讐姫"より有名ですからな……特に、

「協商軍? それでか! ロン・チューフェン提督、聞いたことがある名前だ」

「それはどうも、以後お見知りおきを。さて」


 突然、ロンの目元が険しくなる。

 そこには、先程の好々爺こうこうやを思わせる笑顔はなかった。

 歴戦の勇士、海の男……せた長身からは今、見た目を裏切る緊張感が漲っている。それは、何度も死線を潜り抜けてきたユアンさえも萎縮いしゅくしてしまうプレッシャー。

 ゆっくりと椅子に腰掛け直して、ロンは喋り出す。


「我々はエインヘリアル旅団。特務艦とくむかんヴァルハラ単艦で極秘の任務にあたる、特別編成の部隊です。故に、機密性の保持には最新の注意を払っていることをまず、知っていただきたいですな」

「……口封じもじさない、そういうことか」

左様さよう


 どうやら拾った命はまだ、自分の手元にはないようだ。

 生殺与奪の権利をちらつかせながら、落ち着いた口ぶりでロンは話を進めてゆく。


「ユアン・マルグス中尉、貴官は協約軍では脱走兵として処理されておりますが……なにか弁明は?」

「ない」

「軍の資産である戦闘機の無断占有、無断運用、これについては?」

おおむねその通りだ、俺から言うことなどない」

「ふむ、では……忽然こつぜんと姿を消した"白亜の復讐姫"こと、エルベリーデ・ドゥリンダナ大尉の行方については?」

「……こっちが聞きたいくらいだ。知っていたら教えてくれ。あの女は俺が……必ず殺す」


 毛布を両手で握り締め、ユアンは一点を凝視して押し黙る。

 鼻から抜けるような溜息をこぼして、やれやれとロンが肩をすくめた。

 そして、僅かに弛緩した部屋の雰囲気は、突然の闖入者ちんにゅうしゃで台無しになる。


「遅れましたっ! 副長さん、すみませんっ! 彼、目覚めましたか?」


 慌ただしく入室してきたのは、あおい髪の少女だ。

 そう、あの時ユアンを助けてくれた少女……この艦の艦長、ムツミだ。彼女は駆け足で慌ただしくロンの隣にやってくる。

 ベッドに身を起こしたユアンがその可憐な美貌を見やると、彼女は目を輝かせた。

 グイと身を乗り出して、鼻と鼻とが触れ合うような距離に顔を近付けてくる。


「おはようございました、ユアンさん! 改めて自己紹介です。わたし、ムツミ・サカキです! 花も恥じらう十七歳、階級は大佐、好きな食べ物はカレーライスですっ!」

「あ、ああ。その、顔が近いんだが」

「はい! 近いですね、ぐっとお近付きになった感じですね!」

「いや……全力で肯定されても」


 ロンがポンポンと、華奢なムツミの肩を叩く。

 それでムツミは、今度は背伸びしてロンを見上げた。彼女がグッと身を寄せるので、ロンが僅かにのけぞる。

 先程は老練ろうれんな名将を思わせたロンが、優しい目で苦笑いしていた。


「副長さん、わたしいいことを思いついたんです! ユアンさんを、この部隊に誘いましょう! エインヘリアル旅団は装備も寄せ集めの実験兵器、人員の練度れんどにもばらつきがあります。ユアンさんが戦う意思を固めてくれれば、鬼に金棒ですよ!」

