朱き空の戦後闘争《Ordinary War》
ながやん
第1話「プロローグ」
長い長い戦争が終わって、
少女の灰色の生活にも、ようやく
だから今日は、こんなにも空が青い。
雲一つない
その下を歩く少女の先に、廃墟となった施設が沈黙していた。
爆撃で機能を失い、
迷わず少女は、ひしゃげて破けたフェンスの金網をくぐる。
「今日も、いるかな? いる、よね。……いて欲しい、のかな……わたし」
最近、無人の基地に奇妙な噂があった。
幽霊を見たというのである。
そして、その話の真相を一部の大人は知っていた。勿論、少女も確かめた……実際に会ったのだ。
恐らく、脱走兵か敗残兵だ。
だが、危険はない。
その青年は、大人たちが警戒するような悪い人間ではないから。
直感で察して、
「あっ、いた! ……あの! えと、その……よかったら、ごはん……今日も、食べませんか?」
手にしたバスケットを両手で持ち上げて見せながら、少女は炎天下の中で微笑む。
彼女の視線の先、崩れかけた
相変わらず、まるで獣のような眼光が少女を
だが、太陽を嫌うように距離を取って見詰めてくる。
「……前にも言った。ここには来るなと」
「で、でもっ! あの……お腹、
威圧と威嚇が
だが、怖くはない。
薄汚れたシャツから
そして、彼の背後にはシートを被った巨大ななにかが沈黙している。
恐らく、軍用の飛行機、戦闘機だ。
詳しくはないが、少女は知っていた……彼は、その存在を自分ごと隠してなにかを待っている。そして、闇の中で牙を
「……そこに置いておけ」
「は、はいっ!」
男は乱雑に散らかった格納庫で、雑音に唸る無線機をいじって、背を向けた。
いつものことで、彼は少女に全く興味を示さない。
再び作業に没頭し始めた背中を眺めて、少女は恐る恐る格納庫へ入る。オイルの臭いが鼻を突いて、日光が差さぬ薄闇が少しひんやりとする。
青年は相変わらず、黙々と機械をいじっていた。
無線機の乗ったドラム缶の上に、少女はそっとバスケットを置く。
「あっ、そ、そう言えば! あの、この間はありがとうございました。母の怪我も大したことなくて、その……と、とにかくっ、助かりました!」
少女が頭を下げても、青年は言葉を返してこない。
振り向きすらせず、一心不乱に工具を働かせている。
それでも、少女は落胆することなくはにかんだ。
何故なら、彼は……母一人子一人の少女にとって、命の恩人だから。戦争が終わって、
しかし、ゼロという訳ではない。
そして、戻ってきた兵隊たちの中には、
そうした
彼が噂の幽霊の正体だと知ったのは、つい先日のことだ。
「えっと……じゃ、じゃあ、帰りますね」
やはり、返事はない。
だが、不思議と嫌悪や拒絶は感じなかった。
ただ、ひりつくような緊張感が格納庫を一層寒からしめている。
この青年が
鼻から溜息を
不意に、ノイズを連ねて吐き出す無線機に言の葉が混じった。
『――これより全機、出撃――目標は……確実に仕留め――これが初陣……各員、奮起せよ。終わった戦争は――始まるためにこそ、終わるのだから……』
その時だった。
振り返った少女は、見た。
歓喜に満ちた中で、おぞましい狂気が渦巻いていた。
「
激情に荒ぶる中で、
青年は狂喜に震えながら、無線機からなにかを聞き取り何度も
次の瞬間、彼は腰の結び目を解いてパイロットスーツに身を包む。転がっていたヘルメットを蹴り上げ手にすると、静かに戦闘機を覆うシートを握った。
――エルベリーデ。
彼は確かに、唸るような声でそう言った。
多分、女性の名だ。
青年にとってのなんだろうか?
誰だろうか……少女の胸に不安が押し寄せる。
初めて見る青年の感情は、研ぎ澄まされた刃のような憎悪だったから。
そうこうしていると、青年は一度だけ少女を振り返る。
「……そこに
「えっ? あ、ええと……こ、これですか?」
再び砂嵐のような音を吐き出し始めた無線機。それを乗せたドラム缶の脇に、小さなスーツケースがあった。開けてみると、中から大量の紙片が溢れ出る。
「これって……たしか」
「
「そんな、わたしは別に」
「フン……飯の礼だ」
そう言って、青年は少女に向き直る。
その暗い
彼はそっと手を伸べ、格納庫の外を指差す。
「今すぐ、出て行け。逃げろ……決して振り向かずに」
「でも、あの……今日のお昼ごはん」
「失せろ……真っ直ぐ家へ帰れ。ここにいると……吸い込まれて吹き飛ばされる」
有無を言わさぬ言葉だった。
そして、初めて交わす会話じみたもので、これが恐らく最後だと
少女は少し重いスーツケースを手に、走り出した。
太陽の下に出てもまだ、妙に身体が
何故か無性に家の母が恋しくなって、
沸騰する空気の絶叫。
全身に割れ響く、轟音。
耳をつんざく咆哮……それは
息を切らせて走り、基地を囲むフェンスまで来て、少女は振り返った。
そして、目撃する。
「あれは……あの人、の? なんて……なんて、綺麗」
タキシングで滑走路に向かう、一機の戦闘機。
人を殺し破壊をもたらす兵器。
なのに、優美な姿はまるで鼓動する翼だ。
鬼哭のような心音を張り上げた、巡る血のように
真っ赤な戦闘機は滑走路に躍り出るや、加速する。
雲一つない空へと、あっという間にその翼は飛び去った。
まるで、滴る
既にもう、太陽さえも恐れぬ死の眷属。
少女は飛び去る翼が残した飛行機雲を、いつまでも見詰めていた。
そして知る……もう二度と、あの人には会えないんだと。
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