第10話「ヴァルハラという艦」

 ユアンが第747独立特務旅団だいナナヨンナナどくりつとくむりょだん……通称、エインヘリアル旅団へと来てから、すでに一週間が経っていた。ラステルとの模擬戦を経て、正式にユアンは旅団所属の戦闘機パイロットとして登録された。

 ユアンの身分は公的には、協約軍の脱走兵である。

 だが、不思議と懲罰や軍法会議はなかった。

 この特務艦とくむかんヴァルハラは、協約軍にも協商軍にもくみせぬ独自の戦力……闇の武器商人、秘密結社フェンリルを極秘裏に叩いて潰す、いわば『』なのだ。軍規は適度にゆるく、通常の軍隊とは雰囲気が大きく異る。

 その空気の中で、ユアンは通常の軍隊とは大きく異る任務に邁進中まいしんちゅうだった。


「くっ、どうして俺がこんな……俺はパイロットじゃないのか? そもそも、なんだこの内装は。軍艦だぞ、ここは」


 ユアンは今、はしごの上で天井へと手を伸ばしていた。

 波間を走るふねの揺れで、豪奢ごうしゃなな照明が金の鎖にリズムをきざんでいる。周囲の壁は大理石のような温かい白一色で、等間隔に並ぶ扉はオーク材でできた荘厳そうごんなものだ。

 まるで一流ホテルのような艦内には、理由がある。

 ユアンが切れた電球を交換している、この場所は……主に女性の士官室へとあてがわれていた。場所は左舷部前方、航空甲板の下である。

 双胴型の巨大航空戦艦きょだいこうくうせんかんであるヴァルハラは、その半身は元は客船だったのだ。


「ええい、中途半端な改装をしている! この区画も潰せば、もっと格納庫ハンガーが広くなるし、艦載機用のエレベーターだって増やせた筈だ。クソッ!」


 悪態あくたいを呟きながら、ユアンは取り外した電球を口にくわえる。

 そして、腰のベルトに挟めたえの電球をじ込んだ。

 この数日、ずっとこうした雑務に追われている。

 ヴァルハラでは男手は数えるほどしかいないため、自然とこうした仕事は溜まりがちだという。それを艦長のムツミは、全部ユアンに丸投げしたのだ。

 どうにか電球を交換し、はしごに座って一息つく。

 ユアンが今いる左舷側は、それ自体が巨大な航空母艦である。だが、元は金持ちが好むような豪華客船で、長引く五十年戦争で徴用ちょうようされた後、空母へと改装されたのだ。だが、それが中途半端なままで終戦が見え始め、配備計画は頓挫とんざした。そのため、艦の艦尾側が格納庫で、二基のエレベーターを介して航空甲板へと繋がっている。

 一方で、艦首側はまだ航空甲板の下に客船時代の優雅な内装を残していた。


「……五十年戦争が生み出した負の遺産、か。さて、次の仕事はなんだ? ……ええい、これだから機械は嫌なんだ」


 一息ついたのも束の間、次の仕事にとりかかるべくユアンは携帯端末けいたいたんまつを取り出す。

 光学表示機能こうがくひょうじきのうで立体映像を並べる端末は、思うようには動いてくれない。欲しい情報を引き出せないばかりか、その情報を得る手段すら教えてくれないのだ。

 ユアンは戦闘機のパイロットで、戦闘機とは精密機械のかたまりである。

 だが、戦闘機はユアンにとって翼、自分の肉体の一部にも等しい。

 戦闘機は常に、最も柔らかな金属であり、しなやかで神経が行き届いた電子と機械の融合体だ。ミリ単位で自分の操作に答えるラダーや、繊細な挙動で動くスポイラーなど、全てユアンの意思に直結しているのである。

 自分の延長線上にある、自己を拡張した形……それが戦闘機だ。

 だが、目の前の携帯端末はそうではない。

 ユアンは昔から、

 戦闘機なら自在に操り、多少なりとも整備ができる男でもだ。


「ええと、ここか? これを……よしよし、表示されたぞ。残り49件か……もう、すぐ取り掛かれる左舷の作業はないな? 次は……右舷側に行くか」


 携帯端末が中空に浮かべる、光の文字列。それを指でなぞりながら、はしごの上でユアンは脚を組み替えた。

 不思議とこんな時、あの女のことが思い出される。

 嫌でも思い出してしまう。

 エルベリーデ・ドゥリンダナ……協約軍最強のエース、"白亜の復讐姫ネメシスブライド"。ユアンにとって彼女は、隊長で相棒で愛弟子で、妹のような恋人で……そして全てだった。裏切られてなお、その過去はあまりにまぶし過ぎる思い出だ。