「鬼に金棒……ああ、艦長のお国のことわざですな? しかしですな、艦長」

「手続き等は後日、正式な書類にしてわたしが鎮守府ちんじゅふに提出しておきます!」

「はあ。まあ、それはいいとして……顔、近いですぞ」


 ようやくユアンからもロンからも適切な距離を取ると、ムツミはエヘヘと笑う。どう見ても、ハイスクールに通う普通の女の子にしか見えない。

 だが、目も覚めるような蒼い長髪が、軍服さえドレスのように飾っていた。

 大きな瞳が輝く精緻せいちな小顔は、整い過ぎてまるで美術品のよう。

 そんなムツミが、改めて自分を落ち着かせると喋り出す。


「ユアンさん、我々エインヘリアル旅団はとある極秘任務を現在遂行中なんです」

「それはさっき、こちらの中将から聞きました。……戦争は終わった筈ですが」

「ええ、協約軍と協商軍の半世紀に渡る世界大戦は終わりました。でも……この世界にはまだ、

「それは初耳です。怪獣ですか? それとも宇宙人? ロボットの反乱とか」

「残念ながらそのどれでもありません、ユアンさん。SFの物語ではなく、わたしたちの現実はこうしている今も脅かされています。その敵の名は……


 ――フェンリル。

 確か、北欧神話にある終末の獣だ。ラグナロクと呼ばれる最終戦争で、主神オーディンを飲み込んでしまう巨大な魔狼まろうである。

 趣味的なこのネーミングの意味を、ムツミは真剣な表情で語った。


「フェンリルとは、五十年戦争が生んだ巨大な影の武器商人です。彼らは戦時中、協約軍、協商軍を問わず最新鋭の兵器を売り続けていました。そのテクノロジーは、常に世の十年先をいっていると言われています」

「フェンリル……聞いたことがないメーカーですが」

「メーカーとして表立って商売をしている訳ではありません。彼らは兵器を売ることで、一つの戦場を演出する、いわば劇場型の武器商人なのです」


 ムツミが語る内容は、ユアンの知らなかった世界の真実。

 そして、世界の全てが知ろうともしない現実だった。

 秘密結社フェンリルは、戦時中に様々な兵器を開発、運用していた。敵味方を問わず兵器を売り、戦力として軍事力そのものを提供したことも少なくない。そうして戦場の規模や双方の被害、勝敗そのものまでもプロデュースしてきたのだ。

 戦争の演出家にして舞台監督、それがフェンリル。

 彼らは巨大な世界大戦が終わった今も、息をひそめて活動を続けている。

 戦争が終わったのなら、また始めればいい。

 今度は世界大戦そのものを起こすために、世界各地で暗躍しているという。


「わたしたちエインヘリアル旅団は、協約軍や協商軍の別なく集められた精鋭部隊……対フェンリルを想定された特務部隊です。彼らを秘密裏に殲滅せんめつ、無力化しなければなりません」

「ようするに、火消し役か」

「そういう感じですね。ただ、この火種はすぐにも世界のいたるところへと飛び火します。再び戦火が燃え上がれば、今度こそ人類の文明は滅びの危機にひんするでしょう」


 そしてムツミは、一度だけロンを見て頷きを拾う。

 無言で確認した彼女は、ユアンの最も知りたがっていることを教えてくれた。


「現在、我々とフェンリルは敵対関係にあります。交渉の余地はありません。そして、先日の件ですが、このヴァルハラに着任するわたしを狙った暗殺でした。その実行部隊隊長は……"白亜の復讐姫"こと、エルベリーデ・ドゥリンダナ大尉」

「そういうことか」

「彼女は既に協約軍を抜け、フェンリルと行動を共にしています。大戦の英雄が今はテロリストという、この事実を軍は必死で隠蔽いんぺいしているんです」


 ムツミは片膝を突くと、ユアンの手を取った。さらに手を重ねて、また近付けてきた顔で見詰めてくる。ユアンは彼女の瞳の中に、星屑ほしくずに照らされた自分の顔を見た。

 そこには、まだ復讐を諦めぬ修羅の無表情があった。


「ユアンさん、わたしたちに力を貸してください。貴方の目的に対しても、最大限の便宜をはかります。復讐、わたしは別にいいと思います! やっつけちゃってもいいんです! ……でも、それが世界の危機を救う行動も兼ねてること、知ってほしいです」

「顔、近いですよ……また」

「お近付きのしるしです!」

「印って……と、とりあえず、少し考えさせてください。俺は……」


 即答できない自分が不思議だった。

 謎の武器商人と極秘裏に戦う、不思議な特殊部隊。その一員になれば、少なくとも機体の整備や情報収集などの可能性は飛躍的に広がる。人間は一人でできることに限界があるのだ。

 だが、承諾できなかった。

 したくなかったというのが本音だ。

 あの女を……エルベリーデを殺して罪をあがなわせるのは、自分だと信じていた。自分以外の誰にもやらせないと思っていたのだ。だが、先の戦闘で思い知らされたのも事実だ。エルベリーデはまた、腕を上げた。ユアンの庇護ひごが得られぬ中で、その必要がないほどに成長したのだ。

 ムツミは、返事はいつでもいいと言ってくれた。

 悩めるユアンを乗せて、特務艦ヴァルハラは今日も大洋を征く。

 その先では既に、戦争を始めるための戦争が待ち受けているのだった。

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