 こうして緊張感のない場所にいると、自然と勝手に記憶が浮かび上がってくる。

 既に吹っ切れているとは言え、まだ胸の奥ににぶい痛みは確かだった。

 そして、その気持にセンチメンタリズムを引きずることを、ユアンは自分に許さない。

 許される筈がない。

 無残に死んでいった仲間たちのために、復讐をげる。

 そうしなければ、自分さえも許せなくなってしまう気がした。


「さて、じゃあ右舷側に……あっちもあっちで、相当に奇妙な構造だが」


 電球を口に咥えたまま、ユアンは表示される内容を目で追う。

 特務艦ヴァルハラの右舷側、右半分は砲艦ほうかんになっている。

 巡洋艦じゅんようかん程の大きさで、左右非対称ながら左舷と右舷の大きさはほぼ同じだ。そして、右舷側はこれぞ軍艦と言わんばかりに構造物が密集している。何度か立ち入ったことがあったが、ここよりもオイルの臭いに満ちた狭苦しい圧迫感があった。

 ずらり並んだ回転砲塔かいてんほうとうには、主砲が等間隔で生えている。中央部のイージスシステムを挟んで、艦尾側にはミサイルの垂直発射型セルが広がっていた。他にもなにか、怪しげな機材がそこかしこにあって、まるで雑多な尖塔が立ち並ぶ魔王の宮殿だ。


「ふむ、じゃあこの……対空レーザー発射口のレンズ磨きからいくか。……なに? 対空レーザーの発射口!? な、なんだそれは!? こっちは……超電磁弾頭射出砲レールガン!?」


 これではまるで、SFか家架空戦記物だ。

 しかも、インチキまみれの三文小説である。

 驚きにユアンが呆気あっけにとられると、表示されている内容が勝手に自動更新されてゆく。スクロールしてゆく文字は、ぼんやり輝きながらどんどん増えていった。


「なにっ、処理案件が増えただと!? クッ、これでは終わらないっ! どうなって、あっ!? し、しまっ――」


 思わず携帯端末に怒鳴ってしまったユアンは、はたと気付く。

 今しがた取り替えたばかりの電球が、口から零れ落ちた。

 それはまっすぐ、重力に引かれて自由落下。

 床にはカーペットが敷き詰められているとは言え、この高さでは割れてしまう。散らばるガラス片を掃除するのも、勿論もちろんユアンだ。

 思わず手を伸ばそうとして、グラリと揺れたはしごの上でバランスを取る。

 無情にも木っ端微塵こっぱみじんかと思われた電球は……小さな手に受け止められた。

 そして、自分を見上げる蒼髪そうはつの少女が微笑ほほえむ。


「ど、どうも、ムツミ艦長……た、助かりました」

「はいっ! ユアンさんもお疲れ様です!」


 そこには、ムツミが立っていた。

 彼女の手に、無事に電球は収まっている。

 ホッとしたユアンは、次の瞬間には表情を引き締めた。それは、ムツミの笑顔が緊張感を帯びたから。彼女は凛々りりしい顔でユアンを見上げて、よく通る声で話し出す。

 こうして見ると、まだまだ遊びたいざかりのティーンエイジャーにしか見えない。

 同時に、端正な表情は才気に満ちて、大佐にして艦長という地位に恥じぬ能力を見せつけてくるのだ。


「ユアンさん。先日の空戦時の、エルベリーデ大尉の行方ですが」

「なにかわかったのか!?」

「はい。予想通り、彼女は秘密結社フェンリルのに着艦、姿をくらましました」

「せっ、潜水空母せんすいくうぼだって? そんなものは大戦中にはなにも」

「秘密結社フェンリルの科学技術は、協約軍や協商軍の十年先を行ってます。そして、豊かな資金力で超兵器を開発し、再び世界大戦を起こそうとしてるんです! だから!」


 何故か、ガシリ! とムツミははしごをつかんだ。

 そして、細い足でよじ登ってくる。


「な、なあ、ちょっと……なんで昇ってくる!」

「ユアンさんのお陰で、先日わたしは命拾いしました。わたしがヴァルハラに着任する情報が、フェンリルにれていたんです。やはり、既に協約軍や協商軍の内部にも、フェンリルの魔の手は伸びていると考えていいでしょう」

「あ、ああ。わかった、わかったから」


 だが、ムツミはとうとうユアンの目の前まで上がってきてしまった。そして、可憐ながらも生真面目に引き締まった顔を近付けてくる。

 エメラルドのように輝く大きな瞳は、強い意志が真っ直ぐな光を揺らしていた。


「ユアンさんが助けてくれなければ、わたしもどうなっていたか……でも、ユアンさんのお陰で助かったばかりか、フェンリルに対してもこちらの意思を示すことができました」

「それは……! ああ、そうか! あの、一見無意味に思えた大音量の外部マイクで」

「はい。エルベリーデ大尉を回収したフェンリルの潜水空母は、報告するでしょう……エインヘリアル旅団と特務艦ヴァルハラの存在を。これで連中の注意をわたしの艦に引きつけられます。ようやく平和になった世界に、これ以上戦争の火種はばらかせません!」


 ユアンは素直に驚いた。

 てっきりムツミも、長い大戦の中で生み出された広告塔プロパガンダ、象徴的な偶像アイドルだと思っていたのだ。

 だが、違った。

 彼女は才色兼備さいしょくけんび才媛さいえんで、全て計算ずくでの行動を選択していたのだ。

 ユアンへヴァルハラへの着艦をうながした、あのマイクからの大絶叫。

 それは、ユアンを通してフェンリルへと叫んでいたのだ。

 自分たちの存在、そして敵対する意思を。

 明確に伝えることを彼女は選び、同時に……自分が無事、エルベリーデの率いる編隊の暗殺を逃れ、着任したことを知らしめたのである。

 そう知ってユアンは、間近に迫る少女の顔に思わず笑みが零れた。


「なるほど、大した大佐さんだ。いや、失礼……ムツミ艦長」

「いえいえっ! これからもよろしくお願いします、ユアンさん。近日中に"レプンカムイ"の整備用パーツや予備エンジンが届きますので」

「それは助かるな。そうだ、助かるついでに……この携帯端末なんだが、どうもよくない。ちょっと、使い方を俺に――」


 ますますムツミが顔を近付けてきた、その時だった。

 突如沸騰ふっとうした空気が、この場所が軍艦だと思い出させる。

 突然のアラートと同時に、周囲でも慌ただしくドアが開かれた。幾つかの個室から士官たちが飛び出て、急いで駆け抜けてゆく。勿論、皆が皆そろって女性だ。

 肌もあらわな者たちも軍服をひっかけ、ユアンの存在など知らぬかのように走り去った。

 そして、艦内放送が響き渡る。

 酷く冷たい声の主は、オペレーターのリンルだ。


『ブリッジより各員へ。至急、第一種戦闘態勢へ移行せよ。あと、艦長はブリッジへお戻りください。繰り返します――』


 突然の戦闘配置。

 コンシェルジュの真似事をやらされていたユアンも、思わず表情が引き締まる。

 そして、彼は見た。

 目の前でムツミの顔が、あっという間に幼い少女のあどけなさを脱ぎ捨てるのを。はしごから飛び降り振り返った彼女は、無邪気な笑顔を怜悧な仮面で隠していた。

 可憐な健康美とは真逆の、冴え冴えと研ぎ澄まされた美貌が覇気を帯びる。


「見つけましたね、目標を。では……ユアンさん! わたしとブリッジに上がってください。お見せします……わたしたちの敵、秘密結社フェンリルの正体を」


 真っ直ぐな眼差しのムツミは、既にこのヴァルハラの艦長の顔をしていた。英霊えいれいたちの魂を導き招いて、この艦は敵を捉えていくさのぞむ。その指揮を取る彼女はいわば、ワルキューレたちを統べる女王だ。

 黙ってはしごを降りたユアンは、大きくうなずきムツミと共に走り出した。

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